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デレ神様と修羅場と僕  作者: シベリウスP
第1期:夢+君=幸せ(You Make Me Happy)
1/7

Portrait1:出会いはいつも偶然?

大学生のイラストレーター・甘羽雄瑠あまは・たけるは、道端で雨に濡れている少女を助ける。

だが彼女は、10年前に結婚の約束をした女神だった!

女神・武葉と雄瑠を取り巻くラブコメです。

1.神との再会


「おや、雨か……」


 その日僕は、クライアントである出版社と、今度出版されるゲーム設定集の件で話し合いをした帰りだった。会社が入っているビルの玄関まで来た時、僕は雨が路面を濡らし始めているのを知った。


KANNU(カンウ)先生、傘、お持ちじゃないんですか?」


 一緒に話を聞いたゲーム会社の担当が、外を眺めている僕を見て訊いて来る。


「あ、ええ。今日の天気予報で、午後から雨って知ってはいたんですが。ついうっかり」


 僕が答えると、担当者のK崎さんはニコニコしながら提案する。


「わたし、車で来ているんです。ご自宅までお送りしましょうか♡?」


「……そうですか。でも悪いな」


「いえいえ、先生をお送りするのも業務の一環ですよ。遠慮せずどうぞ♡ 無理にとは申しませんが」


 担当の女性は、若干圧強めに勧めてくる。僕はせっかくのご厚意に甘えることにした。


「……そうですか。じゃ、近くのコンビニまでお願いします。買いたいものもありましたんで」


 そう言って、彼女に自宅近くのコンビニまで送ってもらった。


「じゃ、先生、次はゲラ校正でお会いしましょう。あ、それより前に新作のプロジェクト班との打ち合わせがありましたね? よろしくお願いしまーす♡」


「ええ、ありがとうございました」


 僕は担当さんを見送ると、コンビニで昼食のおにぎりと缶コーヒー、それに煙草とビニール傘を買って、自宅へと歩き出す。


 実は、このコンビニは自宅の最寄りではない。自宅まではまだ1キロ近くあるが、


(僕もまだ大学生だし、住所がばれて面倒ごとに巻き込まれるよりはマシだ。それに近頃は運動不足だったし、ちょうどいいな)


 そう思いながら、雨脚が少し強くなってきたことを感じながら家路を急ぐ。まだ午後1時を回ったばかりなのに、やけに暗くなってきている。


「……これは、もっと雨が激しくなりそうだな。早く帰らないと……」


 そう僕はつぶやくと、脇道に入り込む。この道は大通りよりも人気が少なく、路面の状態も悪いが、僕のアパートへの近道だった。


 僕は傘をさしたまま、早足で歩く。僕はスニーカーが汚れるのも気にせず足を速めた。

 こういった時、ビニール傘は視界が遮られないので都合がいい。そしてそのおかげで、僕はそれに気が付いたのだった。



 『それ』は、ごみ収集所の横で、あふれたごみに混じって座っている人影だった。その人はごみの山から引き出したブルーシートの上に体育座りをして、同じくブルーシートを頭からかぶり、じっと雨空を見上げていた。


(……ホームレスか? それにしてもこの雨の中、風邪ひいちゃうぞ)


 僕がよく見ると、その人は膝の上に猫を載せている。そして猫に優しい声で語りかけていた。中性的で、雨に吸い込まれて消えそうな声だった。


「……雨、やまないね。お腹もすいたし……」


 自分も雨に濡れながら、猫をしっかりと抱きしめて雨から守っているその姿を見て、僕は思わずその人に傘を差しかけていた。


「え?」


 その人が驚いて僕を見上げる。褐色の澄んだ瞳をしていた。


「あ……え? すみません、あの……」


 僕が黙ったまま見つめて、傘を差しかけているので、その人はパニックになっているようだ。声変りが済んでいない少年のような声を出して慌てている。


 その人は栗色の髪をしていた。薄汚れたポロシャツは雨に濡れて身体に張り付き、その細い腕や骨ばった肩、薄い胸を浮き出させている。


 僕が黙っていたのは、その人の瞳がとても綺麗だったからだ。ちょうど僕が今度依頼を受けていたキャラクターのイメージにぴったりだったから、というのもある。


 だから僕の口から、思ってもいない言葉が飛び出したんだろう。


「……風邪ひきますよ? 僕のうちに来ませんか?」

「へ?……」


 その人は、一瞬何を言われたのか理解しかねるといった顔をして、僕の言葉の意味を理解すると、顔を赤くして首を振る。


「え、えっ? いえ、お構いなく。見ず知らずの方に御迷惑をかけるわけには……」


 その時、その人のお腹がぐう~っと鳴った。今までに輪をかけて顔を赤くするその人に、僕は微笑んで訊く。


「……雨宿りし、身体を温めて、食事を摂らないと倒れてしまいますよ? 倒れちゃったら、その猫はどうするんですか?」


 その人はその言葉で、よろよろと立ち上がる。思ったよりも小柄だ。160センチくらいだろうか? ビニール傘越しに見える顔は白く、整った顔立ちをしている。まあ、美少年だ。中学生くらいだろうか。それとも高校生だろうか?


 その子は猫を抱えたまま僕をじっと見て、やがて安心したように答えた。


「……ありがとうございます。少しだけ、お邪魔させてください」


 僕は返事の代わりに微笑んでうなずくと、傘をその子に差しかけたまま歩き出す。その子は心配そうに訊く。


「あの、猫、連れても行っていいでしょうか?」


「僕のアパートはペット可物件です。ご心配なく」


 そう答えると、その子はホッとしたように微笑んで不思議なことをつぶやいた。


「ありがとうございます……ふふ、やっぱりあなたは優しいですね」



 僕はその子をアパートに連れて帰ると、玄関でバスタオルを手渡す。そして髪の毛を拭いたその子を浴室に案内し、


「……まず、身体を温めようか。石鹸とかは勝手に使っていいですよ」


 そう言うと、下着と綿パン、トレーナーを脱衣所に置いて、


「洗濯物はかごに入れておいて。それと、サイズが合わないだろうけれど、とりあえず僕には小さくなったものを置いておくから着替えてね」


 そう言うと脱衣所から出て、猫のもとに向かった。猫は隠れたつもりなのか、仕事場兼居間に置いてあるローテーブルの下で僕を見ている。僕は台所に行き、小さな皿に牛乳を注ぐと、ローテーブルの下に置いた。


 猫は僕が近づいても逃げなかった。ある程度人間には慣れているようだ。やがて僕が猫から視線を外すと、皿にゆっくりと近付いて匂いを嗅ぎ、牛乳を舐めだした。


(……こっちは、これでいいな)


