パキラート
パキラート
①
私の人生は停滞しております。時が止まっているとでも申しましょうか、いったいいつからといわれても存じません。
教師という職業柄からでしょうか毎年生徒達が卒業していき、また入学してきます。私は見送り迎えを繰り返します。生徒たちはみな成長します。私は同じ事を繰り返します。
仕事の事はこれくらいで、私生活はと申しますと35歳独身です。両親は早くになくなりました。近くに親戚はおりません。学校の寮に一人暮らしです。特別ほしいものはなく仕事が終わると寮の部屋に帰るばかりです。若い時分スポーツなどはしておりませんでしたので学校のクラブ活動とは無縁ともいえます。ときおり文化系のクラブの顧問を務めるくらいです。それもそのクラブ活動をやりたいという生徒がおる年だけ、何年かに一度、機会が訪れるかどうかのサブ的な役割での待機職員ですのでメジャーな文化部の顧問とは無縁です。私は数人あるいはたった一人の生徒の自由と自主性を守るための重要な役割を担ってきました。後ほど機会がありましたらその時のことを話すかもしれません。
今は、私の人生についてであります。
今にも飛び出してしまいそうな自分を抑えながらなぜこうした手記を記しているかというと後にも先にも自分の為でございますが、興味を持った方は読み進めてくだされば幸いです。あなたは私であるかもしれませんから、そういう意味での飛び出す前の私でございます。
私はすでに扉を開けております。あとは踏みだすというか、踏みだしてしまえば飛び出すことになるのです。戻る気はありません。遺書、ではありません、決して。そのつもりでは読まないでください。なぜ、死ぬ必要がありましょうか。どうしてもそう表したいならば死を再生と変えても良いでしょう。生まれ変わると言い換えましょうか新しい人生を歩むのです。ですが、ああもう一つお断りすれば変な宗教に捕まったわけでもありません。これは意志です。意志、なんだかおかしくなってきました。取り繕うつもりはありません。私が理解すればよいのですから。私に届けばよいのですから。
では、なるべく順を追って説明していきたいと思います。あっと驚くようなことはここまでもこれからもありませんのでそこのところはご理解ください。
まず始めに私の持論ですが、そのチャンスは二度とないということです。あくまで持論です。私にとってはそうです、ので改めて何度も唱えるべき言葉です。私はことごとくそのチャンスを逃してきました。
ことごとくというのは3回の事をいいます。少ないと思われるかもしれません。私も3度のチャンスしかないとはとうてい思いませんでした。私が特別悪いのでしょうか、みなそうなのでしょうか、みなが少ないチャンスをものにしているのでしょうか。どうしてもそうは思えません。
同僚の村瀬。あんなに太っていて汗っかきで顔もいまいち性格も悪い。そんな男が結婚しております。また同級生が無職のまま結婚式を挙げた話しも聞いております。
神様、神様がおりますならああ神様とまことにつぶやきますが、私はそうはしません。私はひとのせいにはしないたちなのであります。
私は不安になりました。私だけひとりなのではないかといまさらながらに強く感じるこの頃、私は自己を省みることで冷静な分析をし、練り上げること数ヶ月、うるうるともやもやに結論に至れなかった数年をあわせるといよいよ遅い判断だったと反省するのであります。
ああ神よ、とはいいません。ああ自分よ、私はこれまでひとりの女性しかしりません。ここでいう知とはあれのことです。そして私はこれ以上自分に出会いというチャンスは巡ってこないと結論づけたのです。
私の人生は停まっております。
仕事に関して言えば、職場は動いております。しかしその周期と軌道は決まっており発展はありません。あるとすれば定年や自己都合による停止だけ。
人生の私生活における人生の停止については明らかです。これが数年の結論です。間違いありません。がっかりします。すこしくらい人と比べたくもなります。酒やギャンブルにのめり込み荒れたくもなります。しかしそういった時もその数年で試してしまったのです。嵐は過ぎ去りました。今は平穏ですがその嵐の中からすらなにも後に残らないとは何事でしょうか、不摂生から健康を害し、病院に運ばれてそこでの出会い。ギャンブルで馬鹿勝ちをして豪遊し一夜の過ち。私は運がいいのでしょうか。嵐を無事に回避してそして何も変わらないのです。今後もそうに違いありません。分析もするし悟りもします。
②
今、水をのんできた。すぐにでも出発したい気がうずく。私がいらいらを抑えているのをわかって欲しい。
瞳という女性がおりました。おそらく今もどこかにおることでしょう。今、現在を含めてさきほどの例でいけば私が唯一知っている女性であります。
最初にあったころ瞳は恵美と名乗っておりました。彼女はデリヘル嬢でした。私は彼女にすっかり惚れてしまいました。良い仲になったからそうなったのではありません。彼女の方がどうだったかは知りませんが、私はさほど思っていたよりも良いものだとは感じませんでした。私にとって彼女は会いたい人でした。最初のころは月に一度でもあれれば私は満足でした。私は根気よくそして定期的に彼女に会いに行っておりました。
幾月かたつと彼女の方も段々と私に心を開くようになり仕事以外のことなども話すようになっていったのです。思えばその頃のことが忘れられないのでしょう、いい時が過ごせたと思います。互いの連絡先を教えあい、私は彼女にいつでも会いたいと思っておりました。彼女に会わなくなってからもずっとそう思い続けてきたのです。
会わなくなったのは私のせいです。私は深みにはまるのを恐れたのです。私は彼女の職業に抵抗を見せないようにはしていましたが感じるところはありました。私はより深く彼女を知っていくことを拒絶していました。やがて私は見切りをつけ彼女との連絡を絶ちました。会いたいだけの人に会っていれば良いことをなぜそうしたのか自分のことながら理解に苦しみます。
ずっと時はたちました。数ヶ月前から彼女を捜し求める夢を見るようになりました。時間経過を整理しましょうか。
今、未来に向けて片足をつっこんだ私が彼女と出会ったのが7年前、彼女と会わなくなってから5年がたち彼女の夢を見るようになったのが今から数ヶ月前です。
次はその数ヶ月前から今にいたる話しをしていきたいと思います。
③
夢の中でこの夢を覚えておこうとして覚えていた。起きてすぐにしたことといえば、赤い缶のリンゴジュースを青のガラスに注いで飲んだ。夢と現実の違いについていつもの時間まで考えようとしたがやめた。いつもとは違う時間だった。小さな小鳥や街の朝焼けやカラスの鳴き声にも私の寝起きは勝っていた。なぜか二度寝はしないですんだが特段することはなかった。パーソナルパソコンは一晩中ウイルスチェックを繰り返していた。
夢についてはこうだった。瞳の後ろ姿をみつけ私はそれを追っていた。瞳にあうのは久しぶりだった。なにと声をかけようか迷うまもなく会ってしまえばなんとでもなるだろうと夢の中の私は踏んでいた。とある建物に入っていった瞳を私は大きな道路の反対側で見ていた。その建物は何らかの店のようだった。店と道路を挟んで対角線上の位置だった。店の名だけは忘れまいとしていた。ジェイネットユース。そう理解した。遠くなので見えるはずはないのだが、夢なので視力が道路を飛び越してズームをかけていた。私は目を覚ました。現実に戻りその店の名をメモした。
数日して連続した夢であることがわかった。最初取ったメモは有効だった。
店の中から始まることがあった。そこはジェイネットユースなのだと私は理解しており確認のため店員に尋ねている。
「ここはジェイネットユースか」と訪ねると店員は「そうだ」といった。私は老婆に占いをしてもらっており木製の椅子に座っていた。同じく木製の机に両手を添え椅子と机の加工の色が違うことに気づいていた。
今日は瞳はきていないのですかとは言わないのだが私はあたりを見渡していた。
「ここにいる」と老婆は言った。私は老婆をみたが、老婆自身が瞳だというわけではなかった。
「天気は良くなりなりますか」私はなぜだかはしらないがたずねていた。ウエイトレスの若い女性がワインを運んできて私はそれを飲んだ。
「会いたい人に会った時間に戻るには門をくぐる必要がある」
「ただし戻るのは自分の時間だけだから確率は半分」
「香港にジェイネットユースはある」
