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残された時間を知ってしまった私達は  作者: 七瀬乃


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4/19

西浦愛生

 琉生くんにhand numberのことを言ってしまった。一人では抱えきれなかった。


 たしか、あの日の朝までは"2"だった。


 でもあの時、ふと手の平を見ると"364/23/30"に変わっていた。


 一瞬、数字が増えたのかも、と思ったけれど違う。

 ネットで検索した時に知ったが、命の期限が残り一年になると、日/時間/分と手に現れる、と書いていた。

 それを思い出して、私はあと一年しか生きられないんだ、と理解した。それを理解するのと同時に、体全体の震えが止まらず、助けて、と言えないほどに息が苦しくて、心の中でいつの間にか、琉生くん助けて、と何度も言っていた。

 誰かが困っていると、彼はすぐに気づいて手を差し伸べる。あの時も彼は私にすぐ手を差し伸べてくれた。助けてくれた。なのに、彼に酷いことを言ってしまった。

 あと一年しか生きられない、と知った私の感情はぐちゃぐちゃで、悲しみを通り越して怒りが湧いてきて、この怒りを彼にぶつけてしまった。



 今日は応援団の練習がある。彼と顔を合わせないといけない。昨日のことを謝りたいけれど、謝る勇気が出ない。たぶん嫌われたし、話しかけるなんて無理。

 そんなことを考えながら、玄関で靴を履いていた。


「愛生!」

 脱衣所のほうから、お母さんの低い声が響いた。

「今日愛生が洗濯干す当番だったでしょ。何でやってないの?」

 低い声が私の耳に響く。耳の奥まで声が響いて頭がズキンと痛む。

「はぁ。忘れてた。今からする」

 練習に遅れてしまう。でも、最近お母さんが怒ると機嫌が悪いのが長引くから、ちゃんと洗濯物を干して行かないと。

 仕事を頑張っているお母さんの機嫌を損ねないように、いつも気を遣っているのに。お母さんの負担にならないように頑張っているのに。今はその余裕がない。

「はぁってため息つかないで! ため息つきたいのはこっちよ! 親子二人で協力して頑張って行くって言ったでしょ? 仕事で疲れてるの。怒らせないで」

 耳を塞ぎたくなる。怒るといつも私の心を何度も爪で引っ掻くように責めてくる。

 私は親子二人になんてなりたくなかった。お父さんとお母さんと私、三人でずっと暮らしたかった。

 私の気持ちは無視で、自分の言いたいことを言って、やりたいことをやって、いつも振り回されている。

 でも、お母さんが働いてくれているから、私は生きていける。感謝しているから文句は言わない。自分の思っていることを心の奥深くに押し込める。

「お母さんごめん。忘れないように気をつけるから。 今日夜勤だよね? もう寝てていいよ」

「……お母さんこそごめん。疲れてイライラして……。じゃあ寝るね。おやすみ」

「うん。おやすみ」

 お母さんは私を責めるけれど、最後には謝ってくれる。それが分かっているから、まだ我慢できる。

 お母さんを起こさないように、なるべく物音を立てずに洗濯物を干し、家を出た。


 応援団の練習場所に着くと、すでに練習が始まっていた。

 団長の所へ行き、「遅れてすみません」と言うと、「いいよ! 二年はあっちで練習だから」と団長が指差した。指差した方向を見ると、琉生くんがいる。目が合ってしまい、私は咄嗟に目を逸らした。どう接すればいいのか分からない。彼のほうに目を向けずに、二年が集まっている所についた。

