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やさしさの証 2

engraved in strength 2



 ソアラ綜合事務所の前に立ち、インターフォンを押してから、蒼は気がつく。


 イオさん、まだ臨海パークの遊歩道から帰ってきてないかもな――


 案の定、応答はなかった。

 蒼がひとつ、溜息をつく。

 すると、静かな足音が近づいてきた。


「蒼くん?」


 呼びかけが、先に届く。

 よく知るやさしい声を背中で受け止めて、蒼はゆっくりと振り返った。

 

「どうしたの? そうだ、お昼はもう食べたかい?」


 目の前にやってきたイオに、蒼は瞳をのぞき込まれる。


「あの……」


 それ以上は、言葉が続かない。

 蒼は黙ったまま、手にした封筒と便箋を、まっすぐイオへ差し出した。

 静かに受け取ると、イオは慎重なまなざしで、それを見つめる。


 そしてひとつ頷いてから、

「そうだね……これは僕宛てだ」と、低く静かに呟いた。





 玄関ドアを開けたまま、イオは廊下に立つ蒼を振り返る。

 

 「入ってくれ」ってことだよな――

 

 察した蒼は、目礼をして部屋に上がった。

 まっすぐソファーの方へと向かう。


 イオは窓辺の事務机の方へ歩き、いつもの場所にハンドパンをしまった。

 そしてその場に立ったまま、今一度、手にした封筒に視線を落とす。


「……水濡れかな。それにしても、よく、こんな宛先の状態で届いたよね」

 イオが呟いた。


「ホント、日本の郵便屋さんは優秀だ」

 言って蒼に視線を向けると、イオは小さく微笑む。


 ほら、座ってよ。蒼くん――

 いつもなら、そう言ってくれるはずのイオ。

 でも、その言葉はまだない。


 声掛けを待たず、蒼は一人掛けソファーに腰を下ろした。

 イオが近づいてくる。

 そして、蒼と向かい合わせの2・5人掛けのソファーに座った。


 封筒をテーブルの上に置き、イオは長い指でゆっくりと便箋を広げる。

 そのきれいな形の爪に、蒼の視線は吸い寄せられた。

 

 上下左右にイオの瞳が動く。

 蒼の目には、ひどく読みにくい文字だったが、イオは判読できるようだ。

 手紙を読み進むイオの様子を、蒼は視野の端でそっと見守った。


 ついに、イオが読み終える。

 丁寧に便箋を折りたたみ、深く息を吐いて、イオはふわりと天井を見上げた。


 けぶるような沈黙。

 イオは無言だった。 

 蒼はどうしても、イオに声を掛けられない。


 どれくらい経ったのか――

 イオが封筒から布袋を取り出した。

 だが、その小さな巾着袋を掌に載せたまま、中身を確かめようとはしない。

 

 ――ひょっとして、オレにいてほしくないのかな。

 

 蒼の脳裏に、そんなことがよぎる。

 さっきは「部屋に入るよう勧められたのだ」と感じた。


 でも、違うのかもしれない、今は――

 イオさんは、ひとりになりたいのかもしれない。


「オレ、帰ります……」


 蒼は立ち上がった。

 イオが、下から視線で追いかける。


「いいんだよ、蒼くん。大丈夫」


 蒼はそのまま立ち尽くす。

 イオが、袋の紐をそっと緩めて口を開いた。

 入っていたのは、大きさ四、五センチほどのクリーム色をした「なにか」だった。


 先が尖った円柱形。

 動物の歯や牙のようにも見える。

 目を凝らすと、表面に精緻な模様がびっしりと彫り込まれていた。

 太い方の端には、焦げ茶のきれいな組紐が編み込まれていて、紐は長めの輪になっている。


 ――ああ、これは「ペンダント」なんだな。

 蒼はそう理解した。


 イオはペンダントを見続けている。

 

 なにかを懐かしむような、ごく穏やかなまなざしだった。

 そしてどうしても、それから目をそらすことができないのだ――とでもいう風に。

 陶然と吸い込まれるように、手にした小さなものに見入っている。


 一体、誰からの手紙だったんですか?


 そのペンダントは――

 なぜ、イオさんのもとに送られてきたんですか。


 どうしてそんな風に、ここじゃない、どこか遠くを見つめているんですか。

 

 蒼の頭の中で「なぜ」が溢れ出す。

 でも、どれひとつとして、実際に口に出すことはできなかった。


 ペンダントの細やかな彫刻は、イオのタトゥーを思い起させた。

 無論、蒼はイオの肌を、じかに見たことがあるわけじゃない。


 目にしたことがあるのは、濡れた服や光に透けた模様。

 服の隙間、手首や首筋から垣間見える墨色の線。それだけだ。

 

 でも、イオの肌を埋め尽くす「それ」が、どれほどの時間と、どれほどの痛みを経て刻まれたものなのか――

 まさに気が遠くなるようなものだったに違いないと、容易に想像はついた。


 他人に脅威を与えたいとか、言いなりにさせたいとか。

 若気の至りとか反社会的な動機だとかで彫ったものではないはずだ。それも確信できた。


 きっと、そこにあったのは並大抵ではない覚悟と深い理由。


 でも――それをイオにさん尋ねてもいいのだろうか。

 一体、どうやって訊けばいいのか。

 

 分からない。

 踏み込んでいく勇気が出ない。

 この人に拒絶されたくない。そんな風に臆病になってしまうから。


 オレはこの人に――イオさんに、嫌われたくない。どうしても。


 だから、今は帰ろう。ここから立ち去ろう。


 でも、こんなのは。

 まるで逃げ出すみたいだ――


 そんな心の声を聴きながら、蒼は黙って、ソアラ綜合事務所を後にした。


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