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デレ神様と修羅場と僕  作者: シベリウスP
第1期:夢+君=幸せ(You Make Me Happy)
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Portrait5:柚乃の夢とアルバイト

高3の柚乃は、進路に迷っていた。雄瑠と同じ大学に通いたいが、模試の結果が思わしくなかった柚乃は一念発起するが……。

1.進路の悩み


 わたしは斎藤柚乃さいとう・ゆずの、高校3年生だ。今、大きな悩みを抱えている。

 そう、進路の問題だ。


「はああああ~っ」


 学校からの帰り道、わたしは盛大にため息をついた。


「どうした柚乃? ため息なんかついて」


 わたしの隣を歩いている、亜麻色の髪をした青年が、優しい声で聞いて来る。彼は白いトレーナーの上から群青色のブルゾンを着込み、細身のジーンズを穿いている。


「……ごめんねお兄ちゃん。柚乃バカだから、お兄ちゃんと一緒の大学には行けそうにないや」


 そう、わたしは今日、進路指導の先生から


『君の成績ではK大総合福祉学部は難しいよ。よっぽど努力しなきゃ』


 と言い渡されてしまったのだ。この瞬間、わたしの夢は、夢で終わることになった。


「難しいって、C判定なんだろ? 入試までまだ時間があるから、受けるだけ受けてみるといい。ダメでも、1浪くらい今は普通だろ? 予備校くらい、僕が行かせてあげるよ」


 三者面談で保護者として出席してくれたお兄ちゃんは、優しい顔のまま言う。


 けれど、ストレートで国公立大学に入るならまだしも、浪人して予備校に通うお金までお兄ちゃんに出してもらうわけにはいかない。たとえお兄ちゃんが今のように『出す』って言ってくれてもだ。


 なぜなら、わたしとお兄ちゃんには、血のつながりはない。ううん、血のつながりどころか義兄妹ですらない。わたしが『お兄ちゃん』と呼んでいるこの人は、二人が施設に入っていた時、わたしをずっと守ってくれた『兄代わりの男性』に過ぎない。


 わたしには漠然と考えていた未来図があった。それは、お兄ちゃんと同じ高校に入り、お兄ちゃんと同じ大学を卒業し、お兄ちゃんと共にお世話になった施設で働き、やがてはお兄ちゃんと結婚する……というものだった。その第2段階で、わたしは躓きかけている。


 お兄ちゃんは大学3年生だが、結構人気のあるイラストレーターで、収入は十分にある。

 だからわたしの学費を出すと言ってはくれるのだが、さすがに予備校のお金まで出してもらうわけにはいかない。そこまでお世話になっちゃったら、わたしはお兄ちゃんから完全に『妹』としてしか見られなくなってしまうのではないか……そんな不安が頭から離れないのだ。


「他にやりたいことはないのか? 柚乃」


 お兄ちゃんが聞いてくるが、わたしは首を振る。わたしの人生の最終目標は『お兄ちゃんとの結婚』であると決めて、今までそこに至る道筋については『お兄ちゃんの後を追いかけるだけだ』と安易に考えていた報いが来た感じだ。


(新しい道を探すか、それとも『妹』に成り下がる覚悟でイチかバチかお兄ちゃんがいる大学を受験するか、それとも働いてお兄ちゃんのお嫁さんになる時期を待つか……三択だなぁ……)


「はあああ~っ」


 わたしは、ため息をつきながら、わたしたちのアパートに帰ったのだった。



 僕は甘羽雄瑠あまは・たける、K大総合福祉学部に通う3年生だ。

 今日は、僕のお隣さんで、幼馴染で、妹分である柚乃の三者面談に出席してきた。


 進路指導の先生から、第一志望の『K大総合福祉学部』は合格が難しいため、他の進路を考えるよう勧められた柚乃は、目に見えて落ち込んでいた。


「他にやりたいことはないのか? 柚乃」


 一応聞いてみたが、答えは分かり切っている。高校3年生になった時に提出した進路希望表には、第一志望から第三志望まで、全部『K大総合福祉学部』と書いていたことを知っているからだ。


「難しいって、C判定なんだろ? 入試までまだ時間があるから、受けるだけ受けてみるといい。ダメでも、1浪くらい今は普通だろ? 予備校くらい、僕が行かせてあげるよ」


 柚乃の心理的負担になるかもしれないとは思ったが、そう言ってみる。僕は柚乃が僕の後を追いかけて来たことを知っている。だが、福祉の分野は柚乃だって興味を持っていたし、社会福祉士のような資格を取れば、この先生きていくための力強い支えになる。


 そう思ったから、僕は『本当は柚乃の未来は柚乃がやりたいことをするべきだ』と思いながらも、彼女の志望について意見は言わなかった。


 だが、今の柚乃を見ると、彼女が人生のBプランを持っていないことが分かる。

 つまり柚乃は、『やりたいこと』で人生を決めていたのではなく、『僕と一緒にいること』を目的にしていたように思える。


(……柚乃の将来について、もっと彼女と真剣に話し合うべきだった)


 僕は今さらながら後悔のほぞを噛む。


 だが、柚乃が僕のことを慕っていることを分かっていた僕は、彼女の将来を議論することで彼女の恋に結論が出てしまうことを恐れていたのかもしれない……それが柚乃の思いを遂げる方向であるにしても、そうでないにしても……。


 だが、これは柚乃にとって僕からの自立のチャンスかもしれない。

 彼女が頑張ってK大を受けるにしても、別の道を探すにしても、それは初めて柚乃が自身の将来を真剣に見つめた結果なのだから、僕はそれを精一杯応援するだけだ。


「柚乃、落ちた時のことは心配するな。僕は柚乃の保護者だ、ちっとも迷惑じゃないよ」


 柚乃が自分の部屋に入るとき、僕は彼女にそう声をかけたが、柚乃は寂しそうにうなずいて笑っただけだった。



 わたしは部屋に戻ると、制服のままベッドに倒れ込む。お兄ちゃんはああ言ってくれるが、わたしはさっき言われた『僕は柚乃の保護者だ』という言葉が、すごく心に刺さった。


「……お兄ちゃんにとって柚乃は、ただの『妹』なのかなぁ?」


 わたしはそうつぶやく。小学2年生の時に出会ってから10年、施設にいる間は確かにわたしも『妹』で甘んじていた。恋心はあったが、人前でお兄ちゃんに恋人のように甘えるには、人の眼もあったし恥ずかしくもあった。


 だから、わたしが高校に上がるとき、お兄ちゃんが施設を退所したのは寂しい半面、チャンスでもあった。だってお兄ちゃんは一人暮らし、人の目を気にせず思いっきり甘えることができる場所にいるのだ。