「愛生〜遅かったね!」

 陽菜が勢いよく私に抱きつく。勢いに押されてよろめいたけれど、陽菜が支えてくれた。陽菜が抱きついてくれたおかげで、琉生くんのほうを見なくて済む。

「陽菜、ごめんね。ちょっと色々あって、遅刻しちゃった」

 陽菜が私から体を離すと、私の目をじっと見てくる。

「愛生。何かあったら、いつでも話聞くからね?」

 陽菜が心配そうな顔をしている。たぶん陽菜は気づいている。私が何かに悩んだり、落ち込んだりしていると、いつも気づいて声をかけてくれる。

 陽菜に心配をかけたくないから、笑顔で、「うん! ありがとう」と答える。


 私は、自分のことを話すのは苦手。自分の思っていることや感情は、心の奥にしまい込む癖がついている。

 でも、琉生くんの前では、感情を抑えられなかった。自分らしくない。このまま彼といると、中学の時の自分に戻ってしまいそうで怖い。

「おはよう」

 低くて落ち着く声が聞こえた。琉生くんだ。

 彼の顔を見るのは怖いけれど、彼のほうを見て、「おはよう」と言う。

 彼はいつもと変わらない。いつも通り私と目が合うとすぐに目を逸らす。


 応援団の練習が終わって、彼はまだ団長と話している。それを横目で見ながら、駅へと向かった。

 駅へ向かう途中、カフェ&ベーカリーが見えてくる。パンの香りを嗅ぎながら、お店の前を通り過ぎた所で、「西浦さん!」と声が聞こえた。

 振り返ると、琉生くんが息を切らしながら肩で汗を拭っている。

「西浦さん。一緒に帰ってもいい?」

 私は頷いて、カバンの中からタオルを出して彼に差し出す。

「これ使って」

「え、いいの?」

「うん。使ってないタオルだから大丈夫だよ」

「あ、ありがとう」

 彼がぎこちなくタオルで汗を拭く。

「走ってきたの?」

「うん。西浦さんが帰ったって聞いて走ってきた」

 昨日のことなんてなかったかのように接してくれる。たぶん、心配して走ってきてくれたんだろうな。何でここまでしてくれるんだろう。こんなに優しくしてもらって、本当に昨日のことが申し訳ない。

 昨日のこと、ちゃんと謝らないと。

「西浦さん、昨日はごめん」

「えっ……?」

 謝らないといけないのは私のほうなのに、彼は何も悪くないのに、どうして謝るの。

「西浦さんの気持ち、分かる、とか言ってごめん。軽はずみに分かるとか言っちゃいけなかった。もしも、同じ立場だったとしても、一人一人感じ方は違うし、悲しみ、苦しみの大きさは違うと思うんだ。分かるよ、なんて言うべきじゃなかった。ごめん」

 目と鼻の奥がつんとする。目がじわじわと熱くなってきた。泣いちゃいけない。謝らないといけないのは私のほうなんだから。

「ううん。謝らないといけないのは私のほうだよ……。琉生くんは、私に寄り添ってくれていたのに、優しくしてくれていたのに、私、琉生くんに八つ当たりしてしまった。ごめんなさい」

