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すれ違う封書 1

unintended misdelivery 1



 雨上がりの風が吹き抜けていく。


 みなとみらい地区。海辺の遊歩道(プロムナード)に、蒼はいた。


 休日には、遠方からわざわざ車で乗りつけて、犬の散歩をするひとが集まるスポットだ。

 「イモの子を洗う」というより「犬の子を洗う」とでも言いたくなるほどの活況を呈することも多い。

 けれど、平日木曜日の今日は、とても静かだった。


 広大な芝生となだらかな丘からなる臨海パークを背にして、プロムナードは、ゆるやかにカーブする長い水際線に沿って伸びている。

 そこには、海を囲む客席のように水辺へとなだらかに下る階段が作られていて、それはずっとずっと先の方まで続いていた。


 ポツンポツンと、いい感じに間をあけて、その段々に腰かける人たち。

 それぞれ思い思いに過ごしているようだ。


 読書する人もいる。

 岸壁との境の柵にもたれ、釣糸を垂らす人もいた。

 一方で「目の前に横浜港」という、「ザ・横浜」な絶景を前に、スマホをガン観してる人も多い。


 手近の自販機で、冷たいジャスミンティーを買った。

 

 数か月前――まだ浅い春のある日。

 初めてここに来た時も、同じようにジャスミンティーのペットボトルを買ったことを思い出す。

 そのときは「温かい」ボトルだった。


 蒼はひとつ溜息をついて、海から一番遠い段に腰かける。


 「あの日」の空は、青くて高くて、空気は乾いていた。

 でも今日の空は、全体的に薄灰色の雲がかかっている。


 梅雨の晴れ間。

 雲の輪郭を縁取るように、太陽の光が差し込んで海へと注ぐ。


 風力発電所の風車、大さん橋の客船、白い橋。


 あの日と同じに、蒼はただぼんやりと海を眺めやる。

 そして、ペットボトルを開けて口をつけたとき――

 

「蒼くん?」


 背後から声を掛けられた。


 ごく穏やかで――穏やかすぎて。

 物思いにふけっている相手を驚かせるようなことなど、けっしてない――そんな色の声。


「こんな場所で会うなんて。平日なのにどうしたんだい?」


 振り返ると、そこにイオがいた。

 白シャツ。少し緩めた襟元にネクタイ。


 仕事の途中かな? 

 ――いやいや。仕事もオフも、ほとんど境目がないひとだからな、イオさんは。


 目を凝らせば、日差しを受ける白いシャツの下、タトゥーが微かに透けていた。


 それを初めて見たときは、ちょっと驚いた。

 でも、ひどく気になって、ずっと気になって。

 折に触れて調べたりして。

 今はもう、蒼も、それが「トライバルタトゥー」というものだと知っている。


「イオさん、こんにちは」

 蒼はまず挨拶で応じる。そして「今日は、休日出勤の代休なんです」と続けた。


 イオは丸い楽器ケースを手にしている。

 その楽器の名が「ハンドパン」ないしは「スチールドラム」だということも、蒼はすでに知っていた。


 あの日――

 最初に見たときはさ。「え、中華鍋!?」って、本気で思ったけどな、オレ――


 しばらくの間、蒼はイオと並んで座り、ただ黙って港を見ていた。


 何も言えなかった。

 海の水面の、光の反射がひどくまぶしくて。

 けれども蒼は、ふと思い出したように口を開く。


「そういえば、ちょっと……ヘンなことを、会社で聞いたんです」


「ヘンなこと?」


 イオの言葉は、やさしい鸚鵡返し。

 相手の話をそっと引き出す響き。


「えっと、その……職場の先輩が、何日か前『書留の再配達が来るから』って、定時でダッシュで帰ってって」


「そうなんだ、何が届いたのかな?」


「それが……封筒の中に入ってたの、まったく知らない人の『健康保険証』だったって」


 イオが「おや?」とまばたいた。そして、


「『書留』で届いているワケだし、『ただの配達ミス』じゃなさそうだね」

 と、親指を軽く顎先にあてて目を伏せる。


「宛名はちゃんと」「ハイ、先輩本人宛てでした」


「でも、その先輩には『心当たり』は全然ない……と」


 イオが顎先から指を解いて、まっすぐに蒼を見下ろす。


「そりゃないですよ。だって送られてきたのは、まったく知らないひとの保険証なんですよ」


「なるほど。ちょっと気になる出来事だね。そうだなぁ……送られてきた封筒でも見られればいいんだけど」


 ムリだよね……とでもいう風に、イオが軽く首を傾げて微笑む。


「画像なら」

 蒼がすかさずスマホを操作した。


「え? 写真、あるのかい」


「これです」

 

 蒼のスマホに書留封筒の画像が表示される。

 封筒の表と裏、両方撮影してあって、差出人の情報もしっかり写されていた。


 どこかの団体や会社からではなく、個人からの差し出し。


「おや、転送シールだね……その先輩は、引っ越して間もないのかな」

 イオが、かがみこんで画面を覗き込む。


「えっ……あ、ハイ。たしかに、異動で横浜に。半年は前だったと」


「今の住所に転送される前の、宛先の住所自体に不審な点はないのかな?」

 画面を見つめながら、イオがボソリと呟いた。


 間近にみるイオの睫毛は、とても濃くて長かった。

 そのことに、すこし驚きながら蒼は、


「それは間違いなく、引越し前の名古屋の住所だそうですよ」と答える。

 

「差出人の名前はどうだろう。例えば結婚して苗字が変わってる昔の知り合いとか……逆に苗字の方に心当たりはあったりしないのかな」


「うーん、たぶん、ないんだと思います。先輩も、これが届いてから、さんざん色々考えたみたいだし」


「じゃあ『名前』にはなくても、差出人の『住所』はどうだろう……ええっと、群馬県だね」


「実はそれ、オレも訊いてみたんです。でも『群馬』なんて場所。ぜんぜん心当たりないって言ってました」


 蒼に即答され、イオは「ふむ」と考え込む。

 そして、「蒼くんはこのコト、どう考えてる?」と問いかけた。


「オレは……うーん、正直ぜんぜん。雲をつかむような感じっていうか」

 蒼がクシャリと前髪を掻く。


「あ、でも。真っ先にヘンだなって思ったのは、『保険証って誰かに送るものなのか?』ってコトで」


 イオがじっと蒼の目を見る。

 口もとには、ごくごく微かな笑みをたたえていて、その佇まいのすべてが、蒼に話の続きを促していた。


「だって……保険証なんて大事なモノ、そうそう送ったりしないと思うんです。それに……」


「うん、それに?」


「そんなモノ送られてきたって、家族とか以外、使い道もないですよね」


 そう言って、蒼が首を傾げて見せる。

 あたかも、イオの「クセ」がうつりでもしたかのように。


 そのことに気づいているのかいないのか、イオが「ふふふ」と短く笑った。

 そして「なるほど…ね」と呟く。


 蒼はただ、パチクリとまばたいた。

 するとイオが、


「だったらさ。家族『以外』が、関係しているかもしれないよね、蒼くん?」と。

 妙に含みのある物言いをしてみせた。


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