 僕は一安心すると、コンビニで買ったおにぎりやコーヒーを袋から取り出してローテーブルの上に置く。


 そして再び台所に戻ると、炊飯器や冷蔵庫を確認する。食材は2人分ありそうだった。


 僕はとりあえず炊飯器をセットして居間に戻り、仕事用のパソコンが置いてある机から携帯用食料を取り出した。プロのクリエイターたるもの、突貫作業のお供としてこのくらいの食料は常備している。


(彼がお風呂に入っているうちに、今日の打合せ内容を確認して作業を進めておくか……)


 そう考えた僕はパソコンを起動する。そしてメモを見ながら、イラストを修正し始めた。


 しばらくの後、浴室のドアが開いて、その子が出てきた気配がする。


「やあ、温まったかい? それj……」


 僕はそう言いながら振り返って絶句する。そこに居たのは、だぶだぶのトレーナーと綿パンを着ている()()()だったのだ。


「あ、あの……ありがとうございました。おかげで温まりました……あの?」


 少女は頬を染めながらそう言ってくるが、僕はその途中でハッと我に返った。


「あ、す、すみません。びっくりしたものだから……その、君って、女の子だったの?」


 すると彼女は、恥じらいながらうなずき、自己紹介してくれた。


「はい。今回はありがとうございました。私は志鳥武葉しどり・たけはです」


「と、とにかく座って」


 僕は立ち上がって彼女にソファに座るよう勧め、自分は対面の椅子に座って訊いた。


「僕の名前は甘羽雄瑠あまは・たける。もしよかったら、何故あんな風に雨に濡れていたのかを訊いていいかな?」


 すると彼女は驚いたことに、僕の名前を聞いてうなずくと、にっこり笑って答えた。


「やはりそうだったんですね? 私はあなたを探していたんです。雄瑠さん」



 僕は一瞬、思考が止まった。何、今この子、なんて言った?


 僕としては、彼女は男の子であると勘違いしていたし、中学生か高校生がいわゆる『プチ家出』をしているうちにお金を使い果たしたのじゃないかと想像していた。


 だから、話を聞いて家に帰るよう説得し、親御さんに迎えに来てもらおうと考えていたのだ。


 僕は彼女が人違いか、あるいは何か勘違いでもしているのだと思って質問する。


「えっと、君とはどこかで会ったかな?」


「はい。まだ雄瑠さんが小さいときに、結婚の約束までしました。ポッ♡」


 いや『ポッ♡』じゃないから……って何っ!? 結婚の約束ぅ!?

 ……でも僕にはそんな覚えは全くない。こんな美少女とそんな約束をしたのなら、覚えていないわけがない。

 だが残念なことに天地神明に誓って、僕は『恋人いない歴=年齢』だ。


 混乱している僕の顔を覗き込むように、彼女が首をかしげて言う。


「……ひょっとして雄瑠さん。私との約束、忘れちゃったんですか? 武葉哀しいです……しゅん……」


 いやいや、自分で『しゅん』なんて言うもんじゃないでしょ? てか、この子、よく見るとすごく可愛いな……。


 髪は栗色のショート、お風呂に入ったことで血色は良くなってきたが、それでも抜けるほど白い肌であり、切れ長の目には褐色の瞳が輝いている。


 全体的に中性的な雰囲気を持っているから年齢不詳だが、見た目から判断すれば15歳から18歳ってところだろう。


(……はっ! いや、そんなことを考えている場合じゃないぞ。もうちょっと詳しく話を聞かないと。ひょっとしなくても、この子の盛大な勘違いだとも限らないからな)


 そう考えていると、彼女のお腹がぐう~っと鳴った。彼女は顔を赤くして言う。


「……ええと、もう何日も水しか飲んでいなかったら、お腹がすいて目が回って。そしたら雨が降ってきたんです」


 それで、僕は彼女が空腹であることを思い出した。


 彼女に牛乳とおにぎりを差し出して、


「何日も食事を摂っていないのなら、急にたくさん食べるのは身体によくない。少しずつ、よく噛んで食べるんだよ。話は君がそれを食べ終わってから、また聞くことにしよう」


 やがて彼女がおにぎりを食べ終わり一息つくと、僕は静かに訊く。


「今まで警察から声をかけられたことはなかったの? 若い女の子が夜中徘徊していたら、間違いなく補導されると思うけど?」


 彼女がいつから、どの辺りを彷徨っていたのかは分からないが、ぱっと見未成年者が夜中に街をうろついていれば、警察が声をかけないはずはない。


 しかし、彼女は首を振った。


「いえ、私はこれでも一応18歳ですから。成人済みで行き先がある者を保護するほど、警察も暇じゃありませんよ?」


 彼女はそう言うと初めて笑った。ドキッとするほど大人びた笑顔だった。


 それとともに、彼女がどこかに行こうとしているのを知り、何となくホッとして、でも少し残念に思っている自分に気が付いた。


「……そうか、君の行きたい所ってどこだい? 今日は雨だから、明日晴れたら送って行ってあげるよ」


 僕がそう言うと、彼女はキョトンとしながら、さらに僕を混乱させる言葉を吐いた。


「へ!? 何言ってるんですか? さっき『あなたを探していた』って言ったとおり、私が行きたかったのは雄瑠さんのお家なんです。私をどこに連れて行くつもりなんですか?」


「へ?……僕のところに……なんで?」


 僕は彼女の言葉に思考が再び停止する。そんな僕を見つめて、彼女は立ち上がると、だぶだぶのトレーナーの袖をまくり、綿パンの裾を曲げて言う。


「雨で雄瑠さんの匂いが流れてしまって、それで道に迷っちゃったんです」


「あの……武葉さんは犬じゃないんだから。それとも僕の匂いってそんなにキツい?」


 がっかりしている僕に、武葉さんはギラギラとした目をキメて、


「雄瑠さんも成人済みだし、学生とはいえイラストレーターとして一人前になっているんですから、あの時の約束どおりお嫁さんになりに来たんですよぉ♪」


 そう言いながらじりじりと距離を詰めてくる。いかん、何がいかんかは定かではないが、このままでは確実にマズいことになると、僕の本能がアラートを鳴らしている。


 僕は慌てて訊いた。事態を把握しないと、急展開過ぎて僕のCPUが熱暴走しそうだ。


「ちょちょちょ! 僕がいつ、どこで、君と結婚の約束をしたんだい? そこのところを詳しく話してくれないか? 僕に心当たりがあれば、話を聞いたら思い出すかもしれない」


