西浦愛生
四月も今日で終わり。バイト最終日だ。
お父さんがいなくなったあとも、バイトを続けた。お店は何も変わることはなく、お父さんがいないだけだった。でも、このお店にいると、お父さんがいる気がして、私の心は落ち着いた。本当はバイトもギリギリまでしたかったけれど、それはそれで迷惑をかけてしまうかもしれない。私はやりたいことが沢山あるから、残りの時間は自分の時間を大切にしようと思う。
琉生くんはバイトを続けるのか訊いてみると、お金が貯まったから一緒に辞める、と言っていたので一緒に辞めることになった。
最後のバイト中、田中さんに伝えた。可愛がってくれたこと、遊んでくれたこと、相談に乗ってくれたこと、一緒に働けて楽しかったこと、全てに対する感謝の思いを伝えた。
田中さんは、そんな感謝されることしてないわよ、といつもの元気な笑顔で言ってくれた。
「また遊びにおいで」
そう言われて、うん、と笑って答えた。素直に笑顔で答えられたと思う。幽霊になって遊びに来ようかな、とか心の中で呟いた。
バイトが終わって、田中さんに、抱きしめてほしい、とお願いすると、私を優しく包み込んで抱きしめてくれた。ふかふかの布団に包まれているような安心感があって、私は一粒だけ涙を流した。
***
こめかみに汗が垂れてくる。せっかく完璧にメイクをしたのに、と思いながら、ハンカチで汗を拭く。手鏡で顔をチェックして、メイクが崩れていないのを確認する。良かった。崩れていない。
日向にいるのは限界がきて、日陰に行く。日陰は涼しいけれど、しばらくすると少しひんやりして、持ってきたカーディガンを羽織る。
もうすぐ琉生くんが来るはず。今日のデートは一日恋人として過ごすと決めたので、駅で待ち合わせをしてみた。私の憧れのシュチュエーションで、もうすぐしたら琉生くんが、待った? と言ってくるはず。
「ごめん。待った?」
「ううん。今来たところ」
琉生くんが笑いを堪えている。私も笑いを堪える。
このありきたりなシチュエーションをやってみたかった。
計画を立てる時に、わざと遅れてきてもらって、「ごめん。待った?」のセリフを言ってとお願いをしていた。
夢が叶ったけれど、笑えてくる。
「じゃ、じゃあ行こっか。はい」
ぎこちなく彼が私の手を取った。
「えっ……。これ……」
段々と心臓の鼓動が速くなっていく。
「今日は、愛生の彼氏だから」
真っ赤になった耳を触りながら琉生くんが言う。私が本当の彼氏彼女だと思って、と言ったから、彼なりに考えてくれているんだ。
初めて彼に触れた。まだ心臓の鼓動が速いし、手に汗をかいてきた。ちょっと待ってね、と言って、タオルで汗を拭いて、また彼の手を握った。
「よろしくお願いします」
「うん。お願いします」
彼の目を見ることができない。たぶん、私も顔が赤いはずだ。
これから、映画を見て、お昼ご飯を食べて、テイクアウトのドリンクを買って、海に行く予定。
今日はちゃんとお母さんに、「琉生くんと出かけて、帰りが遅くなるからご飯は作れない」と伝えた。お母さんは、不機嫌になることはなく、「愛生から久しぶりにお友達の名前聞けて嬉しいな、気をつけて行っておいで」と言って送り出してくれた。
お父さんが亡くなってから、お母さんの本音を聞けて、私達親子は会話をもっと増やさないといけないな、と思って、私も少しずつだけれど本音を言うようにした。まだ、お母さんの機嫌を伺ってしまう時もあるけれど、私には時間がないから、本音で語れて前みたいな関係になりたい。最後まで仲の良い親子でいたい。hand numberのことは決して言えないけれど、私は毎日楽しいよ、ということを伝えたい。
映画館について、チケットを買った。
私の中では、デートといえば、恋愛映画を見るイメージで、今話題の恋愛映画を選んだ。
