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デレ神様と修羅場と僕  作者: シベリウスP
第1期:夢+君=幸せ(You Make Me Happy)
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Portrait6:春は出会いと別れの季節(前編)

柚乃は無事に雄瑠と同じ大学に合格した。しかし、柚乃と血がつながっていないことや武葉が姉でないことがことりに知られてしまい……。

1.『お兄ちゃん』の春愁


 春は、出会いと別れの季節である。僕、甘羽雄瑠あまは・たけるはK大学総合福祉学部の4年生になった。


 僕が講義の受講申請を終えて、構内を歩いていると、あちこちでサークルへの勧誘が行われているのを見る。もはや春の風物詩と言っていい。


「よう、雄瑠じゃないか。まだ講義は始まっていないんだろ? ボクのサークル、覗いて行かないかい?」


 声をかけて来たのは、小学校の頃からの腐れ縁で、ずーっと同じ学校に通ってきた親友の常盤光弘ときわ・みつひろだった。


 彼は僕の肩に腕を回して、僕を引き留めながら言う。


「お前、せっかく大学に入ってるってのに、とうとうどこのサークルにも入らなかっただろう? 柚乃ゆずのちゃんがいるとは言っても、いろんな女子との出会いはあった方がいいぜ? 今後のためにもよ」


 彼は白い歯を見せてにかっと笑う。茶髪を首の後ろでくくり、青いポロシャツの上から薄手のデニム地のシャツを引っかけている。ちなみにデニム地のシャツは、彼が所属するサークルの制服みたいなもんなんだそうだ。


「誘われるのは嬉しいけれど、僕はプライベートでも結構忙しいんだ。柚乃の世話以外にも、いろいろやらなきゃいけないことがあってな?」


 これは嘘ではない。僕は高校生の時から、『KANNU( カンウ )』というペンネームでイラストレーターとして活動している。今は、中堅どころではあるが業界ではそれなりに名の知られた出版社やゲーム会社にお世話になっているのだ。


 ただ、学生との二足のわらじで活動するに当たって、あまり面倒ごとに巻き込まれたくはないので、現在『顔出しNG』で活動している。そのため、光弘にもこの辺の事情は話していない。


「ふーん、そっか。ま、時間がないってんなら仕方ないが、興味があるならいつでも顔を出してくれよ。お前がいればボクも楽しいし、女の子だって寄って来るからな」


「言っておくが、僕はそんなにモテないぞ? 顔や性格を比較するなら、お前の方が確実にモテるじゃないか」


 そう、光弘は顔もいいし性格も明るい。おまけに実家はいくつもの会社を経営している。両親不在で顔も普通、女の子と話しても場を盛り上げられない僕なんかは、彼と比べられるだけでも烏滸がましい。


「そう言えば、柚乃ちゃんは高校を卒業したんだよな? 早速結婚するのかぁ?……あ、いや、お前にはことりもいたっけな? どっちを選ぶんだ?」


 彼の言う『柚乃』とは、斎藤柚乃……僕と同じ児童養護施設出身で、妹分でお隣さんだ。

 彼女からは僕が高校1年の時に告白されたが、彼女が独り立ちするまでは兄として見守ることを決めていた。彼女は今年高校を卒業して、喫茶店で働きながら僕と同じ大学に通い始めている。


 もう一人の『ことり』とは、岩城いわしろことり。いいとこのお嬢様で、工学部4年生だが、『源高閣げんこうかく』のペンネームでラノベ作家として活躍しているという顔も持つ。彼女も卒業までは『顔出しNG』なので、ごく一部しか知らないことではある。僕は彼女の作品の挿絵を、ほぼ専属のような形で描かせてもらっている。


 この二人から、僕はとてつもない好意を向けられているのだ。考えるだけでも頭が痛い。


 だが、それに加えて……。


「……どっちを選ぶかって、難しい問題だよ。柚乃は妹みたいなものだし、ことりさんはいい友達のつもりなんだし……」


 僕が言葉を濁すと、光弘はため息とともに肩をすくめて、


「まぁ、事情は分かるけどさ。ボクたちも今年で卒業だし、早いとこ腹をくくっておいた方がいいと思うぜ? じゃ、またな」


 そう言うと、サークルボックスがある方へと歩いて行った。


「はぁ……」


 僕は立ち止まり、空を見上げる。散りゆく桜の花びらが舞っていた。


 春は、出会いと別れの季節である……。



「あっ、お兄ちゃんだ!」


 そんな明るい声と共に駆けて来たのは柚乃だった。後ろからは茶髪ショートの女の子と、黒髪ロングの女の子がついてきている。


「あ、柚乃。それに裕理ゆうりちゃんと真子まこちゃん。どうだい、講義の選択は終わったかい?」


 僕は三人に聞く。裕理ちゃんと真子ちゃんは柚乃の親友で、僕も何度か勉強を見てあげたことがある。二人ともとてもいい子だ。


「うん。お兄ちゃんがいろいろ教えてくれたからね。せっかく大学に入れたんだもん、柚乃しっかり勉強するね?」


 柚乃は、僕と同じ大学を受験するか、それとも調理師や栄養士の資格が取れる専門学校に通うか、ギリギリまで迷っていた。模試の結果がC判定だったこともあり、柚乃は柚乃なりにすごく悩んでいた。


 しかし、結局ダメもとで受験することに決めた柚乃は、猛勉強の末、合格の栄冠を勝ち取った。合格発表の時はここに居る仲良し三人組で、躍り上がって喜んでいた。


「あたし、お兄さんにお礼が言いたくて」

「あ、わたしもです」


 裕理さんと真子さんが、僕に向かって頭を下げる。


「お兄さんのおかげで、志望校に合格できました。お礼が遅くなってすみません」


「試験直前にリラックスさせていただいたおかげです」


「いやいや、二人の実力だよ。別にお礼なんていいって」


 僕がそう言うと、裕理ちゃんはずいっと前に出て来て、


「そう言うわけにはいきません! あたしだってギリB判定だったところを合格できたんですから!」


「だから、わたしたちで柚乃ちゃんも含めて、合格のお祝いをしたいと思ってるんです。お兄さんにも参加していただきたいんです」


 真子さんまで真剣な顔で言ってくる。


 僕は二人の圧に負けて、


「……わ、分かった。ありがとう。参加させていただくよ」


 二人の頼みをOKした。


 すると、柚乃まで嬉しそうな顔をして、


「良かったぁ~。じゃ、お兄ちゃん、柚乃たちどんなお祝いにするか、三人で話し合ってくるね?」


 そう言うと、三人で正門へと駆けだした。


 僕はそれを見送ると、ゆっくりと自分のアパートへと帰った。



「雄瑠さん、お帰りなさいませ」


 玄関のドアを開けると、栗色の髪でセミロングの女性が、玄関で僕を待っていてくれた。鳶色の瞳を僕に向け、にっこりとほほ笑むその人は、志鳥武葉しどり・たけはさんという。