 わたしは、『勉強を教わる』という名目で、お兄ちゃんの仕事や勉強の邪魔にならない程度で、部屋に立ち寄った。

 幸い、施設長先生はじめ施設の人たちは、わたしとお兄ちゃんのことを理解してくれていたから、お兄ちゃんの部屋に立ち寄ることも、金曜日から日曜日までお兄ちゃんの部屋に泊まることも、割合簡単に許可してくれた。


 わたしが初めて『お兄ちゃんの部屋に泊まりたい』と言ったのは、お兄ちゃんが大学2年生になった時だった。

 その時も、わたしが抱えているバックパックを見て苦笑しながらも、


『外泊許可はもらっているのかい?』


 ただそれだけを聞いて、わたしがうんと答えると、あとは何も言わずに部屋にあげてくれたっけ。

 その頃はまだ1DKの狭い部屋だったので、わたしの着替えの時なんかはかなり気を遣ってくれていた覚えがある。


『……わたし、お兄ちゃんになら襲われてもいいんだけど?』


 余りの気の遣いように、わたしが冗談めかしてそう言ったら、お兄ちゃんはやはり苦笑しながら言ったっけ。


『柚乃はまだ17歳だからなぁ……僕は柚乃を大切にしてあげたいんだ』


 それを当時のわたしは、『成人するまで手を出すのを待ってくれている』と解釈した。


 お兄ちゃんは大学に女友達も数人いたが、その人たちとは特別な関係ではないことも知っていた。

 大学に『偵察』しに行った時、その中の何人かは明らかにお兄ちゃんに気があると分かったけれど、お兄ちゃんが『恋愛方面』に発展しないようかわし続けていることも知った。


(お兄ちゃんに気がある女の人の中には、すごい美人さんもいた。でも、お兄ちゃんがそっけない態度を取っているのは、やっぱりわたしが18歳になるのを待ってくれてるんだよね?)


 おこちゃまだったわたしは、素直にそう信じ込んで喜んだものだ。



 それからわたしは、18歳の誕生日を迎えたら施設から出ようと決心した。規定では18歳になった年度の末まで、わたしは施設に居ることができるが、一刻も早くお兄ちゃんと結ばれたいわたしは、『その時』のためにアルバイトを増やした。


 お兄ちゃんと会える時間は少なくなるが、その後に待っているお兄ちゃんとの生活を想像すれば、その寂しさも耐えられた。


 そしてお兄ちゃんが今のアパートに引っ越すと、私は近くの物件をそれとなく調べ始めた。できるだけお兄ちゃんが住む場所に近く、できるだけ家賃が安い物件を。


 でも、わたしが望むような物件はそうそうなかったし、あってもなかなか大家さんや不動産さんにはいい顔をしてもらえなかった。まあ、18歳の高校3年生で女の子の一人暮らし、アルバイトしか収入はなく、保証人もいないんじゃ、しょうがないと言える。


 そんなわたしの動きに気付いたのは、やはりお兄ちゃんだった。学校帰りに部屋に立ち寄ったわたしは、お兄ちゃんからいつになく真剣な顔で、


『柚乃、話がある』


 と言われた時、


(わたしも18歳になったし、お兄ちゃんから告白してくれるのかな♡)


 能天気にそう思っていた私を殴りたい。


 ドキドキしながら座ったわたしに、お兄ちゃんは思いもしなかったことを言った。


『お前、部屋を探しているんだろう? 悪いことは言わない、高校卒業まで待って、施設の人と一緒に部屋を探した方がいい。今探しても、相手にしてもらえないだろう?』


 それからわたしとお兄ちゃんは、何度も話をした。お兄ちゃんは施設長先生にも連絡して、わたしの気持ちを伝えてくれながらも、年度末まで施設にいるよう説得した。


(一人暮らしする不安や、家賃なんかのお金のことを考えると、お兄ちゃんや施設長先生の言うとおり。それは解っている。でも、わたしは早くお兄ちゃんの側に行きたい)


 そんな気持ちを施設長先生にもぶつけたこともある。


 そんな時、お兄ちゃんのお隣さんが空いた……そのことで、施設長先生も軟化した。わたしの恋心を知っていた先生は、


『……雄瑠くんの目が届くし、柚乃さんも18歳だし。雄瑠くんが保証人になってくれるというのなら、私はそれ以上反対できないわ』


 そう言ってくれたのだ……結局、お兄ちゃんが折れて、わたしはめでたくお隣さんになることができたのだけれど。


 わたしは、ここに住めるようになるまでの経緯を思い出し、


(お兄ちゃんは、わたしがわたしらしく生きる道を見つければ、きっとわたしを選んでくれる)


 そう思ったので、やっと心が決まった。


「……次のテストで決めよう。それで見込みがなければ……」



 次の日、わたしは朝からのシフトでバイトに入った。


 バイト先は、お兄ちゃんの紹介で勤めることになった、画廊喫茶『猫男爵』である。ここは隠れ家的な要素もあり、コーヒーと絵画に造詣が深いマスターが30年ほど経営している喫茶店で、わたしは雰囲気がとても気に入っている。


 わたしはマスターに気に入られていて、コーヒーの焙煎は別のウエイトレスさんである朝美さんと、料理はもう一人のバイトである夏鈴さんと一緒に任されている。


 マスターや朝美さんからは、『卒業したらうちで働きなよ』と誘われているし、料理は好きだしコーヒーにも興味があったので、もし受験に失敗したらここで働こうと決めたのだ。


 お兄ちゃんに『何か他にやりたいこと』を聞かれて、すぐに答えられなかったのは、お兄ちゃん行きつけの喫茶店に就職するってことが、ちょっと気恥ずかしかったのだ。まるで、お兄ちゃんの後を追いかけてばかりだと思われそうで。


 私は、お客さんが途切れた頃合いを見計らって、思い切ってマスターに相談してみた。


「……雄瑠くんがそう言ってくれているなら、受験に失敗しても予備校に通わせてもらうべきだと思うな。福祉の分野は柚乃ちゃんだって興味はあるんだろう?