一番大きいサイズのキャラメルポップコーンを買って、二人で食べてみたかった。これも計画を立てる時に言っていたので、私が言わなくても彼が買ってきてくれた。
「さすが私の彼氏だね」
「だろ? 彼女のことは何でも分かるから」
彼が得意げな顔をして笑った。私も、そうだね、と言って笑った。
今日の琉生くんは、彼氏としてずっとリードしてくれている。頼りになる彼をもっともっと好きになってしまう。
映画が始まる五分前には席について、二人で小声で喋っていた。
「琉生くん、いつもはどんな映画見るの?」
「そうだな……。ミステリー系はよく見るよ」
「じゃあ、恋愛系はあんまり?」
「初めてかな」
「えっ、なんかごめん。私に合わせてもらって」
「全然大丈夫。彼女と一緒なら楽しいし、彼女の好きなものは、俺も絶対好きになるから」
「えっ……めっちゃいい彼氏だ……なんか新たな一面みれて嬉しいな」
「俺も、今日彼女としての愛生が見れて嬉しいよ」
急に体中が熱くなった。絶対顔が赤くなっている気がする。彼は意外にも平然とした顔だ。元々彼は思っていることを言葉にしてくれるタイプだけれど、こんな照れてしまうようなことを言ってくれるんだ。
「琉生くんの彼女になる人は、きっと幸せだね」
「今は愛生が彼女だろ。そんなこと言わない。俺は……今後彼女なんて作る気ないから。この話終わり」
「うん……」
何で彼女作らないの? と訊きたい。でも、訊ける雰囲気じゃない。
正直、彼女を作らないと言われて、ほっと胸を撫で下ろす自分がいた。私が死ぬまでに、琉生くんに彼女ができるというのを想像をしただけで、胸がチクチク痛む。彼には幸せになってほしいと思うけれど、私が死んでからにして、と思う自分がいる。
照明が暗くなって、映像が流れ出した。余計なことは考えないで、映画を楽しもう。
肘掛けに手を置くと、琉生くんが私の手を握ってきた。暖かくて大きな手が、私の不安をかき消してくれる。
映画が始まってから終わるまで、ずっと手を握ってくれていた。席を立つ時には、手が離れた。でも、またすぐに手を繋ぎたくなる。好きな人に一度触れると、ずっと触れていたい。
映画館を出て、前もって調べていたカフェに向かって歩く。手は繋いでいない。手を繋ぐのがあんなに恥ずかしかったのに、今は繋ぎたくてたまらない。考えたら、私が彼女なのは今日一日だけで、もうあと何時間しか手を繋げないと思うと、もっと触れたくなった。
少し前を歩く彼の手を取った。彼は少し驚いているようだったけれど、優しく微笑んで、優しく手を握り返してくれた。
カフェについて、食べる時はもちろん手は繋がない。でも、食べ終わってお店を出ると、すぐに彼が私と手を繋いでくれた。
本当は恋人ではないけれど、今だけ本物の恋人みたい。私達二人だけの世界にいるみたいで、周りの声なんて聞こえない。琉生くんだけしか見えない。彼も私だけを見てくれている気がする。そんな世界が輝いて見えるよ。
電車に乗って、一時間ぐらい離れた場所にある海へ向かった。
「何か聴く?」
琉生くんが片方のイヤホンを渡してくれる。これも私がやりたかったこと。彼氏のイヤホンを片方借りて、同じ音楽を聴く。イヤホンを渡してくれるのは分かっているし、ありきたりなシチュエーションだけれど、彼とだから胸が高鳴なって、体の中心から暖まっていくような感覚になる。
「適当に曲流すよ」
「あ、この曲知ってる。男の人だけど、綺麗な高音が出るんだよね。このボーカルの人、本当に歌上手いよね」
「そうだよな! ボーカルの人の声が好きで、最近よく聴いてるんだ」
彼が珍しくテンションが上がっているように見えた。このボーカルの人が本当に好きなんだな。また、彼のことを知れて嬉しい。
「琉生くんの好きな曲とかいっぱい教えて」
「うん! 愛生も教えて」