 先ほど僕が、『だが、それに加えて……。』と独白した理由が、この方の存在だ。


 武葉さんは、僕や柚乃がお世話になっていた施設近くに鎮座されている神社の祭神、武羽槌命たけはづちのみことである……と本人は仰っている。


 参詣者も絶えて汚れ放題だった神社を僕が掃除したおかげで、消滅の危機を免れたらしく、武葉さんはそのことをとても恩義に感じているらしい。


 それだけではなく、僕が11歳の頃、武葉さんにプロポーズしたことを覚えており、その約束を守るため僕の家に訪ねて来た……ということだ。


「今日は柚乃さんと一緒じゃなかったんですね?」


 武葉さんは、僕から受け取ったスプリングコートをクローゼットに仕舞いながら訊く。そう言えば、武葉さんの服装はパールホワイトのブラウスに薄いピンクのベスト、スカーレットのフレアスカートと、いつもの和服ではない。


 どうやら下着の着用を覚えて、動きやすい洋服も気に入ったらしい。


「ええ、柚乃は友達と一緒に、合格祝いの話し合いをしに行きましたよ」


「良かったですね。これで柚乃さんがお兄さん離れしてくれれば……」


 そう言いながら武葉さんは、4年生で使う新しいテキストを検めている僕の背中から抱き着いて来て、


「……私たちを邪魔するものは、あのことりとかいう女子おなごだけになりますね?」


 耳元でささやかれると恥ずかしいし、くすぐったい。僕は振り返ると、念のため武葉さんの眼をじっと見つめた。


「私は武葉ですよ? 椎葉のように強引に迫ったりいたしませんので、ご安心ください」


 武葉さんが笑って言う。うん、確かに瞳の色が鳶色だから、武葉さんに間違いない。


 彼女には椎葉さんという双子の姉がいて、この方がたまに僕を揶揄からかってくるのだ。瞳の色しか見分ける手段がないので、結構僕は騙されている。


「……そう言えば、椎葉さんがことりさんに、僕にもっと積極的に迫ればいいとか言ったもんですから、あれから当分の間、ことりさんのアプローチがすごかったんです。

椎葉さんにはちゃんと言い聞かせてくださったんでしょうね?」


 僕がテキスト類を机に並べながら訊くと、武葉さんはムスッとしてうなずく。


「はい。たっぷりとお説教をいたしましたが、椎葉のことですから、今頃は『のど元過ぎれば……』ってところかもしれません」


 そして、心配そうに訊く。


「ところで雄瑠さん。柚乃さんは無事合格されたのに、心なしか表情が暗いですね? 何か心配事でもありますか?」


「あ、いいえ。何でもないですよ。別に心配事などありません」


「……そうですか。ところでお昼はいかがいたしますか?」


 そう言われて時計を確認したら、午後の1時を回ったところだった。


「武葉さん、お昼は食べていないのですか?」


「ええ。雄瑠さんが、今日は新年度のオリエンテーションだから午前中に終わると仰っていましたので、雄瑠さんが帰ってから作って差し上げようと待っていたんです」


 さも当然のことのように言う武葉さんだが、僕としては彼女に悪い気がする。


「……お昼、どこかでご一緒しませんか?」


 武葉さんが洋服を着ているのを幸いに、そう誘ってみる。案の定、武葉さんは目を輝かせてうなずいた。


「え? 雄瑠さんから誘っていただけるなんて思ってもいませんでした。どうした風の吹き回しですか?」


「いえ、待たせてしまって悪いですからね。それに武葉さんがせっかく洋服も着ていることですし、たまにはいいかと」


 僕が言うと、武葉さんはクローゼットからベージュ色のカーディガンを取り出し、


「嬉しいです。どこに連れて行ってくださいますか?」


 それを羽織りながら笑って聞いた。



 午後1時過ぎなら行きつけの喫茶店『猫男爵』が開いている。時間的にはお昼の混雑も過ぎ、少し余裕が出ている頃だ。だが、さすがに僕は柚乃やことりさんも知っている場所に武葉さんを連れて行く度胸はなかった。


 結局、少し歩いて駅の近くまで行き、周囲にあったファミレスの一軒に入った。この界隈はファミレスや牛丼屋、ラーメン屋などが林立しており、知り合いに会う確率はかなり低い。それに念のため僕は、窓際の席を避けて着席したのだ、抜かりはない。


「……これが現代の食事処ですか。私は初めて来ましたが、料理にこんなにたくさんの種類があるとは驚きです」


 メニューを見ながら武葉さんが感嘆する。そう言えば、デートらしいデートって今までしたことがなかったな。まあ、柚乃がいたし、武葉さんが和服しか持っていなかったので、なかなか街を歩く機会そのものがなかったということもある。


「武葉さん、洋服は気に入りましたか?」


 僕が聞くと、何を頼もうかメニューとにらめっこしていた武葉さんは、顔を上げて、


「そうですね、動きやすさは洋服の方が勝っています。ただ、スカートはどうしても下半身が冷えますね」


 そう微笑んで言う。


「武葉さんはスタイルがいいから、何を着ても似合うでしょうね。

スカートが心もとないなら、スラックスなんかを穿かれればいいんじゃないかな? 食事の後、買いに行きましょうか?」


 僕がそう提案すると、武葉さんは満面の笑みで答えた。


「雄瑠さんと二人きりでの買い物は初めてですね? 何だか本当の夫婦になった気がします。今日はどうされたんですか? いつもは柚乃さんやことりさんを気にされるのに」


 そう聞かれて、僕は自分の胸に問いかけてみる。『武葉さん、柚乃、ことりさん。三人のうち誰を選ぶか?』と。


 この場合、三人を比較しても意味がない。だって三人はそれぞれ性格も違うし、それぞれにいいところがある。そしてその『いいところ』は、恐らく単純に比較ができないものだからだ。


 だったら、『僕自身の気持ち』を確かめるしかない……僕は光弘から『お前もいい加減腹をくくれ』と言われて、ようやく自分の気持ちに向き合う覚悟ができたようだ。


 今日、武葉さんを誘ったのも、そう言った気持ちが働いたからだろう。人間ではない彼女……僕の初恋の相手で、子どもの時とはいえ結婚の約束までした彼女に対して、果たして僕はどんな気持ちを持っているのだろうか? 『好き』という言葉の奥深くにある感情に、僕は今まで目をつぶって来たけれど、今日はそれを直視するべきなのだ。


(それに、あの問題もあるしな……早く決断しなきゃ……)


「私は幸せです。11年前から、こういうことができる日を心待ちにしていました」


 マカロニグラタンを食べながら武葉さんが笑う。その笑顔は、11年前にあの神社で見た笑顔そのままだった。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


2.お祝い会はハプニング


「お兄ちゃん、今度の金曜日ヒマ?」


 一緒に大学に向かう途中で、柚乃が聞いて来る。僕はスマホを取り出してカレンダーを確認すると、幸いその日は講義すら入っていなかった。


「ああ、一日中空いているな」


「そっか。実はさ、昨日話した柚乃たちの合格祝い、その日にする予定なんだ。場所は『猫男爵』で18時から。マスターに話したら、貸し切りにしてくれたから四人で楽しもう?」


 キラキラした笑顔で柚乃が言う。『猫男爵』は、僕の行きつけの画廊喫茶で、柚乃が働いている場所でもある。マスターには、柚乃が大学を受験するか専門学校に行くか悩んでいた時、かなりお世話になったようだ。


「分かった、空けておくよ」


 ことりさんは『猫男爵』を知っているが、貸し切りなら、ことりさんが話に加わることもないし、同じ理由で武葉さんも遠慮してくれるだろう。僕が柚乃を本当のところどう思っているのかを知るにはいい機会かもしれない。


