表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/38

まだ、開けられていない 1

the box not opened yet 1


 

 秋の繁忙期もひと段落した頃。蒼は、振替で平日に休みを取った。

 廊下で偶然、イオと行き会う。


 挨拶のあと、よもやまの世間話。

 そして、一緒に「モーニング」を食べに行こうと、話がまとまった。

 以前、夜にふたりで、ナポリタンやハンバーグを食べに行った「佐倉さんの喫茶店」だ。

 その後も、蒼はひとりで何度か足を運んでいた。

 偶然にイオと会うこともあれば、そうでないこともあった。


「オレ、あそこ、まだ朝には行ったことなくて。モーニング、食べてみたかったんですよね」

 声を弾ませて、蒼が言えば、


「うん、でも普通に『喫茶店』だから。何の変哲もないメニューだよ」と、イオが微笑んで応じた。

 そして、

「トーストとコーヒーは、いつも美味しいけどね」と付け足す。


 「佐倉さんの喫茶店」は最寄りの地下鉄駅とは逆方向だ。

 だから蒼は、普段めったに、そっち側へ歩くことがない。

 マンションのエントランスを出て、喫茶店の方へ向くと、もうひとつ玄関がある。

 一階に住むオーナー専用のものだ。

 

 その玄関先で、五十代後半とおぼしき小柄でメガネの男性が、なにやらしきりと文句を言っていた。


 あの人。

 たしかここの大家さん……だったよな?

 

 家賃はマンションを管理している不動産屋の銀行口座に振り込む。蒼が大家と顔を合わせることは、ほとんどなかった。

 

「ああ、ちくっしょう!」


 大家が突然、悪態をついた。

 めんくらった蒼が思わず足を止める。

 イオが、口もとにちいさな苦笑が浮べて、大家の方へと歩き出した。


「おはようございます。どうされました?」


 穏やかでやわらかい、イオの声。

 凪いだ海の光のような。


「ああ……あんた、三階の代書屋さんか。スイマセンね、朝から。でもさ、ちょっと聞いてくださいよ」


 大家が堰を切ったように話し出した。

 いわく、資産がらみの重要な書類が、昨日、自分の留守中に宅配ボックスに届いた。

 だが、どうやってもボックスが開かないのだと――


 大家の玄関先にある宅配ボックスは、ごく古いダイヤル式で暗証番号を合わせるタイプのものだった。

 マンション住人用とは別に、大昔に個人で設置したものらしい。郵便受けと共用しているのだろう。

 

「これが、何遍やってもロックが外れないんだよ。暗証番号だってあってるハズなのにさ」


 「憤懣やるかたなし」という風に、鼻息荒く大家が腕組みをする。

 すると、その背後で玄関のドアが少しだけ開いた。

 七十代くらいの女性が、顔をのぞかせる。

 

 イオがそちらを向いて会釈をした。老女もそっと、会釈を返す。


「大家さん、たしか、お母さんとお二人暮らしでしたよね」

 イオが話を少しそらした。

 

