胎動の刻―侵食の叫び『梅香る庵①』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『梅香る庵①』
夕暮れ時。西の空が紅く染まる。
皆は思い思いに、居間で寛いでいた。
魔剣は部屋の隅、壁に背をもたれ、片膝を抱き抱えるようにして座っている。
天使と雫、それに白帝城は部屋の中央に備えつけられた囲炉裏や、太く黒光する柱や梁を珍しそうに眺めながら、『香月の苗』を振り返って話しているようだ。
私は九尾の膝の上に座り、縁側から紅いに染まる庭を眺めていた。
軒下には鉄製だろうか…風鈴が、緩やかな風を受け、涼やかな音色を奏でる…実に風流である。
私達が寛いでいるのは、白夜が住まう庵の一室である。本邸から僅かに離れているが、大勢の株達が夜昼構わずに行き来する領主の邸宅よりは、安全性も高く、何よりゆっくり寛ぐ事が出来るとの理由で、白夜の庵にお世話になる事になった。
領主夫妻の住む館は、王都で例えるならば王城みたいな物だ。領地のシンボルであり、中心部。
小高い丘の上に館は建てられて居るようで、裏側は、なだらかな山裾へと続いているのが見える。
ラプティスのポノに跨る白夜に導かれながら、神妙な面持ちで私達は足を踏み入れた。
正面を護る城壁は、岩を削り出し積み重ねて作られていて、深い堀に架けられた跳ね橋を渡る。広々とした洋風庭園を抜けると、目前には日本城そっくりの邸宅。何とも言えない感じの和洋折衷に思わず苦笑いが出てしまう。屋根は見慣れた瓦に良く似ていて、やはり焼物だろうか…と、そんな事を考えていた。
いや、まさか…この世界で日本城にそっくりな建築物を見れるとは思わなかった。嬉しいような、似過ぎていて…ドン引きするような。複雑な心境になった。
案内されるまま館内に入ると、日本城とはかなり違うようで…エントランスは吹き抜けで、真っ赤な絨毯が引かれていた。高い天井。かなりの太さの梁からは豪華なシャンデリアがぶら下がっている。成人男性が両手を回しても手が届かぬ程の太い柱が何本もあった。
案内が無ければ絶対に迷子になるな…と思いながら城内を進み、白夜の父親である西辺境伯との面会を果たした。
本格的な会談は、志乃さんが戻って来た後ーー夕食後に行うと聞かされ、挨拶もそこそこに…。庭と呼ぶには抵抗がある…林まであるんだが。これは、本当に庭なのか?と思うような庭を横切り、白夜の庵へと移動したのだった。
白夜の庵は…これまた凄い。
平屋建ての茅葺き屋根の屋敷。茅葺きって、確か…ススキやヨシなどを使ってあるんだっけ?
急勾配な屋根は、雨水を速やかに流して、保温性、断熱性、吸音性が非常に高いと記憶している。
まぁ…乾燥した植物が屋根にある訳だから、火にはめちゃくちゃ弱い。しかも、メンテナンスが大変だって話を聞いた事がある。
まぁ、似てるだけで…同じ植物を使用してる訳では無いのかも知れないが、造りはそっくりだ…って話しである。
玄関は土間だ。しかも三和土だ!
いやはや…三和土と言うのは知っていたが。まさか、まさか、異世界でお目に掛かる羽目になるとは。
土と消石灰と…にがりだったか…水か?ーーを混ぜ合わせて、叩いて固めて造るんだったよな。
三和土からは、微かに…まだ土の香りが残っている。
皆は段差に腰掛けて、靴を脱ぎ、室内へと案内された。
廊下は板張り。木目がとても綺麗で、丹念に磨き上げられているから、艶々だ。歩く度に、微かな軋み音がする。日本建築の有名なお寺や、お城にある鶯張りの廊下みたいだ。
やはり、外部侵入者の危険探知の為…なのだろうか?
居間に通されると、囲炉裏があって…炭の香りが漂う。梁には、麻紐か何かで乾燥した草らしき物がぶら下がっている。聞けば、消臭効果のある草で、定期的に交換しながら、ぶら下げているらしい。こうしておけば、囲炉裏で使用する炭の匂いが緩和されるって話しだった。
何と言うか、お婆ちゃんの知恵袋みたいだな〜と思った。
「直ぐに皆様のお部屋を準備致しますので…暫くは此方でお寛ぎ下さいませ。」
屋敷内で働く、女中さんって感じの使用人が廊下に座って、所在無さげに居間に立ち竦む私達に頭を下げる。そして、微笑みながら襖を静かに閉めて下がって行った。
そしてーー今に至るって感じだ。
夕闇に沈んでいく、白夜の庵の庭。
苔むした大岩の側に、白い梅の花が咲き乱れている。
その花を揺らすように、風が吹き、軒下の風鈴がチリンと鳴った。
「あれ?」
この世界に四季があるのか知らないけど…何で梅の花が咲いているんだろう?
「ん、どうした?」
九尾が膝の上に座る私を見下ろしながら声を掛けてきた。
「うん…何で梅が咲いているんだろうって思って。ほら、見事な小麦畑が収穫だって話してたからさ。」
私は九尾の顔を見上げて、小首を傾げて見せる。
私の居た世界では、梅が咲くのは早春。小麦の収穫は、本州で5月〜6月位だったはずだ。時期が微妙にズレている。
まぁ、こちらの世界では、これが普通なのかも知れないけれど…何故か気になった。
「あぁ…そんな事か。庵の梅は、季節を問わずに狂い咲きしてんだよ。」
九尾は、少し目を細めて…何かを懐かしむように、そう言った。
「狂い咲き…」
私はそう呟きながら、考える。
この庭の梅の花だけが狂い咲いてる?
それって…もしかしなくても、精霊が関与してるからじゃないのだろうか。
夾竹桃を迎えに来たーーあの大鴉。その傍に控えていた小鳩…『小梅』と呼ばれていた、あの精霊の神木って事じゃないのか?
いや…でも、精霊が宿るには木が若いような気もするな。なら、この梅の木では無いのかも知れない。
でも、ここの梅が狂い咲くのは…間違いなく『小梅』と呼ばれていた精霊の影響だろう。
「何が気になるのか?」
九尾が私の背中を撫でながら尋ねてきたので、私は精霊の影響で狂い咲きしていると話して聞かせる。
「なるほどね…そう言われると納得だな。精霊信仰とか言われても、ピンと来なかったんだが。こうなると…案外身近なモノだったんだな〜。」
九尾は呟くようにそう言うと、視線を梅の花に注ぐ。
そうか…香月は精霊信仰が主流って話しだったな。九尾は幼い頃に攫われて香月から出てしまっていたから、その信仰心が芽生える事は無かったのだろう。
きっと戻ってきた後も…精霊の話しを聞いても、何処か他人事のまま過ごして、今に至ったのではないだろうか。
そう言えば…楠のじーちゃんの時も、皆は飄々としてたっけ。いきなり精霊とか言われても…信じる以前に実感が湧かなかったのかも知れない。
夾竹桃の祝福を受けたからこそ、今頃になってじわじわと実感しているのだろう。
爽やかな風に、狂い咲く梅の香が舞う。苔むした大岩の上に、今にも『小梅』が笑いながら現れるような気がして…私は九尾と一緒に、闇にゆっくりと沈む庭を眺めていた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




