表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

競走馬列伝

これが本当の純愛? ヘリオスとルビー

作者: 藤谷 K介(武 頼庵)

競馬列伝系作品第2弾です。


この作品は『XI』様のXIの短編企画(1)参加作品です


 1991年4月21日、 東京競馬場において2頭の競走馬が相まみえた。片方はその血統の良さと見栄えにおいてお嬢様然とした雰囲気を纏う女の子(牝馬です)、片方は幼いころから気性に難ありとされ、その荒さゆえに成績にも直結してしまった男の子(牡馬ね)。


 それぞれの名を、ダイイチルビーとダイタクヘリオスという。


 ダイイチルビー(ルビーで呼称を統一)は、1987年4月15日、北海道浦河町の荻伏牧場にて父トウショウボーイ、母ハギノトップレディという両親の元に生まれた。父は言わずと知れた『天馬』ことG1馬のトウショウボーイ。その持っているスピードは並ぶものは居ないとまで言わしめた競走馬で、更に母と母母にはハギノトップレディ、イットーというこれまた牝馬界では名だたるレースを制してきた、まさに『華麗なる一族』と呼ぶにふさわしい両親だ。

 因みにこの母系の血筋もその体格に似合わない素晴らしいスピードを内包した競走馬達が多い。


 ダイタクヘリオス(以後ヘリオスと呼称を統一)はというと、1987年4月10日に北海道平取町にある清水牧場に、父ビゼンニシキ、母ネヴァーイチバンという両親の元に生まれた。父ビゼンニシキはそのご先祖を仏国に持ち、欧州の重い血統を継ぐどちらかと言えば中距離馬で、母は母父であるネヴァービートの血統によって繁殖入りした牝馬である。この母馬だが競走成績は無い。つまり一回も出走していないか、未勝利のまま引退し繁殖入りをしたかのどちらか。詳しくは既に登録抹消されているので分からない。


 この上記の2頭だが、前述した日に行なわれたレース京王杯SC(G2)から、何度も運命に導かれたかのように激突し、先着後着を繰り返す。『運命』という言葉は人間的な思考になってしまう表現だが、この当時は本当にそんな風に感じるほど、この両者が顔を合わせる頻度が多かった。


 余談ではあるが、当時はまだ日本競馬界おいてグレードレースいう格付けが行なわれてまもなくの時代で、距離系統などが確立されていない。したがって有力馬であればあるほど出走するレースは絞り、限られていた。この『運命』という言葉が無くても、おそらくは必然の事だっただろうと思う。


 ヘリオスは幼いころからその馬体に宿るスピードには一目置かれていた。但し、そのスピードと共に周知されていたのが、気性の荒さだ。

 騎乗する騎手に「まともに走ることが出来たらかなり強い」とか「騎手とレース中にケンカしなければ2500mクラスのレースも余裕で勝てると思う」とまで言わしめている。

 実際に主戦騎乗していた岸騎手は「普段は牛の様に穏やかだが、レースになるとダメ。ソラを使う」などとヘリオスの気性に関して語っている。そのソラを使うことに関してで言うとヘリオスはレース時にも舌を出しっぱなしにしながら走る事でも有名である。

 気性の事さえ無ければ、もしかしたらマイル戦線はいなかったかもしれない存在なのだ。


 そんなヘリオスに対してルビーはというと、こちらはお嬢様という表現がピッタリな程に優雅な佇まいを持つ女の子(牝馬だってば)であった。レースになると抜群の集中力を見せ先行策又は逃げを打つ。持ち前のスピードを存分に活かして逃げならばそのまま後続に影をも踏ませぬ一人旅を、先行策ならば馬群から抜け出した後は先頭を走る子(競走馬)をあしらうように並ぶ間もなく躱していく。そんな競走馬だった。


 ……と、なればであるが、この2頭がレースにそろうとどうなるか?

 ヘリオスは気性の荒さから逃げか先行しかとれない。ルビーもどちらかと言えば先行が得意でスピードで押し切りたい。

 つまりバチバチに先頭集団で競い合う形になるのは必定なこと!!