「ええ、そうなんですよ。わたしも色々あって、所帯を持ちそびれましてね」

 苦笑交じりに応じると、大家はドアを振り返る。


「とにかくね、再送付してもらえるような書類じゃないんですよ。急いでますし。ったく、これが開かなきゃどうしようもない」


 途方にくれながらも、ひどくイラついている――

 そんな大家の口調は、聞いていて、決して気持ちのいいものではなかった。

 蒼はだんだん、うんざりしてくる。

 休日の朝一で、イオとゆっくりした会話を楽しんだあとだと、余計にそう思えた。


「マスターキーがね、あったはずなんだよ。家のどっかには。母親に訊くんだけどさ、ほら、歳も歳で、最近ちょっと怪しくてね」


 その「母親」は、玄関ドアのところで黙って佇んでいるのだ。

 無神経な大家の言い草も、ちゃんと聞こえているだろうに――

 そう思うと、蒼の胸が痛んだ。


 そっと老女の方を伺ってみる。


 なにかが引っかかった。

 老女の顔に浮かぶ表情に、蒼は何とは言えない「なにか」を感じ取る。


「こいつは大昔に、うちが自前で置いた宅配ボックスで、管理会社は関知してないし。しょうがないからメーカーに電話したんですよ、さっき」


 大家は引き続き、まくしたてていた。


「そしたら『そんな古いものは、もう分からないって』。まったく、今日日の日本の会社は、どうしようもない」


 イライラと、あらゆることに不満を爆発させる大家に、蒼ももう、同情する気が失せてしまう。

 隣に立つイオを、チラリと見上げてみた。

 だがイオは、蒼の「もう行きましょうよ」という視線を受け止めながらも、黙ったまま佇み、大家の愚痴を聞き続ける。


 とうとう、蒼は我慢できなくなった。


「もう一度、マスターキーを探すのが一番いいんじゃないんですか?」と、少し冷たく言い放って会釈をし、ひとり喫茶店に向かって歩き出した。





「ごめんね、蒼くん。おなかがすいてたかな?」


 「佐倉さんの喫茶店」のいつもの席に座って、いの一番に、イオが蒼に訊ねた。


「え、なんでですか……」

「ほら、蒼くん、大家さんとの世間話。ひどく性急に切り上げたがってたから」


「別に、そんなコトは」


「そう?」

 軽く首をかしげて、イオが腕を組む。


「なんだか……蒼くんらしくない気がしたよ。困ってる人の話の腰を折るみたいな」


「いや、それは!」

 自分の口調が、やや「けんか腰」なコトにすぐ気づき、蒼はコップを手にし、水を飲む。


「……なんかその、母親が後ろで聞いてるのに、大家さん。無神経っていうか」


「ああ、そうだね。色々と『お母さんのせい』にしていたね」


「あんな……『ボケてる』みたいなこと。本人の前で」


「そっか。大家さんのお母さんのために怒っていたんだね」


 言ってイオが、ふふふと笑った。そして、

「やっぱり、優しいなあ。蒼くんは」と、独り言めいて呟いた。


 コーヒーが運ばれてくる。


「美味しいんだよ、ここのコーヒー」と、初めてのとき、イオは言った。


 確かにそのとおりだと、蒼も思う。

 香りもよくて、コクがある。でも少しだけ刺激が強い気がして、蒼はいつもミルクを使う。

 だからなのか。

 前に、イオの事務所でコーヒーを振舞われたとき、「ミルクを出そうか?」と心配されたことがあった。 

 蒼はすぐに断った。

 イオのコーヒーは、他で飲むどのコーヒーとも違っている。

 涼しい舌ざわりというのか。香りも味も、それほど強くなくて。


 なんだろう、そうだ「フルーティー」。そう、フレッシュというかフルーティーとか、そんな感じがするんだ。

 だから、ミルクを入れるとかえって「邪魔になる」気がして。

 そのままブラックで飲みたいって、いつも思うから。


 つづけて、モーニングの皿が運ばれてきた。

 分厚いトースト。ジャム。コールスロー。ゆで卵にベーコンが二枚。


 確かに、かなり空腹だった蒼は、さっそくにトーストを摘まみ取る。

 それからしばらくは、サクサクとパンを噛み締める音と、ゆで卵の殻をむく音だけが、ふたりの間に響いた。


「なんか、このパン……イオさんが言ってたとおり、すごい美味いですね。モチモチ過ぎなくて。耳までサクサクで」


 コーヒーを飲み下し、蒼がしみじみと口にする。


「パン自体が、すごくトースト向きっていうのもあるけど。焼き方がいいんだよ。ガスコンロで網焼きしてるんだ。油断すると焦げちゃうけど、さすがプロだよね。いつも絶妙な黄金色なんだ」