まったく興味がない勉学をして、ただ卒業証書を受け取るだけというならともかく、ちゃんと興味がある分野なら、雄瑠くんの好意に甘えてもいいと思うがね」


 マスターのアドバイスこそ、大人の考え方というのだろう。興味がある分野に進むためにお兄ちゃんの援助を受けることは、私にとってプラスになることは理解している。


「でもさぁ、雄瑠さんの好意を柚乃は重たく感じているんだよね?」


 年代が近い夏鈴さんは、わたしの気持ちを分かってくれているみたいだ。


「そうなんですよね。今のアパートを借りる時にも、お兄ちゃんにとても世話になったし、今だって家賃を半分払ってくれているし。

だからこれ以上、お兄ちゃんの負担になりたくないんです」


「う~ん、柚乃は、ゆくゆくは雄瑠さんと結婚したいって言ってたっけ? だったら、できるだけ対等な対場でいたいって気持ちは解るなぁ」


 夏鈴さんはそう言ってうんうんとうなずく。


 すると、黙って聞いていた朝美さんが、


「柚乃ちゃん、調理師とか興味ない? 柚乃ちゃんは料理が上手いから、そっち方面に進むって道もあるんじゃない?」


 そう、わたしが考えてもいなかったことを言う。


 でも、それを聞いた瞬間、わたしは


(お料理かぁ……確かに、福祉と一緒で人を笑顔にできる資格だよね)


 そう思ったのだった。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


2.悔いは残したくない


 『第一志望はK大総合福祉学部、第二志望は働きながらの栄養士か調理師の免許取得』……柚乃は将来の夢をそう決めて、必死に勉強を始めた。


「近頃、頑張っているみたいだけれど、あまり根を詰めるなよ。体調不良だったら実力を発揮できないぞ」


 僕は彼女の勉強を見ながらそう言うが、柚乃は笑って、


「今度の模試で、どうしようか決めるから、悔いのないように勉強しておきたいの。だから、しばらくご飯作ってあげられないけれど、ごめんね?」


 そう答える。その笑顔に、焦りと不安が籠っているのを見て、僕は


「……柚乃がそう決めたのなら、僕はそれを応援するが、ちゃんとご飯食べて、しっかり寝るんだぞ?」


 そう言ってあげることしかできなかった。


「はぁ……」


「……柚乃さんも、ようやく自分の将来について真剣に向き合うようになってきましたね」


 僕が自分の部屋に帰ると、武葉さんが夕飯を準備して待っていてくれた。


 武葉さんは、慈しみの籠った眼で柚乃の部屋の方を見て、


「私は、柚乃さんの気持ちは解っているつもりです。でも、今までの柚乃さんでは、たとえ雄瑠さんが柚乃さんを選んだとしても、雄瑠さんも柚乃さんも幸せにはなれない……そう思っていました」


 そう言う。柚乃とは恋敵であるはずの武葉さんがそう言うのは意外だった。


 僕のそんな思いが顔に出ていたのだろう、武葉さんは不思議そうな顔で聞く。


「雄瑠さん、どうされました? なにか腑に落ちないって顔をされていますが?」


 僕は頭をかきながら、


「いえ……こう言っちゃ失礼ですが、柚乃とは恋敵である武葉さんが、柚乃のことをこんなに心配してくれるのが意外で……」


 そう、正直に話すと、武葉さんはクスリと笑って、僕に近寄って来る。


「雄瑠さん、私が施設近くの神社の祭神だってこと、お忘れですか? あの神社の界隈に住んでいる人たちは、みんな我が神社の氏子。それは柚葉さんも例外ではありません。

祭神が氏子のことを気にかけ、心配するのは当然でしょう?」


「武葉さん……」


「それに、柚乃さんは雄瑠さんの妹。ということは私の妹でもあります。私は雄瑠さんが大切に思っている人のことを、たとえ恋敵だとしても蔑ろにするつもりはありません」


 武葉さんは僕の胸に顔をうずめ、そう優しい声で言う。


「武葉さん……」


 僕は思わず武葉さんを抱きしめてしまった。


「ふふ、これで雄瑠さんの好感度はぐっと上がったはず。雄瑠さんは思いやりがあって、奥ゆかしい清楚な女性が好みだから……これで勝つる!」


「……あの、武葉さん。心の声が駄々洩れですが?」


「あ、す、すみません。狙いどおりいいムードになったので、つい『計画通り』と嬉しくなっちゃいまして……」


 武葉さんはそう言いながらぱっと身体を離したが、真剣な顔で付け加えた。


「でも雄瑠さん、氏子の将来に幸多かれと神徳を垂れるのは神の務め。恋敵だとしても蔑ろにするつもりはないというのは本当ですよ?」


 武葉さんの眼は真剣だった。そこはかとなく神としての威厳すら感じさせるたたずまいに、僕はにっこりと笑って言った。


「……ありがたいです。柚乃が悔いのない選択ができるよう、導いていただければと思いますよ」



 柚乃はそれからほぼ1か月、本当に頑張った。学校から帰ってきたら僕の部屋に上がり込んで宿題をし、夕食の支度をしてご飯を食べる……というのが日課だった彼女が、朝夕のご飯こそ一緒に食べるが、それ以外はさっさと自分の部屋に戻り、遅くまで勉強を頑張るのだった。


 もちろん僕も、仕事をしなきゃいけない時を除いては彼女の部屋で勉強を見てやったり、たまには息抜きに話し相手になったりしていた。


 武葉さんも、柚乃の気を散らさないように、


「柚乃さん。私はあなたの模試が終わるまで、雄瑠さんの部屋に泊まることを遠慮いたしますので、心を乱さずに勉学に励んでくださいね?」


 そうした心遣いをしてくれるのだった。


 そしていよいよ、模試1日目。柚乃は朝から緊張気味だった。


「……お兄ちゃん、柚乃頑張るからね」


 朝ご飯を食べに来た柚乃は、青い顔をして言う。心なしか声が震えている。


(いけないな、柚乃はかなり緊張している。これじゃ実力を発揮できないぞ)


 僕はそう思い、柚乃に笑いかけた。


「柚乃、ちょっとこっちにおいで」


「え?」


「いいから、こっちにおいで」


「う、うん……」


 柚乃が不思議そうに僕の側にやって来て僕を見上げる。いつもに似合わず緊張して、心細そうに胸に手を当てている。


 僕は柚乃の頭を撫でながら言った。


「柚乃、君は頑張ったんだから大丈夫だ。落ち着いて試験を受けておいで」


「あ……」


 途端に柚乃は顔を真っ赤にしてうつむく。しばらくそうしているうちに、柚乃の震えが止まった。


「……緊張しすぎだ。同じ大学に行けなくても、お隣さんじゃないか。いつでも会える。そう割り切って、自分の夢のことだけを思って頑張ってみるといい。結果はちゃんとついて来るさ」


 頭を撫でながらそう言うと、柚乃は顔を上げ、にっこりと笑って言った。


「うん、分かった。柚乃、頑張って来るね!」


 そう言うと、武葉さんが作ったお弁当を持って元気に登校していった。


 柚乃を見送った後、僕は武葉さんを見る。武葉さんはニコニコしながらも、


「……やっぱり雄瑠さんは優しいですね。麗しい兄妹愛に、見ていてちょっと嫉妬しちゃいました」


 う~ん、やはり武葉さんの前で頭を撫でたのはやりすぎだったか?……僕がそんなふうに考えていたら、武葉さんはつつと僕の前に来て、


「……頭、撫でてくれませんか?」


 甘えた声で言ってくる。


「え?」


 僕がキョトンとしていると、武葉さんは『むうっ』という顔をして、


「頭です頭! 私もなでなで、よしよししてください! 柚乃さんばっかりズルいです!