「俺は大丈夫だよ。全然気にしてないよ。俺は西浦さんを怒らせてしまったと思って……焦ってた」

「ううん。怒ってないよ。私は琉生くんに謝りたいけど、謝る勇気が出なくて……嫌われたと思ってたから……今日どうしようってずっと考えてた」

「大丈夫。嫌いにならないよ」

 琉生くんが、しっかりと私の目を見てくれる。微笑んでくれる。

 私は、目と鼻の奥がつんとなるのを抑えながら笑った。

「帰ろっか」と彼が言って、私達は駅に向かって歩き出した。

「友達と喧嘩? とか初めてかもしれない」

「これ喧嘩なの? ははは。俺も女友達と喧嘩初めて」

 ふっ、と笑えてきた。hand numberが出てきてから初めて自然に笑えたかもしれない。

「良かった、仲直りできて……琉生くんといると、私、感情がダダ漏れ……」

「感情ダダ漏れでいいと思うよ。どこかで感情を出さないと心がパンクするよ」

 彼は決して、hand numberのことは訊いてこない。気を遣ってなのかは分からないけれど、彼のこの距離感が気楽で、嫌なことを忘れさせてくれる。



 マンションに着き、カバンの中から鍵を探す。

「俺が開けるよ」と琉生くんがオートロックのドアを開けてくれた。

 エレベーターに乗り込んで、私はまた鍵を探す。何度カバンの中を探しても鍵が見つからない。

「どうしたの?」

「家の鍵がない」

「え? マジで?」

「そういえば、家出る時に鍵閉めた記憶がない……」

「じゃあ、家の鍵開いてるんじゃない?」

「たぶん開いてない……お母さん今日夜勤だから、仕事行く時に、鍵ちゃんと閉めて行ったと思う。私が鍵持ってるって思ってるから……」

「マジか…… 一応開いてないか確認してみよ」

 家の前に着き、ドアの取手に手をかけて引いてみる。やっぱり開いていない。

「やっぱり閉まってる。どうしよう……」

「お母さんと連絡は取れないの?」

「連絡は取れるんだけど、仕事抜け出せないし、私が取りに行くのにも遠すぎる。それに……お母さんに絶対怒られるから言いたくない」

 朝、お母さんを怒らせたばかりなのに、また怒らせて、きつい言葉を浴びるのは嫌だ。

「どうしよう……」

 お父さんに連絡してみようか、と一瞬思ったけれど、お母さんと離婚して以来会っていないから、いきなり家に泊めてなんて言いづらい。なにしろお母さんが、私とお父さんが会うのを嫌がると思う。


 前に一度だけお父さんに会おうとしたことがあった。お父さんと連絡を取って、一緒に買い物に行く約束をした。お母さんにそのことを伝えると、「分かった」とだけ言って、他に何も言わなかった。だけど、明らかに嫌そうな顔をした。ずっと不機嫌だった。結局お父さんに会う当日まで悩んだけれど、会うのをやめた。

 それからは、お母さんに隠れてお父さんとメッセージのやりとりをしている。


 お母さんのことを考えると、やっぱりお父さんには頼れない。


 それなら、友達の家に泊めてもらうほうがお母さんの機嫌を損ねなくて済む。

 頼れる友達は、陽菜しかいない。私が勝手に一番仲の良い友達と思っている。でも、陽菜が私のことを一番の友達と思ってくれていなかったらと考えると、いきなり泊めてほしいなんて言いにくい。しかも、ここから陽菜の家はたぶん遠い。電車も反対方向で、学校からも遠いと聞いたことがある。

 ホテル、ネカフェ、どれもこの制服を着たままでは無理だ。

「ウチ泊まっていけば?」

「えっ?」

 私は顔を上げて、彼の顔を見る。

 彼は、はっとした顔をした。

「あっ! 別に二人きりじゃないよ? 親いるし、寝る時は別々の部屋にしてもらうし、なんなら俺、ネカフェに泊まってもいいし! えっと、それから……」

 彼が珍しく早口になっている。

「琉生くん、落ち着いて! 泊まるにしても、琉生くんいないと私緊張しちゃうよ」

「あ……そっか……さすがに気まずいよなぁ。ごめん。ははは……」

 落ち着いた彼は笑いながら、頭をかいている。

「正直行く所がなくて、すごく頼りたい気持ちはあるんだけど、いきなり泊まるって迷惑だろうし…… 今から泊まれる所探すから……」

「全然迷惑じゃないよ。むしろ泊まってくれないと心配。たぶん母さんに会えば分かると思うんだけど、人類みな友達みたいな人だからさ、泊まるの大歓迎だよ。あと、家、隣だしさ、朝お母さん帰ってきたタイミングで家に入ればバレないんじゃない? 怒られなくて済むよ」

「うん、でも……」

 たしかに、家が隣だから朝お母さんが帰ってきたら家に入れば大丈夫だと思う。コンビニ行ってたとか嘘をついたらバレないと思う。でも、その嘘に彼と彼の家族を巻き込みたくない。もしも嘘がバレて、私だけじゃなく、彼と彼の家族が怒られるは嫌だ。迷惑をかけたくない。