「そう言えばお兄ちゃんは4年生だよね? 4年生にもなるとあんまり講義を受けなくてもいいんじゃない? それにしては結構大学に行っているね?」


 柚乃が不思議そうに聞いて来る。確かに、週に3コマほどの講義を受ければ、卒業できるだけの単位は取れる見込みだ。だが、うちの大学は1コマごとに受講料が発生するシステムではなく、どれだけ講義を受けても半期の授業料は変わらないシステムだ。


「僕は貧乏性なのか、必須の講義だけでなく自分が興味を持った講義も取っているんだ。

もったいないし、集中して勉強できるのは今のうちだけだからね」


 ……だから4年生にしては大学に通う日数は多い方だと思う。


 僕がそう言うと、柚乃はニコニコ笑いながら、


「お兄ちゃんらしいね? でも柚乃、お兄ちゃんのそんなとこ好きだなぁ」


 そう言って身体を寄せてくる。さすがに腕を組んだりはしないが、それでも普通の男女の距離感と比べたら格段に近い。


 僕は、そういった柚乃をじっと見詰めた。柚乃がこうやって僕に甘えるのも、11年前からちっとも変わっていない。いつだって柚乃は、安心したような笑顔で僕に依りかかって来た。そのたびに僕は、


(妹がいたなら、こんな感じだったのかな?)


 そう思っていた。高校1年生のあの時までは……。


「ん? どうしたのお兄ちゃん?」


 柚乃が不思議そうな顔で僕を見てそう聞く。いつもなら部屋の外だろうと中だろうと、僕は抱き着いて来る柚乃に注意をするのだが、今日はそれがないことを不思議がっている。


「……柚乃は、本当は僕を何て呼びたいんだ?」


 僕が聞くと、柚乃は急に慌てたような声で、


「え!? お、お兄ちゃんは遂に、柚乃を恋人にしてくれるの!?」


 顔を真っ赤にして言う。僕は苦笑して答えた。


「いいや、悪いがその件についてはまだ答えられないんだ。ただ、お前も僕のこと、下の名前で呼び捨てにしたいのかなって思ってね?」


 すると柚乃は、少し寂しそうに言う。


「……うん。本当は『雄瑠』って言いたい。でも、もし柚乃が『雄瑠』って呼んじゃったら、お兄ちゃんが別の人を好きになって、その人がお兄ちゃんにお似合いの人であったとしても、柚乃はお兄ちゃんを諦められなくなりそうだから……」


「……」


 僕は黙って聞いていた。以前の柚乃だったら、喜んで『雄瑠って呼びたい』と答えただろう。

 でも、大学を諦めるかどうか真剣に悩んだ柚乃は、僕が側にいなくなった後の未来について、彼女なりに突き詰めて考えたに違いない。『諦める』という言葉を柚乃から聞いたのは、たぶん初めてだった。


「……そうか。でも僕は、柚乃が恋人にならなくても、いつまでも妹であることには変わりない。それだけは言っておくよ」


 柚乃は、にっこりと笑って答えた。


「えへ♡ 柚乃って武葉さんやことりさんと比べると恵まれてるね。だってお兄ちゃんのお嫁さんになれなくても、少なくとも『家族』であることは保証されているもん」



「そういう訳で、今度の合格お祝い会で、あたしたちは雄瑠さんに告白する……それでいいよね、真子? 覚悟の準備はできてる?」


 大学近くの喫茶店で、茶髪ショートの女の子と、黒髪ロングの女の子が向かい合って座っている。茶髪の女の子は黒髪の子に、覚悟を確認するようにそう尋ねた。


「……そ、それは構いませんけど。もしそれで柚乃ちゃんとの友情が壊れたらどうするつもり、裕理ちゃん?」


 真子が心配そうに聞くと、裕理は胸を張って答えた。


「あたしは、その場で振られようと思うんだ。

どうせ柚乃はあたしたちが雄瑠さんのこと好きだって知っているんだから、お互い変にもやもやを抱えたまま友達面しているより、あっさり振られてさっぱりした気持ちで柚乃と付き合っていきたいもん」


「……わたしは、そんな勇気はないな。そりゃあ、雄瑠さんは柚乃ちゃんを選ぶって分かり切ってるけど、わざわざ柚乃ちゃんの目の前で告白する必要はないと思うけど。

柚乃ちゃんだって、目の前でわたしたちが振られたら、気まずいんじゃない? 同じ告白するなら、別の機会にしない?」


 真子が首をかしげて言う。


「だって、せめて雄瑠さんにはあたしの気持ちを知っていてほしいんだもん!

好きな人に何も言わず、友達の幸せのために黙って身を引くなんて、あたしのキャラに合わないじゃん!?」


 寂しそうに力説する裕理に、真子は静かな微笑を向けて、


「裕理ちゃんはそうかもしれないでしょうけど、柚乃ちゃんの性格から、目の前での告白はやめといた方がいいって思うなぁ。

裕理ちゃんはさ、自分が雄瑠さんのこと好きだったってことを知っておいてほしいのは、雄瑠さんだけじゃないよね? 第三者にも知っておいてほしいんだよね?」


「っつ!……」


「裕理ちゃんはいつもそうだったよね?『証し』が欲しいんだよね?」


 真子が優しく言うと、裕理は目を潤ませて、


「……そうよ。あたしが雄瑠さんのことを好きだった、勇気を出して告白した……そのことの証が欲しいのよ。自分だけが知っていても、あたしがいなくなったら、そのことを覚えている人はいなくなる、雄瑠さん以外には……。あたしがこんなに好きだったっていうことを、誰でもいい、誰かに覚えておいてほしいの」


 そう言うのに、真子は優しく言葉をかけた。


「わたしがいるわ。わたしが覚えておいてあげる。だから、お目出たいお祝い会で柚乃ちゃんが気まずい思いをしないようにしよう?」


 手を握って諭すように言う真子に、裕理はしばらく黙っていたが、やがてうなずいて言った。


「……うん、そうだね。真子の言うとおりかもしれない」


 真子はほっとした表情で首を振る。


「雄瑠さんは素敵な人だけど、わたしたちにももっと素敵な出会いがあるかもしれないじゃない? 大学生活は始まったばかりなんだから、楽しくいきましょうよ?」


「それはそうとして、もし、雄瑠さんがあたしの告白にOKしてくれたらどうしよう?

や、やっぱ、それでも三人の友情は変わらないかな?」


 裕理が言うと、真子はきっぱりと答えた。


「え? 決まってるじゃないですか。そこで友情は終わりですよ?」


「えっ、なんでぇ!? あたしはちゃんと真子も柚乃も大事にするのに?」


 慌てる裕理に、真子は薄く笑って言った。


「ふふ、冗談ですよ? もしわたしが選ばれても、裕理ちゃんや柚乃ちゃんはずっと大事な友達ですよ?」


「いや、そんな悪い笑顔で言われても、イマイチ信用ならないんですけど!?」


「ふふ、裕理ちゃんったら、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ? わたしは彼氏ができなくても、百合ちゃんがいればそれでいいんですから♡」


「いや、あたしは裕理だよ!? 百合って誰!? それとも真子ってあのその……」


 あたふたする裕理に、真子は薄笑いと共に言った。


「あら、わたしが百合も好物なこと、話してませんでしたっけ?」



 金曜日、午後6時から始まった柚乃たちの『お祝い会』は、異様な雰囲気だった。


 約束どおり『猫男爵』を訪れた僕を、柚乃たち三人は喜んで迎えてくれたが、僕に続いて入って来た人を見てキョトンとする。


「……あの、お兄ちゃん?」


「な、なんだい?」


 柚乃が目のハイライトを消して僕に詰め寄って来る。うん、妹よ、君が何を聞きたいかは、よーく分かっているよ。


 柚乃は、僕の後ろに立っている()()()()()を指さすと、ムッとした顔で言った。


「なんでこの人が柚乃たちのお祝い会に来てるのよ!?」


「あら、だって柚乃さんたちの大学合格のお祝いなんでしょう? 雄瑠さんの恋人としては、義妹いもうとちゃんを祝うのは当たり前ですよ?

