表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/38

すれ違う封書 3

unintended misdelivery 3



「いつも、今ぐらいの時間に帰れるのかい?」

 並んで段を上りながら、イオが蒼に訊いた。


「ハイ、まあ……そう、ですね。定時あがりだったら」

 蒼の答えは、意図せず曖昧になる。


「じゃあ、蒼くん、もう夕飯は食べた?」


 ――へ? メシ?


「いえ、まだ」

「牡蠣って、平気?」


「あ、ハイ」


 えっと……イオさん?


「今日はなんだかちょっと肌寒いし、鍋でもしようかと思って。足りない材料を買いに出たところだったんだ。一緒に食べないかい?」


「いいんですか、そんな」

「もちろん、是非どうぞ。鍋はひとりじゃ、どうもしまらないからね」


 じゃ、オレ。荷物置いて着替えてきます――

 と、蒼は自分の部屋へ、急ぎ足で入っていく。


 イオは蒼の部屋の前を通り過ぎ、その隣の、角部屋の玄関を開けた。




 

 ――えっと、えっと。


 蒼はスラックスを脱ぎながら、冷蔵庫を開けた。


 なにか、隣に持っていけるものとか……って。

 そうか、「わかめ」しかなかったっけ。

 でも、鍋なら……わかめ、あってもいいかも。うん、とりあえず持っていこう。


 Tシャツの上にパーカーを着込み、ジャージーのトラックパンツを穿く。

 そして、わかめを入れたビニールを手に、小走りで部屋を飛び出した。

  

 蒼は隣の部屋のチャイムを押す。


 ドアには白いプレート。

 「司法書士・行政書士 ソアラ綜合事務所」


「いらっしゃい、蒼くん。鍵は開いてるよ」

 と、インターホンからイオの声。


 おじゃましまぁす……と言いながら、ドアを開け、蒼は室内と身体を滑り込ませた。


 目の前の、部屋の奥にある応接セット兼ダイニング。

 ソファーテーブルの上に、卓上コンロが置かれている。

 灰色の土鍋は、もう湯気を立て始めていた。


 イオはキッチンで、なにやら取り込み中のようだ。


「あの、イオさん。オレなにか手伝うこととか……」


「ありがとう。でも大丈夫だよ、鍋だからね……ああそうだ、冷蔵庫にビールあるから、よかったら持っていって」


「スイマセン、オレ」


「あれ? 蒼くん、ひょっとしてお酒はダメかい?」


「いや、そうじゃなくって。その、オレ、家になんもなくって……ビールぐらい買ってくればよかった」


「なに言ってるんだい。そんなコト」

 イオが作業の手を止めて、蒼に向き直る。


「えっと、それで。これ……」

 蒼が、わかめの袋を差し出した。


「おや、これは、立派なわかめだね」

 イオが微笑む。


「鳴門の新わかめです……実家から送って来たんで」


 へぇ……と、感嘆の声を上げてから、イオが、


「そういえば、この前はスダチを持ってきてくれたね。そうか、徳島っていったっけ。ご実家」と続けた。そして、


「どうもありがとう。いただきます」と、蒼の目をのぞき込んで頷く。


 穏やかな声。

 蒼の気持ちが、ゆっくりほどけていった。


「蒼くんはさ、気使い屋さんだね」

 イオが小首を傾げながらまばたく。


「え、べつ…に、別にそんなことは」

 ぜんぜん……と、両手を振る蒼を見ながら、


「もうすこし、自分のままで、のんびりしていてもいいと思うよ」

 

 そう口にして、イオは風が吹くように笑った。



* 



 ドンと、ソファーテーブルに乗っているのは殻付きの岩牡蠣だった。


「すご…っ」

 語彙力なく、蒼が絶句する。


「いまちょうどシーズンでね。毎年送ってくれるひとがいるんだ」


「ちょっと、鍋にするのもったいない感じですね」


「そうだね、生でも大丈夫かもしれないけど……ただ僕がね、牡蠣をあまり生では食べないんだ」


「あ、いや、オレもそんなに『生がいい』とかってワケじゃ」


「じゃあさ、いくつか、殻ごと魚焼きグリルで焼いてみるかい?」


「……ハイ!」


 現役時代は、牡蠣なんて食べなかった。

 美味しいとは思う。疲れに良いとも聞く。

 でも、やっぱり食中毒が怖かった。


 試合や記録会に向けてコンディションを整える日々。

 それに、ただでさえ「ふんだん」とはいえない練習時間を、体調不良で削られることは避けたかった。絶対に。


 でも、それももう――


 湯気を上げる鍋。

 身の大きな剥き牡蠣。豆腐に、えのきに大根、そして新わかめ。

 アツアツの湯気が立つ、フルフルに真珠色の焼き牡蠣。


 イオが、汗をかいたビールの缶を手に取って開ける。

 グラスに注ぎ入れて、ゴクリとひとくち飲み下す、喉の動き。

 シャツのボタンは三つ外されて、肩から胸へと続く墨色のタトゥーが垣間見えた。


 見つめる蒼の視線に気づいたのか、それとも違うのか。

「蒼くんさ、ひょっとして……」とイオが言う。


 タトゥーを凝視していたのを見とがめられたのかと、蒼は内心で激しく焦った。

 だが、イオはこう続ける。


「僕がビール飲むまで……待ってた? 自分が飲むのを」


「え? あ、ハイ」

 そりゃあもう。もちろん。


「どうして?」


 ……どうして? って。


「イオさんは年上だし……オレは呼んでもらってるし。当然です」


「ほら、やっぱり『気使い屋』だ」


「いや、でも」

 口ごもる蒼の目を、イオがじっとのぞき込む。


「あのね、蒼くん。気にしなくていいんだよ、そんな風に。僕は好きで鍋を作ってて、蒼くんと食べたいから誘ったし。ビールも、蒼くんが飲みたいなら飲んでほしいから勧めたんだ」


 「気使い屋」か――

 思えばずっとそんな環境にいたのかもしれない、オレって。

 体育会系……そう、体育会系のノリ。


 えっと、じゃあさ。イオさんのノリってなんなんだろう?

 ひたすら穏やかで凪いでいて、そんな――


 その後は、ふたりでフウフウ、鍋をぱくつく。

 魚焼きグリルで焼いた牡蠣は、殻に残った汁まですするほどに美味しかったし、あたたまった身体には冷たいビールがしみわたった。


「そういえば、蒼くん。異動先は慣れてきた?」

「はい、おかげさまで、なんとか」

「ヨコハマはどこか、遊びに行ったりしてみたの?」

「……いやぁ、それが、そのぉ」

 

 なんて世間話をぽつぽつとするうち、ふたりともそれなりに腹がくちくなってくる。

 そんな頃合いを見計らうように、


「あの……イオさん。昨日話した、書留のコトなんですけど。また少し、話を聞いてもらってもいいですか」


 と、蒼が話を切り出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