「じゃ、ちょっと待ってて。母さんに説明してくる」

「あっ……」

 私が悩んでいると、彼は自分の家に入っていった。本当にいいのかな。助かるけど、申し訳ない。


 なかなか彼が戻ってこないので、外廊下の手すりに顎をのせて、外を眺めた。

 手を繋いで歩いている人達がいる。たぶんお母さんとお父さんと子供、家族三人で仲良く歩いていて、話し声が聞こえる。何を話しているのかまでは分からないけれど、時々楽しそうな笑い声が聞こえる。その家族三人は向かいのマンションに入っていった。

 私も小さい時はああやって、家族三人で仲良く手を繋いでいた。それがずっと続くと思っていた。お父さんがいきなり家を出て行って、家族はバラバラになった。離婚は夫婦の問題だから仕方のないことだ、と自分に言い聞かせた。


 ドアの開く音がして、振り向いた。

「おまたせ」

 琉生くんが手招きをしている。

 ゆっくりと家の中を覗くと、彼のお母さんらしき人が立っている。

「こんにちはー! 愛生ちゃーん! 初めましてー!」

 両手で手を振っている彼のお母さんは、一目見ただけで分かるくらい溌剌とした女の人だ、と感じた。

 耳にぶら下がる大きなゴールドのピアスが揺れている。髪の毛の色はオレンジっぽい明るい色で、派手に感じるけれど、服装はTシャツにジーンズでシンプルだ。若くてお洒落で、とてもお母さんには見えない。

「母さん。声うるさい。びっくりしてるから」

「え? うるさい? ごめんねー!」

 つい彼のお母さんに見とれてしまった。きっと私とは真逆の人だ。ポジティブな雰囲気が溢れ出ていて、うらやましい。

「い、いえ。初めまして西浦愛生です。突然すみません。家の鍵がなくて、親もいなくて……」

 説明しようとすると、元気な声で話を遮られた。

「大丈夫大丈夫! さっき琉生から一通り聞いたから! 上がって上がって!」

「すみません。お邪魔します」

 彼の家に入って、廊下を通る。私の家の間取りとは逆だ。右側にお風呂とトイレがあって、左側には部屋がある。そこを通り過ぎて、リビングに足を踏み入れる。

「ソファーに座っててー!」

「あっ、はい」

 背筋を伸ばしたままソファーに腰掛ける。

 いつの間にか彼の姿がない。周りを見渡していると、彼がリビングに入ってきた。

「ごめん。着替えてきた」と言って、彼もソファーに腰掛ける。

 白の大きめのTシャツに、ゆったりとした黒いズボンをはいている。制服以外の服を見るのは初めてだ。

「はい。とりあえずお茶ね〜」

 彼のお母さんが、ソファーの前のテーブルにコップを置いた。

「ありがとうございます」

 横で一気に飲み干す彼を見ながら、私もお茶に口をつける。

「愛生ちゃん。お母さんには内緒なんだよね? 本当は、大事な娘さんを預かるから連絡したい気持ちはあるけど、愛生ちゃんの事情もあるからね……」

 彼のお母さんは、さっき玄関で見た元気な笑顔とは違って、優しい笑顔を向けてくれる。この優しい笑顔は彼もよくする笑顔だ。

「すみません。本当はお母さんに言うべきなんですけど、お母さんを怒らせたくなくて……。私のわがままで……ごめんなさい」

「いいのいいの! 思い出すわ〜私も若い頃ね、親には内緒で色んな悪いことを……」

「はい。話長くなるから、もうやめて。母さんお腹すいた」

「もー愛生ちゃんといっぱい喋りたいのに〜」

「どうせ母さんばっかり喋るだろ」

「そんなことないよ〜ねぇ愛生ちゃん」

「ふふふ。はい! 私もいっぱい喋りたいです」

「じゃあご飯食べたら、いっぱい喋ろうね。ふふふ」

 今日は鍵を忘れて良かったのかもしれない。家に一人でいると、hand numberのことばかりを考えて暗い気持ちになるし、こんな風に笑うことはなかったと思う。

 ここにいると緊張はもちろんするけれど、彼がいるから落ち着くし、自然と笑える。

「琉生くん。ありがとうね」

 横に座る彼の顔を覗きこんだ。

「全然いいよ」

 彼はまた、私から目を逸らしながら優しく微笑んだ。


 一時間ぐらいテレビを見たり、琉生くんと話をしながら過ごしていると、何も知らない彼のお父さんが帰ってきた。私がいることに驚いているようだったけれど、彼のお父さんもまた優しく微笑んで、「ゆっくりしていってね」と言ってくれた。



