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残された時間を知ってしまった私達は  作者: 七瀬乃


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黒嶋琉生

 空を見上げると、いつにも増して大きく見える太陽の光が目を刺激し、思わず目を細める。遠くの空には、綺麗な入道雲が見えて、雨降らないでくれ、と願う。

 学ランに身を包んだ俺達応援団は、片膝をつき、スタンバイをしていた。

 横には愛生がいる。珍しく長い髪を後ろで一つに束ね、今までに見たことのない真剣な眼差しを前に向けている。

 今日、人生最後の体育祭。今、彼女はどんな気持ちなんだろう。


 あれから愛生は夏休み中、応援団の練習を休まず、友達とも笑顔で話して、以前のように戻っていた。

 あんなことがあったのに、必死に前を向こうとしている。この前言っていたように、後悔しないように生きているんだ。

 そんな愛生を見ていると、自分も今のままではダメだと考えさせられる。

 今までは、とりあえず毎日高校に行って、家に帰っての繰り返しで、ぼんやりと過ごすだけだった。特にやりたいこともなく、毎日寝る時に、今日も一日いつも通り何もなく終わったな、と思いながら目を瞑る。

 そんな何もない毎日が変わったのは、愛生が隣に住んでいると知った時からで、彼女と関わっていく中でやりたいことができた。


 最後まで愛生のそばにいたい。支えたい。


 これが今一番やりたいこと。


 ドンッ、と太鼓の叩く音が響く。

「準備はいいかー!」

 応援団長が空に向かって叫ぶ。

「おー!」と応援団員全員が叫ぶ。

 ドンッ、と再び太鼓が叩かれ、「行くぞー!」と団長が叫び、「おー!」と叫びながら団員全員がグラウンドの中央に向かって走り出した。

 

 演舞中、たまに見える愛生は、今まで見たことのない力強い目つきで、力強い動きで、束ねた髪までも力強く体の動きに合わせて動いている。あんなに泣いていたとは思えない姿だ。彼女の心は強くなった。


 応援合戦が終わった。結果、残念ながら負けてしまった。負けて悔しかったけれど、愛生は笑っていた。

「悔しい! けど、楽しかったー!」と彼女は弾ける笑顔で言っていた。

 俺も負けて悔しかったけれど、愛生が楽しそうに笑っている姿が見れて嬉しかった。

 

 体育祭が終わって家に帰ると、愛生からメッセージが届いていた。


『今日はお疲れさま! 負けたけど、最後の体育祭、最高に楽しめた! 最後って考えると悲しくなったけど、最後まで笑顔で過ごせたよ。自然と笑顔になれたよ。ありがとう琉生くん。

 明日なんだけど、琉生くん何か予定ある? 何もなかったら話を聞いてほしいなって思って……』


 ありがとうだなんて、俺はお礼されるようなことしてないのに。予定があったとしても、俺は愛生を優先する。残された時間に限りがあるから。



***



 ピンポーン、とインターホンが鳴った。モニターを見ると愛生が映っている。

 昨日、メッセージのやり取りをして、俺の家で話すことになった。

 玄関の鏡を覗いて、俺の浮かれている気持ちを表しているように浮いている前髪と、格好悪くシワのついた服を適当に伸ばして、玄関のドアを開けた。

「いらっしゃい」

 今日の彼女はいつもと雰囲気が違う。裾がふんわりと広がった白い半袖のシャツに、ズボンは淡いブルーのダメージジーンズをはいている。よく見ると髪を巻いているみたいだ。いつもの真っ直ぐ伸びた艶やかな髪もすごく良いけど、正直、今日の髪型はふわふわしていて可愛い。

「愛生。今日なんか……かわ……雰囲気違うね」

 危ない。可愛い、と言いそうになった。俺から、可愛い、とか言われても嬉しくないだろうし、たぶん迷惑だと思う。彼女は俺のことを友達と思っているんだから、友達から可愛いなんて言われたら警戒してしまうかもしれない。これから愛生とどうにかなりたいとか、そういうのはない。そういうことを考えるのですら、おこがましい。