妻である私が、妹さんである柚乃さんに気を遣っているんですから、私にも同じことしてくださぁ~い!」


「ぐへっ!」


 そう言って、思いっきり抱き着いて来る武葉さんだった。



「……雄瑠さん、私も『でぇと』というものをしてみたいです」


 お昼前、僕が一休みのために作業スペースから出ると、武葉さんがもじもじしながらそう言ってきた。


 こんなことを彼女が言うのは珍しい。というのも、『和装では外を出歩けない』という彼女の要望で、一度柚乃も含めて3人で武葉さんの洋服類を買いに行ったのだが、


「う~ん。『すかぁと』というものは腰巻の上から穿くと、秘めた部分が冷えますね」


「武葉さん、そのために下着があるんだよ? まずは下着を穿かなきゃ」


 とか、


「今様の服は、歩くたびに胸が揺れますね。何か落ち着かないです」


「だからぁ、下着を付けなきゃダメだって言ってるでしょ?」


 などと、慣れるのに時間がかかったようだった。そのため、今の今まで『外に出たい』などとは()()()にも出さなかったからだ。


「柚乃さんの模試は明日で終わりです。そうしたら柚乃さんはまた雄瑠さんの部屋に押しかけて来るでしょう。

その前に、せっかく買っていただいた服を着て、雄瑠さんと夫婦らしく外を歩いてみたいです……ダメですか?」


 赤くなった顔を伏せ気味に、斜めに僕を上目遣いで見る武葉さんは、齢2百歳を超えた神様だとは思えないほど可愛らしい。もっとも武葉さんの見た目は20代前半だから、僕とさして変わらないのだけれど。


(……確かに、柚乃の試験勉強中には、僕の部屋に泊まることも控え、極力柚乃に余計な心配や刺激を与えないように配慮してくれてたな。

洋服に慣れるのも含めて、一緒に出掛けるくらいはOKしてもいいかな)


 うかつにも僕はそう思ってしまったため、気軽に武葉さんに言った。


「そうですね。ここ1か月くらい、武葉さんにもだいぶ気を遣わせてしまいましたから、ちょっと一緒に出掛けてみましょうか?」


 すると武葉さんはぱぁっと表情を明るくして、


「う、嬉しいです。では、早速着替えてまいりますね?」


 そう言いながら、寝室へと入って行った。


(さて、どこに行ったがいいかな。遊園地が無難だけれど、遊具に慣れていない武葉さんが吃驚しても可哀そうだし……ここはやはり、映画を観た後、植物園でゆっくりして、どこかで軽くご飯でも食べるかな)


 そう今日のプランを考えていた僕は、


「お待たせいたしました」


 そう言いながら出て来た武葉さんに、不覚にも見惚れてしまった。


 武葉さんは、栗色の髪のセミロング。絹糸のような髪をしており、光沢でところどころ金色にも見える。ぱっちりとした黒目がちな瞳は褐色で、抜けるような白い肌に牡丹のような唇がとても印象的だ。


 そんな彼女が、ダークグレーのシャツの上からパールホワイトのセーターを着込み、黒いタイツの上にベージュのスカートを穿いた様は、とても魅惑的だった。清楚さと同時に少しいたずらっ子な雰囲気も感じさせて、それがいつもの武葉さんとは違った感じで、いわゆる『ギャップ萌え』してしまったのかもしれない。


「どうしたんですか雄瑠さん?」


 武葉さんが首を傾げて聞く。普通の女の子がやったら()()()()さえ感じさせるこんな仕草も、武葉さんがやったら可愛らしく感じてしまうのは何故だろうか。


「……い、いや。すごく可愛らしくてつい見惚れてしまいました。武葉さん、洋服も似合いますね?」


 僕が言うと、武葉さんは真っ赤になった頬を両手で隠すようにして、


「そ、そうですか? 雄瑠さんからそう言ってもらえると、とても嬉しいです」


 そう言いながら、僕の腕にしがみついてきた。



 僕たちはまず、映画館でアクション喜劇を観た。武葉さんにとって映画は初体験だったから、何か映画の原理について質問があるかなーと思って身構えていたが、案に相違して彼女はすんなりと映画というものを受け入れ、


「この映画、面白いですね。もぐもぐ」


 ポップコーンを頬張りながら話に夢中になっていた。


「武葉さん、映画はどうでした?」


 僕が聞くと武葉さんは、


「とても面白かったです。白い布に光で風景を映し出すのは、幻燈で見たことがありますが、それが動いたりしゃべったりするのは面白い体験でした。

それに爆ぜ玉蜀黍トウモロコシもとても美味しいですね。いつか自分で作ってみたいです」


 キラキラとした目で僕に言う。いつも思うが、こんな武葉さんを見ていると、とても2百年を生きた神様だとは思えない。


 いつの間にか、武葉さんは僕の腕につかまって歩いていた。和装の時は落ち着いた雰囲気で、僕の後ろを静かに歩くのが常だった彼女だが、洋服で手をつないで歩くのもかなり気に入った様子だ。


 街に出たときから、武葉さんは道行く男性の視線を奪いまくっていた。なにせ神様である。美人で可愛げがあるだけでなく、スタイルもいいし、何より気品と言ったものが感じられる武葉さんだ。男性が思わず目で追ってしまうのも当然と言える。


(……変な男に目を付けられて騒ぎを起こすよりは、僕とこうしていた方が男避けになって面倒ごとも避けられるかな)


 そんなことを思い、あえて武葉さんの行動を受け入れたままにしていた。それが、違う意味での面倒ごとを引き寄せてしまうとも知らずに……。


 僕らが動植物園に向かっていると、ふいに後ろから、


「た、雄瑠さん……ですよね? その女の方は……どなたですか?」


 そんな聞いたことのある声がした。


「オマイガッ!」


 恐る恐る振り返ると、そこに居たのはやはりことりさんだった。そして、ことりさんの後ろで僕を刺すような眼で睨んでいる春香さんもいた。


(……あかん、オワタ/(^o^)\)


 僕の顔から見る見るうちに血の気が引いてゆく。武葉さんがどんなことを言うのか……それで僕の運命が決まると言っていい。僕はチラリと武葉さんを見る。


 武葉さんは僕とことりさんの顔を見比べて、何やら納得したようにうっすらとした笑いを浮かべ、僕の腕から離れた。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