柚乃さん、柚乃さんの御友人方、合格おめでとうございます。これ、わたくしからの心ばかりのお祝いです」


 ことりさんはそう言うと、持ってきた紙袋からプレゼントを取り出し、柚乃たちに一つずつ手渡す。裕理さんと真子さんは面食らいながらも、


「あ、どうも……」

「ありがとうございます」


 そう言って受け取っている。


『どうするのお兄ちゃん。柚乃たちマスターには四人分しか料理なんかも頼んでいないけれど?(ひそひそ)』


『いや、それがさ。ことりさんがマスターに連絡を入れて、自分やマスター、それに朝美さんや夏鈴さんの分まで追加オーダーして、おまけに料金まで払っちゃってるんだよ。

だから今さらついて来なくていいとは言えなかったんだ(ひそひそ)』


 僕と柚乃がひそひそ話をしていると、ことりさんがやって来て、


「はい、わたくしの義妹いもうとちゃん。合格おめでとう♪」


 そう言いながら柚乃にプレゼントを渡し、僕の方を見て、


「それにしても雄瑠さん、水臭いですわ。柚乃さんのお祝いなんだったら、わたくしにも声をかけてくださってもいいじゃありませんか?

いえ、むしろ声をかけていただきたかったです。愛実つぐみメイド長から話を聞かなければ、何も知らないところでしたもの」


 そう言って可愛らしく頬を膨らませる。


「え、愛実さんが!? いったいどうしてお祝い会のことを?」


 これがお金持ちが持つ情報網とか調査能力とかいうものだろうか? それにしても、僕をピンポイントで観察し、なんなら尾行か盗聴でもしないと分かりようがないはずだが……う~ん、そうだったとしたらすごーく怖ぁい。


 僕の問いに、ことりさんはこともなげに答えた。


「メイド長は妹さんから聞いたそうです。メイド長の妹さんの友だちが、この店でアルバイトしているということですし」


 ……メイド長は中ノ森愛実さんという。その妹さんは中ノ森春香さんで、その友達といったら夏鈴さんだ。うーん、世間って広いようで狭いなぁ……。


「それよりも、マスターが心を込めて料理に腕を揮ってくれていますから、早くお祝い会を始めませんか? 柚乃さんも、今日の主役なんだから、早く席に着いてください」


 あれ、なぜかことりさんがこの場を仕切っているぞ? まあ、この会のスポンサーはことりさんなんだから、彼女に任せるのが自然な流れなのかな?


 フリーランスで仕事をしている者の悲しき習性か、僕は『スポンサー』や『案件』という言葉に弱いのである。とほほ……。


 だが、そんな思いも、夏鈴さんや朝美さんが運んできた料理を見ると、どこかへ飛んで行ってしまい、僕たちは『お祝い会』を楽しく過ごしたのだった。


 そう、僕は忘れていた、この後に起こるであろう出来事のことを……。



「じゃ、お兄ちゃんお休み~。今日は楽しかったよ。ことりさんにも、プレゼントありがとうって伝えておいてね?」


 そう言いながら、ことりさんからプレゼントされたネックレスを見せびらかすようにする。さすがはお嬢様のことりさんだ、柚乃の誕生石が嵌ったオーダーメイドだった。


「お休みなさい、お兄ちゃん♡」

「ああ、お休み柚乃」


 僕と一緒に帰宅した柚乃は、玄関先でそう言って自分の部屋に帰った。


 柚乃がドアを閉めると、僕は小さくため息をつく。武葉さんは、当然のように柚乃たちのお祝い会に参加したいと言っていたのだが、僕はそれを


『柚乃と二人きりじゃないんだ。柚乃の友だちも一緒にいるし、本当に三人の好意で呼ばれているだけだから。

それにことりさんだって呼ばれていないから、武葉さんが気にするようなことは起こりようがないさ」


 そう言って説得し、


『……まぁ、雄瑠さんの言い分は分かります。親友さんたちが勉強を教わった雄瑠さんを感謝の念を表すために招待するのは筋が通っていますし。


でも、親友さんたちも雄瑠さんのことが好きなんですよ? 私としては、オオカミに食べられたがっている仔羊たちの許へ、気の優しいオオカミを送り込むような気持ちであることを分かってくださいませ」


 渋々ながら武葉さんは了解してくれたのだ。


(……ああは言ったけれど、まさかことりさんがお祝い会の実質的なスポンサーになっちゃってるんだもんなぁ。女神である武葉さんのことだから、ことりさんが参加したことを知らないはずはないし……)


 僕は何と言い訳しようか考えながらドアを開ける。いつもどおり、武葉さんは玄関で僕を迎えてくれた。


「おかえりなさいませ。あら、お酒を飲まれてはいないのですか?」


 コートを受け取りながら武葉さんは意外そうな顔をする。


「お祝いって言っても、柚乃たちはまだ二十歳になってはいませんから。だからアルコール抜きだったんですよ」


 僕がそう答えると、武葉さんは何気ない風で聞いてきた。


「でも、ことりさんがいらっしゃったのでは?」


「ああ、彼女はアルコールが苦手で、酔っぱらったら泣いたり絡んだり、暴れたりするそう……はっ!」


 そこまで言って、僕は武葉さんからうまく口を割らされたことを意識する。


「……ふぅ~ん。お出かけ前に雄瑠さんは、『ことりさんも呼ばれていない』って仰っていませんでしたっけ?」


 殺気を感じて振り向いた僕に、武葉さんは静かな嫉妬を込めた笑顔で言う。


 ちなみに、こんな時の恋人の顔が一番怖い……と僕は思うし、世の男性の7割は僕の意見に同意してくれるんじゃないかなと思う。


「えと、あの……」


 キョドっている僕に、武葉さんは


「雄瑠さん、話を聞かせていただきますね?」


 そう言って、僕をソファに座らせた。口は禍の元だなぁ……え、僕がドジなだけ?