一杯のワインなのに老婆の言葉は断片的になり私は酩酊状態で机にうっぷしていた。
「必ず晴れる」
「まずはジェネットユースを目指せ」
老婆の声はもはや老婆の声ではなくなっていた。
④
「やったー」と生徒の一部がいい他の大勢も口にこそしなかったが喜びで教室はわき上がった。今時の高校の修学旅行は海外旅行というのはもはやあたりまえといえた。来年は受験が控えているので実質3年の内の半分で高校生活をいったん終わらせるのだ。私はいままでこの旅行に参加したことはなかった。まず飛行機が嫌いだ。一度だけ行きと帰りだから2度だけになるだろうか、なにかの拍子で国内線にのったことがあったがみなの冷静さをよそに私は緊張で大量に汗をかき飛行機が離陸後安定してからも気圧のせいか歯やら顎がいたくなり着陸の際には体の中の何かを戻しそうになっていた。
「今年こそ生きましょうよ先生」同僚の教師が毎度の台詞で話しかける。
「ええ、今年は行こうかなと」私は答える。
「行くんですか」と周りがみな振り返る。
「ええ、今年は」
「それはいい生徒も喜びますよ」
私はそれ以上注目を浴びたくなかったので旅行会社がもってきた香港のパンフレットを眺める。
奥で教頭に私の参加を伝えている声が聞こえる。おおそれはめでたい、えっ珍しい、遠くまで職員室の賑わいが伝播する。私はそういった騒ぎが好きでも嫌いでもない。私は周りに合わせる。今日は良い方の騒ぎだ。悪い方向の騒ぎもある。人がたくさん集まってことに私は教師だから職員室であったり教室であったり学校という箱の中で大勢の人が作る騒ぎがある。今日の職員室での騒ぎの発端は私だ。
私は騒ぎがよいものでも悪いものでも最高潮に達すると逃げる。次の発端になりかねないし原因や責任者にされたくはないのだ。
私はよく教師という職業をこれまでずっと務めてきたなと感心する。評判は悪くないらしかった。一部にものたりないという親たちがいるのは事実だが学校や地域そのものがそこまでを求めていないところがあった。親たちも生徒もあきらめているところはあるし学校や先生に多くを求めず自分たちで行動する。私など笑顔と正確な礼儀で無視して進んでいく。私はそれについて満足する。私もそうだからだ。人に多くを求めず自分でできると思ったならば自ら進まなければいけない。そして礼節を忘れずに。他人に対して立場に対して仕事に対して、私は若者ではなくなっていた。
⑤
旅行は4泊5日。自由行動が1日。その日だけは先生もお役御免になる。とはいっても何かあれば呼び出される管理体制のもと。ましてや先生本人が問題を起こすわけにはいかないだろう。
「無理な計画はいけません。隣のマカオにも行けますがもちろんカジノは禁止です。ひとり行動も禁止。グループのリーダーは渡される携帯の管理と定時の報告を忘れないこと。いいですか」無理な計画はいけません。それは私自身に言うべきことだ。
「先生、先生はカジノするんですか」生徒のひとりが言った。
「私はしません」と私は言い切った。
「私はってことは武藤先生はいくんですよね」
「先生カジノで儲けてオレらになにかおごってよ」
教室が騒がしくなってきた。
「資料はたくさんあります。計画を立てて今週中にグループ毎に提出すること」
まだ騒がしい教室に向かって私は言った。
「計画が不明もしくは無謀と思われるものには旅行許可を与えません。遊びでいくのではないことはみなわかっているはずです。いいですか」
教室は静まった。
「先生もこれから計画を立てるので邪魔はしないように」
教室はやがてさざ波をくりかえし私と生徒達はそれぞれの香港に思いをはせた。
生徒達には思い出を作る場所。新しい何か刺激のあるところに行く。未来そして未知への旅。私は確かに海外は始めてだし特段外国語を操れるわけではないので私にとっても未知で刺激的ではあるが私は思い出を取り戻しに行くのだ。日本で過去で捨ててしまったものを海外で探し拾いに行こうとしている。計画。生徒達にはそういったが私の計画はどうたてるというのだ。ジェイネットユースについてどうするというのだ。
⑥
授業が終わり職員室のパソコンで香港 ジェイネットユースを検索するがぴんとこない。
「先生、昼から授業無いですよね」
教頭が話しかけてくる。
「旅行会社へこれをもっていってくれませんか、それであっちから渡されるものあると思うんですよね、それを明日でかまいませんのでもらってきてください」
私は最後まで聞くまでに了解していたが次の言葉を待っていた。
「もちろん直帰してかまいませんので」
「わかりました、では、明日」
私は神妙に答えていた。
誰にでも良くあることなのかは知らない。私は旅行会社の担当官になったらしかった。今日においては旅行会社の担当官はあちらの側だが、若い女性に尽きると考えてエレベーターに乗った。5階でおりすぐに窓口があり会社には訪れるものもなくがらんとしていた。
しばらくつったったままで預かった書類をごそごそさせていたが奥の方でいままでかがんでなにをしていたのかしらないが若い女性がひょっと顔を出した。
私は名を名乗り書類の受け渡しを済ませた。そんなことよりジェイネットユースという暗号について聞きたかったのだが彼女には聞けそうもなかったしわかるまいとも思われた。思いの外てきぱきと段取りが済み、私は新しいパンフなどを生徒用にカバンに詰め込み中に入ってお茶でもいかがですかという声に断りをいれつつ帰り際
「香港に詳しいというかパンフとかネットや本屋とか以外で情報つかむとしたら何か特別なことありますかね」なんて聞いてみた。
唐突な問いに彼女はあっけにとられていたが質問に答えてくれた。
「私どもと提携している現地スタッフと連絡を取れば現地の生の情報が手に入ります、そのようにいたしましょうか」
と彼女は正しいような答えを出した。
私はもっともだと思った。私は逡巡し悩んだふりを繰り返し答えをようやく出したふりをして「それ以外は」とクイズを一緒に解くパートナーに向けるかのように彼女に問いかけた。「んー」すこしくだけた調子になった彼女は湾岸の方に香港街というか小香港?っていうかそういうのがあるらしい旨を教えてくれた。
さらに何か無いか記憶の探している彼女を制し「いえすみませんちょっと個人的に興味ありまして」と私は言い、まだ時間があること自分で調べたいこともあるからということを説明しいろいろ教えてもらったことにたいして礼を述べ旅行会社を後にした。
⑦
夏は終わっていて夕涼みがてら海を目指した。香港街といったか横浜の中華街のような大きなものではないらしかった。ほんの小さな小路があるだけのショッピングモールといった感じを受けた。
人混みはない。ペーパークラフトで作成した建物の中に入ったようだった。本場香港の屋台料理とやらの店で食事を取った。客がいなかったので出された料理の8割方を残して帰るのが忍びなかった。口に合わなかった。私は階段を降り帰路についた。なぜ非常階段を選んだのかしれなかった。店を出て行き止まりでこれ以上引くわけにはいかず壁の右側に扉を見つけ入った。強烈な風が吹き扉は私が出ると勢いよく圧力で閉じた。
階段は靴で触れる度にいい音でなった。淡淡としたその音のリズムが崩れたのは私が足下にある印をみつけてからだった。
J-NET’YOUTHの文字が積まれた段ボールの一つを私は丁寧に折りたたみカバンのようにはさすがに見えないが脇に抱えその場を立ち去った。
⑧
教頭に書類を渡した。また頼まれた。昨晩はJ-NET’YOUTHにアクセスしてみたがこれといったものがヒットしなかった。私は毎週木曜日に旅行会社に行くことになった。
物事はそう簡単には進まずいつもは行かない修学旅行に参加するものの義務として受け取った。たぶん今木曜日に依頼して来木曜日に結果がわかるだろう。めんどうはごめんだが手懸かりを順序よく完全に掴めとの啓示であると理解することにした。
生徒が提出してきた計画をあらためながらそれとなくJ-NET’YOUTHについて探っている自分がいた。それが良いことに繋がるか悪いことに繋がるかもわからずにただただ惹かれていた。
⑨
休日ともなれば私は日がな部屋で過ごす。朝目覚めまぶたを開ける前に天気を確認する。晴れていても雨でも曇りでも外出することを避ける口実にする。窓を開けて外での気分を味わう。旅行書を開き何とはなしにみていると香港では魚のことをユーというのを知った。