 恋愛感情を抱いてもおかしくはないけれど、あくまでも友達と思ってくれているのだから、この関係は壊したくない。


「私服だし、メイクしてるからかな?」

 お邪魔します、と愛生が微笑みながら靴を脱いで揃える。

「これ良かったら、一緒に食べよう」と彼女が茶色い紙袋を渡してきた。中身を覗くと透明な袋に包まれたシンプルな丸いクッキーのようだ。

「ありがとう。クッキー?」

「うん。昨日焼いてみたの。いつもお世話になってるお礼というか……ごめんね。もっと良い物をあげたかったんだけど……」

「いやいや。ありがとう。すげぇ嬉しいわ」

 女子から手作りクッキーをもらうのは初めてだ。今まで、バレンタインとかでも手作りのチョコとかもらったことがなかった。女子から手作りの物をもらうだけでも嬉しいのに、愛生からもらえるなんてなおさら嬉しい。

 口元が緩みそうになるのを抑えて、部屋へ案内した。

 キッチンで、コップに麦茶をそそぎ、もらったクッキーを皿にのせて、部屋へ戻った。


 愛生がテーブルの上にノートを置いている。俺はその横にお茶とクッキーを置いた。

「ありがとう」

 ノートを覗き、訊ねる。

「何それ?」

 彼女は微笑みながら、「hand numberノート」と言う。

「hand numberノート? 何書いてるの?」

 俺が立って見ていると、彼女が俺を見ながら、床を優しくとんとんと叩いた。座って、ということだと思ったので、横に座った。

「んーとね。映画とかで見たことない? 死ぬまでにやりたいことリスト書いたりしてるの。それ思い出して私も作ってみようと思って」

 いただきます、と言って彼女がお茶を一口飲む。彼女の瞳が揺らいでいるように見えた。

 彼女が息を、ふぅ、と吐いてノートを開いた。彼女の瞳はいつも通りに戻っていた。

「これからどうするかとか、やりたいこととか、とりあえずいっぱい書いてみたの」

 クッキー食べて、と彼女から言われ、クッキーを食べながらノートを見つめる。

 彼女は文章を指でなぞりながら、読み始めた。

「hand numberのことを打ち明けるか、なんだけど、今のところ、琉生くんにしか言ってないんだよね。お母さん、お父さん、あとは陽菜に言うか迷ってる。言ったら絶対悲しむし、言わなかったら、何で言ってくれなかったのって悲しむかもしれないし、どうすればいいか今は分からない。……琉生くんならどうする? もしあと少ししか生きることができないって分かったら、家族や大切な人に言う?」

「俺は……家族に言う……と思う。三年前におばあちゃんが亡くなったんだけど、おばあちゃん、亡くなる前までずっと、私はhand number出てきてないからいつ死ぬのか分からないわ、って言ってたんだ。でも、亡くなったあとにおばあちゃんの家を片付けに行ったら、ほとんど物がなくて、必要最低限のものしかなかったんだ。これ、絶対自分が死ぬって分かって死ぬ準備してたよね。絶対hand number出てたよねって……。それが分かった時、母さんが、何で言ってくれなかったの! って怒って泣き喚いて。しばらくの間、精神的にやられてたんだ……。その母さんの姿を見て、俺はhand numberが出てきたら、絶対に言おうって決めたんだ」

「そっか……。そんなことがあったんだね」と言って、彼女は俯いた。

 何秒か静かな時間が流れ、彼女がまた口を開いた。

「他には……家族以外の大切な人には言う?」

 家族以外の大切な人なら、陸人には言いたい。言わなかったら、きっと陸人はショックを受けると思う。

「陸人には言いたいな……言わないとあいつ拗ねるだろうから……」

 陸人の拗ねた顔が思い浮かんで、ふっ、と笑いが出る。陸人がいつも拗ねると、タコみたいに口を尖らせて、頬を膨らませて、正直可愛い顔になる。俺はその拗ねた顔が見たくて、わざと意地悪なことを言って拗ねさせる。

 hand numberのことを言わなかったら、拗ねるどころではないだろうな。何で俺には言ってくれなかったんだ、親友じゃなかったのか、とか怒るだろうな。だから、陸人に言いたい。親友だから。