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


3.優しい嘘が吐けたなら


 4年生にもなると、卒業後のことを嫌でも考えないといけなくなる。ほんの一部の進学組を除けば、ほぼ全員が社会に出て働くことになるのだが、そのうちの何割かは、3年生の時にはすでに、どこかしらの就職先にアプローチをしているみたいだった。


「就職活動って大変みたいだねぇ? ボクはさぁ、受けるだけなら親父の会社をいくつか受けられるし、留年するとかよっぽど情けない成績を取るとかでなければ、どっかのグループ子会社に入れるだろうけどさ。


そんなコネのない奴らは、地元に戻るか、地道に就職活動をするか、公務員を目指して勉強するかしているんじゃないかな?」


 学食でチャーハン定食を食べながら光弘が言うと、


「光弘もことりもいいよね~、実家が太いからさぁ。あたしなんか、ようやく姉さんの伝手で法律事務所から事務員で声をかけてもらったよ」


 中ノ森春香(なかのもり・はるか)さんが、げっそりした顔で言う。


「いえ、わたくしだって研究室に入れるかは試験次第ってところですし……」


 ことりさんがサンドイッチを食べながら言うと、春香さんが、


「ことりは院に残れなかったらどうするのさ? 実家の企業に就職?」


 そう聞くと、ことりさんは首をかしげて、


「う~ん、そうですねぇ。わたくしのお父様が持っている会社の中で、研究職で入れるところは限られていますからねぇ。

少ないパイをわたくしが奪うより、より優秀な研究者を採った方がいいと思います。わたくしの場合、雄瑠さんに永久就職するって道もありますし。ポッ♡」


 いかん、ことりさんが熱い視線を向けてきている。何とか話題を逸らさないと。


「そう言えば、雄瑠は卒業後どうするんだ?」


 そんな僕に、光弘が助け舟を出してくれた。さすがは親友だぜ……僕は彼に感謝しながら答える。ことりさんがあからさまに不機嫌な顔をしているが、許してほしい。


「ああ、僕はとにかく社会福祉士の資格を取らないとね。柚乃の大学合格を施設に報告しに行ったら、施設長先生が、僕と柚乃を卒業後に雇い入れてくれるって約束をしてくださったんだ」


「良かったじゃないですか。雄瑠さんと同じところに就職できるのなら、柚乃さんも寂しくはないでしょうし、雄瑠さんだって安心でしょうしね?」


 ムッとしていたことりさんは、皮肉たっぷりにそう言う。光弘は一瞬変な顔でことりさんを見たが、すぐに笑って、


「確かに、柚乃ちゃんはずーっと雄瑠の後を歩いてきたからな。となると、ボクたち四人は今のところ将来は安泰ってことでいいかな?」


 そう言うと、トレイを持って立ち上がりながら、


「さて、ボクは3限の講義に行くよ。また時間が合えば、四人でこうやって昼飯を食べようや」


 そう言い残すと、返却口に歩いていく。


「あ、待って光弘。あたしも行くから」


 ことりさんの態度に違和感を覚えた春香さんも、慌てて席を立って光弘を追いかけて行った。



 残されたのは僕とことりさんだけだ。僕は黙ってことりさんの顔を見る。


 ことりさんは明らかに不機嫌だった。ただそれは、自分の『永久就職』という言葉に僕が反応しなかったことに対する怒りだけではなく、なにか哀しさや寂しさ、そして嫉妬めいた感情が感じられる表情だった。


 僕が何も言い出せないでいると、ことりさんが僕の隣に席を替えて聞いて来る。


「雄瑠さん、柚乃さんのことについて、わたくしに何か話さなきゃいけないことがありますよね?」


「え? 柚乃のことについて? お祝い会のことなら前回謝ったよね?」


 僕がそう言うと、ことりさんは柳眉を逆立てて、厳しい視線を向けて来た。


「……お分かりになっていないみたいですね? では質問を変えます。

柚乃さんのことについて、わたくしに嘘をついている、または秘密にしていることがございますよね?」


 そう言われてハッとした。柚乃の本名は斎藤柚乃で甘羽姓ではない。ことりさんは柚乃が僕のことを『お兄ちゃん』と呼んでいるのを聞いて、勝手に妹だと誤解したが、考えてみたら柚乃は一度もことりさんに対して自己紹介をしていない。


「この間のお祝い会で、柚乃さんが斎藤柚乃という名であることを知りました。

その時は、雄瑠さんと柚乃さんの仲の良さから、実の兄妹ではあるがご両親の離婚か何かで苗字が違っているのかと思いました……」


 思い詰めたようなことりさんの顔に、僕は何も言えなくなってしまう。


 実は、今までも柚乃の苗字について疑問を呈された時は、


『両親の離婚で離れ離れに引き取られていたから』


 と説明していた。だが、ことりさんの様子を見ると、本当の事情をすべて知っていると思われる。下手な言い訳をしない方がいい……ぼくはそう、覚悟を決めていた。


「でもやはり気になって、失礼ですが戸籍を調べさせていただきました。

それで、雄瑠さんと柚乃さんは、血のつながりも何もない、義兄妹の関係ですらない、ただの男女だと判りました。


雄瑠さん、正直にお答えください。なぜ柚乃さんは雄瑠さんを『お兄ちゃん』と呼んでいるのでしょうか? なぜ、雄瑠さんはそう呼ばせているのでしょうか?

そして、お二人の間には……いえ、雄瑠さんには柚乃さんに対する恋愛感情はあるのでしょうか?」


 ことりさんの顔は緊張で真っ白になっている。『美人が眦を決すると凄絶な美しさになる』とは、他ならぬことりさんの著作に書いてあったセリフだが、その時のことりさんはそのセリフを自ら証明していた。


 僕は目をつぶり、一つ大きく深呼吸して目を開ける。そしてことりさんを真っ直ぐ見つめて言った。


「まず、黙っていたことを謝ります。でも、君を騙すつもりはなかったし、いつまでも黙っているつもりもなかった。それは信じてほしい」


 ことりさんは黙ってうなずく。僕は柚乃との出会いや、仲良くなった……というよりも柚乃が僕に依存し始めたきっかけを残らず話した。ことりさんは衝撃を受けたような顔で、黙って聞いてくれたが、


「そのような経緯があるのでしたら、柚乃さんが雄瑠さんにあれほど親密な態度を取るのは分かりますし、そんな柚乃さんの将来まで抱え込んだ雄瑠さんには頭が下がります」


 そう、僕と柚乃の現状について理解を示してくれた。


「ですが問題は、今までの話を聞くと、柚乃さんは明らかに雄瑠さんを男性として好きになっているということです。それも、結構前から。

それに対する雄瑠さんの気持ちは、『保護者』としての親愛の情だけ……そう信じていいのでしょうか?」


 すがるようなことりさんの視線を感じながら、僕は目を閉じて答えた。


「最初は単にかわいい妹という認識でした。でも、僕が高校1年の時に、柚乃が告白してくれたんです。それからは、どこか柚乃を女の子として意識していることは否定しません」


「……その時に雄瑠さんは、柚乃さんを受け入れなかったんですか?」


 ことりさんの声が震えている。無理もない、僕の話をまともに聞いたら、僕は柚乃の気持ちを6年も前に知っていたことになる。


 それから導き出される答えは、『柚乃のことを恋愛対象としては見ていない』か『柚乃に恋愛感情を抱いているが、柚乃の年齢から自重していた』か『すでに恋人同士になっている』ぐらいなものだろう。


「……その時柚乃を受け入れていたら、柚乃は僕から離れられなくなったと思います。柚乃とは、依存し合う関係になりたくはなかったんです。

だから、彼女が成人するまでは僕が兄代わりとして保護者になる。成人しても僕に依存するようなら、僕はあくまでも保護者であり続ける……柚乃にはその時、そう答えました」


「……では、今も柚乃さんに対して恋愛感情はないのですか?」


 ことりさんの声が少ししっかりしてきた。今までの説明で、僕が柚乃に手を出していないことは信じてもらえたようだ。


「柚乃とどうなるかは僕も判りませんが、少なくとも今は『妹』で、僕が誰かを好きになったとしても『妹』であり続けるでしょうね。彼女には、僕のほかには頼れる家族がいないので」


