新米同心たちの受難 その三
なおも一真が疑いのまなざしを向けていると、突然天照姫がわっと泣き出した。
「おお、おいたわしや、姫君。はよう城にお戻りになりたいのでしょう。大丈夫、ここにいる一真殿は、能面の男という通り名がある程、無表情ではございますが情には厚い男でございます。必ずや姫君を安全迅速にお城までお連れいたしましょう」
泣き崩れる姫君を胸で抱きとめたあやめがいった。
そして、そのままじろりと一真をにらむ。
女の泣くのは、さしもの一真もあまり得意ではない。
一真は目をつぶり考えていたがついに折れた。
「分かりました。門の前までお連れすればいい、それだけですよね。承知いたします。しかしそれには友人の大堀兵庫、清島安次郎も一緒につけていただいてもよいでしょうか」
「おお、清島安次郎か。あいつも刀の腕は有名だからな。好都合だ」
がはは、と豪快に笑い、手配のために出て行った。
共に天照姫も部屋へと下がっていく。
残された一真は、あやめに尋ねた。
「一体どういうことなのですか」
「さあ、私に聞かれても。私も何も聞かされていませんもの。でも父の懇意にしている老中阿部様の派閥が絡んでいることには間違いはないと思いますわ。天照姫は3日前に我が家にいらしたんです。何でもお命を狙われているとかで。もし、お命を狙うとしたら正秀院様の派閥かもしれませんわね」
正秀院とは前将軍の正室だ。
表向きには隠居の身だが実権はまだ健在だ。
「表に意見することも多くて、阿部様とは日ごろから折り合いが悪いと噂があります。そのからみだとしたら、正秀院派のお家には特に気をつけたほうがいいですね」
あやめもうなずいた。
やがて、大堀兵庫と清島安次郎が岩木の屋敷にやってきた。
「ひゃあ~、おれ、こんなお屋敷に上がれるなんて思ってなかったよ」
兵庫が出された菓子と茶をほおばりながらきょろきょろと見回す。
「お前が岩木様と親戚ってのは知ってたけど、やっぱすげえや、岩木屋敷」
安次郎まで感嘆のため息をついた。
「で、何のために呼ばれたんだ。俺たち」
小首をかしげ兵庫が一真に尋ねた。
「それはそのうちわかるよ」
何も知らない二人の呑気な姿を見ると哀れな気持ちになった。
「失礼いたします」
再びあやめが入ってきた。
二人がその美しさに見惚れる。
「岩木様の一人娘、あやめ姫だ」
一真が従姉妹を紹介する。
「いや、まさか旗本の姫君が客間にまでご挨拶にこられるとは・・・」
安次郎が姿勢を正す。
安次郎は一真とは対象に女好きである。
役者のような美男子であり、おまけに母親の実家が大きな呉服問屋で金回りもよい。
よってよく弄てる。
そのせいもあってか女を見ると声をかけずにはおれない性質なのだ。
今度もその病がでた、と一真たちはやれやれと思った。
「お美しい。このように美しい方と出会えてこの時この場所に生まれてきてよかったとつくづく思います」
「ホホホ、お上手だこと。その甲斐性が一真殿にもあればいいのに」
あやめが笑う。
「でも、この仕事をお引き受けされるだなんて、度胸がおありですのね」
あやめが付け加えたその言葉に安次郎がきょとんとする。
「そろそろ、準備が整ったようですわね」
あやめが気ぜわしくなった廊下を見ていった。
そして、現れた姫君をみて、二人は目を見張る。
「将軍様の御側室、天照姫であらせます。お三人でしっかり警護くださいましね」
悪びれる様子もなくつらつらと答えるあやめをよそに、兵庫と安次郎はただただ一真の背中を絶句しながら見るのであった。
「お前、謀ったな」
庭先に一真を引っ張り出した二人は一真に食って掛かる。
「何で御側室が城下にいるんだよ、どうして俺たちが江戸城まで警護しなくてはいけないんだよ、こんなことばれたらお家取り潰しじゃすまないぞ」
安次郎が声を荒げる。
「叔父貴殿は多分、剣の腕があって調べても足のつきにくそうな御家人を御所網なんだよ」
ため息混じりに一真が言った。
「腕が立つなら、一真と安次郎だけでいいじゃないか。俺は関係ないぞ。俺、弱いぞ」
半泣きになりながら、兵庫が弱さを強調する。
横目でその様子を見て一真は奥の手を出した。
「褒美に金一封を出すそうだ」
貧乏長屋暮らし兵庫の喉が、んぐっと唸った。
また、安次郎にも向かっていった。
「仕事が終わったら、吉原で松風を呼んで打ち上げるそうだ」
東西一の花魁の名前を出されて安次郎も目の色が変わる。
「仕方がないな。まあ、ここに姫がいることは辺りに知れていないのだから、半里程度なら何事もないだろう。おい、兵庫、足手まといにならないようにしっかりついてこいよ」
安次郎が拳で手を打つ。
兵庫もしぶしぶうなずいた。
一真は、単純明快な友人たちでつくづく良かったと胸をなでおろすのであった。
出立の時間となり、姫君は用意された輿に乗った。
姫君が乗るには少し粗末で地味な輿だが、しっかりと御簾がついているため中は見えない。
日雇いの駕籠かきが2人、事情はもちろん知らされていない。
そして、護衛は、一真たち新米同心3名のみ。
何とも心もとない半里の始まりであった。