Portrait7:春は出会いと別れの季節(後編)
武葉の誤解が解くために神社に向かった雄瑠。何とか誤解を解き、新たな画集を出版することも決まるが、旅先で大きなトラブルに巻き込まれ……。
1.誰もいない実家(後編)
僕は、その日のうちにアパートへ戻った。
玄関ドアを開けると、いつもなら僕の帰宅を出迎えてくれる武葉さんがいない。まだ戻って来ていないのだろうか。
「ただいま……」
僕は、真っ暗な玄関に明かりを点けながらそう声をかける。すっかり習慣になってしまったが、答えのない暗い部屋へと足を踏み入れながら、
(……一人の部屋に帰るのって、何か寂しくて、虚しいな……)
そんな感想が浮かんでくる。
「……武葉さん、まだ帰って来ていないんだ……」
僕の後から部屋に上がった柚乃が、放心したようにつぶやく。僕は部屋の電気を点けて、いつも武葉さんが座っていた場所に腰を下ろした。
『私は雄瑠さんをお守りすることができなくなる……という意味です』
目を閉じれば、寂しそうに言った武葉さんの姿が蘇って来る。
「……とにかく、何か食事を摂りましょう。わたくしが夕飯を準備いたしますね」
最後に部屋に入って来たことりさんが、エプロンをつけながら言う。
「あ、柚乃が作るから、ことりさんは座っていてください。先輩にそんなことさせられません」
柚乃はそう言ってことりさんと共にキッチンへと消える。
だが、僕にとって今は夕食などどうでもよかった。
武葉さん……志鳥武葉さんは、僕が柚乃と共に入所していた児童養護施設の裏山に鎮座する神社の祭神、武羽槌命様だという。
氏子から忘れ去られ、消滅を待つばかりだった武葉さんたちは、僕が神社の掃除をしたためその危機を免れた。そしてそのお礼に、僕を見守ることになった。
その時11歳だった僕は、武葉さんの美しさや優しさに惹かれ、結婚の約束をしたのだ。
(武葉さんは、僕のことを生涯守ると言ってくれた。そして実際に今まで僕を守ってくれた。だけど、もう僕のことを守れなくなったと言った。
何故だ、なぜ今、武葉さんは僕を守れなくなったって言うんだ? 考えろ、思い出せ、武葉さんが言ったことを……待てよ、武葉さんは確か……)
『やがては雄瑠さんは氏子から外れ、この地の氏神の加護を受けるようになります……』
そうも言った。この言葉から察するに、武葉さんはきっと……。
僕は立ち上がった。そしてキッチンに向かって声をかける。
「柚乃、ことりさん、僕ちょっと出かけてきます。遅くなっても心配しないでください」
そう言い残すと、慌てて何か言う柚乃やことりさんをそのままにしてアパートの階段を駆け下り、自動車に飛び乗った。
「違うんだ武葉さん。もし僕が出て行くと思っているのなら、それは大きな誤解だ」
僕はそうつぶやきながら、武葉さんが祭神を務めているという神社へと向かった。
その頃、件の神社では、
「あ~ん、雄瑠さんと離れたくないよぉ~! せっかくキスまでしたのにぃ~!」
武葉が、姉の椎葉に縋り付いて号泣していた。
椎葉は、武葉の背中を撫でながら言う。
「そんなに泣くくらいなら、カッコつけないで素直に『この町を出て行かないで』って言えばよかったのに」
「だぁってぇ……えぐっ、えぐっ……雄瑠さんがぞう決めだのならぁ、ひっく、わだじが止めるわけ、ひっく、いがないもん……ひっく、えぐっ……」
「あーあー、せっかくのお化粧が流れちゃってるじゃない。もう、ほんとに武葉は昔っから雄瑠さんファーストなんだから。たまには自分の意見を押し付けるぐらいでないと……」
椎葉は、武葉の顔を拭きながらそう言うが、武葉はさらに大粒の涙を流しながら言う。
「ぞれにぃ……実家に引っ越すっていうごどはぁ、ぐすん、ゆ、柚乃ざんを選んだってごどだもぉぉん……ひっく、ぐすん……わだじの出る幕なんで、ぐすっ、な、ないもぉん……うえ~ん!」
「いやいや、それは武葉の勘違いじゃない? 雄瑠さんは優柔不断だから、よっぽどのことがないと誰かを選ぶって難しいと思うわよ?
それに雄瑠さんの性格から考えると、本当に柚乃ちゃんを選んだのなら、そんな回りくどい形で表現したりしないって」
大泣きする武葉を慰めながらも、椎葉は120パーセント武葉の勘違いだと思っていた。
「……はっきり言われたら、それはそれで凹んじゃうよ。諦めはつく……わけないよぉ。だって、私を救ってくれた人だよ!? 私に『結婚してください』って言ってくれた人だよ!? 10年以上も見守ってきた人だよ!? ずーっと、ずーっと信じて待っていたのにぃ……」
少し落ち着いた武葉だが、まだぐちぐちと雄瑠のことを話している。それを聞きながら、
(あ~。武葉が人間だったら、結婚詐欺のいいカモだわぁ……性格はいいけど、純粋すぎてカモだわぁ、ネギしょったカモだわぁ……)
ぼんやりとそんなことを思っていた椎葉だった。
しばらく椎葉は武葉を抱きしめていたが、境内に足音が聞こえたので耳を澄ます。
(ははぁん、やっぱり雄瑠さんが迎えに来てくれたわねぇ~。よし、武葉のために一肌脱ぐか!……諸肌脱いでもいいんだけど♡)
にんまりしながら椎葉が言う。
「武葉、雄瑠さんが迎えに来てくれたみたいよ?」
「ふぇっ!?」
びっくりした武葉は、椎葉から離れて外を見る。雄瑠がキョロキョロしながら拝殿へと向かってくるところだった。
「あわあわあわ……」
武葉は涙の残った目のまま、椎葉の後ろに隠れようと慌てているが、
「ほ~ら、せっかく来てくれたのに、隠れちゃダメだって。ちゃんとこの町に残ってってお願いしなきゃ」
「あ、ちょっと椎葉……」
椎葉にぐいぐいと背中を押され、本殿から外に出されようとした武葉だが、雄瑠の柏手に二人の動きが止まる。氏子が何か奏上しようとするなら、真面目に聞くのも神の務めだ。
二人は、雄瑠の言葉に耳を澄ます。
「……武羽槌命様、僕は大事な人に悲しい思いをさせてしまいました。僕が黙って実家を処分しようと考えていたことを誤解されてしまったようです。
僕は別に、実家に戻ろうとか考えていません。
確かに実家には、父さん母さんの思い出が詰まっていますが、僕にはこれから先、もっとたくさんの思い出ができるだろうと思ったら、あそこに縛られるのも良くないかなって思ったんで、思い切って売ることにしたんです。
黙って弁護士さんや不動産屋さんとことを進めていたんですが、やっと買い手が付いたんで武葉さんにお掃除を手伝ってくださいってお願いしたんです……」
武葉はそれを聞きながら、身体を震わせていた。目からは大粒の涙がポロポロと零れ落ちている。
『武葉、よかったじゃない。やっぱり武葉の思い違いだったみたいだよ?』
耳元でささやく椎葉の言葉を聞きながら、武葉はただこくこくとうなずくだけだった。
「……武葉さん、ここに帰ってきているかと思ったんだけど、いったいどこに行っちゃったんだろう?」
雄瑠はそう言いながら、拝殿に上がって来た。そして、片隅に置いてある箒を手に取る。
「……せっかく来たんだ。掃除でもして武葉さんの帰りを待つかな」
そこに、椎葉に背中を押された武葉が、本殿から出て来て雄瑠の背中に抱き着いた。
「うわ、本当にそっくりですね!? 武葉さんが和服を着たら、どっちがどっちか分からなくなります。わたくしが騙されたのも当然ですね」
神社で武葉さんに謝った後、僕は椎葉さんも連れてアパートに帰った。柚乃に連絡したら、まだことりさんが部屋にいるとのことだったので、せっかくだから椎葉さんも正式に紹介しようと思ったのだ。
「えへへ~。あの時は変なけしかけ方をしてごめんね☆ 雄瑠さんは私の可愛い義弟だから、ついつい武葉ともども困らせたくなっちゃうんだよね~♪」
「正直すぎますよ、椎葉さん。あなたの冗談はシャレにならないことが多過ぎるんです」
僕が言うと、柚乃も椎葉さんをジト目で見て、忌々しそうに言う。
「そうよね~。最初の印象はサイアクだわ。なんてったって、お兄ちゃんをソファに押し倒して、その上に跨ってるんだから。柚乃が来るのがもうちょっと遅かったら、お兄ちゃんのDTは奪われていたね」
「え!? 雄瑠さん、椎葉さんとそんな際どいことまでしていたんですか?」
ことりさんが怒った顔で言う。いや、君が言えた義理じゃないからね!?