3.トラブルの種をまきましょう


 大通りの雑踏の中、僕と武葉さんは、ことりさんや春香さんと向かい合って突っ立っていた。傍から見れば、これから何が起こるのか判らず、ただ人の流れを阻害する迷惑な通行人に見えただろう。


 ことりさんがムッとした顔でつかつかと歩み寄って来る。うわぁ、ことりさんの怒った顔、初めて見たなぁ。でも根が優しくて天然だからか、『怖い』よりも『可愛い』が大きい……やっぱ美人って得だなぁ~。


 そしてそれと歩調を合わせるように、春香さんもこちらにやって来る。こっちはことりさんの怒りを見て当惑したような顔をしている。


 ことりさんは僕たちの前で立ち止まると、僕ではなく武葉さんに正対して言った。


「わたくしは岩城ことりと申します。あなたですね? 雄瑠さんの部屋にしょっちゅう出入りしているというお方は。いったい、あなたは雄瑠さんとどういったご関係なのでしょうか?」


 ことりさんが緊張している。ことりさんも美人だが、『くっ、負けた……』ということりさんの心の声が聞こえた気がする。しかし、武葉さんは神であるがゆえに人間離れした美しさを感じるのは当然だ……と僕は思う。


 武葉さんはその心の声を聞き取ったのだろう、悠然と余裕すら感じさせる態度で髪をかき上げ、うっすらと笑みを浮かべて答える。


「私は甘羽武葉あまは・たけはと申します。それでことりさん、あなたこそ()()()()の何なんですか?」


「え……『私の雄瑠』?……」


 ことりさんは、たったその一言で水をかけられたように怒気を収める。よっぽどショックなんだろう。


 武葉さんは微笑と共にうなずき、優しい声で言う。


「……ひょっとして、雄瑠の彼女ですか? 聞いていたよりも美人で可愛らしいですね」


「え?」


「あなた、私を雄瑠の何だと勘違いしたんですか?」


「え?」


「私は雄瑠の姉ですよ?」


(え? 武葉さん、どうしてそんなウソを?)


 この言葉には、僕も唖然としてしまったが、逆にことりさんは息を吹き返したようだ。明らかに脱力したように肩を落とすと、


「……お、お姉さま、なのですか。なぁんだ、そうだったんですか……」


 そうつぶやいて、僕に向き直る。


「た、雄瑠さん。柚乃さんっていう妹さんのほかに、お姉さまもいたんですね? 早く教えてくださればよかったのに」


 いや、僕も姉がいるなんて今初めて知ったよ?……心の中でそうつぶやきながらも、ここで修羅場を領域展開しないための武葉さんの心遣いだと解釈し、


「え? あ、ご、ごめんよ? 言うのがすっかり遅くなっちゃったけど、そうなんだ。

武葉は僕の姉で、たまーにこうやって弟を揶揄からかって遊ぶんだ。ははは……」


 そう言った。僕の笑顔は不自然に引きつっていただろう。なぜならその時、僕の頭の中には、とっても不穏な仮説が浮かんでいたからだ。


 その仮説を裏付けるかのように、武葉さんがことりさんに顔を近づけて聞く。


「あなた、私の雄瑠と付き合ってるの?」


「えっ!? は、はいっ! お付き合いさせていただいていましゅっ!」


(あ、ことりさんが噛んだ。よっぽど緊張しているんだろうなぁ)


 僕は、どこか他人事のようにそんなことを考えていた。だって、僕の仮説が正しいなら、武葉さんはきっと、ことりさんを焚きつけるだろうからだ。そしてその後に起こるだろう出来事に関しては、僕にできることは何もない……。


「私の雄瑠とどこまで行った? キス? それともそれより先? まさかもっと先まで行っちゃってるんじゃないでしょうね?」


「え? いえ、そんな。まさか。そんなことはぁ……」


 ことりさんは武葉さんが話す単語の一つ一つに反応する。その度に、ことりさんの顔が真っ赤になっていく。


「あなた、可愛いから、雄瑠と最後まで行っちゃえばいいわ。姉の私が許すから、どんどん積極的に雄瑠に迫りなさいよ」


「ちょ、武葉さん。何を!?」


「……へへ、うへへへ。お姉さまから認められちゃった♡ 雄瑠さんとやっちゃっていいって許可をもらっちゃった♪」


 僕が武葉さんに慌ててそう言った時、背中にぞくりとした悪寒を感じた。ハッと振り返ると、ことりさんが目のハイライトを消して、


愛実つぐみ、例の物」

「はい、お嬢様」


 あれ、一緒にいたのは春香さんじゃなくてメイド長の愛実さん? そう言えば顔が似ているし、二人とも苗字は『中ノ森』だったな。とすると、二人は姉妹!?……って、今はそんなことを考えている場合じゃなかった! 愛実さんがなんかロープを手渡してるぅ!


「雄瑠さん、お義姉ねえ様からお許しが出ました。ささ、わたくしのお部屋に参りましょう? そして熱い夜をずっとずっとずっとずーっと過ごしましょう? 大丈夫です、わたくしはあなたが求めてくれるなら、いくらでもお付き合いいたしますから♡」


 メイド長から受け取ったロープを手に、ゆっくりと迫って来る。うわぁ、悪い顔しているなぁ……。


 僕は決心した。これ以上この場に居たら、僕はことりさんに捕まってしまう。そして模試を頑張ってきた柚乃を労うことも、二日目の試験に当たり、柚乃を落ち着かせて送り出してやることも出来なくなる!


「こ、ことりさん、また今度! 武葉さん、ちょっとこっちに来て!」


「あ、雄瑠さん!」


 僕は武葉さんの手を取ると、ことりさんが呼びかけるのにも答えずにその場から走り去った。



「……はぁ、はぁ……よし、追って来ないな」


 あれから僕は武葉さんを連れて駆けに駆け、ようやく公園まで逃げて来た。ことりさんは走って追いかけるのを諦めたらしい。


「そんなに息を切らしていると、変な人に間違われますよ? それとも雄瑠さん、私に欲情しているのかしら?」


 武葉さんがくすくす笑いながらそう言って、指さしながら続ける。


「ちょうど、多目的トイレもありますし」


「いやいや、そうじゃないからねっ!? それと、ちょっと古いネタだよ!?」


 僕が慌てて突っ込むと、武葉さんは薄い笑いを浮かべて僕ににじり寄って来る。


「あら、突っ込みがお上手なこと♪ ついでに雄瑠さんの雄瑠さんを、私に突っ込んでくれないかしら♡」


 ……間違いない。僕の仮説は正しかった!