お互いに好きな曲を教え合って、聴いて、好きな曲だけじゃなく、好きな食べ物の話とか、好きなものをお互いに沢山教え合った。
彼について、まだまだ知らないことは沢山あって、私は死ぬまでに彼のことをどれだけ知ることができるのかな。
電車を降りて、バスに乗り、やっと海の近くまで来た。
バスを降りた瞬間に、海の香りがした。
「海の香りがする」と二人で同時に言って、目を合わせて笑った。同じことを感じて、同じことを口にして、笑い合って、こんなに平和で幸せな時間が終わらないでほしい。
バスを降りた目の前には、沢山の背の高い木があって、まだ海は見えない。
「たぶんこっちだよね」と言って彼が歩き出したので、後ろをついて行く。
少し歩いて、木が途切れている所があり、そこを右に曲がった。
曲がった瞬間、風が吹いて髪が顔にまとわりつく。髪を耳にかけて前を向くと、海が見えた。どこまで続いているのか分からない海。終わりの見えない海。世界中に繋がっている海。海を見ただけで、凝り固まった心が解き放たれて、全身が軽くなっていく。
早くもっと近くで見たい。
彼の手を取り、私は走り出す。
「えっ、ちょっと」
いきなり走り出した私に、彼は驚いているようだけれど、私は走り続ける。
「早く行こう!」と叫ぶ私に、「ゆっくりでいいじゃん!」と叫ぶ彼。
「ダメ!」とまた私は叫んだ。
二人で息を切らしながら走って、砂浜に足を踏み入れた。
「着いたー!」
はぁはぁ、と息を切らして、彼は膝に手をついている。
私も息が切れて喋れない。走ってきつかったけれど、炭酸飲料を飲んだあとみたいな爽快感がある。
でも、彼はすごくきつそうで、座り込んでしまった。
「ご、ごめん。琉生くん大丈夫?」
琉生くんの肩が震えている。
「えっ、本当に大丈夫?」
私も座って、彼の顔を覗き込んだ。
「あははははは」と彼が笑い出して、私もつられて笑う。
「いや、いきなり走り出してビックリしたんだけど。久々走ってきつすぎて笑えてきたわ」
「ごめん! 海見たら早く近づきたくて……」
「全然いいよ。愛生のまた新たな一面が見れた」
琉生くんが優しく微笑んで、私の手を優しく握る。彼は目を逸らさない。時間が止まっているような気がして、これはもしかして夢なんじゃないかと思ってしまう。でも、彼の手の温もりが夢じゃないと言ってくれている。
手を繋いだまま、波打ち際まで歩いた。
カバンからカメラを取り出して、砂、波、鳥、貝殻、空、沢山の写真を撮った。
もちろん彼のことも沢山撮った。海を眺める彼、貝殻を拾って満面の笑みで私に見せる彼、拾った木の棒で砂浜に落書きをする彼、色んな顔を見せる彼にずっと心臓が強く脈打つ。心が満たされすぎて苦しい。
彼が手の砂を払って、「カメラ貸して」と手を差し出す。
カメラを渡すと、彼も空とか海とか色々撮り始めた。
私もせっかくなので、もっと海を感じたい。靴と靴下を脱いで、波打ち際に近づいた。砂が冷んやりして気持ちいい、と思った瞬間、波が足を覆った。「冷たい!」と叫んだ。思ったよりも冷たい。冷たくて、もう靴を履こうと思ったけれど、冷たいと感じると、生きている、と思えた。
「あ〜冷たい。私、今生きてるんだね」
「何か言った?」
彼が私に訊ねる。
「私、今生きてるんだなって感じる」
「うん。生きてるよ。愛生も俺も今生きてる。俺も海入ろうかな」
彼も荷物を置いて、靴と靴下を脱いで走ってきた。
走ってきた勢いで、海水が飛び散って、彼の服が濡れる。
「冷たっ!」と彼が叫ぶ。
それを見て笑った私に、彼が海水をかけてきた。「きゃ」と叫ぶ私を見て彼が笑う。
「琉生くん、やめてよ〜」
「ごめんごめん。思ったより冷たいな。本当、生きてるな俺達。生きてるから、冷たいって感じるんだもんな」