「それではみなさん、いただきます!」

 彼のお母さんの元気な声が部屋中に響いた。それに続いて私も、「いただきます」と言う。


 目の前には白ごはん、お味噌汁、サラダと何ものっていないお皿が一枚ある。

 テーブルの中心には、唐揚げ、ステーキ、ハンバーグがそれぞれ大皿にもられていた。こんな豪華な晩御飯は、特別な日以外は初めてだ。

 私の家では、誕生日とか何かのお祝いの時だけ、好きなおかずが三種類くらいあって、特別じゃない日の晩御飯なんて、おかずは一種類だけ。

「愛生ちゃん、もしかして嫌いなものあった?」

 前に座っている彼のお母さんが、心配そうに私を見ていた。

「あっいえ。嫌いなものないです。どれもすごく美味しそうで……」

「良かった〜! じゃんじゃん食べてね!」

「はい。すごく豪華ですね。何かのお祝い? ではないですよね?」

 彼のお母さんとお父さんが目を合わせて、優しく微笑んだ。

「今日は、琉生の好きなものを食べよう、の日なの。最近は週に一回してるよね?」

 お母さんが彼に訊く。

「うん。週に一回もしなくていいって言ってるんだけどね。まぁ好きなものばっかりで嬉しいけど」

「嬉しいんだ。ふーん。嬉しいんだね」と言いながら、お母さんは満足そうに笑っている。

 彼は照れているのを隠そうとしてか、ごはんをかきこんでいる。

「こら。もう黙って食べろー。これ以上言ったら琉生が怒るだろ」とお父さんが言って、呆れたように笑っている。

「はーい。愛生ちゃんごめんなさい。食べよう」

「ふふふ。はい! いただきます」

 こんな風に楽しい食事をしたのはいつぶりだろう。いつもお母さんと二人で食べる時は、会話が全くない。一人で食べることも多くて、食事が楽しいなんてここ最近思ったことがなかった。



 晩御飯を食べ終わり、お風呂に入ってリビングへ戻った。

「じゃあ次、俺入ってくるわ」と言って、彼がリビングを出た。

 彼のお母さんが食器を洗っている。

「すみません。片付けありがとうございます。お風呂も服もありがとうございました」

「いえいえー! あ、愛生ちゃん。琉生が今お風呂入ってる間、琉生の小さい頃の写真見る?」

 琉生くんの幼い頃の姿を見てみたい。今の姿しか知らないから、すごく見たい。彼のことをもっと知りたい。でも、彼がいない時に見るのは気が引ける。彼が嫌がったらどうしよう。

「見てみたいんですけど、琉生くん嫌じゃないですかね? 私が見るの……」

「大丈夫よ。友達が来たら毎回見せてるの。ふふふ。琉生も見せるのきっと分かってるから」

「そ、それなら……」

 お母さんがどこかから大きなアルバムを持ってきて、ソファーに座り、テーブルの上に置いた。

 アルバムの表紙には、琉生's Photo、と書かれている。表紙をめくると、几帳面に貼られた写真が並んでいる。その几帳面さから、彼が大事にされてきたことが伝わってくる。

「琉生はね、生まれた時は少し小さめに生まれちゃって、心配したんだけど、今ではあんなに大きくなっちゃって……。三年前ぐらいだったかな……その時反抗期がすごかったの〜。物は投げて壊すわ、お父さんには殴りかかるわ、私に、クソババァ! とか言って、私も腹が立って、クソガキ! って言い返して、毎日喧嘩してたんだよ〜」

