すれ違う封書 3
unintended misdelivery 3
「いつも、今ぐらいの時間に帰れるのかい?」
並んで段を上りながら、イオが蒼に訊いた。
「ハイ、まあ……そう、ですね。定時あがりだったら」
蒼の答えは、意図せず曖昧になる。
「じゃあ、蒼くん、もう夕飯は食べた?」
――へ? メシ?
「いえ、まだ」
「牡蠣って、平気?」
「あ、ハイ」
えっと……イオさん?
「今日はなんだかちょっと肌寒いし、鍋でもしようかと思って。足りない材料を買いに出たところだったんだ。一緒に食べないかい?」
「いいんですか、そんな」
「もちろん、是非どうぞ。鍋はひとりじゃ、どうもしまらないからね」
じゃ、オレ。荷物置いて着替えてきます――
と、蒼は自分の部屋へ、急ぎ足で入っていく。
イオは蒼の部屋の前を通り過ぎ、その隣の、角部屋の玄関を開けた。
*
――えっと、えっと。
蒼はスラックスを脱ぎながら、冷蔵庫を開けた。
なにか、隣に持っていけるものとか……って。
そうか、「わかめ」しかなかったっけ。
でも、鍋なら……わかめ、あってもいいかも。うん、とりあえず持っていこう。
Tシャツの上にパーカーを着込み、ジャージーのトラックパンツを穿く。
そして、わかめを入れたビニールを手に、小走りで部屋を飛び出した。
蒼は隣の部屋のチャイムを押す。
ドアには白いプレート。
「司法書士・行政書士 ソアラ綜合事務所」
「いらっしゃい、蒼くん。鍵は開いてるよ」
と、インターホンからイオの声。
おじゃましまぁす……と言いながら、ドアを開け、蒼は室内と身体を滑り込ませた。
目の前の、部屋の奥にある応接セット兼ダイニング。
ソファーテーブルの上に、卓上コンロが置かれている。
灰色の土鍋は、もう湯気を立て始めていた。
イオはキッチンで、なにやら取り込み中のようだ。
「あの、イオさん。オレなにか手伝うこととか……」
「ありがとう。でも大丈夫だよ、鍋だからね……ああそうだ、冷蔵庫にビールあるから、よかったら持っていって」
「スイマセン、オレ」
「あれ? 蒼くん、ひょっとしてお酒はダメかい?」
「いや、そうじゃなくって。その、オレ、家になんもなくって……ビールぐらい買ってくればよかった」
「なに言ってるんだい。そんなコト」
イオが作業の手を止めて、蒼に向き直る。
「えっと、それで。これ……」
蒼が、わかめの袋を差し出した。
「おや、これは、立派なわかめだね」
イオが微笑む。
「鳴門の新わかめです……実家から送って来たんで」
へぇ……と、感嘆の声を上げてから、イオが、
「そういえば、この前はスダチを持ってきてくれたね。そうか、徳島っていったっけ。ご実家」と続けた。そして、
「どうもありがとう。いただきます」と、蒼の目をのぞき込んで頷く。
穏やかな声。
蒼の気持ちが、ゆっくりほどけていった。
「蒼くんはさ、気使い屋さんだね」
イオが小首を傾げながらまばたく。
「え、べつ…に、別にそんなことは」
ぜんぜん……と、両手を振る蒼を見ながら、
「もうすこし、自分のままで、のんびりしていてもいいと思うよ」
そう口にして、イオは風が吹くように笑った。
*
ドンと、ソファーテーブルに乗っているのは殻付きの岩牡蠣だった。
「すご…っ」
語彙力なく、蒼が絶句する。
「いまちょうどシーズンでね。毎年送ってくれるひとがいるんだ」
「ちょっと、鍋にするのもったいない感じですね」
「そうだね、生でも大丈夫かもしれないけど……ただ僕がね、牡蠣をあまり生では食べないんだ」
「あ、いや、オレもそんなに『生がいい』とかってワケじゃ」
「じゃあさ、いくつか、殻ごと魚焼きグリルで焼いてみるかい?」
「……ハイ!」
現役時代は、牡蠣なんて食べなかった。
美味しいとは思う。疲れに良いとも聞く。
でも、やっぱり食中毒が怖かった。
試合や記録会に向けてコンディションを整える日々。
それに、ただでさえ「ふんだん」とはいえない練習時間を、体調不良で削られることは避けたかった。絶対に。
でも、それももう――
湯気を上げる鍋。
身の大きな剥き牡蠣。豆腐に、えのきに大根、そして新わかめ。
アツアツの湯気が立つ、フルフルに真珠色の焼き牡蠣。
イオが、汗をかいたビールの缶を手に取って開ける。
グラスに注ぎ入れて、ゴクリとひとくち飲み下す、喉の動き。
シャツのボタンは三つ外されて、肩から胸へと続く墨色のタトゥーが垣間見えた。
見つめる蒼の視線に気づいたのか、それとも違うのか。
「蒼くんさ、ひょっとして……」とイオが言う。
タトゥーを凝視していたのを見とがめられたのかと、蒼は内心で激しく焦った。
だが、イオはこう続ける。
「僕がビール飲むまで……待ってた? 自分が飲むのを」
「え? あ、ハイ」
そりゃあもう。もちろん。
「どうして?」
……どうして? って。
「イオさんは年上だし……オレは呼んでもらってるし。当然です」
「ほら、やっぱり『気使い屋』だ」
「いや、でも」
口ごもる蒼の目を、イオがじっとのぞき込む。
「あのね、蒼くん。気にしなくていいんだよ、そんな風に。僕は好きで鍋を作ってて、蒼くんと食べたいから誘ったし。ビールも、蒼くんが飲みたいなら飲んでほしいから勧めたんだ」
「気使い屋」か――
思えばずっとそんな環境にいたのかもしれない、オレって。
体育会系……そう、体育会系のノリ。
えっと、じゃあさ。イオさんのノリってなんなんだろう?
ひたすら穏やかで凪いでいて、そんな――
その後は、ふたりでフウフウ、鍋をぱくつく。
魚焼きグリルで焼いた牡蠣は、殻に残った汁まですするほどに美味しかったし、あたたまった身体には冷たいビールがしみわたった。
「そういえば、蒼くん。異動先は慣れてきた?」
「はい、おかげさまで、なんとか」
「ヨコハマはどこか、遊びに行ったりしてみたの?」
「……いやぁ、それが、そのぉ」
なんて世間話をぽつぽつとするうち、ふたりともそれなりに腹がくちくなってくる。
そんな頃合いを見計らうように、
「あの……イオさん。昨日話した、書留のコトなんですけど。また少し、話を聞いてもらってもいいですか」
と、蒼が話を切り出した。