「はぁ、まだ思い出してくれないんですね? 仕方ありません、話して差し上げます」


 彼女はため息をつきながら僕を可愛くにらみ、訊いてきた。


「雄瑠さんは、K県H市の生まれですよね?」


「あ、うん。父母のお墓もそこにある」


「それで、雄瑠さんが育った施設の近くに、神社がありましたよね?」


 それを聞いて、僕は子どもの頃を思い出した。楽しいことは決して多くはなかったが、さりとて忘れてしまいたいほど最悪でもなかったあの時代を。


「雄瑠さん、学校帰りによくその神社に立ち寄って、境内や拝殿をお掃除してくれてましたよね?」


 彼女の言葉に、僕は驚いた。そのことは秘密だったからだ。そう、僕とあのお姉さんだけの秘密……その時、彼女は微笑みながら翠の光に包まれ、栗色の長い髪を持つ20代半ばのお姉さんの姿になった。


「あ……?」


 僕はあっけに取られて情けない声を出した。目の前にいるのは、忘れもしないあの時のお姉さんだったからだ。


 びっくりして固まっている僕に、彼女は笑って言った。


「言ってくれたでしょ?『僕が立派な大人になったら、結婚してください』って。

私、その約束をずう~っと覚えていて、あなたがどこにいてもちゃんと見守っていたんですよ? 雄瑠さんが約束を守って一人前の男性になったのなら、私も約束を破るわけにはいきませんから」


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


2.秘めた思い


 すべては、今から10年前のことになる。僕は当時、彼女……武葉さんの言うとおり、児童養護施設に入っていた。


 15年前、僕が小学校に上がる直前、両親は事故で亡くなった。その時買いに行ってくれていたランドセルと、父さんの時計、そして母さんの指輪だけが、形見として残された。


 小学生になった僕は、手の付けられない暴れ者だった。何かの歌詞じゃないけれど、『触るものみな、傷付け』るような少年だった。当然、その時代の友だちは一人もいない。


 施設でも札付きのワルと認定されていた僕だったが、施設長先生はいつもそんな僕を優しく見守ってくれていた。


 転機が訪れたのは、僕が小5の時だ。いつものように学校で問題行動を起こして呼び出された施設長先生は、学校からの帰り道、僕を寂れた神社に案内してくれた。その神社は、施設の裏山の中腹にあり、ほとんど人が訪れることもない場所だった。


 でも、鈴やしめ縄は新しく、誰かが定期的に管理してはいるみたいだった。


「……何ですか先生、わざわざ遠回りして。ダリィんですけど?」


 僕がそんな口を利いても、施設長先生は優しい笑みのまま言った。


「雄瑠くん。私は雄瑠くんが本当は優しい子だって知っているわよ?」


 突然そんな事を言われ、僕は思わず突っ張ってしまう。


「な、何だよそれ。今日だって喧嘩で何人もケガさせてんだぞ!? おれが優しいわけないじゃん!」


「……でも、雄瑠くんが描く絵、私は好きだなぁ。あんなきれいな絵、悪い人間には描けないと思うよ?」


「っ!……」


 今の僕なら解る。僕はその言葉が嬉しかったんだ。だから僕は、施設長先生の言葉に反論も、突っ張ることもできなかった。だってそんなことしたら、父さん母さんが褒めてくれていた僕自身がいなくなり、父母とのつながりが消えてしまう気がしたから。


 黙り込んだ僕の背中を、施設長先生は柔らかくて温かな手で撫でながら言う。


「優しいから、失うことも、失わせることも嫌なんだよね?

 先生もさ、雄瑠くんがうちに来てくれる少し前、雄瑠くんくらいの子どもを交通事故で亡くしているんだよ。悲しくて、悲しくて、あの子の代わりになりたい、あの子を生き返らせてって、ここにお願いしに来たことだってある。


 そんな時、雄瑠くんがうちに来てくれたの。だからたまに、雄瑠くんって私の子の変わりにここに来てくれたんじゃないかって思うこともあった。同じように絵が好きで、同じように正義感が強くて、いい子だったわ」


 先生は泣きながら話していた。僕は視界が滲んでぼやけていたが、泣き声だけは出さなかった。


「雄瑠くん、柚乃ゆずのちゃんを守ってくれてたんですってね?」


 柚乃とは、僕より3つ下、当時小2の女の子で、施設に来たばかりだった。小2とは思えないほど大人びた雰囲気を持っていた彼女は、施設にいる中学生のお兄さんたちから、変なちょっかいをかけられていた。


 けれど、引っ込み思案なところもあり、下着を取られたり、洋服を破られたりしても、黙って泣いているだけだった。


 だから、たまたま柚乃を泣かせているところを見た僕は、反射的に中学生たちに殴りかかっていた。 

 もちろん、数や体格で勝る中学生に勝てるわけもなく、先生たちが来る頃にはボコボコにされていたが。


 でも、僕がどんなに殴られても、蹴られても、立ち向かっていく姿を見て勇気を出した柚乃が、今まで彼らからされていたことを先生方に訴え、他の女の子たちもそれを肯定したので、中学生たちは施設長先生から大目玉を食い、何人かは別の施設に移って行った。そして残った連中も、以降は僕と柚乃にははれ物に触るような態度を取り続けていた。


「……別に。当たり前のことをしただけだ」


 照れ隠しに言う僕に、先生は僕の眼を見ながら力強い声で言ってくれた。


「雄瑠くんだからできたのよ?『当たり前』のことでも、身体が動かない人だっているの。あの状況で、柚乃ちゃんを助けるために動けるって、すごいことなの。だから私は、雄瑠くんは優しい子だって言うのよ。優しくて強い子なの、あなたは」


 それ以降、僕は少し喧嘩の回数が減り、相手をケガさせるような真似は二度としていない。だって、柚乃をはじめ、施設の女の子たち全員が僕をヒーロー扱いしてくれるのだ。悪いことなんてできなかった。


 それに、その頃から僕は、本格的に絵を勉強したいと思うようになっていたので、喧嘩なんかしている場合でもなかったのだ。



 そして、僕は気持ちが沈んだときや、悲しいこと、悔しいことがあるたびに神社に足を運んだ。ここに居れば、施設長先生の温かい励ましの言葉を思い出せたからだ。


 だが、2か月ほどたって、僕は神社が思ったより散らかっていることに気付いた。


(ここには神様がいるんだろうか?)