彼が目を瞑って、手を広げながら深呼吸をしている。私もそれを真似して深呼吸をする。
「愛生」
波と風の音に混じりながら、彼の声が聞こえた。私は目を開ける。
「何?」
「流石に寒くない?」
「うん。寒い。早く出よう」
二人で靴の所まで走った。寒かったね、と笑いながら近くの流木に腰掛けた。
「日没まで、もうすぐだね」
彼が靴を履きながら言う。
「うん。もうそろそろだね。今日一番見たかった景色……」
カメラを持って、日が沈むのを待つ。
この夕日が沈んだら、今日のデートは終わり。夕日が沈んで、家に帰ったら、もう私達は恋人ではなくなる。
もし、私の手の平にhand numberが現れていなかったら、私達はどうなっていたんだろう。ただのクラスメイトかもしれないし、私が告白して振られていたかもしれないし、付き合えることになっていたかもしれない。
前までは、こんな未来があったらいいのにな、とか想像もしたくなかった。でも今は、将来大学に行って、働いて、彼氏ができて、結婚して、子供を産みたかったな、とか想像できる。想像しても悲しくない。
今日、琉生くんが彼氏として一日過ごしてくれて、これから先も琉生くんが彼氏だったら毎日楽しいだろうな、とか想像しただけで目の前が輝いて見える。太陽の光が、海に反射して輝いているだけじゃない。私の幸せな気持ちが、周りを輝いて見せている。
「愛生、今すごく良い顔してるよ」
彼の視線を感じる。
「良い顔って? どんな顔?」
私も彼に視線を送る。
「すごく穏やかな表情で、幸せそうだよ」
「うん。幸せ。今日すごく幸せ」
彼が微笑みながら、空を見る。
「ねぇ琉生くん。琉生くんは将来何になりたいの?」
「えっ……俺の話はいいよ……」
「琉生くんの話いっぱい聞きたいの。私、今自分が将来どうなりたかったとか想像してたんだ。だから、琉生くんが将来何になって、どんな大人になるのか想像してみたい」
「うーん……特に、将来の夢とかないんだよな。何にも取り柄がないからさ……」
彼は俯きながら、苦しそうに笑った。
「琉生くん、取り柄あるよ。写真撮るの上手いじゃん。シャッターチャンスを逃さないというか、人でも、景色でも、何でも一番良い瞬間を写真に収めている気がする」
「本当に? じゃあ、カメラマンにでもなろうかな」
また、彼が苦しそうに笑った。
「良いね! カメラマン」
「じゃあ、カメラを学べる大学にでも行こうかな……」
「うん。まぁカメラマンじゃなくてもさ、琉生くんがなりたいものになれるように、私は応援してるよ。……琉生くんは、私の分まで人生楽しんでほしいな。私のことなんかすぐに忘れていいからね。私のこと忘れるくらいの楽しい毎日を送って生きてね……」
「うん。生きるよ……」
彼が海を見ながら言った。
私も海を見る。空の色が少し変わっている。空の下のほうが黄色みがかってきた。
私はカメラを構えて、今しか見れないこの景色を写真に収める。
彼に、撮る? と言ってカメラを渡す。彼は夢中になって写真を撮っている。
太陽が、少しずつ海に吸い寄せられるように沈んでいく。空の上のほうは水色で、下の方は薄いオレンジ色に変わってきた。
私達は無言で夕日を見つめる。無になって、夕日を見ることだけに集中した。
太陽が、強いオレンジ色を放ち出す。私達を照らすように、海に一直線の光を反射させる。揺れる波に負けない一直線の光。
空全体が、オレンジ色に染まった。
横に座っている彼も、全身オレンジ色に染まっている。頬には、オレンジ色に光る涙が流れていた。彼が泣いている。初めて見る涙。自然の力は心を裸にするのかな。私も涙が溢れてきた。こんなに綺麗な夕日が見れるなんて思っていなかった。
正直、海とか見て感動することは今まではなかった。でも今、もうすぐ死ぬって分かっている状態で見ると、すごく綺麗。本当に綺麗。こんな綺麗な世界にいるんだね私達。
