すれ違う封書 2
unintended misdelivery 2
もしかしたらさ。
臨海パーク前のプロムナードで話をしたとき。
イオさんにはもうすでに、おおよその答えが分かっていたのかもしれないって。
そんなコトを、オレが思いついたのは――
ずっとずっと、後になってなってからのコトだった。
*
翌日の金曜日。
昼休み、蒼は事務所近くのカフェで、同僚で先輩の森田と向かい合っていた。
「ほんとに、書留なんて心当たれへんし、なにがくるんやろうって思っててさ」
大げさに頭を抱えてみせながら、森田はアメリカンのカップに口をつける。
蒼はブレンド。午後からの眠気覚ましがわりだ。
今朝は、また雨だった。
うっすらとした梅雨寒。たしかに、アイスコーヒーよりホットの気分にもなる。
「そしたらな、中身、知らん人の保険証だろ。ひょっとしたら現金でも入ってんじゃないかって、ちょびっと期待したのにな」と、森田がふざけた。
「結局、送られてきた保険証はどうしたんですか」
蒼がそう訊ねれば、森田は「ん?」といって、財布を取り出し、
「まだ、手元にもったまんまだよ」と、カードを抜き取って見せた。
――どこかの健保組合。
組合員の氏名は男性。
あれ? 「送り主」は確か女性だったような。
蒼はスマホの画像を確認する。
そう女性だ。
でも苗字が……同じだ、保険証の名前と送り主。
つまり――?
「ああ、新井も気づいたか。うん、そうだよな。保険証と送り主、苗字一緒だよな。ほら、あれじゃないか? 家の保険証を家族の誰かが送ったんだろう。なんや分からんがか、見ず知らずの俺んトコに」
――家族。
そういえば、昨日イオさんも言ってたっけ。
えっと……「家族『以外』が、関係しているかもしれない」だっけ。
「オマエ、ほんなに気になるんか? とにかく俺にはさっぱり心当たれへんし。ま、何ぞの手違いやろう? 今週末にでもコンビニでほら、レターパックだっけか。封筒買って、この住所に送り返すさ。ほんで決着つくやろうし」
「かぞく」
蒼が思わず呟く。
「そういえば、森田さんってご家族は……」
「うん? 親は岐阜にいる。あと、歳の離れた弟がひとりおるな。そうそう、いま、俺の前いた部屋に住んでるし」
「弟さんが?」
「アイツ、俺が異動になりよったタイミングで、あの部屋に転がり込んできて。まあ、弟も『色々あって家、飛びだしたぁ』みたいなとこもありよって。いちから部屋を借りるのも大変だったのは分かるし、しょうがないってコトで」
*
そしてその日の夜。
決算に年度がわりと続いた繁忙期も、やっとひと息。
蒼自身、異動先でのシゴトに少しはなじんできた頃合いでもあり、ほぼ定時に会社を出られた。
とはいえ、特に華やかな予定もない。
惰性と習慣のまま、蒼の足はまっすぐマンションへと向かっていた。
家の周囲には飲食店も多い。すこし歩けば大きな駅もある。
明日は土曜で休み。どこかで夕食でも食べて帰ればいいものの、そんな習慣は生まれないままだった。
大学時代からずっと寮暮らし。
食事は必ず寮で。そんな習慣が十年近く続いていた。
なにより、競泳選手として体調やウェイトの調整も必要だった。
栄養バランスが考えられたメニューが食べられる寮の食事。
外食なんて、する必要がない。
そして、終業後は貴重な練習時間だ。
退社後にひとり「どこかへ出かけよう」なんて、これまで考えたことも、したこともなかったのだ。
いまさら、なにも頭に浮かばない――
「オレも『たいがい』しょうもないよな」
思わず、蒼の口から愚痴めいた独り言が漏れる。
「前向きな理由」があって、選手を引退したワケじゃない。
すべてが不本意で、すべてがただ――
――自分のふがいなさのせいだった。
「新井。オマエも、あれだ……もうすこし、メンタル強いと思ってたがな」
社員寮からの引越し前夜。
練習終わりのプールへと挨拶に行ったときに、ボソリと呟かれた。
監督の最後の言葉。
いまだにそれは、蒼の心に刺さったままの棘だった――
マンションのオートロックを鍵で解除し、ホールに入る。
郵便受けを開けて、チラシとダイレクトメールをより分けた。
あ、考えたら、家に食いモン「わかめ」しかないな。
そう思いついて、蒼は思わず溜息を洩らす。
コンビニぐらい、道を折れてすぐそこにある。数分歩けばいいだけのこと。
なのに――
「めんどい」
手にしたチラシをゴミ入れ用の段ボールに捨てて、蒼はそのまま階段へと向かう。
住んでいるのは三階だ。エレベータ―を待つより早い。
なにより、水泳部をやめてからはガクリと運動量が減っている。身体がなまって仕方がなかった。
そろそろ、ジムにでも通おうか。
なんて考えはするものの、実行に移せていなかった。
どうせ家に帰ったって、するコトもないのにな。
なにやってんだよ、オレ――
そんな後ろ向きな言葉が、やたらと頭に浮かんでくるのは、梅雨時の重たい天気のせいだろうか。
「いや、単に運動不足のせいだな」
溜息混じりに呟いたところで、下から階段を上がってくる足音が聞こえた。
このマンションで階段を使う者などめったにいない。
蒼は足を止めて振り返る。
「あ、やっぱり蒼くんだったね。後姿がチラリと見えたから追いかけてみた」
「……イオさん」
蒼のところまで、イオが上ってくる。
そして、いつもだったら決してありえないことに――
イオの目線と蒼の目線が、ちょうどまっすぐに出会った。