第八話--邂逅--03
サカガミは何やら難しい顔をしてファイルを読んでいた。
「何を読んでいるんだ?」
男が興味深げに声をかけた。サカガミは溜息をついてファイルを読むのを止めて答えた。
「いつも突然なんですね。まあ、慣れましたが……」
男はサカガミのボヤキなど気にも止めずに、自分の疑問を繰り返した。
「それで、君は何を熱心に読んでいたんだ?」
サカガミは、男の身勝手な態度に殊更わざとらしく大きくなため息をついた。
「身勝手ですねぇ。まあ良いです。私は、同僚の研究員の論文を読んでいたんですよ」
「論文?」
「そうです。論文です。一応責任者なので、研究員の論文には目を通さなければね」
サカガミは、主任として、この研究所の数多くいる研究者をまとめている立場にある。とはいえ、サカガミ自身自分の研究もあるし、生来の性格から、あまり、他の研究員の事には興味は無かった。
しかし、形だけとはいえ、責任者という立場から、それなりに自分の研究以外の仕事もこなさなければならない。サカガミはそれが煩わしく感じていた。
ただでさえ、ここにいる者たちは、どちらかと言うと本流から外れた、異端児と言われる者ばかりだ。自己主張が強い者ばかりで、まとめようと思っても簡単にはまとまるわけもない。
もちろん、サカガミもそんな事はわかっている。何せ、一番本流から外れているサカガミが連れて来た者ばかりなのだから……
だからこそ、彼らには自由にさせているのだ。自分がそうであったように、こう言う者たちの気持ちはよくわかるのだ。
それにサカガミも彼らから刺激を受けてもいるし、サカガミ自身の信念から多少の負担は被るつもりでもあった。
しかし、思ったより事務仕事が多い事には本当に閉口していた。
それでもサカガミは、この研究所に、異端児と呼ばれている彼らを招いて良かったと思っている。
彼らの様々な研究に対するアプローチを見ているのが楽しかったのだ。
「彼らの論文を読むのは面白いですよ。私が考えもつかなかった、様々な視点から物事を見ることができます」
「科学者という者は本当に面白いな。君はすでに答えを導き出しているというのに」
「人は脆いものです。答えを導き出したと言っても全ての人が受け入れられるものでもありません。だからこそ、私は様々な可能性を探りたいのです。そういう意味では、所員たちは実に様々な未来を模索しています。受け入れられるかどうかは別としてもね」
「結果は変わらなくてもか?」
男はいつものように意地の悪い質問をぶつけてみた。これは、サカガミとの日課のようなものになっていた。サカガミの答えを聞きたいのだ。
「大切なのは、選択肢を示すことですよ。行き着く先は同じでもね」
サカガミは笑って答えた。選択肢を増やす事……それがサカガミ、強いて言えば、先の見えない人類には一番大切な事なのだ。なぜなら、そこにはあらゆる可能性があるからだ。
選択肢か……
男はこの言葉に、ある種の懐かしさを感じていた。
「あなただったらわかるのではないのですか?人に選択肢を与える知恵を持たせたきっかけを作った方ですから」
遥か遠い過去、男は神が創った人形の可能性を見たくなり、選ぶきっかけを与えた。神の人形からの解放を促したのだ。
しかし……私の正体にまで迫るとはな……
男はサカガミの洞察力に感嘆するしかなかった。
「私は、ただ、神の人形である君達を解放しただけなのだがな……」
「その神からの解放が、我々人をヒトたらしめたのです。まあ、その分、言い訳も効きませんが……」
「言い訳?」
男はサカガミの言っている意味が理解できなかった。
「だってそうでしょう?どのような結果であれ、人が選ばなくては、真の解放とはなりません。誰のせいでもないのです。そう思いませんか?」
「確かにな……」
選ぶ事、結果は同じでも意味合いは全く違う。神に用意された道筋を辿るだけでは解放とは言えない。
「それに、神にどんなに頼った所で試練は与えても助けてはくれません。そうでしょう?」
男は黙って聞いていた。
「宗教は神の名を利用して信者を集め、大きな権力を持ち、人の心を支配して来ました。戒律を守れば神は救いを与えてくれると……人々は神は救いを与えてくれると信じています」
男はサカガミの言いたい事を理解した。
神は人にだけ救いを与える事は決してしない。なぜなら、神は万物に対して等しく平等なのだから……
「そんな都合の良い話を信じるなんて、なんて人は愚かなんでしょうね」
サカガミは自虐的に笑った。
次回の更新は22日、朝7:30となります。




