まだ、開けられていない(最終話)
the box not opened yet 7
イオと蒼はマンションを出て、大家の家の玄関に向かった。
イオがインターフォンを押す。
応じたのは「あのひと」だった。
「夜分に失礼します。三階でお世話になっているソアラ綜合事務所の五百蔵です」
名乗るイオに、大家の母親は「はあ」と、戸惑いの声をあげる。
「宅配ボックスの件で、よかったら少しお話でもと思って。うちの事務所でお茶でもいかがですか」
えぇぇ? イオさん、それはド直球。
蒼は面食らう。
けれど、誘うイオの声の色は、いつもの凪いだ穏やかさ。低く響くやさしい音で、なぜか相手の警戒心を自然に解けさせていく。
プッとインターフォンが切れる音。そして少しの間の後、大家の母親が姿を現した。
*
ソアラ綜合事務所のソファーに、大家の母と蒼が向かい合わせで座る。
イオがキッチンから茶碗を運んできた。
「先日、仕事で金沢にいった時に買った棒茶です。お客様には緑茶をお出しすべきところでしょうが、夜ですし、眠りにくくなってもいけませんから」
香ばしいほうじ茶の香りが立ち込める。
「いい匂いですね」
蒼が思わず口にすれば、大家の母親もつられて頷く。
三人は茶碗に口をつけた。
あとは無言でほうじ茶を飲む。
ひとつ溜息を洩らしてから、大家の母親が茶碗をテーブルに置いた。
「私がやったんだろうって、言いたいんでしょう?」
先手必勝、とでもいうように「犯人」が口にする。
戸惑う蒼。
だが、イオは即座に「はい、そうなんです」と応じた。
「息子も『私のせいだ』って思ってるわ。何か操作を間違えて、暗証番号をおかしくしちゃったんだろうって。マスターキーを無くしたのも、私が耄碌してきてるせいだってね」
「いや、そうじゃなく……」
思わず蒼が、口をはさむ。
「オレは、あなたが……その、ボケてるとか、そんな風には思ってません」
大家の母親は、まばたきして、きょとんと蒼に目を向けた。
「えっと、あ、そうだ。オレは新井蒼って言います」
「春から、ここの隣に入った人でしょ? 挨拶が元気な方」
「あ……ハイ」
蒼が照れたように俯く。
「それで、新井さん?」
大家の母親が蒼に問いかけた。
「ボケていないとして、あなた、私が一体、何をしたと思っているのかしら?」
蒼はチラリとイオを見る。
イオは腕組みをして、まなざしで静かに頷いた。
蒼は自分の「推理」を披露する。
暗証番号は「わざと」変更し、マスターキーも「故意に」隠した。
どうしても、息子に宅配ボックスを開けさせたくなかったからだ。
その理由は、荷物が届くのを知られたくなかったか、荷物の中身を見られたくなかったから――
「ただ、オレとイオさんでは『動機』の予想が違ってて……」
そしてイオと蒼は、それぞれに自身の推理を説明した。
話が終わり、事務所にシンと静寂が落ちる。
黙ってふたりの話を聞いていた大家の母親が、口を開いた。
「このほうじ茶、本当においしいわ。金沢はね、一回だけ行ったことあるの。観光で。おでんがよかったわ」
「おかわり、淹れてきますね」と、イオが立ち上がる。
下から見上げると、イオさんは本当に大きい。
崖みたいだ――蒼はいつもながら、そんなことを思ってしまう。
みんなの茶碗を新しく替えてから、イオがソファーに座った。
淹れたてのほうじ茶に口をつけ、大家の母が語り出す。
「届いたのはね、前の夫の遺品よ」
遺品! 合ってた。
けど「前の夫」かぁ――惜しい、オレ。
蒼が心の中で噛み締める。
「息子の本当の父親。生活力のない人でね。借金まみれになっちゃって。でも……悪い人間ではなかったの。惚れた弱みっていうのかしら。なんだかね、忘れられない人で」
「じゃあ、こちらのマンションは……」
イオが訊ねた。
「ここはね、再婚相手の家の土地よ。戦後、この辺りで大きな貸座敷をやってたらしくて」
「かしざしき……?」
蒼がオウム返しに問い返す。
「女郎さんを置いて商売するところ」
大家の母親がサラリと答えた。
蒼はそれ以上、何も言えずに黙り込む。
「親に似て、夫も商売上手だったから、お金には不自由なく暮らさせてもらいました。連れ子にも、ちゃんとお金を使ってくれたし。あの子を大学にもやれた。ありがたかった。結局、私との間に子供はできなかったから、最後はあの子を養子に入れてくれたの」
「養子に……入れる?」
蒼はイオへ、チラリと視線を向けた。
「再婚相手の子供は、自動的に自分の子にはならないんだよ。もし養子に入ってなかったら、大家さんは直接、お義父さんから遺産を相続できない。『配偶者の子』でしかないからね」
「なるほど……」
蒼が頷いた。
大家の母親が続ける。
「もちろんね、税金対策とか、遠い親戚に相続に関わらせたくなかったからとか、ほかにも理由は色々あったけど」