YOUは魚。魚に関係する。私の一日をつかっての手懸かりでこんな調子で準備は着々と進んでいた。
⑩
木曜日が来ると私の出番が回ってくる。公に旅行のための仕事をする。今までに私が得た情報を構成し推測するとこうだった。
J-NET’YOUTHは日本向けの冷凍海鮮物の輸出業者である。単純に魚屋かとも思ったが魚屋に段ボールは合わない。Jが日本を意味しネットがつながりを意味するとすればユーが魚であとはもごもごとなりそうだが、とにかくここまで下調べかどうかいわれるとお笑いだが、ここらへんのところを含めて旅行会社の現地スタッフとやらへの説明をすれば解決するのではないかと期待しての訪問だった。
⑪
目を閉じるとすごく綺麗な青色が見えるの。サファイヤの輝きを炎にした感じ。
そんなことをいう娘だった。私は電車に乗りうとうと眠りかけていたが、途中駅で乗っていた電車がしばらく停まり特急がものすごい音を立てて隣を通り過ぎてそのあと電車が動き出した。動き出すがたんと言う一歩で最終的に目が覚めた。
閉じたドアの向こう側に彼女がいた気がした。あれあいつだったか。私が手芸部の顧問をしたときだ。手芸部だなんてと周りの教師は言っていた気がする。私は、しかし生徒がやりたいというのであれば別におかしいことはないでしょう。と憤っていた。口にこそはしないが、職員室の空気に対してだ。
その後教頭に呼ばれ校長に手芸部の設立と顧問の任命を受けた。生徒は美香だけだった。部とは名ばかりで手芸の推進は図れなかった。美香は小学校中学時代と手芸部なのだからというがマフラーも手袋も一つ足りとてものにできなかった。彼女の手芸部であり続ける意志と私の我慢強さで3年間のクラブ活動は続いたのだった。
あのときも探していた。あのときは二人だった。活動報告をつくらなければならず私はその締め切りに追われていた。彼女は市内に日本手芸団体親睦連合会の支部があるのでその団体が運営する資料館を見学して手芸の実技はともかく歴史や文化的意義を学習したという建前を取るのはいかがと助言してくれた。そしてこの今と同じこの電車に乗っていった気がするのだ。そして私はとわたしたちはその資料館を見学しに言った後あやうく一線を越えそうになったのも覚えている。
私は曖昧にならず彼女は平然としていた。だからといってどうにもならないが私の方が少々意識するようになり彼女に主導権を握られる割合がふえていった。
私にはチャンスがあった。私は美しい日々があることを知った。終わって知らされた。彼女がいまどうしているか知らないただこうしてなにかの機会で思い出すだけだ。電車を降り旅行会社へ向かった。
⑫
どうもといって頭を下げると会社の彼女は覚えてくれていたみたいで話は進んだ。事務手続きを終わらせ受け取るものを受け取ってコーヒーでもをごちそうになった。多少ずうずうしいくらいだったかもしれない。
「あの、実は」私はいずれ来週も再来週も私が来るであろうことを告げ以前伺った現地スタッフに調べて欲しいことがあると告げた。
「この件に関しては全く私用ですので料金等も別でお支払いいたしますし学校の方とは無関係ですのでその点をふまえてなんとかお願いできないでしょうか」
私は言い、用意していた段ボールの写真を持参し彼女に見せた。
「ああ、そういえば前に言ってましたよね」
「いいですよ」
と彼女は簡単に言い。
「これ私の予想なんですが海鮮関係の会社ではと考えているんですが」
「んーどうですかね、まずはわかりました、調査してみます」
「段ボールにアドレスみたいなのありますよね、ネットで検索してもヒットしなくて」
「香港ではよくあるんですよ、最初はちゃんとしたアドレスを残すんですけど後からあいまいにするというか、あっでも、あやしい会社とかそういうのじゃあなくて省略ですね、日本でもあるでしょ英文字の頭文字だけとってとか」
彼女とのやりとりがしばらく続いた。
私はまだ不安だった。
「怪しい会社とかってやっぱりあるんでしょうか」
「あります。そこがもしそうだったら教えません」
「そういうきまりです」
むこうはむこうのルール。会社は会社のルール。私は配分通り残りのコーヒーを飲み干して個人的に、ようは情報提供依頼契約みたいなものに署名などをしこれも向こうにとっては情報に違いないとコーヒーカップの底を眺めて手続きが終わるのを待っていた。
帰り際私のカップをかたづけていた彼女がカップの底を見せて
「みつかります、きっと、連絡待っていてください」と笑顔で言った。
⑬
出発まで1ヶ月と1週。現地で私に与えられる時間は夜から朝にかけて生徒達が自由行動を取る3日目。
香港を少しでも知るために見た映画にちなんで作戦名を立ててみる。これは昨日授業で生徒に話したらことのほか好評だった。計画は中国式の作戦名をつける。それだけでぐっと旅行の計画が引き締まる気がするという他愛のない提案だった。香港教師というのが私の生徒の前で疲労した例だったが、そこでは披露しなかった私の計画は、取得在日。幻想甘美。生徒には意味をつっこまれたくない個人的部分であった。
公園の芝生に腰を下ろし預かった書類を枕に眠りにつく、最近はなぜか眠い。香港に行くと決めた日からかもしれない。緊張しているのと期待しているのと計画を立てるのといろんな日常とは別のことに対する人間の耐性が眠りの抗体を作り出しているのだろうか。
これは仕事などどいう当たり前のことでも気を張っていなければ、どこでもいつでもいくらでも眠れるような気がする。そして今もそうだ、いまは仕事を終えた、だから私はこうして横になる、犬の糞がないかどうか確認して少しだけと思い目を閉じた。
⑭
荷物がたくさん入った大きなリュックをどさっと地面に置く。自分が置かれた荷物である気がして起きた。
寝ていた公園であることは理解した。あたりは薄暗く人通りも少ない。預かっている書類のことを思い出した。次に財布、鍵、体、顔。確認してからも最小限しか動かず足をのばしたまま芝生に腰掛ける。横になった顔に草の後が残っているだろうと思った。私は夢を見ていた。香港の夢だった。私の中でのいったことのない香港の夢だった。夢の中の私は香港にいた。
私はタクシーの運転手だった。どうも職業としてそうらしかった。勝手知ったる路だった。何人かの客を乗せ仕事をこなす。細い小道にはいると仲間がいて開けた通りに車が乱雑においてある。広場ともいえるようなロータリーに車を止める。露天の椅子に腰掛けると馴染みの婆さんがカップに入った麺を出す。注文もしていない私はそれを食う。味はしないがスープの最後まで飲み干しなにやら挨拶らしき声をかけつかけられ私は自分の車に戻る。もう仕事だとすら思わない。私は働きもののようだ。つらいという意識はなく疲労もない。私はうまくこつを掴んでいるようだった。車とも一体化していた。香港の交通はものすごい混沌に満ちあふれるところがある反面凪のような通りが突然現れる。私の中の私は混沌の際は観光バスに付き従い、気を見て静かな通りに頭をつっこんで今度はすいすい進んでいた。私がそう思ったとき香港の私はきっと海を泳ぐ魚のイメージを描いていたに違いない。私はここでは自由なのだ。少なくとも客を捕まえるまでは、捕まるまではかはしらないが私は明らかに自由を楽しんでいた。食事の際に仲間と談笑する時間さえ惜しんでこの泳ぎを楽しんでいた。
客がその泳ぎに何度か制限をつけつづけるとそろそろ私は泳ぎを終えようとしているのが感じられた。だんだん香港の私は私は理解し合おうとしていた。
運転席で報告書らしきものを書き出した。メーターの機械のボタンを操作して機械音を発せさせていた。最後のひときわ大きなボタンをおそうとしたとき、機械を押す指が止まった。最後の客だった。
男は大きな熊のようだった。顔は見えないがぼんやりとした風情で黒い猫背の塊。私はそこまでだったが私は少し違う客だと判断したらしかった。交渉は長引いた。これまでの乗って降りて乗って降りての繰り返しとはいかなかった。
魚に足が生えて手が生えてそのために泳ぎづらそうだった。お腹はぱんぱんであっちこっちにひっかかりそうになり珍しく私は動揺しているようだった。額に汗をかいていたが後ろの客は静かだった。この客のせいだと私は思ったが、私はそれどころではなくなっていた。ようやく目的地に着いたようだった。客を降ろしてなんだか車のトランクに重い荷物を載せたことすら忘れていた。荷物を下ろしてやった。これは私がやった。もうひとりの私は疲れ果てていた。客の男がトランクを開けてくれと言うのを解さなかった。それくらい放心状態に近かった。