 ふとそんな疑問が浮かぶ。


 両親を亡くしてから僕は、この世には神様なんていないって信じていた。もし神様がいるのなら、僕から父さん母さんを奪ったことについて、正座させて小一時間問い詰めたい気持ちだったのだ。


 でも、柚乃を助けた後、酷い怪我をして入院した僕をお見舞いに来るたび、彼女が神様に祈るのを聞いていた僕は、退院後に訊いてみた。


「柚乃は神様がいるって信じているのか?」


「うん。悪いことが起こるのは、きっと柚乃たちが悪いことをした罰なんだよ。だから、いいことをすれば、神様はお願いを聞いてくれるよ?」


 柚乃はそう言った後、忘れられない言葉を言った。


「だから、雄瑠おにいちゃんが柚乃を助けてくれたんだ。柚乃、毎日、神様にお願いしていたもん。柚乃を助けてくださいって」


 そんなことを思い出しながら境内を見る。枯れ葉が積もりごみが散らかった庭、雑草が生えている参道、埃が積んだ拝殿。


(神様がいるのなら、誰も来てくれない、誰も構ってくれないって悲しんでいるだろうな)


 僕は『見捨てられる』ことに対してとてもナーバスになっていたようだ。そう思ったらいてもたってもいられず、境内のごみを拾い集めていた。


 もう学校は夏休みに入っていたので、僕は一人で神社に行き、参道の雑草を引き抜く。それが終わると、拝殿に置いてあった箒とちり取りを使って拝殿を掃除し、隅々まで雑巾がけをした。


 疲れたけれど、僕は何だかすっきりした気持ちになり、上機嫌で施設に帰った。


 翌日の日曜日、僕が掃除の続きをするために神社に訪れると、なぜか昨日まとめていたごみや雑草の束が、きれいさっぱり消えていた。


(大人の人が、ごみを回収してくれたのかな?)


 その日、僕はそう思い、さして不思議がるでもなく掃除を続けた。


 そんな日が3か月ほど続いたある日、いつものように神社を訪れた僕は、初めて人がいるのを見かけた。


 そこに居たのは、栗色の髪を腰まで伸ばし、鳶色の瞳をしたお姉さんだった。巫女さんが着るような服だったが、違うのは両肩にかけて薄いマフラーのような布をかけているところだった。それと、髪の毛を銀色の髪留めみたいなもので留めていたことだ。


 そのお姉さんは、境内を楽しそうに箒で掃いている。鼻歌が聞こえそうなほど明るく、見とれるような笑顔をしていた。


 お姉さんは僕が目に留まると掃く手を止め、深々とお辞儀をして言った。


「おはようございます。甘羽雄瑠さんですね?」


「何で、おれの名前を知っているの?」


 僕がびっくりして訊くと、お姉さんはにこりと笑って答えた。


「だってこの辺りに住んでいる人たちは、みんなこの神社の氏子さんだもの。どこに誰がいるか、みんな知っているわよ?」


 お姉さんの言は、今思うと不審者の言葉みたいだったが、僕は思わずこう言っていた。


「えっ、お姉さんはこの神社の神様なの!?」


 僕が訊くと、お姉さんはうっすらと笑いを浮かべ、


「さあ、どうでしょうね?」


 それだけ言って、また掃除を再開する。僕はお姉さんの雰囲気から神々しい何かを感じ取り、それ以上質問することなく拝殿の掃除を始めた。


 互いに何を話すでもなく、黙々と掃除を続ける。たまに僕とお姉さんの目が合うと、お姉さんは静かな微笑を返してくれた。


 それからは、毎週土曜日の午前中が楽しみでしようがなかった。晴れの日はもちろん、雨の日も風の日も、お姉さんは神社でどこかしらを掃除していた。


 そして神社がきれいになるのと合わせるように、お姉さんには楽し気な表情が増え、自信が満ちてきているのが分かった。


 そして秋も深まったある土曜日、その日は珍しく、掃除を終えて帰ろうとする僕をお姉さんが呼び止めた。


「あ、甘羽さん。ちょっと待ってくれませんか?」


 僕が振り返ると、お姉さんは拝殿の上から僕を手招きして、


「私、お弁当を作ってきたの。甘羽さんにも食べてほしいな」


 別に他の用事もなかった僕は、誘われるままに拝殿に上り、お姉さんの前に腰を下ろす。お姉さんは四つ折りにした風呂敷の上に重箱を開いていた。ウインナーや空揚げ、卵焼きやハムなど、僕たち子どもが好きそうなものがいっぱい詰まっている。


「……おいしそう……本当に食べていいんですか?」


「もちろん。これは私から甘羽さんへのささやかなお礼の一つよ」


 お許しが出た僕は、さっそく料理を食べてみる。どの料理も、今まで食べたものより格段においしかった。


 二人で楽しく料理を食べ終わると、お姉さんが話し始める。


「甘羽さん、神様ってね、みんなから忘れられたら消えちゃうんだ」


 それを聞いて、僕はびっくりしてお姉さんを見る。お姉さんは優しい目を僕に向けて続けた。


「……うん、消えちゃうんだよ。そしてこの神社の神様も、もうすぐ消えちゃうところだったんだ。忘れられたまま、悲しい気持ちのまま……でもそれも仕方ないって諦めていた」


 寂しそうな顔だった。僕はその顔に、昔の自分や柚乃の顔を重ねてしまう。


 でも、お姉さんがそんな顔をしたのは一瞬だった。すぐに明るい笑顔を僕に向け、お姉さんは言った。


「でも、甘羽さんがここを掃除してくれた。おかげで神様は消える運命を逃れたの。

そして私と一緒に掃除を続けてくれたことで、神様は力を取り戻したの。

知ってる? 雄瑠さんがここを初めて掃除して、今日で百回目なんだよ?」


「そ、そうだったんだ……」


 僕はいつの間にか『お百度参り』ならぬ『お百度掃除』を達成していたらしい。


 まあ、それはいいとして、次の言葉に僕はぼうっとしてしまった。


「だからお礼に、私はあなたのことを一生かけて守ることに決めました」


 今思うと、これって、プロポーズだよね? しかも男の方から言うやつ!


