第一話--任務--10
俺は目を瞑り、全てを諦めかけた。
終わったな……。全て終わった……。
もう今更、何もする事ができない。俺はただ、塩になる事を選んだ。
こんな終わり方なんてな。俺らしくて良いかもしれんな。
とその時
『大丈夫。安心シテ。アナタハ ワタシガ 守ルカラ』
突然、俺の頭に、美しい女性の声が響いた。
なんだ?誰の声だ?
幻聴?こんなところに女の声が聞こえるわけがない。
ヒトは死の恐怖を取り除くために、死ぬ間際に不思議な事が起こると良く聞く。それの類かもしれない。
俺は人に守ってもらったことなんか無いし、他人と極力関わる事も避け、一人でいる事を好んで生きてきた。だから、俺には印象に残る他人なぞいないし、ましてや女なんて……幻聴とはいえ、他人の声が聞こえるなんて……
俺の望みだったのかもしれんな……
他人との関わり、どこかで俺は望んでいたのかもしれない。今までただ強がっていたのかもしれない。
なんでこんな事を考える?
死を覚悟すると、こんな事を考えるものか。つくづくヒトとは不思議な物だと思う。
俺がこんな事を考える自分に戸惑っていると、また、美しい声が響いた。
『マダ アノ子ハ完全ニ目覚メテイナイ 今ナラ マダ間ニ合ウ モウ一度 捕縛ネットヲ』
俺は不思議な声の言うがまま、と言うよりも、美しい声に操られるかのように「Helios」のコントロールレバーを操作した。
「Helios」はゆっくりと動き出した。
おかしい。「Helios」は完全にシャットダウンしていたはずだ。なぜ動くんだ。
その証拠に「Helios」の思考とリンク出来ない。「Helios」は、まだ眠ったままだ。
捕縛ネットが今にでも「卵」から出てきそうな「天使」に絡みついた。
《ギャァァァァァァァァ》
孵化を邪魔された「天使」は大きな悲鳴を上げた。奴の怒りが伝わってくる。
『抑制波ヲ!』
「わかった」
こうなったら、誰が「Helios」を動かしていようが構わない。それが例え悪魔であろうと、何でも言う事を聞いてやる。どうせこのままでも死ぬのを待つだけだ。
俺は言われるがままに「行動抑制波」を出した。
《グァァァァァァァァァ》
天使は一際大きな悲鳴を上げると、突然動かなくなった。
「効いたのか!?」
しかし、まだ奴の行動を止めただけだ。奴は死んでいない。奴の怒りに満ちた目だけはこちらを睨んでいる。
『目ヲ潰シナサイ ソレデ アノ子ハ 動ク事ガ出来ナクナル』
俺は、発掘用に装備していた杭を奴の目に突き刺した。
《ヴゥゥオ》
天使は鈍い声を上げた。真っ赤な奴の血液が吹き上がる。
「もう1本だ!」
「Helios」は「天使」から吹き上がる返り血を浴びながら、正確に、そして無慈悲に、生きているもう一つの目に突き刺した。「天使」は小さな断末魔を上げて全く動かなくなった。
「終わったのか?」
『イイエ マダ 終ワッテイナイ アノ子タチハ 闇ガ怖イ ダカラ 目ガ 見エナクナッテ 動ケナク ナッタダケ 再生能力ガ アル カラ スグニ 復活スル ハヤク」
「わかってるよ」
俺は聖櫃を開け、動かなくなった「天使」と「卵」のカケラを投げ入れた。聖櫃に入れられた「天使」は死んだかのように動かない。
俺は聖櫃を閉じた。「聖櫃」はまさにコイツの棺桶となったわけだ。
「終わった……」
俺は大きなため息を付いた。しかし、何が起こったのか全く理解できていない。俺と「Helios」を操った声の主は何者だ?いや、これは現実なのか?死ぬ間際の夢の中だというオチはやめてくれ。
俺はコントロールを動かしてみた。さっきまで動いていた「Helios」の反応がない。いつもうるさい「A.I」からの返事も返ってこない。まるで時が止まっているかのようにあたりを静寂が包んでいる。いや、実際、時が止まっているようだ。それと言うのも俺の時計が残り1分で止まっている。
この時の流れが止まった空間を作ったのが「天使」なのか、あの美しい声の主なのかはわからない。
この現実離れした出来事を俺はどうやって処理をすればいいのか……。とりあえず、生き残った事を喜ぶべきなのか……。
そんなことを考えていると、また、あの美しい声が聞こえた。
『コレデ スベテ 終ワリ ハヤク 箱ヲ 持ッテ 帰リナサイ』
「ちょっと待て。お前は一体誰なんだ?なぜ俺を助けた」
俺は声の主に聞いた。聞かなくてはいけない事が山ほどある。
『イズレ アナタニモ ワカル 時ガ 来ル ダケド 今ハ マダ ソノ時 デハ ナイ』
声が聞き取れなくなってきた。
『私ハ イツモ アナタヲ……ダカラ 安……シ……』
「待て!待ってくれ!教えてくれ!」
《ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ》
コックピット内にカウントダウンタ終了のアラームが鳴り響く。
〈ちょうど15分だ。無事、「卵」を聖櫃に収納した〉
A.Iが呑気に言った。任務達成の開放感が感じられる。
コックピット内も全て正常に作動している。コントロールも戻っている。コックピット内にいつもの「Helios」の鼓動が響いている。
「いつ再起動したんだ?」
〈何を言ってるんだ?「卵」に当てられたか?〉
俺は箱の中を確認してみた。「卵」が綺麗に収まっている。
なぜ「卵」がここにある?
俺は酷く混乱した。あの時、コイツは確かに「孵化」したはずだ。全てがシャットダウンして、「孵化」した「天使」と対峙した時に俺は諦める事しか出来なかった。
その時に……美しい……声が……
〈何か混乱しているみたいだな。鎮静剤を投与するか?〉
「いや、大丈夫だ」
あの時……何かの力で……時間が止められ、そして、確かに俺は……その力に救われた……はずだ……
いや、待て、そんな事ができる存在がいるはずが無い。
そんな事が出来る超常的な存在……
どんな存在がなんの理由で俺を助けたのか「敵」なのか「味方」なのか……
いや今は考えるのは止めておこう。夢の中に出てきた声とあの声が同じだとしても……
答えはあの声が言ったように、いつかわかる時が来るだろう。
〈本当に大丈夫か?何かおかしいぞ〉
俺の思考を読むコイツが戸惑っている。機械のコイツには理解できないのだろうな……
「コイツを回収して上に戻るぞ」
俺は、勤めて冷静さを装った。まだ頭の中が混濁しているが、俺が混乱している事を報告されてしまうと後々面倒な事になりかねない。
〈了解〉
俺の気持ちを知ってか知らずか、A.Iも何事も無かったように答えた。
聖櫃をバックパックに固定をして、俺たちは広い空間を後にする準備を始めた。センサーは全て正常値をさしていた。
塩の石像が切なげに俺たちを見ていた。
「そんな目で見ないでくれよ。もしかしたら、俺もお前たちみたいになっていたさ。俺たちは運が良かっただけだ」
〈何か言ったか?〉
「いや、何でもない……」
俺は、かつてヒトだった塩の塊を見ていた。
お前たちの方が幸せかもな。少なくとも大地に返ることが出来る……。
次回の更新は5月12日月曜日、朝7:30となります。