自分に残された時間が短いと、色んなことが大切に思えるし、感性が変わったし、命って人の心を動かすんだ。
「空が綺麗だね」と私が言うと、「うん。綺麗だね」と彼が言って、私の手を握った。
「海も綺麗だね」
「うん」
私も手を握り返した。
太陽が沈んで見えなくなったけれど、まだ空をオレンジ色に照らしている。
私も、この世界からいなくなっても、誰かを照らし続ける存在になりたい。最後まで前向きに生きた人がいたな、と誰かに思われていたらいいな。
周りは暗くなり、月の明かりが海を照らす。
「見て、琉生くん。月が綺麗だね」
「……うん。月、すごく綺麗。今まで見てきた中で一番綺麗な月だよ」
もうすぐ帰る時間だ。彼に今の私の気持ちを伝えたい。彼氏の琉生くんに伝えたい。
「琉生くん。私ね、何でhand numberなんてあるの? とか、hand numberがなかったらこんなに苦しむことなかったのに、とか思ってたんだ。でも、普通は明日死ぬかもしれないって常に思いながら毎日過ごさないじゃん? それはそれで、幸せなのかもしれないけど、私はいつ死ぬのか分かって良かったなって思う。こうして、やりたいこと叶えてから死ねるんだもん。今すっごく幸せなの。琉生くんと一緒にいれて幸せだった。今日は一日彼氏になってくれてありがとう」
彼が、両手で私の手を強く握った。彼が私を真っ直ぐ見つめる。
「俺も……俺も今が一番幸せ。ありがとう……」
彼が少し悲しそうに微笑んだ。私も精一杯の笑顔を彼に向けた。ここから動きたくなくて、体が動かない。今日が終わらなければいいのに。でも絶対に終わってしまうんだ今日は。時間はどんどん進んでいく。最後にわがままを言ってもいいかな。いいよね。
「琉生くん。最後にハグしてもいい? 最初で最後のハグ」
「……うん。もちろん」
私は重たい体を動かし立ち上がった。琉生くんも立って、と彼の手を引っ張った。私達は向かい合って見つめ合う。私が両手を広げると、彼がゆっくりと近づいて、私を包み込むように優しく抱きしめた。私も彼を抱きしめた。私の顔は彼の胸元あたりにあって、私は目を閉じ、彼の呼吸で動く胸、彼の温もり、彼の香水の匂い、彼の微かな心臓の音を感じる。波の音で聞こえにくいが、彼の心臓の音はたぶん速い。私も同じくらい心臓が速く動いているから、もし同じ気持ちで早くなっているんだったら嬉しい。
彼の抱きしめる力が強くなった。少し苦しいけれど、このくらいが丁度良い。
彼から体を離した。彼もゆっくり体を離したけれど、私の手は離さなかった。
帰りのバス、電車の中ではずっと手を繋いでいた。会話は全くなく、ただ手を繋いでいた。もうすぐ家の最寄り駅につくと思ったら、最後に少しだけ甘えたくなった。明日からは友達だから、今だけ許して、と思いながら、彼の肩に頭を乗せる。彼は私の頭を撫でた。本物の恋人になれたらな、と思うけれど、私はこれでいい。
あと二ヶ月、今日のことを思い出して生きていける。
家の玄関の前に着いた。琉生くんの手を離したくない。でも、もう帰らないと。
「今日はありがとう。本当に楽しかった。彼氏の琉生くん、バイバイだね」
「俺も楽しかった。ありがとう。彼女の愛生……さよならだね……」
「うん。もう家に入らないと……せーので、手離そう」
「分かった」
「せーの」
離そうと思ったら、彼が私の手を強く握って離さない。そんなことされると、期待してしまう。
「ごめん。次は絶対離すから」
「うん……。じゃあいくよ。せーの」
手が離れた。恋人じゃなくなった。手の温度がどんどん下がっていく。
「じゃあ、また明日」
彼がいつもより低い声で言う。
「うん。また明日」
家に入って実感する。今日が終わってしまった。
明日からまた現実に戻るんだ。