「そっか……どうしよう。琉生くんの話を聞いたら、言ったほうがいいのかな、と思ったけど……」

「そうだな……お母さん、お父さん、斉藤の性格とかじっくり考えて決めればいいんじゃないかな。あとは、愛生が言いたければ言っていいし、言いたくなければ言わなくていいんだよ」

「そうだよね。じっくり考えてみる。ありがとう」

 それから彼女は、やりたいことを沢山話してくれた。やりたいことを話す彼女は、とても楽しそうだった。

「ねぇ。俺もやりたいこと思いついた」

「えっ? 何?」

「愛生のやりたいことを一緒に叶える」

「一緒に? ダメだよ。自分のために時間を使ってよ。私なんかのために時間使っちゃダメだよ。こうやって話を聞いてくれるだけで充分だよ」

「俺がそうしたいんだ。愛生のためじゃない。自分のためだよ」

「自分のため?」

 首を傾げる彼女。俺は愛生と最後まで一緒にいたいから、なんて口に出しては言えないけれど。

「とにかく、俺も一緒にやりたいことする!」

「わ、分かった」

 少し困ったような顔で見つめてくる彼女から、目を逸らす。

 彼女が話を続ける。

「色々やりたいことあるんだけど、それにはお金が必要だなって思って……バイトしようか考え中なの」

 俺も一緒にやりたいことを叶えるためには、お金が必要だ。俺もバイトするしかない。

「俺もバイトしようかな」

「そうだよね。琉生くんもお金必要になるよね……。提案なんだけど、うちのお父さんのお店でバイトしない?」

 彼女が甘えるような目で俺を見る。その目に吸い込まれそうだから、視線を外して、またクッキーを口に入れる。

「お父さんのお店?」

 彼女のお父さんのお店なんて、すごく緊張する。でも、一緒にバイトできるってことだよな。

「うん。学校から駅に向かってる途中に、カフェ&ベーカリーMEIってお店あるでしょ? そこ、お父さんのお店なの」

 食べているクッキーが喉に詰まってむせた。彼女が、大丈夫? とお茶を差し出してくれて、それを一気に飲み干した。

「マジで? 俺、何回かパン買ったことあるよ」

「そうだよね。毎日前通るし、買ったことあるよね。私は、親が離婚してから行ってない」

 彼女は曇った表情を隠すかのように、クッキーを一枚食べた。

 我ながら美味しい、と言って無理に笑う彼女が痛々しかった。

 俺もまた一枚食べて、美味しいね、と笑った。

「これで、一つ叶うね。お父さんに会いたいって書いてたでしょ?」

 彼女は、うん、と大きく頷いて、今度は自然と笑みがこぼれているようだった。

 連絡してみる、と言って、彼女はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。

 呼び出し音が何回か聞こえて、彼女が、もしもし、と言ったあとに、電話の向こうで微かに聞こえる男性の声。

 

「うん。久しぶり。いきなりごめんね。ちょっとお願いしたいことがあって電話したんだけど……」

 彼女がノートを見つめながら、落ち着いた声で話している。

「うん。あのね、お父さんのお店、バイト募集中だったりする? 私と友達でバイトさせてもらいたいんだけど……」

 彼女が俺に視線を向ける。

「本当? ありがとう。うん。うん。ちょっと待ってね」

 彼女が小声で、「明日の学校の帰りに面接行ける?」と訊いてきて、俺は大きく頷いた。

 声を出してはいけないと思った。彼女は俺のことを友達としか言っていないからだ。友達が男だと知れば、もしかしたらバイトを断られるかもしれない。何もやましいことなんてないけれど、娘が男と二人きりでいるという状況は快く思わないのではないかと勝手なイメージを抱く。まだ、彼女のお父さんがどんな人なのか分からないのに、変にイメージしたせいで、明日の面接が不安になってきた。