「あら、でもここに居る皆、雄瑠さんとそんなことしたいと思っているんじゃないの?」
椎葉さんがへらへら笑って言うと、武葉さんも柚乃も、ことりさんも顔を赤くして黙り込んだ。
「それは認めますが、だからと言って過激ないたずらを仕掛けないでください。みんな一応乙女なんですから、その、乙女の恥じらいというものがあってですね……」
武葉さんがそう言うと、椎葉さんは恥じらいもなく聞いて来る。この場の雰囲気を一気に険悪にするようなことを……。
「とーか何とか言っちゃってぇ、武葉のファーストキスはどうだった? 雄瑠さん?」
「うぇっ!?」「つ、椎葉!?」
僕と武葉さんは赤くなって慌て、柚乃とことりさんは青くなって目のハイライトを消した。でも、ハイライトってどうやって消しているんだろう?
「あ、これ? ハイライトは別のレイヤーに描いてるんだよ? お兄ちゃんと一緒だね♡」
「ちなみにわたくしはスクリーントーンを上貼りしています」
……あ、そうなんだ……って、そんなこと今はどうでもよかった!
「いやー、武葉に先を越されるなんてねぇ。武葉がこれだけ積極的だって知ってたら、雄瑠さんと初めて会った時にキスくらいまでしておけばよかったなぁ」
椎葉さんはニヤニヤ笑いながら柚乃とことりさんの様子を窺っている。うん、これは確信犯だな……僕はこの時ほど、椎葉さんを一緒に連れて来たちょっと前の自分を殴りたいと思ったことはなかった。
しかしその時、柚乃が急に腕を組んで、武葉さんを見下すように言った。
「ふ、ふんっ! き、キスくらい何よ。お兄ちゃんのファーストキスは柚乃が相手だったんだからねっ! そうでしょ、お兄ちゃん!?」
「……えーと、それって施設の子ども会のクリスマスイベントで、罰ゲームに負けた僕が柚乃のほっぺたにしたやつだろ? それもファーストキスにカウントすんのか?」
「う、うっさい! 柚乃にとっては嬉しかったんだからファーストキスなの!」
ムキになって主張する柚乃に、ことりさんは余裕の笑みを浮かべ、
「うふふ、やっぱり義妹ちゃんは可愛いですねぇ。小さな時のことを自慢するなんて」
柚乃にそう言うと、僕を熱い眼差しで見つめ、
「雄瑠さんも素敵な殿方ですもの、接吻の1回や2回経験されていて当然です。わたくしはその程度のことで嫉妬は致しませんよ?
わたくし自身が雄瑠さんに貞淑であればいいのですから……」
そんなことを言う。
「……えっと、ことりさんって、思ったよりそういうところは男に寛容なんだね?」
僕が言うと、ことりさんは僕の胸に手を添えて、ハイライトの消えた目で言う。
「ええ、恋人ですもの。過去に犯した過ちに関しては何も申し上げません。
ただ、わたくしの初めてを捧げるからには、雄瑠さんもDTをわたくしに捧げていただければ、それで結構です。じゅるり……」
「いやいや、最後の『じゅるり』って何!?」
僕が若干引くと、柚乃がここぞとばかりに
「ことりさん、そう言えばお兄ちゃんは武葉さんとキスしたんだよ? 許せないでしょ!? クズで幻滅したでしょ!!?? 酷い男って思ったでしょ!!!??? さ、別れよう!!!!????」
ことりさんに『お兄ちゃんはクズキャンペーン』を展開する。
「柚乃、おまいはお兄ちゃんのこと本当にスキなのか?」
だが、ことりさんは首を振り、
「武葉さんは女神です。到底人知の及ばぬところもございますから、雄瑠さんが武葉さんの夜の営みのお相手にさえならなければ、接吻は浮気にはカウントいたしません。
そうやってわたくしの心を冷まそうとしても無駄ですよ、『妹』さん?