 僕がそう答えて目を開けると、ことりさんは笑っていた。それは優しさと、切なさと、そして哀しみが混じっているような不思議な微笑だった。


「……言い難いことまで答えていただいて感謝します。わたくしもちょっと感情を整理したいので、今日はこれで家に帰ります」


 ことりさんはそう言って立ち上がると、


「嘘偽りのない方なのですね、雄瑠さんは。もっと優しい噓を吐けるお方なら、わたくしもこんなに切ない思いをしないで済んだのに……」


 そう言って、足早に歩き去った。



「……優しい嘘、か……」


 その夜、夕飯後に柚乃が部屋に戻った後、僕は居間のソファに寝転がりながらそうつぶやいた。イラストレーターとしての仕事で行き詰った時や、何か考え事をして眠れなくなった時、僕はよくこうしてソファに横になる。


「悩み事ですか?」


 寝室のドアが開き、パジャマ姿の武葉さんが居間に入って来た。洋服の快適さを覚えた武葉さんは、寝る時の装いもそれまでの和服の寝間着からパジャマに代わっている。


「えっ? まあ、ちょっと」


 僕は起き上がって武葉さんが座るスペースを開けると、彼女は僕の顔を見た後キッチンに行き、お酒と銚子、そしてお猪口を二つ持ってきて僕の隣に腰かけた。


「眠れない時は、私とお酒でも飲みながら話をしませんか?」


 そう言ってお猪口に酒を注ぐ。はて、こんなお酒、僕の家にあっただろうか?


「酒造の神からお分けいただいたものです。悪酔いはしないお酒ですので、安心してお飲みくださいませ」


「……前後不覚に酔わせて、既成事実を作ろうなんてことは考えていませんよね?」


 お猪口を取り上げた時、ふと気が付いてそう聞くと、武葉さんはくすくす笑いながら、


「いいえ。私は椎葉つちはじゃありませんので、そんな騙し討ちのような真似は致しません。私は雄瑠さんが素面の時、二人の合意の下、愛情あふれる夜の営みをしていただくのが望みです」


 そう言うと、


「何かつまむものを準備いたしましょう。雄瑠さんの顔を拝見するに、どうやら長いお話になりそうですからね」


 そう言って、再びキッチンに行くと、何かを作り始めた。


 やがて、武葉さんは幾品かつまみを作ると、ローテーブルに並べ、僕の隣に腰かけてお酌を始める。


「……近頃おかしいですよ、雄瑠さん。春だというのに、何か思いつめた顔をして。

何がそんなに雄瑠さんの心を悩ませているのですか? 私でよければお話をお聞きしますよ、私、こう見えて相槌を打つのは得意なんですから」


「あ、本当に話を聞くだけなんですね?」


 僕は拍子抜けして、お猪口のお酒を少し舐める。豊潤で、まろやかで、そして少し甘い……すごく上等なお酒だった。


「うふふ、『聞き上手』と言っていただけませんか? それとも、雄瑠さんの悩みを私が口にしてもいいですか?」


「えっ?」


 僕はお猪口を下に置いて武葉さんの顔を見る。そう言えば武葉さんは神社の祭神、僕の行動や考えていることはすぐ分かるのだということに思い至った。


「……言いにくいなら、私が代わりに口にしてもいいのですが、悩みというものは本人が話さないと心は軽くなりませんので。

それに、私としては、雄瑠さん本人から聞きたい悩みでもありますし……」


 困ったような顔で僕を見ている武葉さんは、僕の表情を見て続けた。


「私は神です。氏子の憂いを共に憂うのは当然。それが大事な人ならさらに当然です。

ですから志鳥武葉としてでなく、あなたの氏神である武羽槌命として、雄瑠さんの話をお聞きしますよ?」


「武葉さん……」


 すると武葉さんは、僕の頭を胸に抱え込んで、髪を撫でながら言ってくれた。


「雄瑠さんは強い人です。でも、幼い時から一人で生きて来て、なまじ何でもできるから人を頼れなくなってしまったんですね?

でも、たまには力を抜いて、私を頼ってください。あなたが柚乃さんを支え、守ってきたように、私もあなたを支え、守りたいのです」


(……『ひとりで生きて来て、人を頼れなくなった』……か。そうかもしれない。でも、僕は何者かになりたかった。自分や柚乃を守るために……)


 武葉さんの胸の中でそう考えている僕に、彼女ははっとすることを言った。


「……雄瑠さんはもう、何者かになっているじゃありませんか。『KANNU』とは、あなたの目指した姿なのではないんですか?」


「……そうですね……そうでした」


 僕がそう言うと、武葉さんは僕を撫でるのを止め、ゆっくりと僕を引き離した。


「……いいお顔していますね? 結論は出ていなくても、少なくとも今は何をすればいいのか、分かったみたいですね?」


 少し寂しげに微笑む武葉さんは、今まで見た中で一番美しく見えた。


 僕もつられて微笑みながら、


「……はい、武葉さんのおかげ……むっ!?」


 お礼を言おうとしたとき、僕のくちびるは武葉さんのくちびるでふさがれていた。目の前には、物理的に最も近い場所に武葉さんの顔がある。


 目を閉じて、耳まで真っ赤にした武葉さんは、僕の背中に手を回し、しっかりと僕に抱き着いてきた。


 ……長い時間が過ぎたかと思われた。僕の心臓がドキドキに堪えられなくなる寸前、武葉さんは僕からすっと離れ、赤面したまま笑って言った。


「……は、初めてですから勝手が分からなくて……。い、嫌じゃありませんでしたか?」


「……いえ。僕こそ、武葉さんに心配おかけして……」


 『すみません』と言おうとした唇が、武葉さんの人差し指で止められる。


「あなたは一人じゃないんです。友達がいて、仕事仲間であることりさんがいて、守って来た家族である柚乃さんがいて、そして私もいます。

人に助けられたと思ったら、『すみません』ではなく、『ありがとう』と言ってください」


「はい、すみません……あっ……」


 そう言った後、呆れたように微笑む武葉さんに、改めて


「あ、ありがとうございました。三人への僕自身の気持ち、もっとよく突き詰めてみます」


 そう言うと、武葉さんはうなずいて言った。


「ええ、そうしてください。柚乃さんやことりさんに、ちゃんと答えられるように」


「武葉さんには、答えなくていいんですか?」


 僕が不思議に思って聞くと、彼女はにこりと笑って


「あら、今答えられるんでしたら、今お聞きしてもいいんですよ? でも、ファーストキスの補正がかかっていると思いますけど?」


「うっ……」


 つい今しがたの出来事を思い出して赤面する僕に、武葉さんはニコニコ笑って言った。


「お顔が赤いですよ。もう酔いが回ったんですか? だったら、ゆっくりお眠りください」


 僕は武葉さんに勧められるままに、もう1杯だけお酒を口にして寝室へ向かった。


 寝る前に僕は、もう一つの問題について武葉さんにお願いをすることにした。


「……武葉さん、ちょっとお願いがあるんですが」


「お願い? 何でしょう?」


「実は、僕の実家を人が住めるように掃除したいんです。手伝っていただけますか?」


 僕がそう頼むと、武葉さんは何故か一瞬寂しそうな顔をしたが、


「わ、分かりました。一度雄瑠さんの御実家には行ってみたかったんです」


 そう言って微笑する。僕はやっと一つ物事が解決するという安堵感から、


「ありがとうございます。助かります。お休みなさい、武葉さん」


 そう言って眠りについた。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


4.誰もいない実家(前編)