 しかし、そこは10代とはいえまだ小学生だった僕だ、オトナのお姉さんの清楚な微笑に胸を撃ち抜かれた。この年代の男の子って、妙に年上の女性が好みって奴もいる。僕がそうだったみたいに。


「あ、あの、お姉さん」


「私のことは、武葉たけはって呼んでいいですよ?」


「じゃ……武葉さん」


「何ですか? 雄瑠さん」


「あのさ、『一生かけて守る』って……」


 僕の顔は真っ赤だったに違いない。ついでに言うと、僕はどんな会話をしたのか全く覚えていない。ここのパートは、武葉さんの記憶に基づくものだから、武葉さんの都合のいいように改変されている可能性は微レ存。


 閑話休題それはさておき、武葉さんは鳶色の瞳で僕の眼をじっと見つめた後、耳元にくちびるを寄せ甘い声でささやいた。


「……雄瑠さんのお嫁さんになりたいなーってこと。私のことをお嫁さんにしてくれる?」


 僕は、ぼうっとした頭のまま、反射的に答えていた。


「う、うん。僕が立派な大人になったら、結婚してください」


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


3.周囲の混乱


「ということよ、思い出してくれました?」


 武葉さんは、もとの18歳に戻ってドヤ顔で言った。褐色の瞳が勝ち誇ったような光を放っている。ちなみに、服はまだ僕のトレーナーと綿パンだ。


 このままでは相手のペースに乗ってしまう。そしたら僕に勝ち目はなくなる。


 いや、『僕は何と戦ってるんだ』って疑問が浮かばなくもないが、とにかく僕が気に入られた理由も、オトナである武葉さんが、まだ小学生だった僕に結婚を申し込んだ理由も気になる。


「……武葉さんって、ひょっとしてショタコン?」


 二つの疑問を一つの理由で説明できる仮説を僕が訊くと、武葉さんはムッとした顔で抗議してきた。


「誰がショタコンですか!? 私だって大人の殿方が好みです。だから雄瑠さんが一人前になるまでちゃんと我慢したじゃありませんか。はぁはぁ……(*´Д`)」


「いや、目を据え、息を荒くしながら這いよって来ないでください。僕の中の清楚で優しい武葉さんのイメージが崩れていっちゃいます!」


「殿方が想い描く理想の女子おなごは、9割方存在しません。どんなに清楚な女神でも、やることやらないと子どもはできないんですよ?」


 僕はそう言う武葉さんに、ソファの上に追い詰められてしまった。これはヤバいぞ。


 ダンッ!


 ソファに寝転がされた僕の両肩を、武葉さんが両手で押さえてくる。武葉さんは悲しそうな顔をして、小さな声で言う。


「……そんなに逃げ回らなくてもいいじゃないですか。

そんなに私が嫌いですか? 私が神だから? もう齢2百歳近いおばあちゃんだから?

それともまさか、私の純情をもてあそんだんですか?」


「いや、オトナの女性の恋心をもてあそぶ小学生がいたら怖いでしょ!?」


 思わずそう突っ込んだ後、聞き捨てならない言葉について訊く。


「ところで武葉さん、そんなに若く見えるのに2百歳って本当ですか?」


 すると武葉さんは急にひきつった笑顔で言う。


「雄瑠さん、女性に歳を聞くのはマナー違反ですよ? 見た目は18歳から25歳なんですから、実年齢は気にしないでください」


 そう言うと両肘を僕の肩に置いて押さえつけながら、両手で僕の頬を挟み込み、妖艶な目つきで僕にささやく。


「一度私をお試しあれ♡ 実年齢なんて気にならなくなるくらい、どの部分も未使用でピチピチですよ?」


「止めてくれえぇ! 僕の美しい思い出を返してくれぇ!」


 僕がそう叫んだ時、玄関の方でドサッ! と何かが落ちる音がした。


 僕が首を回してそっちの方を見ると、身長150センチくらい、肩までで切りそろえた黒髪の小柄な女の子が、買い物袋を取り落とし、茫然とした顔で僕らを見ている。


「……雄瑠お兄ちゃん……」

「柚乃……」


 僕らは互いにそうつぶやく。だが、我に返るのは僕の方が早かった。


「柚乃、違うんだ。誤解しないでくれ!」


 その言葉で我に返った柚乃は、買い物袋から大根を引き抜くと、ムッとした顔のままずんずんとこちらに歩いて来て、


「雄瑠お兄ちゃんから下りなさぁーい! この泥棒猫ぉーっ!」

 ガツッ!

「ぶへっ!」


 なんと武葉さんは一瞬でソファの向こうに移動したため、大根は僕の顔面にクリーンヒットする。


「あ、ごめんなさいお兄ちゃん。大丈夫?」


 柚乃は済まなそうに、慌てて僕を抱き起こす。


「いや、大丈夫だ。それより柚乃、これは……」


 僕は改めて状況を説明しようとしたが、柚乃は首を振り、武葉さんを睨みつけて言う。


「大丈夫です、見れば分かります。事態は把握しました。その女がお兄ちゃんに無理やり関係を迫ったんだよね?」


 すると武葉さんは小癪にも、


「そんなことはございませんわ。私は雄瑠さんとは旧知の仲で、結婚の約束もしていただいていたのです。

雄瑠さんから一人前になったと連絡を受けたのでやって来ましたが、約束どおり結婚していただけるとの返事をいただいたため、感極まって抱き着いただけのことです」


 虚実半々の言い訳を並べ立てた。


「こらこらこら、大事な部分で嘘を散りばめるんじゃない。僕から連絡は取っていないし、結婚を承諾した覚えもない」


「でも、雄瑠さんの雄瑠さんは私に反応していますよ?」


 人差し指をくちびるに当て、首をかしげて言う武葉さんだった。思わず三人の視線が僕の雄瑠くんに集まる。


「~~~っ!// 雄瑠お兄ちゃんっ!」


 赤くなった顔を両手で覆って、柚乃が非難の声を上げる。いや、これって僕のせい?


「ごごごごめん柚乃。これは生理学的にどうしようもなくて……」


 僕が言うと、柚乃はジト目で雄瑠くんをガン見しながら、


「柚乃がどんなに誘っても、そんなにはならないのに……」


 悔しそうにつぶやく。いや、僕の雄瑠くんを見つめている柚乃の眼も怖いよ?


「まぁ、そちらのお方のように発展途上では、雄瑠さんのお相手は力不足ですね。ましてや私は10年前に雄瑠さまからプロポーズされた身です。雄瑠さんのことは諦めて、お家に帰っておねんねした方が宜しいんじゃありませんこと?」