あなたこそ、武葉さんに嫉妬しているんじゃありませんか?」
「うぐっ!」
柚乃は、ことりさんの『全反射』を受けた。5千のダメージを受けHPがゼロになった柚乃は、ただ一言発して床に崩れ落ちる。
「あらあら、可哀そうに。私が復活の呪文をかけてあげますね?『イオナズン』!」
「ふぎゃっ!?」
柚乃が椎葉さんから〇体蹴りをされた。
そのあと柚乃は、ちゃんと椎葉さんの『ザオリク』で復活したことは、椎葉さんの名誉のために書き加えておきたい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2.旅行と作品集
武葉さんはすっかり元気を取り戻し、いつものように朝起きたら朝食ができあがっているようになった。
「おはようございます雄瑠さん。朝餉ができましたよ、起きてください」
しかし、春の朝寝はとても心地いい。まさに『春眠暁を覚えず』である。
「ん~、あと4分33秒……」
「なにジョン・ケージの作品みたいなこと仰ってるんですか? あ、そうかぁ、私の目覚めのキスで起きたいんですね? もう、雄瑠さんったら、そんなに私のキスが気に入りましたか? では、失礼して……」
そう言いながら顔を近づけてくる。
「分かりました。起きます、起きます!」
僕が布団を跳ね除けると、武葉さんは残念そうに目を開ける。
「ちっ……おはようございます雄瑠さん。早く召し上がっていただかないと、朝餉が冷めてしまいます」
そう言いながら、寝室を出て行った。
僕が居間に行くと、すでに柚乃も来ていて、恒例の卵焼きも三人の皿に載っていた。
「あ、お兄ちゃんおはよう。先に食べてるよ、もぎゅもぎゅ」
「柚乃おはよう。今日の講義は?」
席に着きながら聞くと、柚乃は手帳を取り出し、
「はい、これが愛しい柚乃ちゃんの前期講義日程だよ♡ 後でメールで送るね♡」
びっしりと詰まった日程表を見せてくる。
「結構取っているね。まぁ、1年生のうちはたくさんコマを埋めていた方がいいよ」
そう言いながら、焼き魚に箸をつける。
「そー言えばさぁ、あと少しで春の大型連休でしょ? 去年は柚乃が受験だったからどこにも行けなかったけれど、今年はどっか遊びに行こうよ。お泊りで♡」
柚乃が言うと、
「それはいい提案ですね! 雄瑠さん、わたくしたちも今年度で卒業。社会人になれば自由に使える時間は減りますので、今のうちに旅行を楽しんでおきませんか? 社会勉強にもなりますし」
「ことりさん!? え? 何々? いつの間にどこからどうやって入って来たの?」
ことりさんが武葉さんの隣に座って、肘をついて僕に話しかけて来た。
「うふ♡ 細かいことは気にしないでください」
「いや、細かいことじゃないよ!? 鍵がかかっている部屋に気取られず入って来るなんて、ことりさん何者!? 夜中に起きたら隣にことりさんがいるって想像したら怖いよ!?」
武葉さんは、ことりさんがどうやって入って来たのか知っているのだろう。泰然自若として食後のお茶を喫している。
「それよりも雄瑠さん、どこに行きましょうか? 行きたいところがあったら教えてください。わたくしの方で最高級の旅館を予約しておきますので♪」
ことりさんの言葉に、あっけに取られていた柚乃が反応する。
「え、本当!? じゃあ部屋は柚乃とお兄ちゃん相部屋でお願いしまーす!」
「いやいや、全員が個室だろ」
……どう考えても、それが一番ケンカにならない。というか、誰と一緒になっても僕は寝られそうにない。旅行中は徹夜なんて、どんな罰ゲームだ?
「こほんっ……まあ、部屋割りは追々考えるとして、どこに行きたいですか? 今の時期なら北海道とかどうでしょう? それか、南の離島でのんびり過ごすって手もありますね。
いっそのこと、海外はいかがでしょう?」
ことりさんがニコニコして聞いてくる。
「あ、柚乃はパスポート持ってない。それに英語もしゃべれない。だから海外はパス」
「……別に今から取ればいいじゃありませんか? 英語ならわたくしがいますし、大丈夫ですよ?(にんまり)」
何か腹に一物持っているような顔でことりさんが柚乃に言う。
「んー、なんか悪い笑顔だなぁ。ことりさん、ひょっとして柚乃を海外で置き去りにしようと思ってない?」
「ぎくっ!」
「あ、『ぎくっ』って言った。やっぱり悪いこと考えてたんだ」
「そ、そんなこと、ありませんよ? 可愛い義妹ちゃんに、そんな酷いことするわけが……」
「でも無駄だよ? お兄ちゃんの側から離れないから。お兄ちゃん、これでも英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、ラテン語、中国語、韓国語が分かるから」
「そう言えば、そのほかにタガログ語やインドネシア語、スウェーデン語やノルウェー語も勉強されていましたね? 雄瑠さん、語学マニアですか?」
柚乃と武葉さんが言う。
「柚乃、そんなに話を盛らないでくれよ。日常会話に困らない程度に話せたり、読み書きできたりするのは6か国語くらいだ」
「いや、それでも凄くないですか!? どーやったらそんなハイスペック男子になれるんですか!? ラブコメ小説の主人公じゃあるまいし」
「いや僕、ラブコメ小説の主人公だけど?」
……つまり僕のスペックは、筆者の思うがままなのである。
閑話休題
「まあ、パスポートは必要になった時取ればいいと思うから、今回は国内旅行にしよう。
有名観光地で美味しい食べ物を食べるか、自然の中でのんびりと過ごすかどちらかになると思うけれど、どっちがいい?
明日は土曜日だから、今日中に考えて、明日また話し合うことにしようか?」
僕がそう提案すると、柚乃もことりさんも賛成してくれた。
「え、個人的な作品集ですか?」
僕は出版社『11次元』のO島担当から、会社に呼び出されていた。何でも、僕の作品集を出していただけるらしい。
今まで僕は、『幻想世界~アズライール・サーガ立ち絵集』から『ミラクル魔利衣の冒険奇譚設定集』まで15冊の作品集を出している。
4年間で15冊は結構多いペースではないかとも思うが、そのうち『KANNUの世界』と銘打った個人的な作品集は4冊で、後はキャラクター設定集や名場面集だ。
ゲームや小説の中の人物に具体的なイメージを与える仕事もいいが、自分の感情や価値観を表現したイラストが作品集として世に出るのは、やはり嬉しいものだ。
O島さんは、
「そうなの。KANNU先生はキャラデザよりもむしろ、人間の感情を切り取った作品の方が本領だと思うのよね。その意味で、『KANNUの世界』は生の先生が露出している作品集だと思うの。
現に、新人賞こそ『KAWAIIはSEIGI(ポポの魔法世界)設定集』だったけれど、『愛があふれるとき~3』では銀賞、『夢みる君たちから~4』では大賞を受賞しているじゃない?
