第一話 --任務--02
『大丈夫よ。私があなたを守ってあげる……』
慈愛に満ちた優しい笑顔の美しい女性が俺を見つめている。その優しい目はまるで自分の子供を見ているかのようだ。
『だから安心して、あなたは眠っていれば良いの……』
彼女は俺を優しく静かに抱きしめた。
俺は彼女に包まれ、まるで母親に抱かれた子供のように心地良い眠りについた。こんな安らぎに満ちた気持ちはいつ以来だろう。
俺はこの美しい女性に身を任せた……。
《ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ》
突然、アラームが機内に響き渡った。
俺は心地良い夢から現実に引き戻された。
〈時間だぞ、起きろ〉
追い打ちをかけるようにA.Iの声が機内に響いた。夢見は良かったが、コイツのせいで全てが台無しになった。
「わかってるよ」
俺は眠気を覚ましながらヘッドギアを装着し、定刻に送られてくる任務指令書を待った。
基本、俺たちは作戦開始前に、詳細な任務の事を知らされる事はない。
まず、スケジュールに沿って出動命令が下り、その命令通りに待機地点に向かう。そこで「ハンドラー」からの指示を待ち、作戦開始直前に、初めて本来の任務を知るわけだ。
なんでこんな面倒な手順を踏むのかはわからない。まるで一つ一つ、プログラミングを実行しているような感覚だ。
〈お前……夢を見ていたな〉
唐突にA.Iが俺に聞いて来た。機械らしくないどこか戸惑ったような声だった。
珍しいな。コイツが動揺している?
「俺の中を覗くなと言っただろ」
俺はいつものように無駄な答えを返した。
どうせ、いくら言ったところでコイツは俺の中を覗くことはやめやしない。コイツは「Peeper」覗きが仕事なのだから。
もう良い加減、毎回同じような不毛な会話をするのにもうんざりだが、言わずにはいられなかった。
〈……すまない……〉
いつもとは違う答えが返ってきた。
「どうしたんだ?お前らしくないな」
俺は不思議に思った。
何よりもコイツはこんな事を言う奴では無い。いくらヒト臭いと言っても、所詮は機械だ。ヒトに合わせた薄っぺらな感情しか出来ないはずだが、今回は本当にコイツの申し訳なさが伝わってくる。俺は少々戸惑った。
〈少し話をしないか?〉
またコイツは俺の予期しない事を言ってきた。俺の戸惑いは大きくなるばかりだ。
ちょっと待て、コイツの中にはヒトが入っているのか?
コイツがここまで感情を出すのは初めての事だ。戸惑い、不安、それらがコイツから伝わってくる。
俺は自分の戸惑いをコイツに悟られないように、感情を押し殺し言った。
「お前、今日は少しおかしくないか?もう任務指令が届くだろ。インストールに遅れたらまたハンドラーの嫌味だ」
〈大丈夫だ。まだ5分ある。お前と話す為に5分早くアラームを起動させた〉
何を言ってるんだコイツは?無駄な事が嫌いなコイツが俺と話す為だけに5分早く起こしただと?それだけコイツの不安が大きかったって事か。何がコイツを、こんなに感情が露わにするまで不安にさせたんだ?そもそも、本当にコイツには感情があるって事か?
コイツに何が起こった?