「雄瑠さん、そう言えばさっき、結婚の約束については否定しなかったけれど、それって本当なの? だったら柚乃も雄瑠さんと約束すればよかったぁ~」


 おっと、柚乃がついに『雄瑠さん』呼びをし始めた。これは結構ジェラシっているなぁ。


「と、とにかくまずは落ち着こう。落ち着こうよ柚乃、ね?」


 僕が必死になって柚乃を落ち着かせようとしているのに、武葉さんが煽って来る。


「雄瑠さん、早く子づくりの続きをいたしましょうよ♡」

「武葉さんも、少し黙っていてくださいませんか!?」


 ブチ切れた僕は、とうとう大声を出してしまった。



「そ、そんな、酷い。私はただ、10年前の約束を果たしに来ただけなのにぃ……」


 僕から怒鳴られたことがよほどショックだったのか、武葉さんはさめざめと泣きだした。うわぁ、めんどくせえ女神様……。


 武葉さんが泣いている間に、僕はこうなった経緯を……雨の中、武葉さんを拾ったところから説明する。でないと話がややこしくなると判断したのだ。


 柚乃は、僕の説明に一応納得したが、


「……子どもだったとはいえ、そんな約束をホイホイする雄瑠お兄ちゃんも迂闊だったんじゃない? でもそれ以上に、あの泥棒猫が女神さまということが信じられない」


 などと手厳しいことを言う。仕方のないこととはいえ、柚乃と武葉さんの出会いは最悪だった。


「ちょっと、そこのお嬢さん。あなたは雄瑠さんの何なんですか? 見たところ、買い物袋を持っているってことは、侍女かしら?」


「柚乃は雄瑠お兄ちゃんの恋人ですぅ! 次女でも長女でもありません!」


「……いやいや、お隣に住んでる幼馴染で妹分ってだけだろ?」


 僕が言うと、柚乃は長ネギの切っ先を僕に突きつけ、目だけが笑っていない笑顔を向けて言う。


「は!? 何言ってんですか雄瑠さん。今、柚乃は雄瑠お兄ちゃんの恋人に昇格したんです。そうじゃないって仰るなら、思い知らせて差し上げてもいいのですよ?」


「分かった。また言うけど落ち着こう? 目が怖いよ」


 そう柚乃を諭すと、


「……とにかく、いろいろ考えたいから、二人とも今日は帰ってくれないかな?」


 そう頼んでみる。さすがに柚乃は聞き分けよく、うなずいて立ち上がったが、


「私には帰る場所がありません。雄瑠さんはこの雨の中、いたいけな私に野宿させるつもりですか?」


 武葉さんが上目遣いで言ってくる。


「いや、あの神社に戻ればいいだけでしょ!?」


「それはそうですが、ずいぶん遠いですしお寿司。ここに来るのだって、結構日数がかかったんですよ?」


 あくまで帰るつもりはないらしい。


 すると、柚乃はひきつった笑顔をして、武葉さんを見下ろし言った。


「雄瑠、じゃあ柚乃もここに泊まる。この人が出て行くまでずっと」


 うわぁ、ついに柚乃が『雄瑠』呼びした。冷たい目で武葉さんを見下している柚乃は、嫉妬のあまり『戦闘乙女モード』に突入した。こんなになった彼女を見るのは、僕が施設を退所して最初の部屋に招待した時、大学の同級生と鉢合わせした時以来だ。


「ふぅ~ん。柚乃さん……って言うのかしら?」


 武葉さんが、褐色の瞳を持つ目をすっと細めて柚乃を眺めながらゆらりと立ち上がる。その身体からは、翠のもやもやした蒸気のようなものが立ち上っていた。


「斎藤柚乃です。あなたとは違って、正真正銘の18歳で現役の高校3年生。しかも、どこもかしこも未使用の雄瑠の恋人です」


「いや、柚乃も煽ってない!?」


 僕の言葉を無視して、武葉さんが柚乃に言った。


「あなたも家に帰るつもりはない……と。じゃあこうしましょう、私とあなたで、雄瑠さんに夕飯を作って差し上げましょう。

そしてそのまま、どちらも家に帰る。雄瑠さんには私たちの手作り料理を食べていただき、一晩じっくりと寝かせ……いえ、考えていただくことにしませんか?」


 え? いや、神社に帰れるんかーい!


 柚乃はしばらくの間、武葉さんとにらみ合っていたが、


「……確かに、柚乃もちょっと頭の中を整理しないと……分かりました。その勝負、受けて立ちます!」


 こうして、武葉さんは筑前煮と栗ご飯、柚乃はホワイトシチューとエビフライを作り、


「では雄瑠さん、明日を楽しみにしていますね?」


「えっと……とりあえず、夕飯作っていただいてありがとうございました」


 そう言うと、武葉さんはすごくうれしそうに笑って玄関から外に出た。外に出た瞬間、まるで『どこ〇もドア』を潜ったかのように姿を消した。


 それを見届けて、柚乃も僕を見て笑い、


「じゃ、柚乃も家に帰るね?」


「おう、隣の部屋だけどな。ご飯作ってくれてありがとうな」


 僕は柚乃を送り出した。


 ちなみに、夕飯はどちらもすごく美味しかった。


 武葉さんの料理は、本当にこの世のものではないくらいの美味しさだった。まあ、彼女が神様だとしたら、それは当たり前のことなのかもしれないが。


 柚乃の料理は、柚乃らしい心がこもっていて、懐かしさを感じさせる味だ。

 僕はいつも彼女の料理を食べるたびに、高校時代は彼女が毎朝、お弁当を作ってくれていたのを思い出す。僕が高校3年生の時だって、自分も中学3年生で受験だってあるのに、お弁当は手を抜かなかった。


「……これ、どうやって選べって言うんだよ」


 僕はそうつぶやいて、ほうっと大きなため息をつくのだった。



 一夜明けて翌朝、昨日の土砂降りが嘘のように晴れ渡り、すがすがしい土曜日の始まり……のはずだったが、


「……どよ~ん……」


 朝目覚めて、最初に口を突いて出た言葉がこれだった。


「なにその『どよ~ん』って? せっかく可愛い恋人が、朝ごはんを作ってあげてるのに」


 エプロン姿の柚乃が頬をふくらませると、武葉さんもニコニコして言う。


「そうですよ雄瑠さん。妹さんは可愛がってさし上げないと♪」


「ちーがーいーまーすぅー。柚乃は雄瑠の恋・人、ですぅー」


 包丁を持った柚乃が、武葉さんに抗議する。


「そ、そうなんですね? あはは……」


 そんな柚乃に対し、武葉さんは煽るでもなく苦笑している。


(あれ、昨日の武葉さんとちょっとイメージが違うな……)


 僕はそんな違和感を覚えながら、


「……武葉さん、柚乃、朝から喧嘩なんかしないでくれよ」


 ため息と共に僕が言うと、武葉さんは


「はいはい、分かりました。夫の言うことには従わないとですね……」


 そう言いながら、柚乃の作った卵焼きを口にする。


「あっ! つまみ食いしたらだめだようぅ。それ、雄瑠のだよ?」


 柚乃が慌てて武葉さんに注意すると、


「……」


 武葉さんは、なぜか固まっている。どうしたんだ?


