田に月のうつる
水は有りすぎるのも怖いし無いのも怖い。
その年も梅雨はなかった。
土用を迎えた夏の田は、容赦なく強い日差しに炙られ、土がところどころひび割れて畔の際から稲が無残な色に枯れていく。
村の人間たちは口々に言う。これでは冬を越せない、と。
「これでは供出米出したもんだら1軒2俵も残んねえぞ」
「里芋でも出来たら良かんべけど、里芋も水の要る芋だべし、これでは」
「カデあっても二人、いや三人か」
「カデでは来春の田仕事やる力残んねえぞ、五人は口減らさねば」
村の人間全員を生かして一人当たりの食べるものを切り詰めてしまうと、来年の収穫を待たずに村は飢えで滅んでしまう。陽炎のたつ村の中ではみな口に出す、出さぬを問わず、いったい誰を見殺しにすべきか?を伺っていた。
ああ、長原の二番めの子は十五にもなって読み書きも出来ねえべし、あれはだめだべ。
女沢の婆様はもう息子の顔も分かんねくなったしどうだ。
石野上のちょっとおかしなの居たべ。去年の堀さらいにも来ねで、あれならバチ当たったぶんになんべ。
桜道の夫婦の子供、六人もいてカカアの腹にもう一人いるんだと。あそこばっかしボコボコ子供産んで……一人くらいなあ。
蛇指の娘は順当だべ。えらい巫女さまだって金華山から連れてきたのに、去年も今年も雨乞いして一滴も降らねえでは。水無瀬さまさ嫁に行くと思って捨身せねばなんねべ。
そうして、蛇指の神主の養子の娘を筆頭に、五人を山中の社に捨て置くことが決まった。
「かあちゃん!いかねでくんろ!」
桜道のまだ齢三つの子が、わけもわからぬまま置き去りにされて泣き叫ぶ。母親が迎えに来るのは、来年の新嘗祭の前、その子の骨になったのを拾って、墓に収めるためだけだ。蛇指の娘がそれを悲しい顔で抱きとめた。
「ーーーーー。」
蛇指の娘は言葉が話せない。それを代わるようにすっかり呆けの進んだ女沢のばあさまが泣き続ける子供をあやし始める。
「ほれ男が泣いたらダメだべした。ノブ!しゃっきりせねば」
とっくに三十路になった息子の名前を、幼子に向けて発する老婆の様子は哀れだった。石野上のせがれがぼうっとした顔でそれを眺めている。馬鹿と評判だった長原の娘はただ、おろおろとしながら、泣き声が耐え難いとみえて耳を時々抑えた。
ところで口減らしは、山中ただただ捨て置くことでは終わらない。殊更、巫女とともに山中に来たとなれば、その意味するところはすなわち、水神への供物と水神の伴侶としての輿入れである。
蛇指の娘は懐から畳まれた紙を取り出す。水無瀬の文字と竜蔵権現への真言が書かれたそれを、唱える代わりに幾度か風に泳がせて、印を結ぶ。と、巫女は帯に隠してあった小刀をふいに抜いた。
「あっ」
長原の娘が声をあげると、もう小刀は娘の胸を貫いていた。返す刀で石野上のせがれの喉を突き、桜道の幼子の喉も後ろから掻き切った。びっくりしたような顔をする女沢の婆もさくりと胸を突かれ、四人はあっという間に地に倒れこんだ。最後に蛇指の娘も、自ら喉を掻き切ったのだった。
その夜、山から帰った村人の何人かが妙なことを言い出した。
「水音がする!」
「ああ堀さ水の流れる音だあ!」
止める家族の声も聞かず、用水路へ駆け出すと、用水路は昼間と同じく、からからに乾いて底を覗かせていた。
「水来るだ!水来るだぞお!」
「おいしっかりしねえか!雨も降らないのに水がーーー」
ざあ、ざああああ。
村長は耳を疑った。確かに。確かに水が流れているような、そんな音がする。いや、しかし、水、だけではない。何か大きいものが、川底をこすれてくる音が、確かに、混じってーーー。
「あ、あ」
村長は見た。見て、しまった。今日の日中に山に捨て置いた口減らしの、その筆頭。蛇指の巫女の。
「うわあああああああ!!」
その身体に、首はついていない。そして、そして失くした首の切り口から。
「みずが、みずが、ああああああああ!!!」
滝のようにあふれる水、水、水。ありえない鉄砲水だった。用水路はそのすさまじい水量を飲み切れず、たちまち村に水はあふれにあふれ、逃げる間もなく村人たちは家や牛馬ごと濁流の中に飲み込まれていった。
明け方、細い月が薄明りの中を上ってくる。誰もいなくなった村の田に、たっぷりと満ちた水が月をゆらゆらと映していた。
田んぼの水争いの訴訟記録に着想を得て、民話風に書いた怖い話。ちょっと時代がとっ散らかったが明治から昭和のどこか、くらいの感覚で読んでくれればうれしい。