荷物は重かった。ようやく持ち上げて地面におくと、どさっとしてその音で目が覚めた。
⑮
数日後に出発を控えた夜、旅行会社の彼女から連絡がありたった今メールを送ったので見て欲しいとのことだった。おくれてすみませんとの言伝も忘れなかった。私はもうこのままで香港に乗り込むつもりだった。下調べはできていた。あわよくばめぼしい区画を軒並み歩いて回るつもりでもいた。そこに何があるかわからないまま。そしてあるていど夢を信じていた。私は路を把握しているつもりだった。行けば何とかなると踏んでいた。
旅行会社の怠慢ではなかった。確かで安全な情報が欲しいのだ。それ以外は自分でなんとでもするつもりだったのだ。最初は拍子抜けするほどにおろかな期待を今は運命と決めている。会社の情報によるとジェイネットユースは加工会社であるとのことだった。飲茶のおいしい店であるともある。どうも情報は複数の調査員によってなされたらしいがそれをまとめるものがいないらしく各自の調査報告の羅列といえばそれまでのものであった。日本の旅行会社の彼女も悩んだのだろうが自分でまとめるには至らず、急ぐのを優先させるという理由で生のデータをよこしたのだろう。
ただ、住所も電話番号もある。市販の地図と照らし合わせると宿泊するホテルから徒歩で行ける距離にあった。
私は地図に丸をつけた。ホテルにも観光名所にもつけていない丸だった。
⑯
空港でぎゃあぎゃあはしゃぎまくり飛行機の中でも大騒ぎだった。我が生徒を隠れ蓑にして私のどきどきは誰にも気づかれないはずだった。やっとついたと思い飛行機から降りると台湾だった。乗り換えがあるのは知らなかった。生徒達は喜んで空港内を歩き回った。集合時間を告げるのが精一杯だった。空港内のベンチに座って神にでも祈りたい気分だった。礼拝堂の前で待ち合わせた。生徒達は喜々としてみな無事に集まった。また飛行機に向かった。機内にはいるために並んでいるとひとりの生徒に話しかけられた。
長月透。
「先生ビビってたでしょ。治った?」
「治ったがまたはじまる」
「そういうことは見て見ぬふりをして無視するのが筋ってものだと先生は思う」
うちの学校は平和だと思う。
私が気づかないだけとは思わない。いじめがない。透は浮いているが自分から率先してそれをやっている。誰にも付けいらせない。つかませない。それは力だ。青春の青臭さを吹き飛ばして余りある風。
「お前、ひとり行動は禁止だからな」
「はーい。先生はお一人でどちらまでいかれるんですか」
「香港だ」
「はいはーい」
一度腹を割って話した仲だった。
先生にもさあ本気は出せないんだけどいいとこまでは出せそうだし、その意味わかってくれると思ってさ。
わからんけどわかるよと私は言ったのを覚えている。
加減って難しいという話しをした。
丁度って言う所の話しをした。
いまどきの若者はという話しになる。私は国語の教師ではなかったが生徒達の日本語について憂いていた。他の分野に口を挟むことになるのだが、そのことをそれとなく授業で話したことがあった。
私は皆さんの日本語が記号のように聞こえます。記号に感情はなく組み合わせた意味だけが浮かび上がります。好きだといえば好きなのでしょう。うけると言えばうけるのでしょう。ただそれだけなのでしょうか。朝何時に起きました。お昼に何何を食べました。こう思います。こうでした。知りません。帰ります。そんなんだけじゃあないだろう。毎日は。一日は。あなた方はその繰り返しを生きているだけなのだろうか。何かないだろうか。他に言うことはないだろうか、感じることはないだろうか、伝えられないもどかしさはないのだろうか、それをあきらめてはないだろうか。
この間日本の高校生が世界を相手に英語でスピーチをしておりました。この舞台に立つと言うことは完璧に近い発音、言葉の内容なのでしょう、が、恐ろしさを感じました。この子はどういう風に思われているか感じてないのだろうか、自分の言葉の言葉以外の部分がどう伝わっているか関心がないのだろうかと私は考えるのです。
その子の堂々っぷりは英語という言語の歴史に比べれば一朝一夕で作られたものに過ぎません。その子自体もまだ若い。言葉を着ているだけというかなんなんだという気がしてなりません。嫌悪感を感じたと言えばその子に失礼でしようがないのですが私にはその子に対して諸手をもって拍手する気にはなれないのです。皆さんはああいうふうになりたいのでしょうか。ああいうのが当世の機首ともいえる高校生の姿なのでしょうか、がっかりです。
反応はなかった。私は自分の授業に戻った。みな静かに授業を聞いた。
授業が終わり私は後悔までは行かないが何をしたんだろうという気にはなっていた。
私の背後からさっと迫り、横に並んで話しかけるともなく話しかけてくるものがあった。長月だった。
「先生。余裕がない。」
「ん」私は意味がわからなかった。
「みんなさ、人のことにかまってられないんじゃあないですかね」
「身内同士じゃあ結構使ってますよ、先生のいう日本語ってやつ」
身内って友達ってことか。と私が言うとそうホンとの所の友達と長月は答えた。
「あまり気にしなくても大丈夫ですよ」
「お前は誰にでも日本語だな」と私が言うと
「友達いないっすから」と答えた。
「お前用心深そうだからな、あまり気にすんなよ」と笑いあった。
「先生、おれ朝弱いんすよ、大器晩成型ですかね」
「なんだそれ」
「目が覚めて、もちろんその前に寝ているわけだけど、起きる理由がない」
「ずっと寝ていたんですよ」
「いいんじゃねえか」
「はい、それで何度か試したんですけどどんなに疲れた後でも2日が限界でしたね」
私は長月を見た。
「眠らないでいることは1週間、寝ることは2日、これで先生なら何か答え導けますか」
私が長月を見、それから何時間もそこら辺について放課後話しをしたのは私もその実験をしたことがあるからなのだった。
「先生が導いたのは」
あえて先生と言う言葉を使ってみた最後の締めとしてだ。
「これは今のところ先生も使っている定義で、覆されるのが嫌いだから今は何も言うな」
「とりあえずこれで数年はやっているし不満はない、またいろいろ探すのもいいかもしれないが今はそんな気はしない」
「目が覚めて起きてくるのは自由のためだ」
「自由を獲得するために先生は生きている」
長月が目を見開いた気がした。私の答えの内容にではないだろうと一瞬思った。答えをもっていたことに対してか、それを教えてくれたことに対してか、あるいは全部か、そうでないかかだ。
私は誰もいなくなった教室の窓を閉め外を眺めた。私にとっては何でもない時間が人によってはそうでないのを感じていた。
帰りの階段の音が寂しく響いた。
そして私は校門をで学校を決して振り返ってはならないと故事に習いそんなことで意固地になりながら前に向かった。
自由のための眠りが家で待っているからだ。
⑰
降り立つ瞬間はいい気分になる。空気が見えるシャボンのような泡なら私を包んだシャボンとそこの土地の空気のシャボンが混じり合う瞬間。
飛行機のタラップを降りてきて空港内の床に足をついただけなのに浮かれていた。みながそうに違いないとまで錯覚に陥る。私はゆっくりとみなに追い越されていく。普段は気にも留めない一歩一歩を感じながら歩いていく。
その国の臭い。長い回廊が続く。開けた。
当たり前だが人がたくさんいた。そして動いている。私は波をかき分け生徒達に追いついた。香港では日が落ちていた。時計の時間を1時間戻した。バスに乗ってホテルまで向かった。香港の夜景の一部を垣間見た。ネオンの看板は日本には見られないものだった。映画で見たような光景があたりまえに展開された。
その日は、その日というのは旅行の初日のことだが夜にホテルについて終わりだった。明日は朝から観光プランが組まれていたので生徒達はホテルでおとなしく待機。私は先生同士の打ち合わせをおえ、銘々がホテルのレストランだったり近場の屋台だったりで少し歩いてきますとの閑談さをうけ私はすぐに現地へ向かってみようという気になっていた。
自分の部屋にはいりシャワーを浴びる、空調の効いた快適な部屋で寝てもいいがやはり出歩こうという気になった。少なくとも位置を掴んでおきたい。店は閉まっているだろうが外観を知りたい。私はスーツからラフな格好に着替え出かける準備をした。
部屋にノックがなされた。ドアを開けると長月だった。