 しかも面白い事にヘリオスはかかり癖も有ったから、レースになると気持が前面に出てしまって鞍上の言う事を聞かなくなる。そのままぐんぐんスピード任せに走ってしまうのだが、そんなヘリオスにルビーも乗ってしまうという場面が出て来る。

 レースの場面で会話している感じは無いけど(当たり前なんだけどね)、もしかしたら2頭の間では――


「ついてくんな!!」

「いやです!!」

 とか

「あなたはこのスピードに付いてこれないのですか?」

「生意気だな!!」

 などという会話がなされていたと想像するとちょっと胸アツになる。



 こんなことを想像するほどに個性的な2頭であるが、その実力は相当なもので、ヘリオスは1991,1992年とマイルチャンピオンシップ(マイルCS)G1を連覇しているし、マイラーズカップも同年の連覇をしている。ルビーも、安田記念、スプリンターズS(共にG1)を勝っているし、G2とG3をそれぞれ一つ勝ってもいる。(京王杯SC、京都牝馬特別)

 因みにもちろんこの2頭がまみえたレースでの勝ち負けあっての成績だ。


 そんな2頭の間柄だから、メディアも放っておかなくなる。まずはこの2頭を題材にした漫画が流行(馬なり1ハロン劇場 著作:よしだみほ氏)。それと同時にこの2頭の人気も上がっていく。現在に至るまでこの2頭の物語は語られて行きます。知っていらっしゃる方もいるのではないですか?


 

 ファンもこの2頭がどこまで揃って闘うのか楽しみにしていましたが、1992年5月の安田記念を最後に、繁殖入りするためルビーが先に引退を発表。同年年末の有馬記念を最後にヘリオスも引退し、種牡馬入りが発表されました。


 ここまでなら普通に『ライバル関係』という形でおしまいになるのですが、この2頭の間には更にドラマチックな展開が待っていました。



 先に引退し、繁殖牝馬として母になるための準備を整えていたルビーは、種付けを次年度から行うのですが失敗。この年2度目の種付けも失敗に終ります。


 そうなってくると、まことしやかに囁かれ始めたのが「ルビーはヘリオスを待っているのではないか?」という噂話。


 すぐにこの噂話にマスコミが食いつき、報道もされますが、大人の思惑ってありますよね(笑)。結局は実現しないままに終わってしまいました。


 もしこの2頭の仔馬が誕生していたら……いったいどんな仔馬で生まれ、どんな競走馬になったでしょうね? 想像するだけでも楽しいです。


 そしてとうとうお別れの時を迎えます。

 初めに亡くなったのはルビー。2007年4月26日、繁用先であるダイイチ牧場にて蹄葉炎にて20歳で死亡しました。残した産駒は7頭でした。(ヘリオス産駒は入ってません。というか種付けさえしていません)


 それに続くように翌2008年12月12日、繁用先の牧場にて職員が横になったまま起きないヘリオスを心配して駆け寄ると、既に息を引き取っていた。


 こうしての2頭の物語は終焉を迎える。

 本当にルビーはお嫁さんとしてヘリオスの事を待っていたのか……。

 2頭に聞いても答えてくれそうにはないし、今となっては聞く事すらもできない。ただのロマンとかたずけてしまうにはあまりにももったいなく、面白い話だと思う。


 ダイタクヘリオス

 ダイイチルビー

 2頭に哀悼の意をここに。


お読み頂いた皆様に感謝を!!


先日のナリブーと共に読んでやってくださいませ(*^▽^*)

分からない競馬用語等ございましたらメッセ機能にて問い合わせくださいm(__)m


企画の趣旨的にも主に確認済み作品です。

この2頭については、後々に競馬列伝作品として、各々別連載作品とする可能性があります。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最近ウマ娘のイベントでこの2頭をモデルとした2人が中心のイベントがあり、調べたところこちらに行きつきました。 ちょうど良い長さで史実についてまとめてありわかりやすかったです。 ありがとうご…
[良い点] ダイイチルビーとダイタクヘリオスの恋物語! 良いですよね(^^)♪ 華麗なる一族の血を引くご令嬢ダイイチルビーに対して、ダイタクヘリオスの血統はどこか雑草くささを感じるのもまた面白いとこ…
[良い点] 興味深く読ませていただきました! トウショウボーイ、お助けボーイと呼ばれていた名馬ですね!(漫画で読みました) ダイタクヘリオスとダイイチルビーは知らなかったので、漫画やネットの記事を読ん…
2022/07/12 19:47 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