このままでは任務に支障が出てしまう。感情的になればなるほど、任務の成功確率は低くなる。ましてや、機械のA.Iが感情的になれば、まともに任務がこなせるわけがない。いや、機械が感情を持つ事がおかしいのだ。こんなことが「ハンドラー」の耳に入れば、最悪、現行のプログラムは廃棄、そして、再インストールをしなければならない。
コイツにはバックアップが有り、任務記録のログも引き継がれる。しかし、機械的に死ぬ事は無くても、実際にはコイツとは別物に生まれ変わるだけだ。別に何の問題もあるわけではない……
だけど……今までの俺との思い出も消え去る……
ちょっと待て、俺は何を考えている。
たかが機械の不具合を修正するだけだ。俺のこの感情はコイツを失いたくないと言っているような物だ。そんなバカな事があってたまるか。コイツはただの機械だ。それ以上でもそれ以下でも無い。
俺はこの新しく生まれた感情を処理できないでいた。すると、
〈私は壊れていない。よって再インストール、リブートも必要ない。しかし、お前の今の感情は素直に嬉しい。ありがとう〉
また俺の中を覗きやがった。
この混乱している俺の感情を、コイツはどう解釈したのか俺にはわからない。わかるわけがない。ヒトの感情など、わかるわけがないのだから。
〈……お前の見た夢の中の女。彼女には気をつけろ〉
コイツは躊躇いながら言った。
「何を言ってるんだ?夢の中の女?」
俺には心当たりが無かった。いちいち夢の事なんか覚えているわけがない。
〈……そうか……なら……良い……〉
また、予想とは違う答えが返ってきた。妙に歯切れが悪い。俺はコイツに追求されると思っていた。コイツにとって都合の悪い夢でも俺は見ていたのかもしれないからだ。
追求されたとて、夢の話だ。責任なんて取れない。
「ああ、俺は夢など見ない」
全て見透かされていてコイツにはどんな嘘でも無駄なのはわかっているが……俺は平静を装って答えた。
〈……そうだったな……お前は夢なぞ見ないんだったな……〉
そう言ったきり、A.Iは黙ってしまった。俺も無駄にこの話を続けたくはなかったので、好都合だった。
それにしても俺はどんな夢を見ていたのだろう。いつになく安らぎ、安心して眠る事は出来ていたのだが……
〈任務指令が来る時間だ〉
《ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ》
警告音と共に任務指令が送信されてきた。俺はコンソールを操作した。コンソールは微かな光で応えるとすぐにインストールを開始した。
数秒後、インストール完了音が鳴った。俺は改めて任務指令書に目を通した。
「あと15分で任務開始だと?」
俺は急いで今回の任務に必要な装備を準備し始めた。急がなくては任務開始時刻に間に合わない。開始時刻に遅れると、「ハンドラー」からの嫌味のフルコースと帰還してからも食事の量が減るという子供じみたささやかな制裁が待っている。
俺は、「ギャレイ」のコクピットから、後ろのコンテナに移動した。
俺たちが乗っているこの「ギャレイ」は、全天候型の大型高機動トレーラーだ。後ろのコンテナには大事な「人形」と必要な機材、装備全てが積んである。この「ギャレイ」は俺たちの移動手段であり、任務行動中は基地となる。
任務中は、「都」と言われる穴倉に帰還する事は許されない。
それは任務放棄と見做され「ハンドラー」の子供じみたささやかな制裁よりも手痛い制裁、最低でも1週間の教育という名の独房生活を強いられる。
もちろん任務中は補給も期待出来ない。上の連中はそんな人道的な事を考えた事もないだろう。それに直前まで任務が分からないことから、俺たちはあらゆる事態を想定し対応できるように、考えうる「あらゆる装備」と「最低限の生命維持」に必要な物を積み込み出動をする。
そうは言ってもコンテナのスペースも限られているし、食料も一日、一食と決められている。「出動指令書」には任務遂行に要する想定期間が記されていて、食事もその日数分しか支給されない。規定日数からオーバーした場合は食料は現地調達となるわけだが、この不毛の大地では食料なぞ見つかるわけがない。
それでも食事は節約をすれば何日かは保つ事が出来るが、問題は何とか生きて帰還しても任務放棄と同じ制裁が降りかかってくる事だ。
別に教育という名の制裁を受けても命まで取られるわけでもないが、常時監視された独房で拘束具に縛り付けられ続けるのも気持ちの良い物ではない。
結局どんな事があっても「指令書」にある「想定任務期間内」に終わらせなければならない。
生かさず殺さず、俺たちは上の奴らに、そんな風に都合よく扱われているわけだ。
しかし俺は、ある意味どんなに過酷な任務であれ、任務に出ている方が気が楽だ。何よりもA.Iの監視付きとはいえ、ここにはそこそこの自由がある。「ハンドラー」の嫌味とA.Iの無機質なマシンヴォイスに慣れて仕舞えば良いだけだ。
俺は穴倉の「都」にいるよりもこの油臭くてうるさい「ギャレイ」の中の方が落ち着く。
この「ギャレイ」は俺の中で唯一安らげる場所なのだ。
次の更新は14日月曜日、朝7:30となります。