⑱
女性でなくてごめんなさい先生。相談事があります。いい機会だと思って、こんな時でもないと聞いてもらえそうもないし。少し真剣さの臭いはした。私の格好を見てどっかいくならつきあいますよといったが生徒ひとりを連れ出すわけにも行かない。
私は数十分の話しだろうと思ったがそうではなく、とりあえず話しの下りを聞いた後考えながら部屋を出た。ホテルの近くにコンビニがあったのでそこに買い出しに行くと理由をつけた。長月が自分行ってきますよといったが生徒は外禁だという約束事から私がでた。
みな、でてるんだけどなと長月の声が締まるドアの後ろから聞こえた。
こういうとき先生として担任として責任みたいなものを考えるんだろうなとも思ったがそうでもなかった。自分の不始末になるそれがどうだというのだ。学校の問題、社会問題、報道、ニュース。あれこれ考えた。確かにコンビニのまわりホテルのロビーにはうちの生徒達がちらほら見え隠れしていた。こんなことの巧妙さが何になるというか、長月の話しはめまいを起こさせた。
酒でも買うかという気になったが長月が酔って勢いついても困る。初日、初日。私は問題を引き延ばそうという答えしか思い浮かばなかった。
だが長月が今にでも、この瞬間にでもいなくなってしまったら、私はその可能性は大ありだと急に思いこみあれこれいらないものまでを買い込み急いで部屋に帰った。
長月はいた。
ベットで金を並べて数えていた。最初に入ったとおり50枚の日本円が並んでいた。
この旅行で一番金もってんのはお前だな。と私は帰るなり長月の背中に言った。先生方のカードにはかないませんよと金をさっと集めて札束にした。
落ち着いている。私は落ち着いていない。それはなぜかなぜだろうか。考える暇は今はないことだけはわかった。
まあ飲め。私はコンビニの袋を無造作につきだした。長月はビールのふたを開け私もそれにならった。主導権はと思うまもなく、長月がどう思いますかと切り出した。
やめろ。と私は言った。
先生、お酒を飲むことですか、と長月は切り返した。
目の前にいるのは先生ではないと言っていた。
じゃあもう少し先の話を聞かせてくれと私は言ったがもちろん人生の長さに比べれば語れるのは数分だった。大学生活のたゆたう4年余りに比べれば夢物語、社会生活における年間行事の一夜の馬鹿騒ぎ。
私は言葉を選んだがそういうときは大して良くないのを知っていた。だが人はなんとかしようとするものだ。
私はできなかった。だから私に何を聞くのかわからない。計画はここまでは順調だ。ここまではだ。だがその後がない。それをお前は知っている。だからオレに聞く。オレもわからないことをオレに聞く。
お前はすでに先端にいるんじゃないか。お前の先端にいる。探し続けることが先端にいることかもしれないとも私は思う。香港はそうじゃない。ニューヨークもそうじゃない。北京もパリも東京もそうじゃない。お前もそれはわかってる。バクダット、ドバイ、バンガロール、怪しいところはいつだってあるがそうじゃない。お前はそれを感じている。だから相談する。お前は迷っている。お前はこれまでは迷ってないはずだ。金の手配、ここまでの計画、郵便物、オレへの相談。お前はやり抜いたと思う。これは終わったことと思わないか。お前はお前の先端にたどり着いた。それは成功だし少し望みと違うかもしれないところは失敗でつきにつなげるところ。課題といえば学校っぽくなるが修学旅行をだしにつかってるんだから文句ないだろう。
だまって聞いていた。
ビール冷めるよと私が言いお互いの一本がようやく空いた。
答えは出たようだった。意外だった。私も意外だった。
時間が余った。
私は二本目のビールを空けながら自分の話をすることにした。
オレもある目的を持ってここへ来た。お前と似ている。
おろかだろうがこの年になって夢のお告げにすがる。感に頼る。自分を過信する。
⑲
長月を見ていて思うことは自分が高校生の頃だ。
その時分私の怠惰な性質は種のままでまだ芽を覚ましてすらいなかった。健全な学生だった。スケジュール通り動くのに忙しかった。そして私は女性にもてていたように思う。だが私は腑に落ちなかった。長月のように感じていた。
理子とは高校生活を3年間として2年間を特別な関係として過ごした。いろんな行事があった。ダブルデートみたいなのもした。夜に飲みに行ったり、外泊したりした。そして卒業と同時に終わった。あれは何だったのだろうと思う。一種の流行だ。いまでもそうだろう。そういうものなのだ。
話しを聞いていて長月はオレに言った。後悔してるんすか。
過去に戻りたいとか昔の彼女に会いたいとか。
確かに後悔という言葉の使い方例としてはぴったりはまりがちだが後悔はしてないんだと私はいった。
なんでだろう。私は言葉として音に出してみた。それで答えが生まれてくることもある。
過去に満足しているのかもしれない。過去としては過去に満足していると言ったらいいのか、全力で前にだけ進まなくなった。がっくりすることもある。それがよりよい未来に向けてのさらなる期待と言うよりは過去と比べてものを見る。
⑳
夜は更けた。私はひとりになる。缶ビールの残骸を整理した。袋の残りは長月に持って行かせた。私は街に出た。眠る気にはならなかった。生暖かい空気とオレンジのネオンは街をぼやけさせた。どんな危険も感じさせなかった。初めての街を感じさせなかった。空は澄んでいて雲の山が綺麗だった。どこを目指すともなく歩いた。今日は今日でいいと思った。ジェイネットユースは明日にしようと思った。立ち飲みの屋台に肘をつきビールを頼む。向こうの道路では上半身裸のおっさんがいい気分になっていた。路の水たまりに映る月は綺麗だった。街の臭いが料理をおいしくさせた。歩いて汗をかいた分を何度もビールで補いつつ歩いては飲んだ。やがて明るいところが消えていき人々が去るのだった。私はホテルの明かりを目指し部屋につき少し眠った。
21
朝早くから観光が始まって人の波だった。バスで山に登りビルを眺め山を下り海へ行きビルを眺め上からと下から人間の力を見せつけられた。建築の学生でもなく風水師を目指しているわけでもなくただただ一日の行程を進んでいった。生徒達はシステムに気づいたようだった。若いと順応も早い。外側をなめるだけならここは日本と変わらない。危険はない。みんなでの旅行。看板やなんかがちょっと違うだけ。言葉と貨幣は違うがお金を払えばものは買える。順番に行程を繰り返すとみな各自がそれぞれの香港評をはじめる。
楽勝ムードがただよった。1日自由行動もちゃらい感じと察しがついたようだった。お金を使う班と何も買わない班と文化的歴史的に関心を持つ班グルメ班。こんなところだろうか。私はビーチを歩きながら考えていた。同僚の教師がついてきた。明日の自由行動なんですが思ったより心配なさそうですねと言うのだった。最初は小さなグループを作ってきめ細やかな計画をつくっていたのだが、だいたいが同じコースや目的を立てているのでほぼ団体行動をさせることに決まったのだった。先生は明日朝だけ一緒いてもらって後は自由行動してもらっていいですよとの伝言も伝えられた。いいんですかという前にそのかわり帰りの空港でちょっとというか2倍がんばってもらえれば、おみやげとかみな忙しいでしょそのときに先生ががんばってくれればです。などと交換条件のようなことを言うのだった。私は無論了解した。空港にようはなく土産とも無縁だった。私は香港での時間が欲しかったのだ。龍が住むという湾は青く雲は白く生徒ははしったりころんだりすわったりどこでもなにをしてでも楽しんでいた。私は明日だなと思い砂に靴をめり込ませて左や右に傾いたりして海の向こうを眺めていた。
22
昨日までは大半がバスの歩調だったからいざ街に出て地元の人たちと同じ調子で歩くとまた違った印象を受ける。朝食もそこそこに私は街にでてジェイネットユースを目指した。
ひとりで街を歩くと海外に来たことがよくわかる。普段気にしないことでも気にすることがいろいろうかぶ。トイレの心配。お金の心配。忘れ物落とし物の心配。交通の心配。食事の心配。人の心配。言葉の心配。
私は一気に行こうと決めていた。片道だけは一気に行く。現地に着いたら心配だらけなのだろうが関係ない。たどり着くことが目的なのだ。それが目的。
23
空調から垂れる水滴を避け人は歩き私もそれに続いたが、それは大きな通りまでで一つ二つと横道にそれていくと人通りはまばらになるのだった。