だから、5作目の『KANNUの世界』を出したらどうかなって。企画会議ではKANNU先生次第ってことで保留中よ。
その気があったら、いくつか掲載したい作品を見せてほしいの。いかかでしょうか?」
そう言って微笑む。
「今回も、YOMI先生の1行詩が付くんですか?」
僕は3作目と4作目にお世話になったYOMI先生の秀逸な1行詩を思い出す。賞を取れたのは、作品の魅力を引き出してくれた詩のおかげでもある。
最初、この話をO島さんから聞いた時、正直言って
『言葉があることで、イラストのイメージが固定されませんか?』
そうした危惧を漏らしたものだったが、YOMI先生と何度も会談し、作品一つ一つに対する想いを共有することで、却ってイラストのイメージが膨らむような1行詩を書いていただけた。僕がYOMI先生を尊敬し、傾倒するのはそれからである。
しかし、O島さんは残念そうに首を振って、
「YOMI先生は、例の『俺は異世界サキュバス学園で無双する』のオリジナルストーリーや、他の作品のコピーで忙しいそうよ。今回は1行詩なしで行くしかないかもね?」
そう言う。僕は少し落胆した。『1行詩が付いたイラスト集』は、今後僕のスタンダードにしたいなと思っていたからだ。かと言って、僕にそんな文才はない。
「……雄瑠さん、その1行詩、わたくしが書きましょうか?」
その時、たまたまなのか、ことりさんがそう言って僕たちのテーブルに歩み寄って来た。
「あれ、源高閣先生。何かの打ち合わせですか?」
僕が驚いて聞くと、ことりさんはうなずいて、
「はい。処女作の『転生しまくってハーレム人生を目指す件』をリライトして出版するってお話をいただきまして、その打ち合わせに来たんですが……。
KANNU先生も新たな作品集のお話ですよね? ちらっと『1行詩』という単語が聞こえたので。YOMI先生、今回はお忙しいようですね?」
そう言いながら、僕の隣に腰かける。
「ええ、先生の1行詩のおかげで賞を取れたようなものですから、今回先生が忙しいって聞いて落胆しているところですよ」
僕が言うと、ことりさんはずいっと僕に胸を押し付けて来て、
「わ、わたくしじゃダメでしょうか!?」
そう言ってきた。
「え?」
「その1行詩、わたくしに書かせていただけないでしょうか!?」
「源先生なら、1行詩は書けるでしょうけれど……う~ん……」
ことりさんの自薦を聞いたO島さんは、腕を組んで首をかしげている。あれ、こんなときいつもなら、
『そうですね、それがいいです! お二人はお付き合いされているから、お互いの心情なんかもよく解るでしょうし!』
とか何とか言って賛成しそうなものだけど。
「O島さん、何かいけないことがあるんでしょうか? わたくしは雄瑠さんの心情や作品に対する想いなんかもよく理解しているつもりですが……」
ことりさんも、O島さんの態度を見て、そう問いかける。すると、O島さんは真剣な顔でことりさんに言った。
「まぁ、源先生のKANNU先生に対する想いは知っていますけれど、この場合お二人が付き合っていることが、かえって1行詩の普遍性を損なってしまうんじゃないかと心配しているんです」
「へ? 普遍性?」
僕が言うと、ことりさんはさすがにO島さんが言いたいことが解ったのか、無言で両手をぎゅっと握りしめた。
「源先生はお解りみたいですね? 1行詩には、源先生のKANNU先生への想いが入っていてはいけないんです。源先生の感情は抜きにして、作品に対するKANNU先生の想いを表さねばなりません。それができるのなら、源先生にお願いしてもいいかと思います」
O島さんがそう言う。そこまで言われたら僕だって解る。
つまり『1行詩はKANNUが見た世界を、KANNUの想いと共に表したもの』ということだ。
だから、ことりさんの僕に対する想いが混じってしまえば、もはやそれは源高閣の作品で、僕の作品を邪魔するものになると言っていい。
ことりさんは、しばらく目をつぶっていたが、やがて目を開けてはっきり言った。
「できます。だから、ぜひわたくしに書かせてください」
「本当に良かったんですか? ことりさんだってリライト版の手直しとかあるでしょう?」
『11次元』のビルを出て、僕は隣を歩くことりさんに話しかける。ことりさんは眉を寄せて真剣に何かを考えていたが、
「えっ、ええ、大丈夫です。雄瑠さんこそ、あの場でわたくしのリライト版の挿絵を引き受けていただいて、ありがとうございます。
『KANNUの世界』の出版もあるのに、ご無理申し上げてすみません」
かえって、僕を気遣ってくれた。
「いえ、ことりさんの作品に挿絵を描くのは、もはや僕にとって楽しみの一つですからね。そんなことは気にしないでください」
「ふふっ、ありがとうございます。それでですね、今、ちょっと考えたのですが」
ことりさんが笑って言う。
「雄瑠さんが作品を選んだら、わたくしの家に来ていただけませんか? その方がいろいろと好都合……おほん、作品に対するいろいろなお話が聞けると思いますので」
「今、『好都合』って言わなかった? 何が好都合なの?」
ことりさんには、僕を押し倒したという前科がある。お母様の説得で僕に対する過激な誘惑は影を潜めたが、椎葉さんのけしかけによってそれが再発し、今は武葉さんたちの正体を知って小康状態といったところだ。
岩城邸に行くことは、僕にとってことりさんの檻に自ら入るようなものだ。彼女がどんな精神状態にあり、僕に対する妄想がどの程度広がっているのかを知らないと、屋敷から出してもらえなくなるかもしれない。
「いえいえ、『お話を聞くのに好都合』という意味ですよ? わたくしの家なら、柚乃さんも武葉さんも、許可なく入っては来られませんからね?」
「そ、そうなんだ。なんか気になる言い回しもあるけれど……。
YOMI先生の時も結構頻繁に話し合いをしたから、ことりさんに負担かけるかもしれないけれど、よろしくお願いします」
僕が家を訪ねることを了承すると、ことりさんは上機嫌でうなずき、
「では、作品が決まったらお知らせください。すぐにお迎えに上がらせますので」
そう言うと、ちょうど迎えに来た豪☆ジャスなリムジンに乗って帰宅していった。
僕は彼女を見送った後、自分の書き溜めている作品を思い浮かべる。武葉さんがやって来てからの作品なので、それまでの作風と少し違って、『懐かしさ』を意識したものが多い。
(そうだな、今度の作品集のタイトルは、『原風景:春霞と朧月夜』で行こうかな)
僕はそう決めると、足早にアパートへと歩き出した。早く帰って、自分の作品を選定しなくちゃならないし、できるなら手直しもしたかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3.1行詩に思いを込めて
「お兄ちゃん、5作目の『KANNUの世界』を出す予定なの?」
夕飯を作りに来た柚乃が、仕事スペースにこもっていた僕に聞く。
「え? どうして柚乃がそれを?」
僕は、いくつかの作品を見直し、テーマに合ったタッチへと修正していたが、急にドアを開けて勢い込んで聞いてきた柚乃に思わずそう聞き返してしまった。
「だって、ローテーブルの上に企画書が置いてあったから。発売されたら絶対買うから、またいつもどおり、サインを入れてくれる?」
柚乃が目をキラキラさせて聞いて来る。僕はうなずいて言った。
「ああ、それは構わないよ。ところで、柚乃に先に断っておきたいことがあるんだ」
「なあに?」
「実は、今回も1行詩を入れた作品にしたいんだ。だから画集の構成段階では帰りが遅くなることもあると思うけれど、それを先に言っておきたくてね?」
第3集の時は初めての試みだったこともあり、YOMI先生とはかなり頻繁に、そして長時間にわたって協議を重ねた。時には夜を徹して話し合ったことも2度や3度ではない。
第4集の時は、お互いに性格や情操がある程度解っていたので、さすがに夜を徹してということはなかったものの、それでも結構な時間を1行詩のために費やした。
