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透明な子供 6

Invisible children 6



 「ころされる」


 ドラマやマンガでなら見るセリフ。冗談だったら、たまに聞く。でも――

 本気で口にするひとに出会ったことなんて、たぶんない。

 そんな風に蒼は思う。


 そう。マリカさんは本気で怯えてる。


 泣きながら語られるマリカの話は、乱れて錯綜して。

 でもイオの問いかけと、ジョンの受け答えで、だんだんと話の筋が整ってくる。


 昔はよく出稼ぎに使われていた「ダンサービザ」。

 すなわち「興行ビザ」で日本に来たマリカさんは、御多分に漏れず水商売で身を立てていた。

 ビザの期限切れが近づいて、店の客と結婚する。地元の中小企業の社長。

 まあ「なくはない話」なんだろうな……と、蒼も感じた。


 結婚は偽装ではなかった。

 ただマリカさんは、根本的に「相手選び」を間違えた――


「最初は、よかったです。怒るとすこし怖いひとだったけど。機嫌いいとなんでも買ってくれた。素敵なマンションにも住んだ」


 結婚生活はそれなりに続き、マリカさんは順調に永住権も取れた。だが。

「しっと、すごかったです。わたしの仕事、接客だったから」


 後はもう、耳をふさぎたくなるような話だった。

 

「なるほど、夫の建設会社が上手くいかなくなって、暴力が酷くなっていった……と」

 イオがノートに、ザリザリとペンを走らせる。


「甲府を逃げ出した、直接の『きっかけ』はありましたか」


「いっぱい殴られて気を失ったら、からだに灯油かけられて、アパートのベランダに縛りつけられました。ふゆ、夜に」


 隣人が気づいてくれたが、警察への通報はためらい続けたのだという。


「あのひと、ヤクザと関係ある。みんな仕返しがこわい。だからしかたない」


 それでも、偶然通りかった通行人が警察を呼んでくれた。


「警察は家には入ってきましたか?」

 

 イオの問いにマリカが首を横に振る。

 夫は「夫婦喧嘩」だと言い張った挙句、警官の説諭を受け入れ、マリカの縄をほどいて部屋に入れた。

 それで警察は帰っていった、という顛末だった。


「そうでしたか……」

 イオは指を顎先にあてて俯いた。


「調書でも取られていたら、色々と証拠にできたのですが。ただ、何らかの記録は、まだ残っているかもしれないですね」


 その後、隙をみて、着の身着のまま、マリカは夫のもとから逃げ出した。


「パスポートは大丈夫でしたか? 旦那さんに取り上げられたりは」


「友達に……あずけてました。コピーもとってお店のロッカーに」


「ああ、それは周到でしたね」と、イオが頷く。


 その後タイに逃げ帰り、ふたたび日本に戻ったときに、横浜でジョンと出会った。


「りこん、してほしいって。電話しました。日本いるときも、タイからも、でも……」

 

 マリカがそれ以上続けられずに、肩を震わせた。 

 ジョンが続ける。


「すごい剣幕で、マリカが逃げたことを責め立てて怒鳴りちらして。すぐに見つけ出して連れ戻すと」


 そしてマリカが、

「ぜったいゆるさない。ジョンのこともころすって。悪い知り合いいっぱいいてバレない。山に埋めるって」と付け足した。


「それ。録音していたりは、しないですよね」

 イオがそう問いかければ、マリカとジョンは、ただ首を横に振った。

  

「では、もし次に話すときがあれば、録音しておきましょう」

 言ってイオは、ふたりを見つめて、ふわりと笑った。





 イオとマリカたちの話は、かれこれ二時間ほど続いた。

 「今日の話を元に善後策を組み立てるから」と、イオはひとまず区切りをつける。


 リオは、まったく癇癪を起こさなかった。

 母親の涙がこたえたのだろう。

 トミカで遊ぶことも忘れ、マリカの傍にちょこんと座り、ときどき親たちを見上げて。

 そしてそのうち、眠ってしまった。


 抱き上げたリオを起こさぬよう、マリカとジョンは、ごくごく静かにソアラ綜合事務所を去っていった。


「遅くまで付き合わせてしまって、悪かったね。蒼くん」

 コーヒーカップを下げる蒼に、イオが声を掛ける。


「よかったら、食事でもごちそうさせてくれるかな。まあ、手近なところになっちゃうけど」


「『ごちそう』なんて、そんな」

 蒼が恐縮する。


 別にそう大したことはしていないし。今日はリオにも、ほとんど手がかからなかった。

 でも――イオさんとは、まだ色々と話したいことがある。


 蒼は提案を受け入れた。そして、イオに連れられ表へ出る。

 着いたのは喫茶店だった。

 家から歩いて二分ほど。だが蒼は、その店の存在すら認識していなかった。


「マンションの方が駅に近いから、普段は通らない道だろうね」

 そんなことを言いながら、イオが店のドアを押し開ける。


 「喫茶店」だけあって、そろそろ閉店といった雰囲気。

 だがイオはどうやら「顔」のようで、カウンターの向こうから、年配の女性がニコニコと迎えてくれた。


 ふたりは奥のテーブル席に座る。

 メニューは、オムライスとかナポリタンとか、カツサンドとかピザトーストとか。

 ごく他愛ないけれど、どうにもそそられる品ぞろえだった。


「ちゃんと食べたいものを頼んでね」と、蒼は念を押される。


 正直なところ、かなり空腹だった蒼は、

「スイマセン、オレ、結構おなか空いてて。ガッツリいっていいですか」と前置しながら、「ハンバーグナポリタン」を注文した。


 すぐにカウンターキッチンから、ジュワッと香ばしい匂いが上がり始める。

 氷たっぷりのお冷のグラスを指で挟みながら、蒼はイオに問いかけた。


「マリカさんが守りたかった『本当』は、リオがジョンさんの子どもだってこと……ですよね」


「うん」


「マリカさんは、ヤクザとつながってるDV夫と離婚できていないから、日本の法律だと、リオはそいつの子どもってコトにされちゃう。それだと『本当』を守れない。あ、でもさ。イオさん」