 それからしばらくして、僕は春の大型連休を利用して、僕が生まれた町、K県H市に向かっていた。僕がこの春先から思い悩んでいたことに、一応の決着を付けるためでもあるが、武葉さんから『雄瑠さんの御実家を拝見したい』という要望が出たからでもある。


 この町は、大きな河川に沿って街並みが続く、山間の市である。僕はこの町で生まれ、両親の事故死をきっかけに、県庁所在地にある児童養護施設に入所した、というわけだ。


 同じ県庁所在地にある大学に通っているが、施設は北側で大学は市の中央より……ということで、柚乃は高校生の時は、バスで30分以上かけて僕の下宿に遊びに来ていた。だから僕は、そんな柚乃を施設に送り届けるため運転免許を取得していた。


 『KANNU』としての収入があったため、すぐに軽自動車を購入した僕は、それから柚乃を毎日送り迎えしていたので、結構運転は好きな方だと思う。


「お兄ちゃんの運転でお出かけは久しぶりで嬉しいんだけどぉ~、なんでことりさんが助手席?」


 僕の後ろの席から、柚乃が身を乗り出してきて、助手席に座ることりさんを睨む。


 ことりさんは涼しい顔で、


「あら、じゃんけんで勝ったからでしょう? それにしても、山の中にはまだこんなに桜が残っているんですねぇ。雄瑠さんの故郷でお花見って言うのもいいですね♡」


 そう言って、窓の外を眺めている。


「そう言えば、武葉さんはどうして来ないの? あの人、お兄ちゃんが行くところならどこにでもついて行くような気がするのに、居残りするなんて珍しいね」


 柚乃がそう言うと、ことりさんがこっちを向いて、


「え!? お義姉ねえさまも来ていただける予定だったんですか?」


 キラキラした目で言う。まあ、武葉さんに扮した椎葉さんから、僕に迫って既成事実を作っていいと焚きつけられたことりさんが、武葉さんを慕うのも分かるけれど、


「……僕の戸籍を調べたんなら、僕に姉がいないってことも知っているんじゃないの?」


「はっ、そうでした! じゃ、じゃああの女性は誰なんですか!? 雄瑠さんと腕を組んで、すっごく親しそうでしたけれど?」


 僕の指摘に、ことりさんが我に返ったように聞いて来る。


 僕の代わりに、柚乃が武葉さんのことを簡単に説明した。


「……信じられないかもだけど、お兄ちゃんが小学5年生の時に結婚の約束をした女神様だって」


 柚乃の説明に、ことりさんは頭の上に大量の『?』マークを浮かべて聞き返す。まぁ、これだけ聞いて経緯を理解できる人はそうはいないだろう。でも、突き詰めればそういうことだよな……と僕は思った。


「……ホワッツ????」


 ことりさんの反応は、予想どおりだった。


「だから、神社の神様なんだって。お兄ちゃんが神社を掃除したから助かったとか何とか言って、お兄ちゃんに関係を迫っている女なの!」


「いや、言い方。それに迫って来たのは武葉さんじゃなくて椎葉さんだから」


「Do、You、KOTO?」


「いや、英語みたいに言わないで、ちゃんと『どーゆ-こと?』って言えばいいじゃん。

お兄ちゃん、説明してあげて!」


 匙を投げた柚乃に代わって、僕が11年前のことから武葉さんがうちに来るまでのことを説明した。ついでに、ことりさんに僕へのアプローチをけしかけたのが双子の姉の椎葉さんだってことも。


 話を聞き終わったことりさんは、最初困惑していた様子だったが、根が聡明なことりさんだけに、僕や柚乃が言っていることが現実に起こったことだと納得したようだった。


「えっと……つまり、雄瑠さんが消滅から救った女神様たちが、結婚の約束を履行するために押しかけ女房としてやって来て、その姉に当たる女神様から関係を迫られている……って理解でいいかしら?」


「う~ん、微妙にズレているところはあるけれど、おおむねそんな理解でいいと思う。

ちなみに結婚の約束をしたのは、妹の武葉さんとだけだ」


 ことりさんにそう言うと、彼女は腕を組んでジト目で僕を見て、


「妹……ほんと、雄瑠さんって妹属性の女に弱いんですのね。私にもお兄様がいれば、雄瑠さんがもっとのめり込んでくれたのでしょうか?」


 そう言う。これは聞き捨てならない、まるで僕がシスコンみたいじゃないか。


「いや、今だってのめり込んでいるわけじゃないからね!? それに僕、別にシスコンじゃないから!」


 僕がそう弁明すると、ことりさんは両手を口の前に当てて、


「えっ!? シスコンじゃないのにあれだけ柚乃さんと親し気にできるなんて……じゃあ、雄瑠さんは柚乃さんを愛しているんですか!?」


 そう、ショックを受けたように言うと、柚乃が調子に乗った。


「そうそう♡ お兄ちゃんは柚乃一筋でーす♡ だからことりさん、悪いけどお兄ちゃんのことは諦めてね?」


 するとことりさんは、急にスンとして、


「いえ、そう言えば雄瑠さんは最初に言っていました。自分はシスコンじゃないと。

つまり、柚乃さん、あなたが重度のブラコンなんです。騙されませんよ」


 そう言う。二人の仲が険悪になりかけたので、僕は運転者の特権を利用してパーキングエリアに自動車を停めた。



 どうやら二人は、僕がエンジンを止めるたびに助手席を賭けてじゃんけん勝負をすることにしていたらしい。僕がトイレを済ませ、ジュースを買って戻ってきたら、助手席には柚乃が座っていた。


「あれ、今度は柚乃が助手席か?」


 僕が聞くと、柚乃は得意そうに薄い胸を張り、ことりさんに言う。


「えっへん、じゃんけんで勝ったもんね~。ことりさん、文句ないよね?」


「仕方ありませんわ。次以降全勝すればいいだけですもの」


 むすっとしていることりさんに、僕は後ろに積んでいた座布団と毛布を取り出し、


「この車、オフロード車仕様だから、後部座席の乗り心地はそんなに良くないんだ。

これを敷いて座るといい。少しはマシだと思うから」


 するとことりさんはパアッと笑顔になり、


「ありがとうございます。柚乃さんと扱いが違うなんて、やっぱり雄瑠さんはわたくしのことを愛してくださってるんですね!?」


 そう言いながら座布団などを受け取る。


「はぁっ!? お兄ちゃん、なんでことりさんにだけ優しいのよ!?」


 噛みついて来る柚乃に、僕は優しく説明する。


「柚乃、考えてみろ。ことりさんはいつもリムジンに乗ってるんだぞ? 僕の車は乗り心地が半端なく悪いはずだ。慣れない自動車に乗って具合が悪くなっても可哀想だろ?」


「むぅ~。なんっかモヤモヤするけど、乗り物酔いがキツイことは分かるから仕方ないなぁ。よかったね、ことりさん、お兄ちゃんが優しくて」


 柚乃がそう言うと、ことりさんはうなずいて、


「ええ。柚乃さんがうらやましい、こんな優しいお兄さんがいて。好きになるのも解るわ」


 そう言うと、柚乃は何か言おうとして言葉をぐっと飲み込んだ。きっと、ことりさんが少し寂しそうにしていたからだろう。


「ことりさん、柚乃、飲み物はこれでいいかい?」


 僕は運転席に乗り込むと、二人に飲み物を差し出す。


「ありがとうございます。春とはいえ山の方は冷えますね。ちょうど温かいものが欲しかったんです。わたくしの好みを覚えていてくださって、わたくしは感動しています」


「そうだね。柚乃にはホットココア、ことりさんにはミルクティーか。女の子の好みを覚えているなんて、お兄ちゃんって思ったよりマメなんだね」


 二人はそう言って飲み物を受け取った。


 それからはH市付近のインターを降り、自動車は僕が昔住んでいた場所に着いた。


「長時間の乗車、疲れたろう? まずは何か昼食でも食べるか?」


 僕は目についた定食屋に自動車を停めると、二人に問いかける。柚乃もことりさんもうなずいて車を降りた。はてさて、また席を賭けたじゃんけんをするのだろうか?


