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まだ、開けられていない 4

the box not opened yet 4



 地下鉄で臨海パークから戻り、イオと蒼はマンションの廊下でいったん別れた。

 蒼はシャワーと着替えを済ませ、イオは楽器を部屋に置いて、再び表へと出る。


「今度は、JRの駅の方に向かうよ」

 マンションの玄関ホールを歩きながら、イオが言った。


「あ、ハイ」

 返事をしながら、イオについて蒼は歩く。


 また、大家の玄関先を通り過ぎた。

 宅配ボックスの横に人影が見える。


 大家の母親だった。

 会釈をして、イオが通り過ぎていく。

 その後に続いた蒼の耳に、ごくちいさな声が聞こえた。


 ――なに? いまの。


 あのひと……大家さんのお母さん、いま誰かの名前、呼んだ?


「どうかした?」

 イオが振り返る。


 蒼は大きくかぶりを振り、「なんでもないっす」と即答した。






 イオがどんなところに連れて行ってくれるのか。

 蒼は正直、ドキドキしていた。


 「JRの駅の方」に行くには行った。だが、電車には乗らなかった。

 駅を突っ切って、さらに海の方へと歩いていく。


 馬車道に着いた。

 並木がとガス灯を模した街灯があって、感じのいい通りだ。


 しばらく歩き、イオが路地をひょいと入る。

 ひっそり佇む、間口の小さな店。

 ワイン色の木枠の両開きのドアを押し開け、イオが中へと入って行った。


 ――え。

 蒼は完全に怖気づく。


 いやいやいや。ちょっと、ここはアウェイすぎる。

 オレなんかが来るようなトコじゃ……。


 イオが開けた扉を抑えたまま振り返った。

 だから蒼も、中に入らざるを得ない。


 上品で控えめなショーウィンドウには、ジャケットコーディネートをしたトルソーがひとつだけ置かれている。

 しかし「テーラー」というわけでもなさそうで、店を見回せば、Tシャツのようなカジュアルな品もあった。

 一方で、カフス、サスペンダーやポケットチーフといった、めずらしい小物も多い。


 蒼たち以外、客は誰もいなかった。

 というか、店員の姿も見えない。

 

 そんな風に、モゾモゾと周囲を見回す蒼を見て、イオが微笑む。


「どうかな。なにか気になるもの、ありそう?」


「え、あ……いや、その」

 蒼が言いよどんだ。


「ここって、そんな大きい店じゃないのに、なんだか……なんでもありそうに見えるっていうか」 


「『何でも』は、ご用意できないかもしれませんが」


 音もなく、誰かが姿を現した。


「言っていただければ、おおよそのご希望には、なんらかご対応いたしますよ」


 針金のように細い男だった。

 

 なんか――

 イオさんの五分の一くらいしか幅がない。

 蒼が抱いたのは、そんな第一印象。


 楕円形のシルバーフレーム。レンズには、すこしだけ色が入っているかもしれない。

 髪の色もシルバー。

 顔立ちからは年齢が推し量れなくて、白髪なのかブリーチなのかは判らない髪色だった。


「どうも、舘原さん。こちらは新井蒼くん、僕の友達です」

 

 イオに紹介され、蒼は慌てて「こんにちは」と頭を下げる。


「蒼くんね、ドレスシャツを探すのに苦労しているみたいで。いくつか見繕ってもらえませんか」


 人差し指を軽く動かしながらイオの話を聞いていた舘原が、コクリとひとつ頷いた。


「失礼、新井様。すこし触れても?」


 面食らったものの、蒼は反射的に頷く。


 舘原が、親指と小指を広げたりくっつけたりしながら、蒼の肩回りを測り始めた。

 ひょいひょいと、まさに「尺取り虫」のように軽やかに。

 そして「失礼」と発し、舘原が両手で蒼の肋骨周りを掴み取る。

 だが、それはほんの一瞬のことで、蒼が驚きの感情を覚えたときには、すでに、その指は蒼の身体から離れていた。


 舘原がカウンターの奥へと姿を消す。

 戸惑いを滲ませながら、蒼が振り返れば、イオは穏やかに頷くだけだった。


 そう長くも待たないうちに、舘原がいくつかの商品を手に戻ってくる。

 言われるがまま、蒼は試着した。


 舘原は、手首に巻いたピンクッションから待ち針を抜き取ると、蒼が纏うシャツに打っていく。

 どうやら、体形に一番合いそうな既製品の服に「少しばかり手を入れる」ということのようだ。


「お急ぎですか?」

 着替え終え、カーテンで仕切られた試着用の一角から出てきた蒼へ、舘原が唐突に訊ねた。


「どれくらいで、できあがりそうかな?」 

 なにをどう答えたらいいのか分からない蒼のかわりに、イオが応じる。


「三時間ほど頂戴できれば」


「分かりました。それぐらいに取りにきます。お願いしますね、舘原さん」

 そう言って、イオが蒼を振り返る。


「じゃ、行こうか。蒼くん」





「行こう」って、イオさん。一体どこへ?