 僕は武葉さんの手をぎゅっと握り、その目を真っ直ぐ見つめて聞いた。


「あなたは武葉さんじゃなく、椎葉つちはさんでしょう?」


 そう、武葉さんには椎葉さんという双子の姉がいる。きっとすり替わっていたんだ。


 すると彼女は、くすくす笑いながら白状した。


「あ~、やっと気づいたのね? ちなみにどのへんで気付いた?」


「……腕を組まれた辺りから違和感はあったけれど、僕の姉だとことりさんに名乗った時かな? 武葉さんだったら、正直に答えるだろうからね」


「それで、ことりさんが傷ついて、雄瑠さんの印象が悪くなっても?」


 椎葉さんが胸の前で腕を組んで聞いて来る。


「……そりゃあ、僕だってことりさんに説明しますよ? 信じてもらえるかどうかは別としても、武葉さんとの約束のことについてちゃんと話します……それでことりさんがどう思うかは、ことりさんの問題だから。


むしろ、あんな風にことりさんを焚きつける方が問題じゃないですか? ことりさんがこれでもっと過激になったらどうするんですか!? 柚乃や武葉さんだって焼きもち焼くんですよ?」


 僕が怒った顔でそう言うが、椎葉さんはそれをどこ吹く風と聞き流して宣った。


「だぁってぇ~、その方が面白いじゃない♡」


「サイテーだ……。ダメだこいつ、早く何とかしないと……」


 僕が憮然とした時、


「やっぱり、そういうつもりだったんですねぇ~?」


 ()()()()を背負って、武葉さんが姿を現す。鳶色の瞳にはハイライトがなかった。


「ひっ! 武葉!? よくあの緊縛を抜け出せたわね?」


 椎葉さんは一瞬で土気色になって、そう震える声で言う。武葉さんは、ゆらり……と椎葉さんに近付くと、サディスティックな笑みを浮かべて答えた。よく見ると、髪の毛の間にチラチラと2本の角が見える。


(うわぁ……これは椎葉さんも無事じゃ済まないかもなぁ……)


 心の中で合掌する僕を横目に、


「……私の荒魂に、あの程度の緊縛が効くと思っていたんですか?

椎葉のおかげで、雄瑠さんとのデートはできないわ、せっかく買っていただいたお洋服は着られないわ、荒魂はまだ鎮まらないわで大変なんです!

この責任、取っていただきますからねっ!?」


 武葉さんはそう言うと、恐れおののく椎葉さんの襟首を引っ掴んで、


「神社に戻りましょう。そこで言い訳を聞いてあげます。たっぷりとお仕置きした後でね?」


「ひっ! 武葉、お、落ち着いて……ね、ねえ雄瑠くん、頼むから武葉を落ち着かせてよ、お願ぁい♡」


「雄瑠さんも被害者です! いい加減にしてください!」


 哀願する椎葉さんを一喝し、


「雄瑠さん、椎葉がご迷惑おかけしました。ちゃんと言い聞かせておきますので、先に家に帰ってもらってていいですか?」


 清楚な女神の顔に戻って言う。


 僕は黙ってうなずき、椎葉さんに合掌してその場を離れたのだった。



 だが、僕の受難はそこで終わりではなかった。公園を出た時、僕の目の前に豪☆ジャス☆なリムジンが停車し、ドアが開くと、


「わっ!?」


 強い力で引っ張られ、僕は車内に引きずり込まれる。ドアが閉まり、リムジンは急発進する。誘拐団顔負けの手際の良さだった。


「雄瑠さぁん、せっかくお義姉様からお許しが出たのに、どうしてわたくしの前から逃走したのですかぁ? わたくしは雄瑠さんのことが頭から離れなくて、雄瑠さんと一つになりたくてなりたくて、夜しか眠れないというのに」


「いや、夜に眠れるならそれでいいじゃん」


 ロープを持って迫って来ることりさんに言うと、彼女はぷくっと頬を膨らませ、


「夜に眠れるとかどうでもいいんです! それよりなぜ、わたくしの前から逃げ出したのですか!? わたくし、とても傷付いたんですよ? ですから……」


 僕を非難するように言うと、ロープを両手でピンと張って、


「……今夜は帰しません♡ このまま愛の逃避行としゃれこみましょう?」


 僕を緊縛するために、じりじりと近寄って来る。


(……ま、マズいな。いかにリムジンが広いと言っても、逃げ回るほどの余地はない。それにドアロックは運転席からしかできないようにしてあるみたいだし、愛実さんもいるから数の上でも不利だし、さすがに女の子を殴るなんて真似はできないし……)


 僕は追い詰められながらも、何とかことりさんを説得しようと考えた。


 ぶっちゃけ、僕は柚乃、武葉さん、ことりさんの3人なら、最終的に誰と結ばれようと構わない。みんないいところがあるし、こんな僕に対して好意を示してくれているし、みんな大事だ。


 ただ、柚乃なら彼女が社会に出て独り立ちした時、武葉さんなら僕が大学を卒業した時、ことりさんなら僕が就職した時が、彼女たちの好意にはっきりとした返事ができる時期なのだと思う。


 だって、お互いに自立した二人が、お互いのことを思いやる……それが恋愛ってものだと思うから。少なくとも、僕は恋愛に対しそう理解している。


 だから、いくら合意のうえだといっても、今はそんなことをしようと思わない。めっちゃ興味はあるけれど。


「ことりさん、ちょっと僕の話を聞いてくれないか?」


「縛られてくださるなら、聞いて差し上げないこともございません」


「……分かった。好きにするといい」


 僕がそう言うと、ことりさんはいそいそと僕を後ろ手に縛り始める。


「縛りながらでいい、聞いてくれ。今、柚乃は自分の将来を賭けた模試に挑んでいる……」


 そう言うと、ことりさんの肩がピクリと震えた。


「柚乃は可愛い妹だ。1日目の頑張りを労い、明日の2日目には励まして送り出してあげたい。今日の話も聞いてあげたい。何か失敗をして落ち込んでいるなら、慰め励ましてやりたい……。


ことりさんの気持ちはとても嬉しいけれど、今日明日は柚乃の側にいてやりたいんだ。分かってくれないかな?」


 僕が話し終わる頃には、ことりさんは俯いて動きを止めていた。どれだけ僕に対する想いで暴走しても、根が真面目で素直なことりさんだ、きっと僕の気持ちを受け止めてくれるに違いない。