 彼が、クソババァ、とか言うなんて信じられない。いつも落ち着いて、どこか大人びていて、そんな反抗期がすごかったなんて想像できない。

「反抗期すごかったんですね……。私、優しい琉生くんしか知らないから想像できないです……」

「でしょー? 今となっては良い思い出だよ」

「その反抗期を乗り越えたからこそ、今の琉生くんがいるんですね……。今はご家族すごく仲良いですよね」

 鼻をすする音が聞こえた。彼のお母さんを見ると、涙を流していた。

「やだぁもぉ。思い出したらなんか泣けてきたぁ……。そう。乗り越えたの。乗り越えたから今の関係を築けたんだよね……」

 私まで泣きそうになる。お母さんが涙するくらい、それだけ反抗期が大変だったってことなのかな。

 リビングのドアが開く音がして、「また見せてんの?」と少し不機嫌そうな琉生くんの声が聞こえてきた。

 彼のお母さんは、急いで涙を拭って、「へへへ。いいじゃーん」と笑顔で答えた。

 お母さんは勢いよく立ち上がり、俯き加減でキッチンに立った。

「さぁ残りの食器片付けちゃお! 愛生ちゃん続き見ていいからねー!」

 無理して明るく言うお母さんが気になりつつ、「はい」と答えた。


 琉生くんがじっと私を見ながら、タオルで髪を拭いている。

「琉生くん。ごめんね……勝手に見ちゃって」

「別にいいけど。母さんの前で見せるの、なんか嫌だから、俺の部屋に行って見よう」

 私は頷き、アルバムを持って立ちあがる。

「琉生。一応注意。愛生ちゃんに変なことしないでよね」

 さっき頬に流れた涙は跡形もなく消え去り、優しく微笑む彼のお母さん。

「す、するわけねぇだろ。行こう西浦さん」

「う、うん。琉生くんのお母さんありがとうございました」


 彼の部屋は、玄関に一番近い部屋で、間取り的に壁の向こう側は私の部屋だ。今までは隣に住んでいるだけで、何も意識していなかったのに、壁を挟んで向こう側に彼がいると思うと、なんだか、たぶん緊張してしまう。

 部屋に入ると、テレビ、テーブル、ベッドがあるだけで、思ったよりも物が少なく、清潔感がある。物が少ないからか、なんだか寂しさを感じる。

 私の思い描いていた高校生の男の子の部屋は、漫画本や雑誌が沢山あって、壁にはポスターとか貼ってあって、ちょっと散らかっているイメージだった。

「好きなところ座って」

「うん。じゃあここ座るね」

 テーブルとベッドの間に正座した。

 彼は部屋から出て行き、すぐに戻ってきた。

「はい。アイスどっちがいい?」

 彼の両手には、カップアイスのバニラとチョコ味が乗っている。

「琉生くんはどっちがいい?」

「俺はどっちでもいいよ。西浦さんが食べたいほうを食べていいんだよ。遠慮しないで」

 彼は私の性格を分かっているから、選ばせてくれる。

 私は、友達から嫌われたくないために、相手に合わせようとすること、嫌なことでも我慢することが癖になっている。

 でも、彼は分かってくれているから、そう言われると正直に言おう、と思える。

「チョコがいい」

 彼は微笑んで、はい、とアイスを渡してくれた。

「ありがとう。私、アイスはチョコ味が一番好きなんだ」

「そっか。これから西浦さんの好きなもの、いっぱい教えてよ」

 私は、うん、と頷いて、アイスを一口食べた。

 テーブルの上に置かれたアルバムをめくる。

 彼の赤ちゃんの時は可愛くて、思わず笑ってしまう。

 幼稚園の時の写真なのか、先生らしき人と何人かの制服を着た子供達が写っている。

 先生の後ろに隠れながら顔だけ覗かせている子がいる。

「琉生くん。これ幼稚園の時の写真?」

「うん。幼稚園の時だね」

「これ、もしかして琉生くん?」

 先生の後ろに隠れている子を指差した。

「そうだよ」

「あーやっぱり!」

「面影ある?」

「面影というか、先生の後ろに隠れて恥ずかしそうにしてたから」

「恥ずかしそうにしてたから俺だって分かったの?」

「うん。だって、琉生くんいつも私と喋る時、目を逸らすでしょ?」

「え〜? そうかな?」と言って、彼はまた目を逸らす。

 そんな琉生くんが、愛しい、と心の中で呟いた。愛しいと思った瞬間、心臓がキュッと縮こまる感覚があって、徐々に心臓の鼓動が大きくなっていく。手足の先まで鼓動が行き届いてくる。この鼓動が彼に伝わってしまわないか考えると、手の平が汗ばんでくる。汗ばんだ手の平に、ちらつくhand number。せっかく忘れていたのに。鼓動は弱まって、心臓が針で刺されているみたいに痛い。