朝は角度として日の入りが少なく日陰になっている。あちこちに水たまりができている。日中は馬鹿みたいに気温が上がるから現地の人は歩かない。夜はすごかった。人人人。まるで別の街だねと朝食で長月が言っていた。夜っていつだよと言うと2時くらいからかなと言うことだった。昼間さあ、歩いてるのは観光客だけだし、現地の人もそれらを相手にする職業の人。みな夜の涼しい時分に遊ぶんだって。おいしいものも日が出てる内は店に出さないし、夜の残りって所かな、差別しているんだ、観光客用と自分用と明らかに分けている。さすが商売人の国。でおれらは客で、だから馬鹿な客にならないようにしながらも馬鹿なふりをしてやるってのが難しいんだ。どこまで向こうから引き出せるか、日本の高校生だから無理だけどね、足下みられるってやつ、そもそも相手にしてもらえない。こっちきてわかったのは集団意識が強いってこと、なにのってなんでも、国としての地域としての職業としての店としての家族の関係としての、あらゆるものがそう。
長月評は続いていたが私は先に食卓を立ったのだった。何かあったら電話するといってどっちが先生かわからんねなんて言われたが私は真剣だった。
24
店は開いていた。日中からということは観光客向けの何らかの日本と繋がっている商売なのだろうか。黄色と緑の文字、木片の看板の白は剥がれ落ち茶の色あせた木目が浮き出ていた。店は近隣のと比べても大きそうだった。間口が2倍、階層もどこからどこまでかは知らない。入ると入り口付近がコンクリート打ち付けでテーブル椅子が4卓並び食堂の雰囲気、奥が深く段になって高く、座敷的なものに繋がっているように思われた。そこえは段を越えて上がれるが土足厳禁のようでサンダルや靴が並べられていた。脇にまっすぐな細い廊下的な道があり奥に進めるようだった。入り口のテーブル付近でうろうろしていた。誰も出てこなかった。私は隅の席に腰掛けて窓の外を見ていた。
しばらくするとがたがた後ろで音がし出して段の奥の扉が開かれた。最初は引き戸かと思ったがそでだけではなく観音開きに開いてそれを更に開いて裾のにしまた開いて行く仕組みだった。屏風が漢字の八を作るように落ちてきてひな壇ができあがった。
私は最初から黙ってそれを見ていた。段の上にはまだ人影は見えない。脇の廊下から人のはしってくる音がして私がさらに向きを変えると女の子が私を見て立ち止まった。動かなくなった。声もださない。
段の上から声がする。女の子に向けられているのだろうが女の子は私を見たっきりだ。
ついに何度か声をさせつつ段の上に現れたのは初老の老婆で私を見下ろすと何か言った。驚いているようだ。何か言った一言を言ったきりまた動かない。私も動けず声も出せなかった。
女の子が老婆の言ったような言葉を私にかけたようだが私の要を得ない。老婆が何か早口でいい女の子は当初の目的である作業に戻った。店の準備なのだろう、開いた扉とも屏風ともいえるものを棒みたいなもので固定した。天窓というのだろうか高いところにある窓の覆いを取る作業をすると急に店の中まで明るくなり奥にも日の明かりが差し込むのだった。
少女の様をみていて気づかなかったが老婆は壇上にはいなかった。奥の廊下から少女を呼ぶ声がして少女は戻っていった。ちらと私の方を伺ってその様子は私を試すかのようだった。私は一言の言葉すら出なかった。
私は廊下の奥の暗がりを見ていた。そちらは天窓と言うより足下に明かりが入ってくる仕組みのようだった。糸をたぐっているのかカーテンが引かれた。明るくなった廊下の足下から薄い影が映り少女がお盆を抱えて私に茶を運んできた。おままごとにしては立派な本物のやつだったが私はおままごとにつきあうようにがちゃがちゃいいながら台を置きお湯を注ぎ茶碗と香りと立ち上がる湯気などを夢のように感じていた。
給仕の間、少女が私をちらちらみるのを気づかないふりをするのは容易なことではなかった。私は話しかけれれば壊れると思っていた。少女が泣いて逃げていきこの夢は冷めこの店は消え、香港の雑踏に倒れている私が現実として現れるような気さえしていた。
少女がどうぞと言った。言語はわからないがそうなのだろう。私は茶をのんだ。おいしいと言うくらいは好いような気がしておいしいと日本語で茶にいい。それに乗じて少女にありがとうと言った。少女は目を見開いて私がしゃべったことにだろうか、わからないはずの言葉が意だけは通じたことにだろうか、それ以外にだろうか驚き照れくさそうにして去っていった。
ここは茶屋なのだろうか。ジェイネットユースは飲茶の店。そしてここが私の目指すところであり目指してきたところ。
静かだった。入り口のところで小さなほこりが光を浴びて舞い上がるのを眺めながら茶を飲んでいた。
25
かつて日本にいたとき停滞する人生を嘆いていた。時が止まったかのように進展のない毎日を憂いていた。この瞬間、ここに対して根が張ったような気がした。囚われたというよりは私という木か花かはしれない何かがその根に吸い上げる水の臭いと栄養素を感じていた。腰を落ち着けて動かなかった。いごごちがいいとはこのことだと思った。異国の、言葉の通じない、そもそも何の店かもしれない、これから日本人をかもにしてぼったくろうかと算段しててもおかしくない一見の店と客の関係におかしなものだがなじんでいる自分がいた。
ここも静かで時が止まったかのようだ、だがいごこちがいい。なぜだろう。まだわずかしかたっていないからかと自問するがそうではないと本能が言っている。占い師も言っている。ここはジェイネットユース。きっと看板はどうでもいい。その名前も、店を出たら消えてしまう。私は蜃気楼の中にいるのだろうか、私はたどり着いた。とにかくここにたどり着くために手懸かりを得て日本からきた。私のもてるものすべてをもってきた。失って惜しいものはないように感じていた。だから前に進めた。確かにここには何かある。すでにその何かの一部に触れていて一部になりつつある。
そして私は旅の疲れからか心地よさからか眠くなり机に腕をたたんで目を閉じた。
26
茶の香りで目が覚めたが夢は見なかった。足下はしっかりしていた。ここはどこかと一瞬思ったが同じ場所のようだった。入り口から風が少し吹いているようでなにか果物の香りがした。ようやく私は顔を上げると若い女が袋を抱えて入り口に立っており私を見て突っ立っていた。買い物帰りに寄って私を冷やかしているようではなくむしろ私の方が彼女に対して何か冗談でも見せている雰囲気だった。彼女は果物の香りを両脇に抱えつつ私の脇を黙って通り過ぎ少女の名前を呼びながら廊下の奥へ消えた。
店の状態は元に戻った。客らしきは私ひとりだった。どれくらいの時がたったのだろうか。私は時計をしていなかった。どれくらい眠っていたのだろうか。
若い女はどこか見覚えがあるようなのだがすぐには思い出せそうになかった。
少女がその女性の腕を引いて店に出て来るまでにその若い女は少女の母で老婆はその母で家族なのだろうという推測はついていた。
少女はなにか私に向けて言葉を発したが通じなかった。若い女が何かいい少女とふたりで短い言葉を発し続けた。
若い女は疲れたようにして私の向かいに座り私の目を見て何言った。最初わからず私は見つめ返したままだったが、その言葉はこの店に来て私にかけられた言葉だった。少女も老婆もそしてこの若い女もそういうのだ。私は私の名前のようにおもわれるそれの言葉を自分で口にだしてみた。若い女は少女と同じく目を見開いて反応を示したがすぐにうつむいた。少女が隣に座り袖を引く。私は他に何も言えず少女と若い女を見ていた。
若い女は顔を上げると何かいった。それは女の名前のように感じた。私が反応を示さないと少女の名前だろうをいいそのあと多分老婆の名前、店を見渡して店の名前だろうを言ったようだった。店の名はジェイネットユースというのではないのかと思い、ジェイネットユースといってみたら少しだけ口元をほころばせてジェイネットユースと先ほどの店の名前だろうを並べて口にした。
若い方の女はメイリン、少女がオンユイ、老婆がシュイアンと聞き取れたのだが店の名は単語のつながりのようでよくわからなかった。店はジェイネットユースでもいいかと私は勝手に理解した。
27
メイリンが多分お茶が冷めてしまったからもう一杯もってきましょうといいお盆を持ち席を立った。オンユイも続いた。