「分かった。またYOMI先生? 柚乃、YOMI先生の詩ってシャープだけど優しいから好きだなあ。どんなものになるか楽しみにしておくね?」
柚乃の笑顔を見て、僕の良心は少し痛む。なぜなら今回1行詩を手掛けるのはYOMI先生ではなく、源高閣先生……つまりことりさんだからだ。
ことりさんは僕と同様、大学在学中は『顔出しNG』で活動している覆面作家だ。だから、たとえ柚乃に対してもそのことは話せない。
もちろん、
『今回は源高閣先生が1行詩を担当してくれるんだ』
と言ってもいい。だが、柚乃から、
『源高閣先生? その人って男、女?』
と聞かれたら、本名は言わないにしても女性であることは言わないといけない。でないと僕は柚乃に噓を吐くことになる。
そうなったら、柚乃のことだ、また要らない心配をしてしまうのは目に見えている。まあ、実際問題として僕自身も、話し合い中にことりさんが妄想を爆発させて、僕に迫って来ないかちょっと不安を感じているが……。
(でもまあ、それはその時のこと。今からことりさんを疑って心配しても仕方ないことだ。むしろ問題は、武葉さんにどう説明するかだな……)
僕は武葉さんの方が頭が痛かった。それは彼女が女神だからだ。
僕を見守る女神なら、次の作品集の制作に当たって、ことりさんとかなり頻繁に会合せざるを得ないことはすでに知っているだろう。
(武葉さんの理性が、嫉妬を抑えてくれるといいんだけれど……)
僕はそう思いながら、再び作業スペースにこもってイラストのチェックを再開する。
やがて、キッチンの方から、
「あ、武葉さんいらっしゃーい。今日は柚乃が勝ったもんねぇー♪」
「あら、今日は4限目休講だったのですか? それは失策でした。やはり思い立った時に雄瑠さんの部屋にお邪魔するべきでした」
楽しそうな柚乃の声と、残念そうな武葉さんの声が聞こえて来た。
「今日は、どんなおかずなのでしょう?」
「へへへ~。春じゃがをたくさん手に入れたから、コロッケとポテトサラダを作ってみたんだ~♪ ポテトサラダはお好みでオムレツにもできるよ」
「……あ、僕はオムレツの方がいいかも……」
そう言いながら作業スペースから出ると、武葉さんがニコニコ笑いながら言ってきた。
「あ、雄瑠さん、第5集が出版される予定なんですよね?」
「さすがは女神さまですね、武葉さんは耳が早い。ええ、担当さんはできるならクリスマスには出版まで持って行きたいって言ってましたね」
僕がリビングのソファに座りながら言うと、武葉さんは隣に腰かけて来て、
「クリスマス? いくつか描き足さなきゃいけないイラストがあるにしても、そんなに時間がかかるものなのですか? 画集の出版って」
不思議そうに聞く。
「まあ、普通の画集だったら、テーマさえ決まっていて、それに合う作品がそろっていれば大型連休明けすぐには企画構成に入れるでしょうけれど、ここ2作品は1行詩って言って、作品をイメージした詩を入れていますからね。その詩を書く時間が要るんで、どうしても普通の画集よりは時間がかかっちゃうんですよね」
僕は企画書の草案を見返しながら説明する。これには『1行詩:YOMI先生』と入れられている。O島さんが考えた草案段階では、やはりYOMI先生を当てにしていたことが分かる。
「あら、でも、その企画書には、『発行:10月中旬』って書いてありますね? どうして2か月近く遅れるんですか?」
……くっ、さすが武葉さんだ、目ざとい。だが、本当のことを包まず言ったら、武葉さんはともかくとして柚乃が怖い。
「……そ、それは、YOMI先生のスケジュール調整がうまくいくかってところなんだ。
ひょっとしたら、別の作家さんにお願いするかもってことだから、少し期間を長くしてもらったんだ」
「えー! YOMI先生じゃないかもなの~!? 柚乃、YOMI先生の1行詩好きなのに」
台所から柚乃がこっちを見て言う。
「あはは、僕だってYOMI先生の方が気心が知れていて、作りやすいってことはあるんだけれど、先生は今、ゲームのオリジナルストーリーや他の作家さんの作品のキャッチフレーズなんかの仕事が詰まっているらしいんだ。
オリジナルストーリーの仕事さえなければ、僕が頼んだら引き受けてくださるだろうけれど、あまり無理をお願いするのはなぁって思ってさ」
そう言った時、ローテーブルの上に置いていた僕のスマホが鳴った。
『お兄ちゃん、メールですよ♡』
「あ、お兄ちゃんにメールだ☆ どれどれ~♪」
僕がスマホを手に取る前に、柚乃がすかさず手に取って、勝手知ったるパスワードを入れてメールを読む。そしてそのまま固まった。
「こら、人のスマホを勝手に見ちゃダメだって、何度言ったら……」
「……『もう作品は選ばれましたか? 1行詩、頑張って書きますので、雄瑠さんの作品のこと、一杯教えてくださいね♡(はぁと)。岩城ことり』……お兄ちゃん、これ、Do、you、KOTO?」
「いや、わざわざ英語みたいに言わなくてもいいんじゃない!? このやり取り、デジャヴだよ!?」
僕は柚乃からスマホを取り上げながら、慌ててごまかそうとするが、柚乃はハイライトが消えた目で僕に詰め寄って来る。
「ことりさんが1行詩を書くってどういうこと? なんでお兄ちゃんの画集にことりさんが関わっているの?」
ことりさんは『源高閣』のペンネームでラノベを書いている売れっ子作家だ。ただ、僕同様大学生の間は『顔出しNG』で活動している。ここで柚乃に彼女のことを話すわけにはいかない。
だが、僕がイラストレータ『KANNU』であることも秘密にしてくれている柚乃だ、彼女を信頼して本当のことを話し、疑念を解消してあげる方がいいのでは?
そんな思いもあって、僕はしばらくは何も言わなかった。
「……雄瑠さん、ここは柚乃さんを信じてあげた方がいいと思いますよ? 彼女だって、雄瑠さんを疑うのは苦しいことだと思いますので」
僕の様子を見ていた武葉さんが、静かにそう声をかけてくる。それで、僕は決心した。
「柚乃、僕がこれからいうことはお前の中だけの秘密にしてくれ」
「へっ? あ、う、うん……」
エキサイトしていた柚乃だが、僕が真剣な表情で言うと、戸惑うような表情でうなずく。
「お前は、『源高閣先生』というラノベ作家を知っているか?」
僕が聞くと、柚乃はさらに戸惑った顔で、
「え? し、知ってるよ。友だちの中にはファンもいるし。今度『俺は異世界サキュバス学園で無双する』がアニメになるんでしょ?
そういえば友だちが、『源先生って現役女子大生って噂があるんだ』って言ってたけど、まさか?」
そこまで言って、ハッとした表情をする。
「うん、柚乃が思っているとおり、『源高閣先生』はことりさんだ。そして彼女も、僕と同じく『顔出しNG』で活動している。だから、このことは秘密にしておいてほしいんだ」
すっかり驚いた柚乃は、さっきまでの居丈高な態度とは打って変わって、素直にうなずいて言う。
「う、うん、約束する。あ、じゃあ、お兄ちゃんが源高閣先生の挿絵なんかをほぼ毎回手掛けているのは……」
「うん、担当のO島さんの意向もあるけど、毎回ことりさんの指名だそうだ。僕の描くキャラが、自分の考えているキャラに一番イメージが近いらしい」
「お兄ちゃんは……源高閣先生がことりさんだって知っていたの?」
悲しそうに聞く柚乃は、僕の答えで幾分か救われた表情になる。
「いや、この間の缶詰作業の時に初めて知った。ことりさんは、もっと早くからKANNUが僕だって知っていたみたいだけど」
「そっか……じゃあ、あの合コンでことりさんがお兄ちゃんを一目見て気に入ったのも分かる。お兄ちゃんが挿絵描き始めてからだよね、源高閣先生の人気が出たの。自分を有名にしてくれた絵師さんだもの、好きになって当然かぁ……」
「その恩返しのつもりなんだろうね。YOMI先生の都合が付かないって話になった時、たまたまそれを聞きつけた源先生が手を挙げてくれたんだ。自分に書かせてくれって」
柚乃はしばらく考えていたが、
「……そ、そういうことなら仕方ないなぁ。柚乃だってお兄ちゃんに恩返ししたいと思っているんだから、ことりさんの恩返しを邪魔するのはおかしいよね?