 気を紛らわすようにアルバムをめくる。


「西浦さん。前から聞きたかったんだけど」

「何?」

「何で俺のこと下の名前で呼ぶのかな、と思って……他の男子のことは上の名前で呼んでるよね?」

 たしかに、他の男子のことは上の名前で呼んでいる。何で琉生くんだけ……思い出した。あの時だ。

「あ……それはね、琉生くん覚えてないと思うけど、高校入学して、まだクラス全員の名前覚えてない時に、私、クラスのみんなのノート集めてて。それで、琉生くんのノートの名前を見て、琉生くんの()と、私の愛生の()が一緒の漢字だってことに気づいて、印象に残ってたのもあるし、親近感沸いちゃって、自然と琉生くんって呼んでた。たぶん、()、が違ったら上の名前で呼んでたと思う」

「そうだったんだ。たしかに一緒だね」

「もしかして名前で呼ばれるの嫌だった?」

「いや、むしろ嬉しいよ」

 照れくさそうに答える琉生くん。そんな彼を見て、心臓の鼓動が早くなる。

「じゃあ、私のことも下の名前で呼んでいいよ」

 彼が目を見開いて、「えっ?」と言う。

「呼んでいいよ!」

 彼が困ったような顔で、「愛生ちゃん?」と言う。

「呼び捨てで!」

「えっ? 愛生?」

「ふふふ」

 思わず笑ってしまった。嬉しいのを隠したくて笑ってごまかす。

「何で笑うの? 俺のことも呼び捨てでいいよ」

「んーやだ! 琉生くんがいい! あはは」

「分かったよ。愛生」

 琉生くんが真っ直ぐ私の目を見つめてくる。下の名前で呼ばれると、心臓の鼓動がまた早くなった。


 それから私達は、朝まで色んなことを話した。

 彼が私を元気づけようとして、話す内容は笑える話。友達のこととか、家族のこと。面白いテレビとか、SNSで流れてくる面白い動画のこととか。頬が痛くなるくらい笑った。

 このまま笑って最後まで過ごしたかったけれど、逃げるばかりではダメだ。

 琉生くんが、私を笑顔にしてくれた今なら、今の気持ちを話せるかもしれない。彼なら、彼になら言える。

 hand numberのことについて話そう。


「琉生くん。hand numberのことなんだけど……」

 彼は、うん、と頷いて、真っ直ぐ私の目を見る。

「来年の今頃には、もう私はこの世にいない」

 また彼は、うん、と頷いて、私から目を逸らさない。

「正直まだ受け入れられない。これからどうしたらいいかも分からない。でもね、これだけは決めたんだ。後悔しないように生きるって。残された時間は短いけど、これから自分はどうしたいか、後悔しないように、どう生きていくか、考えてみようと思う。また、話聞いてくれる?」

 彼がゆっくりと頷いて、「もちろん」と言って、ティッシュを渡してくれた。

 また、勝手に頬に涙が流れていた。

「泣かないように頑張ってたんだけどな……どうしても泣いてしまう……」

「俺の前では感情ダダ漏れでいいよ」

 琉生くんの優しさに、涙を流しながら、たぶん私は笑顔でいれたと思う。


 お母さんが仕事から帰ってきた気配がして、急いで家に入った。昨日考えた嘘を言っても、ばれなかった。

 一安心すると、眠気が襲ってきて、そのままベッドに入った。


 残された時間、どう過ごしたいか考えながら目を瞑った。

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