 心の中で、そう問いかけながらも、蒼はイオに従い、黙って舘原の店を出た。

 そしてそのまま、こまごまとしたものを、イオに見繕ってもらうなりゆきになる。 

 下着とか、カジュアルなパンツとか。そんなようなモノだ。


 腰回りと比して腿が太い蒼だったが、上手く選べばキレイに着られるボトムスもあることが分かった。

 これでもう「休みの日にトラックパンツしか着るものがない」なんてコトにはならないだろう。


 数時間後、馬車道近くに戻ってきて、イオと蒼はカフェに入る。

 軽く朝を食べたきり。そろそろティータイムといった時間になっていた。

 蒼は、サンドイッチとケーキをパクつく。


「よかったら、蒼くん。今日の夕食、うちで作って一緒に食べないかい?」


 イオの誘いに、蒼は生クリームを飲み込んでから大きく頷く。


「丸一日付き合わせちゃったのに、夕食まで誘って悪かったかな」


「そんな! 付き合ってもらったのは、オレの方ですってば」


 勢い込んで蒼が言い返せば、イオは「ふふふ」と小さく笑った。


 そして、ふたりは店に戻る。

 相変わらず、ひと気がなく、カウンターには、ごく古風な呼び鈴が置かれている。

 イオがそれを押すと、小さく澄んだ音が響き渡った。


 舘原が姿をあらわす。


「できていますよ」


 言いながら、舘原はキレイに畳まれたシャツを取り出す。

 蒼は、また試着へといざなわれた。


 袖を通して驚いた。

 腕や肩がつっぱったり上げにくかったり……といったことは、まったくなくて。

 なのに、身体がとてもスッキリ見える。


 え! オレって、こんなにスタイル良かったっけか。 

 これ、最初に見たのと同じ鏡だよな?

 なんてことが、蒼の頭をよぎるほどに。


 シャツは三枚。

 ブルーとレモンイエロー。

 どちらもごく淡い色で、まったく同じ形で二枚。

 たぶんスーツとあわせるためのシャツ。


 もう一枚は、かなりハッキリとした青色だった。

 おそらく、そのまま一枚で着てもいいものだろう。


 考えてみれば、蒼は、そもそも「何色がいいか」すら訊かれなかった。

 形が合うシャツが、たまたま、この色しかなかったのかもしれないし、詳細は分からない。

 だが不思議と、どの色も「ちゃんと似合っている」と思えた。


 レモンイエローなんて、自分じゃ考えもしない色だけどさ――


 試着している客に向かって「いかがでしょう?」とも訊ねぬまま、舘原は蒼の姿を見て、ただ満足げに頷いていた。


 蒼が脱いだ三枚のシャツが、また丁寧に畳まれて、紙袋へと入れられていく。


 蒼は内心、少々不安になる。

 このシャツが一体いくらなのか、まったく想像がつかない。


 品代を記した紙が、蒼の目の前へと滑らされた。


 決して安くはない。

 というか、自分で買ったシャツの中では、圧倒的に史上最高値だった。

 だがまあ……買って買えないことはない。


 「飲み」も「打ち」も「買い」もしない蒼だ。

 なにせ家賃以外、給料はろくに使い道がないし、その家賃すら、かなり抑えた金額だった。


 蒼は財布から、めったに使わないクレジットカードを取り出す。

 決済が終わった。

 レシートとカードを返しながら、舘原が「ひと言よろしいでしょうか、新井様」と口にする。


「あ、ハイ」と、反射的に返答した蒼に、舘原が続けた。


「五百蔵様のお知り合い、ということで、僭越ながら申し上げます」


 あ、はい……えっと?


「そろそろ、理髪店に行かれた方がよろしいかと。そしてできれば、いま使っていらっしゃるところよりも、もう少しマシな店に行かれることをお勧めします」


 ――なにそれ。

 え、駅の千円カットって、バレてました?

 いやいや、でもさ。そこまで千円カットをディスらなくても、よくないですか。


 そんな気持ちが、顔に出ていたのだろう。

 イオは蒼から視線をそらし、くちびるを噛んで、笑いを噛み殺していた。


 そしてふたりは、歩いてマンションに帰る。 

 途中で食材をいくつか仕入れた。


 荷物をぶら下げ、マンションの大家の玄関先を通る頃には、もうすっかり夕暮れの気配だった。

 宅配ボックスの横に大家がいた。そして、


「あ! 代書屋さん、ちょっとちょっと!」と、イオを呼び止める。


「聞いてくださいよ、実はね」


 立ち話が始まった。

 いわく、今朝まで宅配ボックスに入っていたはずの「くだんの荷物」が、なぜか昼過ぎ、玄関の隅にポンと置かれていたのだという。


「本当に、一体どういうことなんだか。朝までは、あの番号じゃ絶対に開かなかったんだよ!」


 まくしたてる大家に、イオが、

「マスターキーで開けたのではないんですね?」と静かに問い返す。


「違う違う! そうじゃないよ、マスターキーはまだ見つかってないんだ!」


 大家が、次第にけんか腰になってきた。

 イオはただ静かに睫毛を伏せる。そして、


「『番号』じゃなく……『気持ち』が合えば開くのかもしれませんね、その箱」と、呟くようにくちずさんだ。


 面食らった大家が、まばたいて黙る。


 蒼はイオの横顔を見上げながら、

 イオさん、また意味深なこと言ってる……と噛み締める。


 でもさ。イオさん。

 宅配ボックスが「開いた」っていうのならさ。

 今回の「謎」については、実はオレにだって、思うところがあるんだ――

 蒼はそんな風に、心の中でほくそ笑む。


 それを知ってか知らずか。

 イオはゆっくりと腕組みをすると、蒼に向かって、ひとつハッキリと微笑んで見せた。


 



実はみんな、蒼くんをカッコよくしてあげたかったの巻。

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