約2キロの長い長い道 その二
姫君のまだ幼い顔に恐怖と怒りが入り混じる。
「森津侯が長女、天照じゃ」
先ほどまでの笑っていた声とは声調が違う。
どこか決心を伺わせる深い声色だった。
「馬鹿っ」
一真は聞こえないくらいの小さな声でつぶやき姫の前へと躍り出た。
同時に時が動き出したかのように皆、一斉に動き出す。
「てっ、天照姫じゃ、斬れ、斬れ!」
籠から下府中侯が転げるように降り立つと、家臣たちに命じた。
傍にいた侍たちが一斉に切りかかってくる。
一真と安次郎が姫を背にしてほぼ同時に刀を抜いた。
「計画失敗だ。兵庫、姫を連れて逃げろ!」
一真が後にいる兵庫に言った。
「に、逃げるってどこへ」
籠かきは既に逃げ出し、籠は使えない。
「どこでも!ここは俺たちが食いとめる」
安次郎がこたえた。
「ひえ~」
兵庫は半べそをかきながら天照姫の手を引いた。
残された一真と安次郎は細い道をふさぐように2人で立つ。
「なるべく斬るな」
一真が言った。
「いや、無理でしょ。この人数」
片頬を上げて安次郎が答えた。
「とにかく時間稼ぎだけだ。その後、俺たちも逃げるぞ」
「合点」
言うや否や、安次郎が侍の群れに突っ込んでいった。
無数の刀が安次郎に襲い掛かる。
安次郎は紙一重でそれらを避け、同時に打ち返す。
その顔には余裕の笑みすら浮かんでいる。
反射神経の良い安次郎は一対一の斬り合いより、避けながら打ち返すという大人数を相手にするやり方が大好きなのだ。
かがんだかと思うと、ばねのように跳ね上がり、相手の刀を落とす。
後に回ったかと思うとまた前へくるりと回り、肩を突く。
相手が攻撃するに任せてまるでくるくると踊るような剣捌きだ。
その様子を横目で見ながら、一真は数人の侍に囲まれていた。
一真は通りの壁を背にして一つ息を深く吐いた。
その様子を侍たちは、覚悟を決めたと思ったらしい。
「餓鬼が。粋がるからだ」
一人が上段に構え一真に振り下ろそうとした刹那。
一真が睨んだ。
その目の色は深く、情をもたない冷たい光を放つ。
睨まれた侍は背筋が凍るのを感じた。
一真が刀を下に構えた。
上級者のよく使う下段の構え、しかしそれ以上の凄みがある。
空気が青く冷えていく。
それは、他の侍たちにもやがて伝染していく。
一真が一歩前に出た。
思わず、侍たちは後ずさりをした。
殺気。
侍たちはこの言葉にいたるまで随分時間をかけた。
追い詰めているのは自分達だというのに、まるで猫に追い詰められたねずみのような気持ちになっている。
「うわあ!」
一人がたまらず一真に切りかかった。
がむしゃらに突っ込んできた刀は一真にひらりと避けられた。
避けると同時に一真も反撃にでる。
一瞬むき出した青白い闘志は、侍の腕を襲う。
刹那、刀はくるりと裏返されその峰で侍の刀を叩き落した。
「ひっ」
有り余る殺気にやられ刀も奪われてしまった侍は、戦意を失い一真から逃げ出した。
誰もが金縛りに会ったように動けなかった。
先ほどから上段に構えて動けなかった男が突っ込んできた。
一真はすっと避けると刀の柄で首を叩いた。
男はそのまま伸びてしまった。
侍たちがじりじりと後退し始める。
一真はそろそろ引き上げ時だと感じた。
兵庫たちとは随分離れたはずである。
一真は安次郎に声をかける。
「いくぞっ」
安次郎が退路を背に、一真に近寄る。
そして二人同時に走り出す。
「殺したか?」
走りながら、一真が尋ねる。
侍同士の喧嘩は法度である。
ましてや殺してしまったらいくら権力のある岩木でも面倒見切れないかもしれない。
「怪我はしただろうけど、急所ははずしたつもりだ。それより、兵庫は大丈夫だろうか。できるだけ足止めはしたけど、多分何人かは追ってるんじゃないかな」
安次郎が不安をこめて答えた。
「あいつは馬鹿じゃない。いざというときの悪知恵に期待しよう」
一真はそう答える。
走りながら心の中で岩木に悪態をついていた。
あの大猿め、大丈夫だとか言いながら、肝心の姫君が敵の前に顔を出すなんてどうしようもないではないか。
それに下府中侯。
天照姫とわかると、迷わず斬りに来た。
いくら姫が城下にいるとはいえ、普通側室をそのまま斬りに来るか?
何か隠している重要なことがあるはずだ。
一真たちは侍たちが追ってこないことを確認すると、その足で岩木の屋敷に向かった。