「明日二人とも面接行ける。……うん。……言ってない。内緒にしてほしいの。……うん。分かってる。だから、ばれないように協力してほしい。……また詳しく話すから。じゃあ明日よろしくね。……うん。じゃあね」

 はぁ、と彼女はため息をついて、電話を切った。

「大丈夫? 内緒とか、ばれないようにとか、学校に?」

「ううん。学校はバイトしても大丈夫だったでしょ? ばれないようにしないといけないのは、お母さん」

 彼女のお母さんはそんなに怖い人なのか。たしか家の鍵を忘れた時も、お母さんに怒られたくないと言っていた。バイトしたいことを言うと怒られるのだろうか。

 彼女が俯きながら、また口を開く。

「お母さん、きっとバイト反対すると思うから」

「そうなんだ……」

 よし、と声を出し、気持ちを切り替えたように笑う彼女がペンを握った。

「お父さんに会いたい、は叶うので消します」

 ノートに書かれた、お父さんに会いたい、の文字を消すように彼女が線を引いていく。

「久しぶりのお父さん、緊張するなぁ」

「俺も緊張する」

「そうだよね。緊張するよね。お父さん、見た目はちょっと……だけど、優しいから大丈夫だよ。明日は頑張ろう」

「うん。頑張ろう」

「今日はありがとう。そろそろ帰ろうかな」

 彼女がノートを閉じた瞬間、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー! 琉生ー? 誰か来てるのー?」

 やばい。母さんが帰ってきた。彼女が来ることは言っていなかったから、何か言われそう。

 部屋のドアが開いて、母さんが顔を覗かせる。

「あれ? 愛生ちゃん? 久しぶりー!」

 満面の笑みを見せる母さんを見て、お久しぶりです、と言って彼女が笑う。

「琉生! 愛生ちゃん来るなら言ってよー! 愛生ちゃん、この前お菓子ありがとうね。あれ人気のケーキ屋さんのお菓子でしょ? すごく美味しかったよー! 私、今度そこでケーキ買ってくるから一緒に食べようね! 今度うちに来る時は言ってね! ね! 琉生!」

 泊めさせてくれたお礼、とか言って、この前彼女がお菓子をくれた。母さんは大喜びで食べて、自分の娘みたいで可愛い、とか言っていたことを思い出した。

 だからか、彼女が今うちにいることに興奮しているみたいだ。俺的にはそのテンションをもう少し抑えてほしい。

 彼女は母さんのテンションに圧倒されて、あっけにとられているようだった。

「うん。分かったから。もう愛生帰るって」

「そっか帰るんだ。また来てね!」

「あ、はい。また今度来ます! ぜひケーキ食べに来ます!」

「うん! 食べようね! 約束ねー! じゃあねー!」

 母さんが部屋から台風のように去っていった。

「ごめんね。母さんテンション高くて……」

「ううん。お母さんすごく明るくて、こっちまで明るい気持ちになれる。自然と笑顔になれるよ。絶対また来るね」

 大きな目がくしゃっと細くなるほどの、今日一番の彼女の笑顔が見れた。

 俺は、母さんみたいな明るさを持ち合わせていないから、彼女を一瞬で笑顔にさせる母さんが羨ましい。


「じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」

 丁寧にドアを閉める彼女が、夕日に溶け込んで消えたように見えた。このまま会えなくなるのではないかと彼女を追いかけたくなった。

 彼女と会えるのはあと何回だろう。また明日、があと何回聞けるのだろう。あと何回言えるのだろう。彼女との時間は一分一秒大事にしたい。どんな瞬間も覚えていたい。

 言葉にはしないけれど、心の中では思わせてほしい。

 また明日、がなくなるその日まで、彼女のそばにいたい。


 部屋に戻って、テーブルに置かれたクッキーを手に取って口へ運ぶ。このクッキーが食べられるのも、もう最後かもしれない。そう思ってしっかりと噛み締めた。

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