でもお兄ちゃん、ことりさんと必要以上にベタベタしないでよ? N〇Rも、BS〇も、小説の中だけでお腹いっぱいだから」
おずおずと、少し心配そうにそう言ってくれた。
次の日、プリントアウトした作品を持って、僕はことりさんの家にいた。メイド長である愛実さんが迎えに来たのは、柚乃が登校した直後だった。
岩城邸に着くとことりさんは玄関まで出迎えに出てきてくれていた。
「おはようございます雄瑠さん。今日はどんな作品が見られるか楽しみにしていました」
文字どおり飛びついてきたことりさんを受け止めながら、僕は慌てて言う。
「ちょ、ことりさん。愛実さんやメイドさんたちが見ていますってば!」
「うふ(*´艸`*)、大丈夫です。愛実はじめ、みんな見て見ぬふりをしてくれています。
だって、もはや雄瑠さんはわたくしのお婿さん同然ですから。
それより早く作品を見せてください。わたくし、KANNU先生の未発表作品を誰よりも早く見られるんだと思ったら、興奮して夜しか眠れませんでした」
「ちなみにお嬢様は昨夜10時にご就寝、今朝6時にご起床です。8時間ぐっすりお休みになっています」
メイド長が説明してくれる。うん、今その情報は差し当たって必要ないんだわ。
「あ、うん。健康的でいいんじゃないかな」
僕はそう言って、ことりさんの部屋にお邪魔する。相変わらず綺麗に片付き、いい匂いがする部屋だった。
「それで、今度の作品集、テーマはどんなものにされるのですか?」
だだっ広い部屋の真ん中にあるソファに座って、ことりさんが目を輝かせる。僕は持ってきた作品をローテーブルの上に広げながら答えた。
「未発表のものは、すべて武葉さんが来てから描いたものになるんで、今までと少し雰囲気が違うと思う。僕が生まれた町や、施設があった所を描いてみたくなってね?」
そう言って広げた作品の中から、ことりさんは1枚を手に取って食い入るように見つめている。それは、山の中腹から街並みを見下ろした風景だった。遠くには川が流れて、その向こうにも街並みと田んぼが広がり、そして遠景は山々になっている。
「……何でもない風景なのに、懐かしさやもの悲しさを感じさせますね。秋に近い日の光がとても幻想的です。ヒグラシの声が聞こえてきそうです」
僕は思わずことりさんを見つめた。風景の中には季節を感じさせるものは何も描いていない。ことりさんが言うように晩夏の街並みなので、まだ山々は紅葉し始めていないし、そもそもこの風景画は、くすんだオレンジ色を基調にした『色彩を抑えた緻密な』描き方をしている。
それなのに、『ヒグラシの声が聞こえる』と言ったことりさんの感受性の豊かさに驚いたのだ。
「……どうかしましたか? わたくしの顔をじっと見つめて?」
隣に座ることりさんは、僕の視線に気付き、頬を赤くしてそう聞いて来る。
僕は微笑んで、ことりさんに言った。
「すごいですね、この作品はことりさんが言うように晩夏の故郷です。この絵からは季節を感じるものは何もないはずなのに、それを当てるなんて。
ちなみに、ことりさんならこの絵にどんな1行詩を書いてくれますか?」
するとことりさんは、はにかみながらすぐに詩を口にした。
「そうですね。『心が揺れる時、ここを想い出す。もう戻らないここを、いつまでも覚えている』……こんな感じでしょうか?……雄瑠さん、ど、どうされたんですか!?」
僕は無意識に泣いていたみたいだ。この作品を描いた時、僕は実家をどうしようか悩んでいた。ことりさんの詩は、その時の僕の想いにかなり近いものだったのだ。
「雄瑠さん、どうしたんですか!? なぜ泣いて……?」
僕はその言葉でハッとして、急いでハンカチを取り出した。涙を拭きながら僕はことりさんの手をしっかり握って言った。
「何でもありません。ことりさんの詩が、あまりにこの絵にぴったりだったので驚いています。君なら、いい詩を書いてくれると確信しました」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4.春は出会いと別れの季節
「雄瑠さん、宿が取れましたよ」
僕の作品集に収載する1行詩のため、ことりさんの家に何度目かの訪問をした時、打ち合わせ終了後にことりさんが意気揚々と僕にそう言った。
「え、宿?」
僕が思わず聞き返すと、ことりさんは可愛く頬を膨らませて、
「もう、雄瑠さんったら、忘れちゃったんですか? 今度の大型連休に、みんなで旅行しましょうって話をしたじゃないですか」
そう言いながら傍らに置いてあったベルを鳴らす。
チリリン……
すると、すぐにドアが開いて、愛実さんが顔を出した。
「お嬢様、お呼びですか?」
「愛実、今度の旅行に関する資料を持って来て」
「承知いたしました。すぐお持ちいたします」
やがて愛実さんは僕とことりさんに資料を手渡しながら、
「説明はお嬢様が説明されますか?」
そう聞くと、ことりさんはうなずいて言った。
「ええ、そうしましょう。愛実は下がって日程や道筋をよく確認しておいてね?」
「分かりました」
そうして愛実さんが部屋を出た後、ことりさんはバインダの一つを僕に渡しながら言う。
「行き先は北海道で、旅程は5泊6日ですが、フェリーには欠航の可能性がございますので、最大7泊8日まで想定しています。
メンバーは私、雄瑠さん、柚乃さん、武葉さん、愛実、春香さんの6人です」
「え? 春香さんって、中ノ森春香さん? それに愛実さんも?」
意外な人選に僕がそう言うと、ことりさんはうなずいて、
「はい。愛実には運転をお願いしていますし、たまには役得も与えたいので。それに彼女も妹さんとどこか行きたいでしょうから」
そういうところは、優しくて気が回ることりさんらしかった。
「それで、部屋割りですが……」
僕は、ことりさんが言う部屋割りを聞いてびっくりしたが、その理由を聞いて納得したのだった。
その日の夜、晩御飯の後、僕は柚乃と武葉さんに、預かって来たバインダを一つずつ渡しながら言った。
「いつか言っていた大型連休中の旅行だけど、ことりさんが全部セッティングしてくれたし、代金も一括して払ってくれている。僕たちはお土産なんかを買うお金さえ持って行けばいいって言ってくれている。
これが日程や見どころをまとめたバインダだ。何か問題や行きたい所のリクエストがあったら言ってくれだそうだ」
「うぇっ? あの話って本気だったんだ。でもこのシーズンの北海道って、観光客で混むんじゃない? よく宿とか取れたね? それに参加費も取らないなんて、やっぱお金持ちは違うなぁ」
そう言いながらバインダをめくり、素っ頓狂な声を上げる。
「えっ、えっ? 何この部屋割り。ことりさんはこれでいいの?」
そう、柚乃や武葉さんが最も気にしていたに違いない部屋割りは、次のようになっていた。
メイド長の愛実さんは妹さんの春香さん同室固定だが、ことりさんは日替わりで柚乃や武葉さんと同室。僕は武葉さんか柚乃と同室……である。