「……座ってください」


「縛らないのか?」


 僕が訊くと、ことりさんは緩く首を振り、つぶやくように言う。


「雄瑠さん、ズルいです。柚乃さんのそんな話を聞かされたら、拉致監禁しづらくなっちゃうじゃないですか」


「いやいや、そんな話を聞かなくても、普通は拉致監禁なんてしないものだよ?」


「それはそうですけど……でも雄瑠さんは、わたくしの身体には興味ないんですか?」


「聞き方聞き方! そんな自分を安売りするような聞き方したらダメでしょ?」


「でもぉ……雄瑠さんって、わたくしが迫っても、ちっとも手を出してくださらないんですもの。わたくしはそんなに魅力がないのかなぁって、自信を無くします」


 ちょっと悲しそうな、そして寂しそうな顔をすることりさんであった。


「……あのね、ことりさん。君は十分に魅力的な女性だよ? 僕だって男だからね、女の子とあーしてこーしてって妄想する時はあるよ」


「え? 妄想するんですか!? きも」


「……いや、君もやっていることなんだけどねぇ~。酷くない?」


「と、とにかく、雄瑠さんがわたくしのことを思ってくださっているのは分かりました。ですから……」


 ことりさんは、そこで言葉を切って、愛実さんに何かをささやく。愛実さんはうなずくと、タッチパネルで運転手に何か指示を出した。


「今回は、わたくしも義妹いもうとである柚乃さんを励ましたいと思います」


 ことりさんはそう言うと、僕を見てにっこり笑った。


 ……その日の夕食には、岩城邸から贈られた豪華な料理が食卓を飾った。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


4.夢+君=幸せ


「はあああぁぁ~っ……」


 夕食を食べる手を止めて、柚乃が大きなため息をついた。目元にはまだ涙の跡が残っているし、まぶたも腫れぼったい。食欲がないと言った柚乃に、なんとか言い聞かせて夕食に引っ張り出したものの、あれでは料理の味なんて分からないだろう。


「……ごめんねお兄ちゃん。柚乃バカだから、お兄ちゃんと同じ大学には行けないや」


 模試の結果が分かってから、このセリフを何回聞いただろう。そのたびに僕は、


「あのな柚乃、試験の結果ってのはその時その時の状態で変わるんだ。C判定がどうした? 偏差値自体は上がってるんだ、僕と同じ大学に通いたいなら、気を抜かずに勉強して受験してみろ」


 そう言って励ますのだが、柚乃は決まって自信なさそうに言うのだ。


「でも、落ちたら……」

「予備校ぐらい通わせてやるって言ってるだろ?」


 今日もそう言うと、柚乃はポロポロと涙をこぼし立ち上がり、


「武葉さん、せっかくの美味しいご飯だけど、残してごめんなさい。ごちそうさま」


 申し訳なさそうに武葉さんに言うと、自分の部屋に戻ってしまった。


「……困ったな。こんな時、どうしてやればいいのか分からないや……」


 僕がため息とともに言うと、柚乃の食器を片付けていた武葉さんが、微笑んで言った。


「柚乃さんは、模試前に今後のことを決めていたじゃないですか。それを応援してあげればいいのでは?」


「でも、実際には僕と同じ大学に通いたいって思っているかもしれないし……」


「それは、雄瑠さんが柚乃さんに同じ大学に通ってほしいから、の間違いでは?」


「えっ?」


 僕は思わず武葉さんを見る。なんか嫉妬心からそう言ったのかなと思ったからだ。


 だけど、武葉さんは柚乃の茶碗を洗って片付けながら、僕に振り向いて笑った。


「……柚乃さんも、雄瑠さんと同じ大学に通えればいいと思っているのは確かです。でも、今の実力じゃ自信がないし、かといって雄瑠さんに予備校に通わせてもらうのも、雄瑠さんのお荷物になっているみたいで気が引ける……そんなところじゃないですか?」


「でも、僕は柚乃の保護者なんだ。それくらいのことはしてあげないと……」


「その、『保護者』という言葉に、柚乃さんは不安と焦りを感じているんじゃないでしょうか? 柚乃さんの気持ち、雄瑠さんは解っていますよね?」


 僕の向かいに腰かけた武葉さんは、優しい微笑と共に言う。


「妻の私が言うのも何ですが、夫である雄瑠さんの口から言われるよりはマシですから申し上げますね? 柚乃さんは雄瑠さんのことを男性として好きで、そのことは雄瑠さんもずっと昔から気付いているはずですよ?」


「う……」


 そうだ、武葉さんの言うとおりだ。だって僕は、高校1年生の時、柚乃から告白されていたんだから……。


『雄瑠お兄ちゃん、好きです。付き合ってください』


 13歳の柚乃は、顔を真っ赤にしながらも、僕を真っ直ぐ見つめてそう言ってくれた。


 でも、16歳だった僕は、柚乃の真っ直ぐな想いに応えることが出来なかった。何者でもない自分が、何者にもなりえる柚乃の未来を縛りたくない……そんな気持ちがあった。


『……柚乃のことは好きだ。でも、しばらくは兄としてお前を見守っていたい。それじゃダメか?』


 僕のこの卑怯な答えにも、柚乃は笑って言ってくれた。


『よかった、嫌われてなくて。柚乃、お兄ちゃんのお荷物になるのが一番イヤなことだったから。好きって言ってもらえただけで、今はそれだけでいいや……』


 ……柚乃は、僕よりも強かったのかもしれない。そのあとの二人の違いは、僕は何者かになろうと努力したが、柚乃は僕の後を辿ることを人生の目的とした、ということだ。


 でも、柚乃にそんな道を歩ませたのは、ひょっとしたら僕だったのかもしれない。あの時、柚乃の告白を受け入れていれば、二人とも何者かになろうと努力したのかもしれない。


「柚乃さんの気持ちを大切にしてあげることが一番ですよ。

だって彼女は、『雄瑠さんの後ろを追いかける人生』を、『自分の夢を追いかける人生』へと変えようとしているのですから。

そしてその人生の切符は、自分で手に入れなければ意味がないことも、解っているのですから」


 ……そう、私は神。私は氏子の人生を、すべて見てきました。


 優しい顔で言う武葉さんの言葉とは別に、そんな声が聞こえた気がした。



 わたしは、久しぶりに『猫男爵』に顔を出した。お兄ちゃんの紹介でバイトとして勤め始めて3年目、この画廊喫茶は、今やお兄ちゃんの部屋や自分の部屋に次ぐ、わたしが安らげる場所になっている。