「うん?」


「リオはさ。タイでは『マリカさんとジョンさんの子ども』ってコトになってるんですよね? ほら、出生証明書があるとかなんとかって。それって、どういうことですか?」


「うん、どうやらタイではそういうコトとは無関係に出生届を出せるらしいんだ。というより、夫については誰の名前にしてもいいって。自由に届け出て大丈夫って聞くよ」


「へぇ、そうなんだ……だからなおさら『タイで産んだ』ってコトですかね」


「なによりも『日本で産むわけにはいかなかった』んだろうね。日本で産んだら有無を言わさず『夫の子』とされてしまうだけじゃなくて、身を隠す先もDV夫に見つけられてしまうから」


 蒼の「ハンバーグナポリタン」と、イオの「オムナポリタン」がやって来る。

 「オムナポリタン」とは、焼いた鉄板に卵を流し入れた上にナポリタンを載せたものだった。

 半熟卵がナポリタンに絡まって、ジュージューと音を立てる様子は、やたらとそそられる。


「うわ、イオさんのも美味そうですね」


 蒼はハンバーグにナイフを入れた。

 肉汁が溢れ出す。

 合いびき肉に玉ねぎの入った、よくあるハンバーグだったが、とても丁寧に作られている。

 白コショウだけきかせて、他の味付けは控え目にしたハンバーグは、こってりケチャップ味のナポリタンによく合った。


 ふたりはしばらく、料理を咀嚼する。

 半分ほど食べ終えたところで、イオがナプキンで口を拭いながら、話の続きを始めた。


「マリカさんは永住権を持っているからね。配偶者ビザみたいに、在留カードから『夫の存在』はすぐに分からない。だから、ことさら『国外で付き合って、国外で子どもができた』とすることによって『ジョンさんこそがリオくんの父だ』ってコトの証明にしたかったんだと思う。ジョンさんの子どもとして定住者ビザが取れれば、このまま……夫に知られずに日本で暮らせるかもしれないって。そう思ったのだろうけど」


「けど?」


「ちょっと、策を弄しすぎたね。ジョンさんが、実際にはタイに渡航もしたことがないのでは、かえって逆効果だったよ」


 コーヒーが運ばれてきた。

 頼んだつもりがなかった蒼は、少し面食らう。


「美味しいよ、ここのコーヒー」

 言ってイオが、カップにくちびるをつける。


 イオさんが言うんだったら、きっと美味しいんだろう――


 なんのためらいもなく、そう確信して、

「いただきます」と、蒼もカップを手に取った。


「オレ……リオのこと『助けてあげたい』とかって思ってました。すごく安直に。でも事情はオレが想像もできないくらいに複雑だった。今になってみればホント、自分、すごく甘い考えだったなって」


 イオはただ、静かに蒼の瞳を見つめている。


「思えば、前のローザさんもそうでした。真実を言えなくて怯えてた。マリカさんだって、ホントに怖くてたまらなくて、すごくすごく困ってて、だから……ウソをついたんだって分かってます。でも」


「マリカさんに、まだウソをつかれているんじゃないかって、そう思うのかい、蒼くん?」


「信じていいんですよね? もう、ウソはないですよね」


「たぶん大丈夫だよ、そのコトについては」


 そのコトについては――? 

 

「もし大丈夫じゃないとしたら、それは」


 コーヒーカップに視線を落とし、イオが言いよどんだ。

 蒼はただ、続きを待つ。

 だが、ふたたび目線を上げるとイオは、


「それにしても長野県警は、あまりにあまりです」と、唐突に話を変えた。


「灯油なんてかけられていたら、ものすごい匂いもしたでしょうに。一方的に批判はしたくありませんが、警官もずいぶんと怠慢でしたね。マリカさんをベランダに追い出しただけなら、家への立ち入りをためらってしまうのも、まだ理解できます。しかし縛って灯油をかけるなんて。殺意の有無すら問える事態ですよ」


 いつもとは少し違った、強い口調。


 ああ、そうだよな。

 イオさんだって、きっとずっと腹立たしかったんだ。

 助けたかったんだ。マリカさんをリオを。

 あたりまえだ。これまでだってずっと、オレと知り合うよりもずっとずっと前から。


 イオさんは、誰かを助けてきたひとなんだから――


 そんな事々を、じんわりと胸に染み入らせるようにして、蒼はコーヒーを飲み下した。

 そして、


「これからどうするんですか」と問いかける。


「うん。まあ、おおよその見取り図は書けている……かな」


 ひとつ瞬き、腕組みをして、イオは指先を顎に当てた。


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