「……ご自分が手配し、お金まで出すのですから、私と柚乃さんを同室固定にして、自分はずっと雄瑠さんと同室……ということもできたはずですが? 不思議ですね」
ちっとも不思議じゃないような口ぶりで武葉さんが言う。柚乃は柚乃で、
「……う~ん、どう考えても判らない。柚乃がことりさんの立場だったら、武葉さんの言うとおりお兄ちゃんを独占するんだけど……何か罠とかないよね?」
と気味悪がっている。そこで僕は、ことりさんの考えを二人に伝えることにした。
「柚乃、そんなに警戒しなくてもいい。ことりさんとしては、運転手として愛実さんを連れて行きたい。ついでに常日頃の愛実さんの働きへのご褒美として、その妹さんも連れて行きたいと考えたそうだ。
だが、そうなるとメイド長への手前、僕と二人きりで夜を過ごすことは憚られる。で、この際柚乃や武葉さんと同室になって、仲良くなろうって考えらしい。
柚乃は自分で妹って言っているし、武葉さんだって姉と言えば、僕との同室もそんなに不自然じゃない……ということらしい」
「……ことりさんらしいと言えばそうですね。私はこの部屋割り、異存ございません」
薄く笑いながら武葉さんが言うと、柚乃も
「う~ん、武葉さんが言うなら、柚乃もことりさんを信じようかな」
そう言って笑った。
「やほやほやっほ~。雄瑠さん、お久しぶり。元気してた~?」
連休前日の夜、僕のアパートの前に泊まったキャンピングカーの助手席から、茶髪ポニテの元気な女性が声をかけてくる。中ノ森春香さんだ。
「お久しぶり、春香さん。こっちは妹の柚乃と姉の武葉だ」
僕が二人を紹介すると、春香さんは武葉さんに見とれていたが、
「あ、あたしは中ノ森春香、K大法学部4年生です。よろしく、柚乃さん、武葉さん」
慌てて自己紹介すると、武葉さんと柚乃を見ながら首を振って言う。
「……雄瑠さんがわたしやことりの美貌にもデレデレしない訳が分かったわ。こんな美人のお姉さんや可愛らしい妹さんがいるなら、そりゃ美人は見慣れるわよね」
「いや、自分で美貌って言っていたら世話ないよ」
「あん!? なんか言った!?」
「いや、なんでもないです。ハイ」
僕が春香さんにビビる中、柚乃はニコニコしながら、
「斎藤柚乃です。お兄ちゃんがいつもお世話になっています。よろしく、中ノ森さん」
そうあいさつすると、春香さんも笑顔で、
「あたしのことは春香でいいよ。よろしくね柚乃ちゃん」
そう言ってくれる。苗字が違う理由を聞かれなかったのは、ことりさんが適当に説明してくれているに違いない。
しかし、さすがの春香さんも、
「甘羽武葉です。弟が迷惑をかけていませんか?」
武葉さんの神々しいまでの美しさに気圧されたか、固くなって
「い、いいえ。こちらこそお世話になっているんですよぉ~」
などと言っていた。
「全員揃いましたね? ではご乗車ください。出発いたしましょう」
中央のドアを開けて、ことりさんが顔を出してそう言った。
「長かったですね~」
「でも、思ったより日本海が荒れなくてよかったですね」
僕とことりさんはフェリーのデッキから、近付いて来るO樽市の夜景を見ながらそう話していた。F県K市の港を出て、O阪からM鶴までは陸路を行ったが、その後はO樽行のフェリーに乗船した。
このフェリーは30ノットを超える速力で日本海を爆走するが、それでも20時間はかかったのだ。
先ほどドライバーには船内放送で乗車指示が出たので、愛実さんと春香さんはキャンピングカーが積まれている車載甲板へと降りている。
「あ、お兄ちゃんとことりさん。こんなとこにいた~。車に乗らないの?」
柚乃と武葉さんが、僕たちを見つけて駆け寄って来る。ことりさんは慌てもせずに、
「せっかくの船旅です。自動車に乗ったまま乗り降りするより、自分の足で乗下船した方が風情があると思いませんか?」
そう言って笑う。ことりさんはいいとこのお嬢様なのだが、時折このように世故に長けたところを見せる。
「でも、メイド長さんが困らない?」
「いえ、愛実には、付近の駐車場に停めたら連絡するよう言っていますので大丈夫です」
そう言っているうちにフェリーが着岸したので、僕たちはツーリストの下船口へと向かう。押し合いへし合いするのも嫌だったので、僕たちはかなり後の方で下船した。
フェリー乗り場に降りてみると、4月後半とはいえまだ寒い風が頬を撫でる。さすが北海道、本州や九州とは気温が違うなぁ。
ことりさんはスマホを確認し、愛実さんからのメールを確認して言った。
「愛実は駐車場に着いているみたいね。行きましょうか」
荷物はすべてキャンピングカーに乗せているので、僕たちはほぼ手ぶらでフェリー乗り場の駐車場まで歩いて行った。
「あそこに停まっているみたいね」
ことりさんが指さす先に、側面に『Rock Kastle』と書かれたキャンピングカーが見えた。うーん、『岩城』だから『Rock Kastle』かぁ~。ちょっと安直ではあるかなぁ。
でも、自動車の名前と考えれば、それなりにカッコいいかも?
『Rock Kastle』号はエンジンをかけているんだろう。夜空に排気ガスが白く昇っている。僕たちが近寄ると、運転席から愛実さんが聞いて来る。
「お嬢様、もう21時近いですが何かお食べになりますか?」
「そうねぇ、宿の方はどうなっているの?」
「旦那様経営のホテルですので、今からでもチェックインは可能ですが?」
ことりさんはそれを聞くと、すぐに指示を出した。
「じゃ、まずはチェックインしましょう。食事は途中適当な所で摂るってことでいいかしら? ちなみにわたくしはジンギスカンを食べてみたいわ」
僕たちに異存はない。小腹が空いたら船内で買ったパンを食べてもいいし、途中に適当なレストランがなければ、24時間営業のファミレスなんかで食べてもいい。
「ことりさんの言うとおりでいいですよ」
「分かりました。じゃ、出発いたしますね?」
僕が答えると、愛実さんはゆっくりと車を発進させた。
O樽市は、赤レンガと運河で有名だが、残念ながら到着が23時近くになったため、ライトアップも消えていた。
「もっと早くに着ければよかったんだけど、フェリーの時間があるから仕方ありませんね。でも、ジンギスカンを食べられて満足しました」
ことりさんがニコニコして言うと、愛実さんも笑顔で相槌を打つ。
「……朝早く起きれば、海鮮市場で美味しい海の幸が食べられるそうですよ。明日はぜひ、そちらに顔を出されては?」
ことりさんは愛実さんを心から信頼しているようだ。春香さんも含めて実際の姉妹のように仲睦まじかった。
(……こうして見ると、ことりさんも普通の女の子なんだけれどなぁ……)
そうこうしているうちに、フロントガラスの向こう側に、今日泊まるホテルが見えて来た。時間が遅いので、柚乃は座席でうとうとしている。
「お嬢様、皆さん、もうすぐ着きますよ」
愛実さんのホッとした声が運転席から聞こえる。3日ぶりに揺れないベッドでぐっすりと眠れると期待している声だった。
その時、僕の真横から不意に強い光が差し込んできた。反射的にそちらに目をやるが、まぶしくて何も見えない。
(これは?)