「……どうしたの、武葉さん?」


 柚乃に何か言われるかもしれないと、おっかなびっくりに僕が訊くと、武葉さんは


「……この卵焼き、どこかで食べた気が……」


 そう小さくつぶやいた後、


「……たかが幼馴染と侮っていましたが、容易ならぬ恋敵ライバルですね。幼馴染さんはどこで料理を覚えましたか?」


 鳶色の瞳を柚乃に当て、真剣な顔で柚乃に訊く。柚乃は面食らった様子で、


「え? そんなことはどうでもいいじゃないですか。雄瑠に朝ごはん作らないつもりなら、そこをどいてくれませんか?」


 そう言うと、驚いたことに武葉さんは、


「雄瑠さん、私はちょっと大事な用事ができましたので、一旦神社に戻ります。すぐに戻って参りますから、お昼ご飯を楽しみにしておいてくださいませ」


 そう言うと、あっけに取られている僕たちをしり目に、玄関ドアを開けて消えた。


「……なんなの、あれ?」


「さあ?……」


 僕と柚乃は、顔を見合わせてつぶやいた。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


4.不安な門出


 雄瑠さんの部屋を出た私は、私たちを祀っている神社へと帰って来る。どうも、私が聞いていた状況と雄瑠さんたちの状況がしっくりこなかったためだ。


(……雄瑠さんに柚乃さんという妹さんみたいな存在がいることは聞いていましたが、どうもお二人の私への態度が、聞いていたものとは違う気がいたします)


 私がそう考え込んでいると、姉の椎葉つちはが本殿の戸を開けて、眠そうな目をこすりながら出て来た。


「あれ? 武葉は雄瑠さんのところに行ったんじゃなかったの?」


 椎葉は、私と同じ武羽槌命たけはづちのみことの化身で、双子の姉だ。だから私たちは、瞳の色以外は酷似している。ちなみに椎葉は褐色、私は鳶色だ。


 神には和魂にぎみたま幸魂さちみたま奇魂くしみたま荒魂あらみたまという状態?というか存在があり、普通はそれらを一身に受けて顕現するのだが、なぜか私たちは姉の椎葉が幸魂と奇魂を、私が和魂と荒魂を顕現した存在としてここに居る。


「昨日、私が代わりに雄瑠さんに武葉の気持ちを伝えてあげたんだから、雄瑠さん、武葉のことを泣いて喜んで迎えてくれたんじゃないかしら?

あ、それとも雄瑠さんってば、これを準備していなかったとか? 仕方ないなあ、今度私が正式にあいさつに行った時、注意しておいてあげますね?」


 そう言いながら椎葉は、可愛らしい箱を差し出す。


「これ、何ですか? ずいぶんと可愛らしいデザインの箱ですね?」


 私が首を傾げると、椎葉はにかっと笑って言った。


「武葉も人間のことはちゃんと勉強しておいた方がいいわね。それがないと、不用意に赤ん坊が出来ちゃって、雄瑠さんを困らせるでしょ? ま、本当は殿方の方が準備しておくべきなのだけれど」


 そう言われて、私は箱をよく見てみる。ん?『0・02ミリ、12個入』?……って、椎葉ったらなんてものを!


「はわわっ!? こ、これっていわゆるそのあの……」


「うんうん、コンドーさんだよ♡ それがないから取りに来たんでしょ?」


「いえ、私はまだ、そんな……すごく恥ずかしいですからっ!」


 私が慌てて否定すると、椎葉は不思議そうな顔で言う。


「え? でも昨日、私が雄瑠さんと話をした時、彼ったらやる気満々みたいだったけど?」


「つつつ椎葉!? いいいいいったいどんなお話をしたんですか!?」


 何だか嫌な予感がします。私は椎葉にそう問いかけながら、聞きたいような、聞きたくないような、妙な胸騒ぎを覚えていました。


「どんなって、武葉の気持ちを素直に雄瑠さんに伝えただけよ? 大丈夫、彼をソファに押し倒したり、私たちは未経験だから優しくしてねって迫ったりしていないから♪」


「……ってことは、したんですね!? 雄瑠さんを押し倒したり、お色気ムンムンで強引に迫ったりしたんですね!?」


 姉の椎葉には、奇魂状態が存在する。おかげで椎葉は、こうやって悪戯(たまに悪戯レベルをはるかに超えたものもありますが)を仕掛けて悦に入ることがある、困ったお姉さんなのだ。


 今度だって、雄瑠さんがイラストで何か大きな賞を獲ったって聞き込んだ椎葉が、


『もう雄瑠さんも一人前の殿方ですね? じゃ、10年前の武葉との約束を守っていただかなくては♪』


 そう言って、私が止めるのも聞かずに雄瑠さんのところに行ってしまった。帰りが遅いから心配していましたが、これはじっくり話を聞かないといけないようです。


「椎葉、雄瑠さんとどんな話をしたのか、本当のことを教えて? 嘘ついたら、私、荒魂状態になっちゃうからね?」


 私が凄むと、椎葉はびくっとして私にぎこちない笑顔で訊く。


「い、言うわ。言うから、怒らないって約束して?」


「それは、内容によって私が決めます。とにかく話してください!」


 私が少し心のゲージを荒魂へと傾けただけで、椎葉は観念して話し出した。聞くだに恥ずかしい、『武葉』の所業を……。



「いやあああっ! 私、もうお嫁さんに行けなぁーい! それ以前に、雄瑠さんの顔、恥ずかしくて二度と見られないぃ~!」


 十数分後、私は椎葉の話を聞いて絶望の淵に叩き落されていた。雄瑠さんは絶対に私のことを誤解した。強引で淫乱な女神だと思われちゃった!


「ご、ごめんなさい。私も雄瑠さんに会うのは久しぶりだったし、こんないい子が義弟になるのかって思うと、つい舞い上がっちゃって……」


 私の怒りの雷撃を受けた椎葉は、縮れた髪の毛を気にしながら謝る。でも私は、10年来の恋が破れた悲しみに浸っていた。


「やだやだやだ! 許さないぃ~。ぜーったい私、椎葉のせいで雄瑠さんに嫌われちゃったよう!

せっかく雄瑠さんには清楚な女神ってイメージを持ってもらっていたのに、淫乱どスケベ女神だって思われちゃったよう!

