第八話--邂逅--04
「神からの特別な加護を失った時から人は怯えて暮らして来ました。それこそ、楽園から追い出された人は、闇に怯え、天災に怯え、外敵に怯え生きることになったのです。人が求めた神の救い……それは、人の遺伝子に深く刻まれた、そのトラウマとも言える経験から逃れる為なんだろうとは想像が付きますがね……」
サカガミは大きく溜息を吐きながら続けた。
「しかしその思考のおかげで人は自分達に都合の良い解釈をし始めました。ひどく傲慢になり、神に選ばれた特別な存在、この世の支配者と自称し、トラウマから逃れようとしました。しかし結局は、神を語っているに過ぎません。だって、自分達で解決できない事は、なんでも神のせいにするんですから……」
「愚かな話だ……」
男はこれまで、数多くの人を見てきた。だから人々の愚かさは理解している。愚かであるからこそ、彼は人を愛し観察していたのだ。時にはその愚かさを利用する事もままあった。
その愚かさを今更理解した所で、この研究者は愚か者達に何をさせたいのだ?
男はこの男の真意を測りかねていた。
サカガミは何をしたいのか、何をさせたいのか……
「人が愚かなのは理解している。神が人を創り出してから、ずっと見て来たからな。それでお前はその愚かな人類に何をさせたいのだ」
「何度も申し上げていますが、神からの真の解放ですよ」
愚か者達が神からの真の解放を遂げた時、それは今よりも高次元の存在となり変わる。しかし、そんな事はできるわけがないのだ。人はそこまで成熟してはいない。人は神の支配から逃れる事はできない。だからこそ愛する愚か者なのだ。
「そんな事できるわけがないだろう?」
男は笑った。
そんな事が出来るのは神にも匹敵する存在だ。サカガミは創造主である神を否定し、新たな神を作り出そうとしているのか。それとも自身が神となろうとしているのか……
「あなたがきっかけをくれたのですよ?忘れないでください」
確かにきっかけを与えた。しかし男にとって、それは神の人形からの解放の意味でしか無かったのだ。決して神を否定する物ではない。いや、男にとって絶対の存在である神を否定できるわけがない。男はただ、人類の可能性を見たかったのだ。
しかし、この男は神を否定しようとしている。創造主の神の否定……すなわちそれは、自身の消滅も意味することになるのにだ。
結局、結果は同じか……
男はサカガミの言っていた事を思い出していた。
大切なのは、選択肢を示すことですよ。行き着く先は同じでもね……
サカガミは人の未来を考えながら、ヒトの未来に絶望しているのだ。人がヒトである以上、結果は変わらないのだ。それが明日なのか、遠い未来なのかはわからない。しかし、サカガミの中で人は階段をゆっくりと転げ落ちているのだ。
その絶望の中でサカガミは、何を見ているのだろう。何を期待しているのだろう。
「この彼女の論文なんか面白いですよ。究極の民主主義なんて謳っていますがね」
サカガミは楽しそうに今まで読んでいた所員の論文の話を始めた。本当に楽しそうに……そこに絶望に向かう人類の悲壮感は全く無かった。
「人の思考や記憶、そのほか全ての人がヒトとなる物を、コンピューターに移植するんだそうです。そして全てをネットワークで繋ぎ、一人の指導者の元、全ての人の思考を同じ方向に向けるそうです。どこかのSF小説みたいですねぇ」
サカガミは子供のようにはしゃいでいる。
「これは民主主義でもなんでもないですね。究極の全体主義です。はははは、その前に人間である事をやめちゃってますね」
男は黙ってはしゃいでいるサカガミを見ていた。
「前に提出された他の所員、ハヤミって言うんですがね、彼の論文なんか、人と他の生物との遺伝子の融合なんて物もありました。激変する自然環境に適応する為だそうです。なんかの漫画にありましたねぇ」
「全て神の理から外れているな……」
サカガミは笑いながら答えた。
「神の理どころか人間の倫理観からも完全に外れていますよ。さすが私が集めたマッドサイエンティスト達です」
サカガミは嬉しそうだった。所員たちの論文が、常識や倫理観から外れた奇想天外の物であっても、これこそがサカガミが求めていた物だからだ。
今までの価値観や倫理観に囚われていては、結局は何も変わらない。サカガミはそう考えているのだ。
「楽しそうだな?」
「楽しい?そうかもしれませんね。いろんな選択肢が見えますから」
「しかし結果は変わらないんだろ?」
「……」
サカガミは黙っていた。
「……今はね……」
サカガミは小さな声で呟いた
次回の更新は25日、朝7:30となります。