「あっ!」
「お嬢様、座席にしっかり掴まってください!」
僕が疑問符を頭に浮かべると同時に、愛実さんや春香さんの切羽詰まった声がした。
そして僕は、強い衝撃と共に気を失った。その寸前、武葉さんが
「雄瑠さん、危ない!」
そう叫んで僕を抱きしめてくれたことだけを覚えている。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。しっかりして! 死んじゃイヤだよ!」
……柚乃の声が聞こえる。
「雄瑠さん、しっかりしてください!」
……これは、ことりさんの声か?
僕は夢うつつの中で、三人の女の子が泣いている声を聞いた……え?『三人』?
黒髪セミロング、ぱっちりした目鼻立ちの少女がいる……これは僕のお隣さんで、幼馴染で、妹分の柚乃だ。
長くてしっかりと手入れされた漆黒の髪、ちょっと柔らかい雰囲気の女性……これはラノベ作家で、僕を専属の柄師に指定してくれているお嬢様、ことりさんだ。
でも、あと一人、あと一人が思い出せない。栗色のセミロング、鳶色の瞳だけは思い出せるが、全体の顔形や名前を、どうしても思い出せない。絶対に忘れてはいけない女性だと心は叫んでいるのに……。
ぼんやりとそんなことを考えているうちに、僕はいつの間にか、再び深い眠りに落ちてしまった。
僕がはっきりと意識を取り戻したのは、数日後だった。目が覚めると、知らない白い天井が見え、僕の腕につながれた点滴も見えた。
「よかった、お兄ちゃんが目を覚ましてくれた」
横から顔をのぞかせた少女が、泣きはらした目を僕に向けて言う。
「柚乃?……僕は一体?」
僕が言うと、
「雄瑠さん……ああよかった……」
そう言いながら、ことりさんが入って来て、僕のベッドの横で泣き出してしまった。
「こ、ことりさん。僕は大丈夫ですから」
慌てて言う僕に、柚乃が怒った顔で言う。
「大丈夫じゃないよ! 3日も意識が戻らなかったんだよ!? 右腕と右足も骨折しているし……でも、よかったぁ。お兄ちゃんまで柚乃を置いていなくなるかと思ったんだよぉ~。ぐすんっ」
怒ったかと思ったら心配し、最後には泣き出してしまった。かなり精神が不安定になっているようだ。
「あの日、何が起こったんだ?」
僕が聞くと、割合に冷静だった愛実さんが、何が起こったかを説明してくれた。
午後11時35分、僕たちを乗せたキャンピングカーは、横合いからすごいスピードで別の車に突っ込まれたそうだ。
余りにスピードが出すぎていたため、僕がいた中列部分は完全にひしゃげ、Ⅴ字型に折れ曲がってしまった。そのおかげで横転こそしなかったが、突っ込んできた車を車体前部と後部で挟み込むような格好になったらしい。
運転席の愛実さん、助手席の春香さんは幸いにして軽症で、春香さんが救急へ、愛実さんが警察へ通報したらしい。
また、ことりさんは衝突直前に愛実さんからの警告があったため、とっさに柚乃をかばいながら座席にしがみ付いた。後列に座っていたこともあり、こちらも打撲と捻挫程度で済んだらしい。
だが、まともに突っ込まれた僕はそれどころじゃなかった。百数十メートルも滑った後、何とか車外へ出た4人は、完全にひしゃげた中央部を見て血の気が引いたという。
現に、柚乃はその時、僕が死んだと思って卒倒したらしい。
だが、なぜか僕の横に、数十センチの隙間があり、それで僕は圧死を免れたそうだ。
その話を聞いた時、僕はみんなに、
「もう一人いたよね? 僕の横に座っていたよね?」
そう聞いたが、なぜか全員が全員、
「北海道には5人で来たのよ」
「フェリーでも、お兄ちゃんは贅沢に二人定員の部屋を一人で使ってたじゃない」
そう言うばかりだった。
ともあれ、僕は3日後には地元の病院へ転院し、2週間の入院を経て退院した。
「お兄ちゃん、退院おめでとう♪」
「しばらくは歩行も、右手を使うことも難しいでしょうから、わたくしができる限りサポートいたしますわ♡」
柚乃とことりさんに支えられて、自分の部屋に戻って来た僕だが、何か忘れている……それも大事なことを……そんな気持ちが拭えなかった。
(……なんだ、この胸に何かつかえたような気持ちは? 僕は確かに、あの日、誰かに助けられたんだ。隣に座っていた誰かに……)
久しぶりに仕事スペースに入り、PCやプリンタの電源を入れる。そして、遅れている仕事に手を付けようとした時、僕は誤って違うフォルダを開いた。そして僕の眼は画面にくぎ付けになる。
そこには、栗色のセミロング、鳶色の瞳をした優しそうな女性が映った写真があった。少し恥ずかしそうに微笑んだ顔は、確かに僕の記憶の中にいる誰かだった。
写真の女性は、パールホワイトのブラウスに薄いピンクのベスト、スカーレットのフレアスカートという服装だ。この服にも僕は記憶があった。
「まさか……」
僕は仕事スペースから出て、松葉杖をついて寝室に行く。ウォークインクローゼットの戸を開けると、そこには先ほど写真で見た洋服が、そっくりそのまま吊るされていた。
(ここに服があるということは、僕はあの写真の女性と一緒に暮らしていたってことか?
しかし、それなら柚乃が何か言いそうだし、ことりさんだって黙っちゃいないはずだけど)
僕は訳が分からず、しかしその洋服に懐かしさを覚えて、いつまでもそこに立ち尽くしていた。
……春は、出会いと別れの季節だった。
(デレ神様と修羅場と僕:7.春は出会いと別れの季節(後編)終わり)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回で第1期は終了です。
変わり映えしない日常生活とはいうものの、実際は昨日と今日は違っていますし、1年前の同じ日とも違っています。
それと同じで、武葉の正体もことりにばれ、ことりがラノベ作家であることが柚乃にバレ……というように、登場人物たちの認識が変わっていっています。
第2期では、新たな認識のもと生活する雄瑠くんたちを書いて行きたいと思います。少し間を空けますが、まぁ『書きためているんだろうなぁ』と、生暖かい目で見ていただければ幸いです。
では、第2期でお会いしましょう。