 模試に全力を傾けるため、わたしは1か月ほど休みをもらっていたのだが、結果がどうであれ模試が終わったからには、またバイトを再開しなければ。


 カランカラン……


 たった1か月だったけれど、この音を聞いた時、懐かしい感じがした。


「おや、柚乃ちゃんか。そう言えば模試は終わったんだったね、お疲れ様」


 60歳を超えたマスターが、フチなしの眼鏡を拭きながらわたしに笑いかけてくる。


「あら、柚乃ちゃん。待っていたわよ。お客さんの中にも、柚乃ちゃんの卵焼きが恋しいって言ってくれる人もいて、寂しそうにしていたわよ」


 このお店で唯一の常勤ウエイトレスである栗林朝美さんが、ニコニコしながらそう言ってくれた。


「今日から柚乃ちゃんが復帰するから、夏鈴ちゃんも楽しみにしていたのよ。早く着替えて来て」


「はい」


 わたしは少し元気が出て来た。みんな、わたしが将来をかけた模試に挑むためお店を休んだことを知っているし、お兄ちゃんへの想いも知っている。


 でも、誰も結果を聞かなかったし、お兄ちゃんとどうなっているのかも聞いてこなかった。ただ、わたしがこの空間に帰ってきたことを優しく受け止めてくれた……それが今のわたしにとってはありがたかった。


「では今日は、コーヒーはぼくがメイン、朝美くんがサブ。料理は柚乃ちゃんがメインで夏鈴ちゃんがサブ。お客様対応は夏鈴ちゃんがリーダーで行こうか」


 開店前のちょっとしたミーティングで、今日の役割が決まる。わたしはマスターと一緒に、カウンターの奥にあるキッチンスペースに陣取った。


 午前中は忙しかった。このお店はちょっと分かりにくい場所にあり、『隠れ家』のような雰囲気があるが、それだけに客層は良く、お酒を飲んで騒ぐような人は来ない。


 だから、いつもはそんなに込み合うことはないのだが、


「今日、柚乃ちゃんが戻って来るって知っているお客さんが、いっぺんに来られたみたいね。オーダーもほとんどがオムライスとか卵焼きですもんね」


 朝美さんがそう言って笑う。


「……なんか、柚乃程度の卵焼きやオムライスが、そんなに褒められるなんて恥ずかしいです」


 わたしが言うと、夏鈴さんが真っ白い歯を見せて笑う。


「なーに言ってんのさ。あたしも柚乃の卵焼きは大好物だよ? どうやったらあんなにふわふわで、ほろ甘い卵焼きになるのさ? 教えてくれたら彼氏の胃袋をがっちりつかんでやれるのに」


「……確かに、今日のお客さんたちは、久しぶりに満面の笑顔で帰られた方も多かった。

柚乃ちゃんの料理には、人を幸せにする魔法がこもっているみたいだね」


 マスターまでそう言うもんだから、わたしは恥ずかしくて顔から火が出そうだった。


「マスター、還暦超えて『魔法』はちょっと痛いんじゃないかしら?」


 朝美さんが苦笑すると、マスターはニコニコしながら、


「はは、ぼくはまだ、この店を引き継いだ頃から歳を取っていないんだ。親父がそうだったよ。『夢は僕らを幸せにする』ってよく言っていた。

あの色紙は、親父がお袋にプロポーズした時に贈ったものだそうだ」


 マスターが古びた色紙を指さす。そこには、『(You)+君(make me)幸せ(Happy)』と書いてあった。


「……お、おじいちゃんって、マスターに負けず劣らず『痛い人』だったのね。さすが親子だわ」


 朝美さんが顔を赤くして言うが、夏鈴さんがそれに異を唱える。


「そうかなぁ? あたしはこの言い回し好きだなぁ。こんな言葉ってさ、本当にやりたいことがあって、心から好きな人がいないと出てこないんじゃないかなぁ?」


 朝美さんが、悪い顔で夏鈴さんに聞く。


「じゃあ、夏鈴さんはこんな色紙を贈られたら感激するのね?」


「あ、それはパスしたい」


 朝美さんは、夏鈴さんがバッサリと言ったので、驚いて聞く。


「え、なんで!? 夏鈴さんはこんな色紙と一緒に告白されたら、ころっと参っちゃうんじゃないの?」


「そりゃそうだけど……」


「チョロっ!?」


「……だって恥ずかしいもん」


「乙女か!?」


 二人の会話を聞きながら、わたしは色紙を見上げる。わたしの脳裏には、告白した日のお兄ちゃんの顔が浮かんでいた。


『好きって言ってもらえただけで、今はそれだけでいいや……』


 わたしがそう言った後、お兄ちゃんは恥ずかしそうに言ったのだ。


『僕はまだ、何者でもない。こんな僕が、柚乃の気持ちを受け止めるなんて烏滸がましいんだ。でもいつか、絵を描くことで何者かになって見せるさ』


 ……それからわずか1年で、お兄ちゃんはイラストレーター『KANNU(カンウ)』として独り立ちした。やっぱり、夢を持っている人って強いんだなぁって、わたしもお兄ちゃんみたいに、自分の人生を賭けられる夢を持ちたいなぁって、その時強く思ったことは忘れていない。


「……『夢は僕らを幸せにする』か……」


 わたしがそうつぶやいた時、心の中で何かが吹っ切れた。『自分のための夢を追いかけたい』と。


「あのっ、マスター」


 わたしが声をかけると、マスターは眼鏡をくいっと押し上げてわたしを見て、


「うん? 何か相談かい?」


 優しく聞いて来る。


「……卒業したら、ここで働かせてもらっていいですか?」


「それは構わないさ。こっちからお願いもしていたからね。それで、ただうちで働くだけかい?」


 マスターがそう聞いてくれるのを待っていた。というか、わたしが次の質問をしやすいように誘導してくれたのだろう。


「いえ、あの、栄養士の資格が取れる学校って、御存じないですか?」


「ああ、それなら、いい学校を知っているわ。私の友達が通っていた学校でね? 3年間で栄養士と調理師が取れるの。明日にでもパンフレットをもらって来ようか?」


 朝美さんはそう言った後、


「……雄瑠さんの後を追いかけるだけが人生じゃないわ。柚乃ちゃんは隣に住んでいるんでしょ? いつでも会えるじゃない。夢も恋も一生懸命になれるっていいね。がんば!」


 両手を胸の前でグーにして、励ましてくれた。


「うん、お兄ちゃんに負けない。柚乃も夢を見つけたから」


 わたしはそう言って笑ったのだった。


   (デレ神様と修羅場と僕:5.柚乃の夢とアルバイト 終わり)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

一応ラブコメではあるんですが、やっぱり武葉、柚乃、ことりのヒロイントリオについては、いろいろ書き込みたいなって気持ちがあります。特に雄瑠くんとの関わりが深い柚乃には、その気持ちが大きいです。

彼女たちの気持ちを書いていくことで、ギャグとの緩急を取ろうと目論んでいるわけです。成功しているかは分かりませんが。

決して僕がシスコンだからってわけではありません。

では、次回もお楽しみに。。

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