 すると、ことりさんが意外なことを言い出した。


「雄瑠さんの御実家までは、柚乃さんが助手席でいいですよ」


 すると柚乃は、目を丸くして聞く。


「えっ? どういうこと?『自動車を降りるたびにじゃんけんで助手席に誰が座るかを決める』って言いだしたのはことりさんだよ?」


「わたくしが助手席に座っていた時間は約1時間。柚乃さんはまだ35分だから、フェアじゃないと思うの。ですから、御実家までくらいは柚乃さんにお譲りします」


 ことりさんがそう答えると、柚乃は目をキラキラさせて、


「ことりさん、実はいい人だったんだね!? ありがとう」


 そう言いながらことりさんに抱き着く。僕は二人の微笑ましい光景を見て、定食店の暖簾をくぐった。



 僕の実家は、H市の市街地から少し離れた新興住宅地にあった。もちろん、両親が亡くなって児童養護施設に入ってからはあまり帰ってきたことはない。


 僕の両親には係累がなく、家や土地は僕が相続人になっていた。幼かった僕のために施設長先生が弁護士さんを紹介してくれたので、不動産の管理はその方に任せていた。


 僕が施設に入所後、この家に最初に帰って来たのは、高校に入学した時だった。

 当時11年ぶりに見る自宅は、何となくくすんで見えた。


 だが、ちゃんと草刈りや最低限の保守はされていたので、柱や壁、床や屋根には異常はなかった。家の中もしっかり片付けられ、侵入者に対する防犯対策までしてあったため、割られた窓ガラスもなく、落書き一つなかった。


「君が戻って来るという可能性があるので、住むのに支障がないようにはしているよ。君が成人して、自分で管理できるようになるまで、責任持って管理しておくからね」


 その時、弁護士の先生が言った言葉どおり、それからさらに6年が経った今も、自宅はしっかりとしていた。


 僕は駐車スペースに車を停めると、車外に出る。5歳までしか住んでいないので、あまり懐かしいという感じはしないが、父と母が建てて、僕を慈しんでくれた場所だと思うと、それなりに愛着はある。


 それに、柚乃に告白された後、一時期は退所後、僕が一人前になったら二人でここに住むことも真剣に考えたこともある。柚乃にはそんなこと話さなかったけれど。


「ここがお兄ちゃんの育った家なんだね。想像していたより大きい……」


「20年近く誰も住んでいない割には、すごくしっかりしていますね。きっと保守管理がきちんとしているんでしょうね」


 柚乃とことりさんが車から降りて僕の横に立ち、そうつぶやく。


 その時、ドアが開いて、武葉さんが顔を出した。


「皆さん、無事に着かれましたね。雄瑠さん、お掃除は終わっていますよ」


 武葉さんはパールホワイトのブラウスに薄いピンクのベスト、スカーレットのフレアスカートという服装だった。


「え? 武葉さんは先に来ていたの? 武葉さん、柚乃たちが出発した時には、まだお兄ちゃんの部屋を掃除していたじゃない」


 柚乃が言うので、僕はうなずいて答えた。


「何か大事な話があるらしい。ここで話したいというのが武葉さんの希望だったんだ。

そして、柚乃やことりさんにも同席してほしいと言われたんだ」


「……わたくしたちまで招いて、どんなお話があるのでしょう?」


 ことりさんがそう疑問を口にするが、僕もそれは分からない。ただ、僕に


『大事な話がございます。できれば柚乃さんたちも含めて、雄瑠さんの御実家で話をしたいのですが?』


 そう言ってきた時の彼女の表情は、いつもと変わらぬ穏やかで優しい顔だった。


「僕にも分からない。とにかく、家に入ろうか」


 僕はそう言って、武葉さんが待つ家へと足を踏み入れた。16歳で帰宅して以来のことだった。


「……中もすごく綺麗……でも電気は止めてあるみたいですね」


 玄関ライトのスイッチを押して、ことりさんがそう言う。


 そして彼女が言ったように、家の中にはチリ一つ落ちていない。埃もまったく溜まっていない。武葉さんがすっかり掃除をしてくれたのだろう。


 しかし、僕たちより後に家を出た武葉さんが、電気や水道を止めているこの家をどうやってここまで綺麗に掃除することができたのか、まったく分からない。


 そのことに疑問を持ったのはことりさんだった。彼女は僕の袖を引いて聞いてきた。


「雄瑠さん、武葉さんはわたくしたちより後に出発されたんですよね?」


「うん。さっき柚乃が言ったとおり、僕が家を出る時、武葉さんはまだ部屋を掃除していたね」


「電気も水道も止めているんでしょう、この家。ここまでどうやって来たのかもそうですが、どうやってこんなに綺麗に掃除ができたのでしょう? 雄瑠さんが言うとおり、武葉さんは女神様なんでしょうか? でないと説明が付かないですね」


「……こういうことが度々あったから、僕は武葉さんが女神様だって信じざるを得なかったんだ」


 そう話していると、居間から


「雄瑠さん、早くおいでください」


 そんな武葉さんの声がする。僕は


「分かりました」


 そう答えて、居間のふすまを開けた。どっしりとした長机が中央に置かれ、その片方に武葉さんが正座していた。


「……皆さん、お座りください」


 僕は言われたとおり武葉さんの向かい側に座る。柚乃とことりさんは僕の両側に座った。


「武葉さん、こんなに綺麗にしていただいてありがとうございます」


 僕は話の前にお礼を言った。何となく今言わなければ、お礼を言う機会が無くなるような気がしたのだ。


 武葉さんは薄く笑って首を横に振り、


「たいしたことではありません。やがては雄瑠さんも我が神社の氏子から外れ、この地の氏神の加護を受けられるようになるのでしょうから。

私がして差し上げられることは、今のうちにして差し上げたいのです」


 そう言う。僕はその意味を悟って、武葉さんに確認するため聞いた。


「ちょっと待ってください。それはどういう意味ですか? 僕の側からいなくなるとでもいうんですか?」


 すると武葉さんは、悲しそうな微笑を浮かべて答える。


「私は雄瑠さんをお守りすることができなくなる……という意味です」


   【デレ神様と修羅場と僕6:春は別れの季節(前編)終わり】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

柚乃ちゃんは無事に大学に合格したようで何よりです。

しかし、柚乃ちゃんと雄瑠くんの関係について、ことりさんが真実を知ってしまいました。

それに武葉さんからの突然の『守れなくなった』宣言と、今回は予想外の展開になりつつあります。

さて、どうなることやら、ですね。

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