メイリンもオンユイもどこか見た雰囲気だ。あの老婆もそうだ。ここは香港でまぎれもなく私は私でここはジェイネットユース。
私はそれ以外確認のしようがないのにそれ以外のことを確認しようとしていた。視概観ではない。場所に覚えはない。居心地はいい。視概観があるとすれば場所ではなく3人の女性達。なんだか外が賑わいだしてきた。そんなに時がたったのだろうか夜にはホテルに帰らなければいけない。
突然、かんかんと木の木ペンをあわせて叩く音がして振り返ると老婆が段の上に現れていた。廊下からはメイリンとオンユイが新しいお盆と茶碗をもって立っていた。シュイアンは何か言った。こちらに上がってきなさいと言っているらしかった。私はメイリンとオンユイを見たが彼女らもそうしなさいと言っているように見えた。私は段を上がった。靴を脱ぐとオンユイが私の靴をどこかにすぐ持って行ってしまい不安になったが、後ろからメイリンが茶をもって上がってくる。私は壇上に上がった。シュイアンと並ぶとまた何かいい、私は左側の先祖や神様をまつっている祭壇にお辞儀をした。正面には大きな机えんま様がつかうようなとはたとえが悪いが私の中でそういった重厚で厳かな机とそれに見合う椅子があり私はこそに促された。右側には人がたったまま入れるくらいの扉がついた金庫があった。椅子にすわり下を見下ろすと入り口などはもうかすかにしか見えなくなっていた。急な角度でさらに奥に深い。天井がすこし近くに感じる以外は机も大きく平らかで椅子の座り心地も最高だった。メイリンがお茶を置き、シュイアンがたくさんの鉄の鍵をじゃらじゃらつけた鉄の太いわっかをもってきて私の首にかけた。なにかまたしゃべっていたがおまじないの言葉のように聞こえた。
そしてまた木の木ペンでかんかんをして、下に降りていった。私が食堂かと思っていたところに人があつまりだしていた。掃除をはじめ椅子を並べ机の位置も移動していた。メイリンは私の傍らに立ったままだった。どこを見ているのだろうと彼女を見たが一心に下の様子に気をくばっているようだった。何が始まるのだろうか私は首にかけられたわっかの鍵の数本を指でつまみながらお茶を飲んだ。
下ではシュイアンが指揮っているようで緊張感がある空気がこちらまで伝わってきた。数人の人は店の従業員といったところだろうかこまめにあちこち動いている。廊下をとおして奥から何かを出してきているのか詳細は見てとれない。
私は茶ばかりを飲んだ。隣の金庫が気になった。この鍵であの金庫を開けるのだろうか、それが私に、なぜ私なのだろうか、鍵がなぜいくつもあるのだろうか、金庫の中にまた金庫があるのだろうか、大きさとしては明らかに入り口のものでもなく窓を閉めたりそんなたぐいの鍵ではどれもない。7つ、鍵は7つすこしづつ形は違うのだろうがとりあえず見える範囲での金庫の鍵穴は1つ。私はこの鍵を大事に預かっていればいいのだろうか、今は何時なのだろうか、時計はこの部屋には見あたらなかった。メイリンを見ると腕時計をしていたので私はメイリンと呼びかけて自分の腕をさし時計を見せてくれと頼んでみた。
午後4時45分くらいになろうとしていた。ここにきてやっと時間があきらかになった。旅で疲れていたとはいえ知らない場所で数時間寝てしまったのは間違いないようだった。あとはこの場所とこの状態からどうやっていつ抜け出せるのかが問題になってくると私は考え出していた。
28
ここが店ならばおそらく5時に開店なのだろうと私は見ていた。やがて下が静かになり木ペンがかんかんならされた。シュイアンがかけ声をかける、店には客が押し寄せてきた。入り口などは朝から空いたままだったはずだし私が茶を飲んでいる間も寝ている間もひとりも客などは訪れていないであろうに下はやけに騒々しくなっていた。
見たことはないが魚市場なんかでの競りに近いものが下で行われているのだろうということはわかった。たくさんの中国語が飛び交いある時にばたっと停まる、そしてまた言葉が飛び交う。私は机に腕を伸ばしたり時々鍵を眺めたり茶を飲んだりして時を過ごしていたがメイリンは突っ立ったままだった。幾分緊張しているようにも見えた。りりしく唇を結んだ横顔が美しかった。何度目かの回数をこなすとシュイアンだろう木ペンをかんかんする音が聞こえてあたりはまた別のざわめきに変わった。さっきまで立っていた人も椅子に座りテーブルを囲んだ、給仕達が茶や菓子などを運んでくる様子が見てとれた。
隣のメイリンがさらに行儀良く居住まいを正した。シュイアンが壇上に上がってきた。祭壇にお辞儀をして私にもお辞儀をする、私は何が何だかわからなかったが鍵の出番だなと言うことだけはわかった、シュイアンに首からかけた鍵のわっかを渡そうと首からそれを外そうとするとメイリンの手が触れた。
シュイアンが何かいい、私はメイリンに連れられて金庫の前に立たされた。金庫を開けろと言うのだった。私に、この鍵の束で、この金庫を、あけるのか。
まあ鍵があるのだからあかるのだろう、7つも似たような鍵があるが特に急いでいる風にも見えないし7回も試せばいずれ開くのだろうから私はやる気になった。
じゃらじゃらいう鍵の一つを掴み金庫の鍵穴に差し込む、以外と手応えはなく違うかなと思い一応まわしてみると反応があった。びんと何かがはじけるような振動が伝わってきてその瞬間だけは仕事をした実感があった。でもこれじゃあねと少し笑いそうになりながらシュイアンを見ると当たり前だという表情半分、驚きをすこし隠しているような顔半分だった。一発で当てたのはすごいことなのだろうが私はなぜか開くような気がしていたからしょうがない。メイリンはもっと驚いているだろうとおどけて見せようかと思いながらメイリンを見ると目に涙を浮かべて私と目があうと抱きついてきた。
29
またかんかんがならされ下で仕事が始まったがこんどは金庫は開け放したままだった。メイリンはお茶を一度変えてくれしばらくそばにいなかったがまた現れ私のそばでまた立っているだけだった。
なんで泣いたのか、なんで抱きつかれたのか、悪い気はしなかったがわからなかった。シュイアンは当たり前だろしっかりしなさいみたいな言葉をメイリンにかけまあ私の勝手な推測だが、金庫を閉めずに下に降りていった、特別中から何か出すわけでもなく、金庫の中の棚には白い紙に包まれた何かが数冊あるだけで宝石やら大金やらが詰まっているわけではなかった。私はただ鍵を開けただけで満足していた。私はまた茶をすすり下の喧噪を眺め音を聞きときどきメイリンを見たりした。
それを仕事と呼ぶなら苦痛ではなかった。時間はたっていくのだろうがなぜか退屈はしなかった、座りっぱなしの体のどこも痛くはなかった。
私はメイリンと話すためわざと時間を聞いたりして何とか雑談に務めようとしたがメイリンは乗ってこなかった。立っているのが仕事であるかのように真面目にたっていた。
何度目かのかんかんでまた下が静かになるとシュイアンが段を上がってきた、金庫に何かを入れるのかと思いきや手ぶらで、また祭壇にお辞儀をして私にもお辞儀をする。私に何かいい私はメイリンを見るとメイリンはうなずいた。金庫のやつかと私はまた金庫の前に立った。シュイアンに何か入れるのかと促すが閉じる仕草をしたので私は重い扉を閉じ、シュイアンを再度見るとやはり鍵の束をさすのでこの鍵で閉じるのだろうことはわかった。私は鍵を鍵穴にいれ金庫を閉じたばちんと今度はすこし痛いくらいの衝撃で鍵がかかったのが確認できた。メイリンは顔を手で覆い後ろを向いて泣いていた。シュイアンは一度だけ私をみるとうつむいてわたしの背中をすこしさわって私に下に降りるように促すのだった。
下に私の靴はなかったがサンダルがあるのでそれをはけと言うことなのだろう男のものが一つだけあり最初のところにあったテーブルと椅子にとりあえず向かって座った。