「たしかに……お子さんがいない場合の相続は、兄弟姉妹や甥姪なんかの血族相続人との間にトラブルが起きがちですね」とイオ。
そっか。
財産ってあったらあったで、やっぱ大変なんだな――
蒼がそんな感慨にふけっていると、イオがスッと話を戻した。
「それで、前の旦那さんとは、連絡を取り続けていたのですか?」
「いいえ、全然。でもね。四、五年前に、ひょんなことから、あの人の消息を知ったの」
「あ、もしかして……金沢に住んでたとか」
蒼がボソッと口をはさむ。
「え? ええ、そうよ。迷ったんだけど。こっそり様子を見に行っちゃった。夫もとっくに亡くなっていたし。観光旅行にかこつけてね。一人暮らしだったみたい。裕福そうではなかった。でもそれほど孤独にも見えなくて、少しホッとしたの」
イオが静かに頷いた。
「たしか先ほど、『悪い人間ではなかった』と仰ってましたね。きっと周囲から孤立することもなかったのでしょう」
「そうだといいけど。ただ本当に、お金儲けは下手な人だったから」
大家の母が、ごく小さく笑う。
「そうしたら、ちょっと前に知らない人から手紙が来たの。あの人の友人だとかで、亡くなった後、部屋の片づけをしてあげてたら、私宛ての封筒がたくさん出てきたからって。住所まで書いてあったのに投函されてないまんまで。一応、読みたいか訊ねておきたいって」
かたずを飲む蒼のとなりで、イオがひと口、冷めたほうじ茶を飲み下す。
「読まなくったってよかったはずなのよ、そんなもの。だって本人が出さずじまいにした手紙でしょう? それに、別れてもう何年かしら、四十年近く経ってる。でも……」
深い溜息。
大家の母親が茶碗を手にした。
ゆっくりと、ほうじ茶に口をつけてから、また話し始める。
「いい人だった。楽しいこともあった。ただ別れる直前はもう、色々ひどくてね。借金取りが騒いだり、家の周りにいやがらせもされたし。ちょうど物心ついた頃の息子には、しんどかった記憶しかないと思うの。友達にもイジメられたりしてたから」
「大家さんは実のお父さんに、いい思い出がないんですか」
イオがそう問いかければ、大家の母親が頷いて答える。
「実の父親のことは、もう名前も聞きたくないって、ずっと言っていた。だから……」
ふと、蒼は大家の母親の膝に置かれた薄茶の小箱に目を留める。
それはガムテープで封をされたままだった。
「まだ、開けてないんですか? 届いた荷物」
蒼が静かに尋ねた。
大家の母親は無言のまま箱を手に取り、そっとそれを開ける。
箱の中には、色褪せた写真とたくさんの封筒が入っていた。
写真は、若い夫婦と赤ん坊を写したものだった。
裏に黒い文字で何かが記されている。
五十年以上前の日付と名前。
そして「長男誕生。生まれてくれて、生んでくれて、ありがとう」という、少し歪んだ文字。
かすれたインクを、何度もなぞり直したようだった。
写真の裏と表をじっと見つめ、大家の母親が震える息を吐く。
「……事情があって、離れなければならない夫婦もいますね」
イオが静かに問いかけた。
箱を手に「犯人」は小さく頷く。そして、
「忘れる……って、案外難しいわ」と呟いた。
「忘れなきゃ、ダメなんですか?」
蒼が言う。
「忘れないとつらいですか? 忘れたいですか? 離れたからって、全部捨てなくたっていいじゃないですか」
「蒼くん……」
イオが静かに呼びかける。
止めようとしているのか、賛同しているのか。どちらとも取れる穏やかな声で。
「思い出を大切にすることは、誰にも止められないと思います。息子さんにだって」
そう告げて、蒼は「犯人」をまっすぐに見つめた。
「……そうね。どうもありがとう、新井さん」
微笑んで、大家の母親が立ち上がる。
そして、ソアラ綜合事務所を出て行った。
やさしい沈黙が続く。
すると、イオが腕組みをほどいて短く唸った。
「『あきひろさん』……か。蒼くんからそれを聞いたとき、ピンとくるべきだったな、僕も」
「え?」
「さっきの写真にもあったけど、大家さんの名前は『貴紘』さんだ。本当のお父さんの名前は『彰紘』さん。『紘』を『ひろ』と読むのは、かなり珍しいよね。自分の名前から一文字とって名付けたんだと思う。大家さんの名前から、それに気づけたはずなのに見逃していたな」
言葉では悔しがっている風なのに、イオの声はいつもどおりに穏やかに凪いでいて、そうは聞こえなかった。
蒼のくちもとに、思わず笑みがこみ上げる。
「今回は、お互い外れちゃいましたね、推理」
蒼が言うと、イオがすかさず返す。
「いいえ、総合点では蒼くんの勝ちです」
「ロマンチックでしたけどね?」
拗ねるように口にして、蒼がイオをチラリと見やる。
「ゴメン。もう勘弁してよ、蒼くん」
そう言って、イオは大きな掌で顔を覆った。
(まだ、開けられていない 了)