私の()()()は、あの日あの時、雄瑠さんでぜーんぶ予約を入れちゃったのにぃ~!」


 今思うと恥ずかしい言葉を連発しながら駄々をこねまくる私に、椎葉もほとほと困り果てた顔をしていたが、やがて決心したように私に言った。


「……武葉、雄瑠さんの誤解を解きに行きましょう!?」


「へ? 誤解を、解きに?……どうやって?」


 私が泣き顔を上げて椎葉に訊くと、椎葉は私の涙を優しくぬぐって、こう言ってくれた。


「私たちは双子で、恥ずかしいことを言ったのは全部私だったって言えばいいのよ」


 それから数分後、泣き止んだ私は、椎葉に連れられて雄瑠さんの部屋に舞い戻っていた。


「……はぁ、つまり、最初僕が街で拾った美少女は、すべて姉神に当たる椎葉さんだったと? で、今日の朝から来てくれたのが本物の武葉さんだと……そういうことですね?」


「そうなの。武葉は姉の私から見てもすごく奥手で、このままじゃせっかく結婚の約束をした雄瑠さんに会いに行けないんじゃないかって心配したの」


 椎葉は、本当に反省した顔で、すべてを雄瑠さんに話してくれた。


 雄瑠さんは苦笑いをして、でも何か腑に落ちたような顔で私を見て言った。


「……分かりました。でもよかった、思い出の中の武葉さんと全然変わっていなくて。昨日、椎葉さんから迫られた時は、何かの間違いじゃないかってずっと混乱していたんです。

あの神社で一緒に掃除をしたお姉さんが、こんなことするはずないって」


「……雄瑠さん」


 私はそう言ってもらって、心の底から安堵し、そして愛しさがさらに募った。


 そこに、一緒に話を聞いていた柚乃さんが割って入ってくる。


「ちょっとちょっと、何『話は無事解決しました』って感じでいるわけ? 柚乃にしたら、恋敵ライバルが椎葉さんから本物の武葉さんに代わっただけで、なーんにも解決していないんですけど?」


 くっ、そうでした……椎葉のせいで、無駄に幼馴染さんの恋心に火をつけてしまっていたんでした。


 しかし、そこは私が選んだ良人おっと、ちゃんと決断してくださいますよね? 武葉と結婚してくれるって。


 私が期待のまなざしを向けると、それに気づいた柚乃さんも、上目遣いで雄瑠さんに


「ねえ雄瑠。柚乃、助けてもらってからずーっと雄瑠のことが好きだよ? 名前を呼び捨てにさせてるのは、雄瑠だからだよ?

だから『お兄ちゃん』じゃなくて、『恋人』として、柚乃を見てくれると嬉しいなぁ」


 そう言いながら身体を摺り寄せている。若い娘さんがなんてはしたないことを……とはいうものの、私だって雄瑠さんに甘えたいのは同じであって、


(……むしろ雄瑠さんと同じ人間だから、幼馴染さんの方が自然な感じがしますね。そういう意味では、神である私が雄瑠さんに甘えるのは不自然極まりないってことになるんでしょうか?)


 などと考えてしまうのでした。


 雄瑠さんの方は、


「こら、柚乃。あんまりべたべたするんじゃない」


「え~、どうしてぇ~? 雄瑠はいつもこうやって柚乃を甘えさせてくれたじゃない」


 顔を赤くして、幼馴染さんに注意をしている。


 それを見て、椎葉が、


「柚乃さん、可愛いわねぇ。でも雄瑠さんの反応を見る限り、まだ柚乃さんを完全に『女性』として意識しているわけでもなさそうね。


武葉、あなたも自分の立場なんてかなぐり捨てて、心のままに雄瑠さんに甘えてみたらどうかしら? あなたは神とはいっても、雄瑠さんの初恋の相手と言っても過言じゃないわ。

だから自信もって甘えてみなさいよ」


 私の背中を押してくる。


 私は、椎葉の言葉を聞きながら、困ったように笑う雄瑠さんの顔を眺めているうちに、頭がポーっとしてきちゃいました。


(ああ、雄瑠さん。幼い時のように純粋な笑顔はそのままなのですね? やっぱり、優しい人ですよね。その優しさを私だけのものにしてはいけないのでしょうか?


……ううん、そんなことはございませんよね? あの時消えかけていた私たち姉妹の神力の灯をあなたの優しさが救ってくれました。だから私はあなたの一生を見届けます、妻として。この気持ち、分かってください!)


「うわっ! 武葉さんまで。や、やめてくださいよ」


「こらぁ~っ。雄瑠から離れなさいよ~!」


「イヤです。私は雄瑠さんのものですから、絶対に離れません」


 三人でわちゃわちゃしている私たちを見ながら、椎葉はニヤニヤしながら何かを考えているようでした。



「……ひどい目に遭った……」


 僕は、柚乃と武葉さんにもみくちゃにされながらも、何とか二人を落ち着かせ、仕事にかこつけて部屋を脱出した。


 普通に考えると、土曜日に仕事なんて言い訳が通用するわけはないのだが、僕の仕事はイラストレーター。それもゲーム会社や出版社と契約を結んで、プロジェクトに参加することで仕事を回してもらっているフリーランサーだ。依頼主の意向は絶対ということもあり、実際それまでにも何度か超ブラックな日程で作品を仕上げたこともある。


 柚乃がその状況を知っていたことが幸いし、『仕事で打ち合わせに出なければならない』という僕の嘘を割と簡単に信じてくれた。


「……お仕事なら仕方ないですね。でも雄瑠お兄ちゃん、あまり無理はしないでね?

この間みたいに、終わったら3日も寝込むなんてことにならないでね?」


 そう言ってくれた柚乃の笑顔に、僕は軽い罪悪感を覚える。


(……考えてみたら、まだ来年の3月までは施設に居られるのに、僕の隣の部屋が空いたからって、わざわざ退所して引っ越してきたんだったな。

あの時は施設長先生にも心配や迷惑をかけたなぁ……)


 そう考えたら、僕は不意に施設に顔を出したくなった。僕が退所して3年、賞を取った時には我が事のように喜んでくれた施設長先生はじめ職員の方々と、久しぶりに話してみたくなったのだ。


(そうしよう。柚乃の現状も知らせてあげれば、安心されるだろうし)


 僕はそう決めて、懐かしい施設へと足を向けた。


 そして僕は、金曜日にあの少女に声をかけてしまったばかりに、僕の平穏な生活は二度と手に入らなくなってしまったことに思い至り、なんか憂鬱になってきた。


 だが、


『女神さまが10年前の結婚の約束を果たせと、家に転がり込んで来ました』


 なんてことを相談できるはずもない。そんなことを信じてくれる人間って、逆に詐欺に引っ掛からないか心配になるレベルでのお人よしだ。


(……とにかく、武葉さんも椎葉さんも、思い込みが激しくて押しが強いだけで、悪い神様じゃないんだから、僕の状況を分かってくだされば、帰っていただけるだろう……)


 僕は、今思うとそんな淡い期待をしていたことは否めない。


 そしてその間に、柚乃と武葉さんは、椎葉さんの提案で、ある協定を結ぶのだが、それはまた次の機会にお話しできればと思う。


   【デレ神様と修羅場と僕:1.出会いはいつも偶然 終わり】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

『無常堂夜話』を書いていて、『同じような設定でラブコメタッチにしたら、どんな物語になるだろう?』と考えて書き始めた物語です。

『夜話』同様、不定期更新でお送りいたしますので、気長にお待ちください。

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