シュイアンがなにやらいいここで少し待てと言うことだと理解した。オンユイはもう寝たのだろうかあたりは暗く夜だった。客も従業員も帰った後のようだった、窓の外の通りは少しだけ賑やかで明るく電照が綺麗だった。ばたんばたんと音がしてひな壇が閉じられていった、カーテンも閉じられ窓の外を見るのは私の席だけになってしまった。そろそろ帰ろうかとホテルまでの帰り道を計算しているとメイリンがお盆にビールの瓶をのせてやってきた。綺麗に化粧をして着替えていた。ちょっとしたホステスにでもきたのかと勘違いしそうなくらいのできだった。ご苦労様ということなのだろうメイリンが隣に座り酌をしてくれる。さっきまでのつれないそぶりで突然泣き出したりするメイリンではなく今度は熱い視線で私を見つめてくる。私は目を背けざるを得なかった。丁度そのタイミングでシュイアンが私の向かいに座った。メイリンが私に何かいい廊下の奥に消えた。今度はシュイアンが私をみていた。シュイアンは突然私の手を握り私の名前だろうを何度も読んだ。私は呼びかけに答えなかった。シュイアンは少しがったかりしたようだったが開き直ってまあいいというような自信にあふれた顔になった。シュイアンと一緒に黙ってビールを注ぎあって飲んでいた。メイリンが料理を運んできた、メイリンも同じ卓に座り3人で飲んで食べた。時々メイリンとシュイアンが話しをして仕事の時とは違いうち解けて和やかな様子が私にも伝わってきた。私がそれを感じてにこにこしていると二人して私を見て笑いシュイアンにいたっては半分馬鹿にしているかのようだった。悪い気はしない、料理もうまい、酒もおいしい。私はしばらく幸せを実感していた。
あらかた時がたつとシュイアンが何か私に話しかけてきていた。あれこれ推測するに今日は泊まっていくんだろうみたいな話しであろうと思われた。メイリンを指さしなにかメイリンが恥ずかしがるようなことも付け加えた。私は何かそれはすばらしいことのようにも当然のようなことにも思えたが帰りますといって入り口と外を指さした。サンダル履きで靴がないことに気付いていたのでメイリンにそれを伝えるとオンユイがなんとかとシュイアンと口を合わせて言うのだった。まさかオンユイが靴を抱いて寝るわけはないしオンユイが靴を隠したのか靴を出す係なのかは知らないがオンユイは今寝ていてオンユイを起こすわけにはいかない云々。だから泊まって行けとまたシュイアンがはじめるのだった。最後にはメイリンも私のそでを引き出したのだが、私は帰ることを堅持しメイリンの時計を指してまた明日くるだろうことをようやく二人に伝えることができた。明日はマカオ観光して夜になるがホテルに戻ってからここへこれる、またここで飲んで、食べてそれでいいかと私は言ったが二人とも表情は曇ったままだった。
別れ際玄関でメイリンは少し離れて立っていた。シュイアンは帰ることになぜだかわからないと今日一番の疑問の表情で首を傾げていた。
名残惜しかったが私はきっと明日来るからと自分にも二人にも念を押して店をでた。
外の風は生暖かかった。
30
なぜわからないと言ったのかわからないままだったが私にもわからなかった。なぜここを後にするのかわからなかった。この先に何があるのだろうか、ホテルがあり日本があり仕事がある。明日の予定がある。朝から観光、フェリーでマカオへ、マカオで観光。夕方ホテル着、香港最後の夜といった具合だ。
地下鉄の階段を下りる。ホテルのある駅まで二駅。電車の扉が開く。椅子に座る。動き出すと戻れない方向へ連れて行かれる。また明日。明日もジェイネットユースへいくんだと私は心に決めていた。ホテルのある駅について扉が開く。私の靴は店に残したままサンダルで階段を上り私はホテルへ向かう。
ひとりホテルの部屋の鍵を開け、ベットに倒れ込む。なぜだかわからなかった。なぜここで、なぜ明日かはしれなかった。
31
ホテルのバイキングで朝食を取ってると長月が寄ってきた。昨日はどうでしたかときくのだった。
うんよかったと私は答えたがそれきり言葉が続かなかった。何が良かったのか、なぜそこへいったのか、目的はただそこに行くことだったのか、そうすると生徒達の旅行と一緒で本当にただの観光に過ぎないのか、長月が私の反応のなさに気付いて声をかけてくるのにようやく気付く。まあ今日もあるし、夜とかいけるんじゃないですかそこにまた、と言うと私はああと答えようやく今食事をして長月と話しをしていることに気付いて、昨日の様子などを聞いてみたりするのだった。
32
マカオについて一通りの観光をして帰る段の夜になって先生の何人かはカジノホテルにいたがった。生徒達をいったん香港のホテルに返してまたマカオに来ての繰り返しは最後の夜の時間的余裕としては相応しくなかった。私は昨日のことのありますのでと、もちろん空港の件も了解しています、私が引率しますのでとかってでた。私は一刻も向こうに戻りたかったから皆が言い出せずにいる一言を言えた。私は生徒達を無事ホテルまで送り届けあとの始末を私の意見を正義として香港に帰ることに同行した一部の本当に輝かしい先生達にバトンタッチしてひとり夜の街に消えることに成功した。香港帰り組の模範的先生代表者としては拍子抜けの行為だった。
33
エッグタルトをお土産にジェイネットユースの入り口を伺った。今の時分だと昨日の様子から行けば大忙しの時間帯と思われたのだが、中はがらがらなのだった。中に入り昨日の通りの場所の卓の椅子に腰掛ける。
八の字の段々も開帳されていない。
しばらく同じ場所にじっとしていたら廊下の方からかさかさ音がしてオンユイが現れた。
オンユイは私を見ると笑顔で私の座っている足の所にぶつかってきた。私は照れくさかったのでオンユイが起きていて良かったと思いながらエッグタルトのお土産を渡してまたオンユイは別の笑顔を見せた。お土産の包みをもってオンユイは奥に消えていったが今度は本と筆箱をもってすぐにやってきた。私の隣に腰掛けて勉強をするつもりらしかった。数学なら私にも理解できた。数字の言葉をいいながらオンユイが計算をはじめノートに答えを書き込んでいく。言葉に詰まると答えが出ないところだなと私がこそのところを見てやり言葉のできない私はオンユイに数字の言葉を教えてもらいながら答えを引き出した。
私は没頭していた。数学にかオンユイとのやりとりにかわからない。この場所に何をしに来たのだろうか考えなどしていなかった。
しばらくしてシュイアンがお茶とエッグタルトをもってやってきた。昨日の仕事にかける緊張した強面ではなく穏やかで気品ある家庭のおばあちゃんな感じが私を驚かせた。
オンユイは大喜びで勉強はそっちのけになった。
シュイアンに店の段々を示して店はという風に聞くと黙って首を振るだけだった。
シュイアンは私を見ることをやめなかった。
メイリンはと言おうとしたら奥から出てきてオンユイを呼ぶのだった。オンユイは私の隣を離れたがらなかったがシュイアンが自分の分のタルトを渡して何か言うとしぶしぶたちあがった。机の上の勉強道具を残したままで私に今日は勝手に帰らないでねということを寂しげな表情で訴えていった。
その点だった。今日は帰るのかという点だった。まさしくそれをシュイアンは伺おうとしているのだった。昨日の帰り際と同じ状況に私はおかれていた。昨日は帰ることがなぜだかわからないという自信の表情だったシュイアンはさきぼどのオンユイと同じ不安の表情を見せていた。
私に何が必要だろう。私は何を求めているのだろう。私の明日はどこで作られるのだろう。今ここで考えることではないのはわかっていた。ただ肝心な答えを出すと言うときに答えがあいまいだったらやはり考えるだろう。どうしようもないことを。
今日の私は時計をもってきていた。時計を指さし時間をくれと言った。
シュイアンはただし席を離れようとはせず私の向かいに座ったままだった。私はあらためて時間を示しこの時間にまた来るからといってひとり路地に出た。
あてはなくすぐに店の前に一周してたどり着くだけだったので、こんどは暇そうにしている客待ちのタクシーの運転手に頼んで時間を身振り手振りで話しぐるぐる街を一周してもらうことにした。途中ホテルの部屋に戻り荷物を整理してもってきた。運転手をそこでかなり待たせたのだが運転手はかなり待っていたのだろう居眠りをこいてまで私を待っていた。
あちこち回った。私はなぜかいまさらガイドブックを手にしかし特に指定はせずに運転手が回る町並みのあれこれを車内から眺めていた。ここは何々通り、何々駅、何々公園。それに意味はあったのだろうかただの時間の調整だった。運転手は律儀にも時間をしっかり覚えていて残り少なく待った時間でどうやら帰り道らしかった。私は店のあるとおりで車を止めてもらい外に出た。時間と丁度に店に入りたかった。数十歩か数百歩の調整をして店の前に立つ。店の入り口をくぐると出て行ったときと同じままに思えた。
私は廊下を歩いていき突き当たりの左手にある扉を開けた。後ろにはシュイアンが続きメイリンが出迎えやがてオンユイが走ってきた。手に私の靴を持ってきていた。
FIN