 そう応じて、イオがコーヒーのお替りを注文した。

 新しいカップが運ばれてきて、イオがひと口飲み下すのを待ってから、蒼がまた話を始める。


「イオさん、さっきの……大家さんの宅配ボックスの話なんですけど」


「うん?」


「あれってホントに、マスターキーがなきゃ話にならないんですよ、結局は。ああいう話って、オレ、仕事柄よく聞くんで」


 蒼の会社が担当する施設管理の仕事というのは、もちろん、ボイラーや冷暖房、それに付随する電気・水道などの大きな設備に関する話が多い。

 とはいえ、そういった施設には、ドアやらロッカーやらといった設置物がつきもの。

 シゴトと直接に関係するかどうかにかかわらず、トラブルは、しょっちゅう耳にするのだ。


「たいていの場合、ダイアル式ロックのトラブルって暗証番号の設定ミスなんです。利用者側のミスっていうか……要は『暗証番号忘れ』ってことで。そうでない場合は、ダイアルの劣化だから。いずれにせよ、マスターキーで開ける以外、方法がないんです」


「なるほどね」

 イオが静かに相槌を打つ。


「だから、大家さんが暗証番号を勘違いしてるだけなんですよ、きっと。なのに、あんなふうに母親のせいにしたりして……」

 

 口をとがらせる蒼を見て、イオがまた、ふふふと笑った。

「『息子』っていうのは、いつまでもどこかで『お母さん』に甘えていたいものなのかもね」


「……って、あのひと、いくつですか? 五十はとっくにいってるでしょうに。いくら独身だからって」


「歳は関係ないんだよ、きっと」

 頷きながら、イオが言う。


「じゃ、イオさんも……お母さんに甘えたくなりますか?」


 口にした直後、ひどく無神経な、踏み込むようなことを言ってしまった気がした。

 蒼の胸に、グワリと後悔が押し寄せる。


「あ、すいませ……」

 いいかけた蒼に、イオがゆっくりと首を振って見せた。


「僕の母親は、もう亡くなっていてね。甘えるというより……時々、懐かしく思い出すよ」


 ああ、やっちまったな、オレ。

 後悔が重すぎて、蒼の口からは、もう詫びる言葉も出てこない。


「それよりさ。宅配ボックスの暗証番号のこと、僕、なんだか腑に落ちないんだよ。蒼くん」


「腑に落ちない?」


「『暗証番号忘れ』っていうけど、普段使うようなもの、そんなに突然、忘れたりするかな?」


「することもあるかもですよ……ってか、自分の脳の方が、よっぽど劣化してるんじゃないんですかね、大家さん」


「蒼くん、ひとまず大家さんへの腹立ちは横において、僕と話をして欲しいんだけど、ダメかい?」


「……すいません」


 蒼は決まり悪く、コーヒーカップに視線を落とす。

 中身は、もうとっくに空だった。


 すると、蒼の前に、コーヒーのお替りが運ばれてくる。イオが頼んでくれていたのだろう。

 新しいカップにミルクを注ぎ、口をつけ、ひとつ溜息をついてから、蒼が言う。


「もし大家さんがセキュリティ意識が高いひとだったら、定期的に番号を変えていたかもしれないし……そしたら、新しい番号をうっかり勘違いすることもあるかもしれないです」


「暗証番号は、そんなに手軽に変えられるのかい?」


「はい。たぶん、ああいった古い型式は、物理的なリセットボタンがついてると思うんで。一度ロックを開けないと押せないですけどね。だから結局はマスターキーがないと、どうしようもないんです」


「そうか」

 イオが頷いて、腕組みを解いた。


 イオさんは、なにかに引っかかってるんだな……。

 蒼はすぐにそう察した。

 でも、それが何かは、まだ想像もつかない。


 それにオレも――

 なんだか、モヤッとしてる。さっきから。

 

 大家さんに腹が立ってるとか、そういうのとは別だ。

 なんだろう? なにか、大事なコトを忘れているような。

 そんな。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