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時は、ユリウスのプロポーズから現在に戻り――。
フランツを見送ったのち、ナタリーの自室では。
「もうすぐだわ……」
暦を見れば、フランツにも言われた通り……結婚式の日が近づいていることが分かる。こんなに変なドキドキを感じるのは、最近ユリウスに会っていないせいなのだろうか?
ユリウスは、ペティグリュー家に籍を入れるため――また叙勲いただいた手前もあり。王城に泊まり込みながら、手続きや対応に専念しているみたいだった。たまに、ペティグリュー家に来て食事を共にすることはあるが……やはり、処理が忙しいようで短い時間なのだ。
しかも――そう思いながら、ナタリーは窓の外に視線をやる。すると、屋敷とは別の立派な建造物が見えてくる。
(ユリウス様と私の家――)
ペティグリュー家へ婿入りすることが決まったユリウスに、お母様が進言したこともあって……現在の屋敷から少し離れた場所に、ナタリーとユリウスの新居を構えることになったのだ。
ペティグリュー領にいながら、見慣れない新居に不安を感じるのか――はたまた、結婚生活にプレッシャーを感じているのか。
(過去の結婚のことは、気にしすぎないように……はしているのだけれども……)
やっぱり、新しい生活に対する緊張がぬぐい切れないのかもしれない。フランツに会った時は、フランツと話すことに意識が持っていかれていたため、あまり意識することはなかったのだ。
「ふぅ……なってみないと分からないこと、なんだから……」
そう自分を勇気づけるように言葉をかけた時、自室の扉越しにミーナの声が聞こえてくる。
「お嬢様? 明かりがついているようですが――もう夜遅くなので、寝てくださいね?」
「まあ!もうそんな時間に……! ミーナ、おやすみ」
「おやすみなさいませ!」
答えの出ない堂々巡りの考えをしていたら、だいぶ夜更けになってしまっていたようだ。ミーナに就寝の挨拶をしたのち、振り切るようにベッドに潜る。
(新居にはミーナもついてきてくれる……だから大丈夫、大丈夫よ……)
そう自分に言い聞かせて、ナタリーは夢の中へ眠りにつくのであった。
◇◆◇
結局、気持ちはどこかモヤモヤしたまま――時間だけあっという間に過ぎてしまって、気が付けば、ナタリーとユリウスの結婚式の日になった。
「まあ! ナタリー……! とっても素敵よ」
「お母様、ありがとうございます」
「本当に、み、ミーナは、お嬢様の結婚ドレスに……ううう~」
「ミーナったら……もう」
純白のドレスに身を包み、長い髪を結いあげているナタリーが、ぐすぐすと泣くミーナにそっとハンカチを手渡す。ミーナは「ううっ、お嬢様の……今日からは、奥様のこの姿を――ミーナ、絶対忘れません!」と、鼻をかみながら声を出していた。
そんなミーナの姿に、お母様は笑みを浮かべ、ナタリーもまた緊張が少しほぐれた。今日は――ペティグリュー領にある大きな教会で、二人の結婚式は執り行われることになっている。教会内には、ペティグリュー家の親族やマルクをはじめとする漆黒の騎士団が祝福に来てくれていた。もちろんフランツも、そして――。
(エドワード様……陛下にも、招待状を送ったけれども……お返事がなかったようだし――お忙しいのかもしれないわ)
いつかのお願い通り、エドワードにはいい報せの手紙を送っている。王城から屋敷に戻ってきた際に、体調が回復している連絡をし――またエドワードが国王になった際には、祝福の言葉を送ったのだ。そのどちらも少し時間が空いてからだったが、返事が来て――エドワードも元気にしている様子が窺える文面だった。
今回の結婚のことも――はじめは、いくら友人だとしても……伝えるべきか悩みつつ。けれど約束通り、いい報せとして手紙と招待状を送ったのだ。
しかしエドワードは国王となった身なので、おいそれとナタリーの結婚式に来るのは難しいのだろう。仕方ない――と、ナタリーが気持ちを切り替えていれば。
「あら!そろそろ、席に向かわなきゃね。あとで、お父様が来ますから。ナタリー、少しの間ここで待っていてね」
「わかりましたわ……!」
「お嬢様っ! 場内で楽しみにしております……!」
「うん、ありがとうね、ミーナ」
ミーナとお母様が、新婦の控室から出て行く。そうして、しばらくソワソワしながら、待っていれば――控えめなノックと共に、「ナタリー、父さんだ」と声が聞こえてくる。
「お父様! どうぞ……!」
「う、うむ……」
――ガチャ。
「っ! ナタリー!」
「ふふ、どうでしょうか?」
「うう……ずびっ。父さんの天使が……ううう……」
「もう、お父様まで……」
ミーナと同じく、お父様もまたナタリーの姿を見て――涙と鼻水を溢れさせた。嬉しいような、照れくさいような気持になりながらも、ナタリーは嬉しそうに笑う。
すると、そんなナタリーの笑顔に触発されたのか、お父様は深い深呼吸をして気持ちを切り替え――。
「ナタリー、行こうか……ユリウス君が待っている」
「……! はい」
ペティグリュー家に婿入りを宣言した以降、公爵様ではなく――名前で呼んでほしいと、ユリウスはナタリーの両親に相談した。すると両親ともに、はじめは戸惑っていたのだが……食事を共にする中で慣れていったようで、「ユリウス君」呼びが定着しつつある。
そしてお父様に連れられて、コツコツとゆっくり――頭にかけたベールを少し揺らしながら、会場へと足を踏み入れた。
――ガチャ。
ナタリーが会場へと入れば、静まりかえった雰囲気となり、様々な視線がナタリーへ向けられる。
「ナタリー様だ……! じいちゃん、ナタリー様が……!」
「これ! 静かにせんかい! ナタリー嬢の気が散ってしまうじゃろ」
慣れ親しんだ声もちらほら聞こえ、嬉しい気持ちが高まる中、お父様と腕を組みながらユリウスが待つ先へ向かっていると――彼とベール越しに目が合う。
正装に身を包み、逞しさとともに美しさも兼ねそろえた姿がそこにあった。そして彼の赤い瞳が大きく見開かれたのち、本当に嬉しそうに――幸せそうに柔らかくなり、加えて花が咲いたような笑顔をナタリーに向けてきて。
「綺麗だ……」
そう彼が言った瞬間、ナタリーの心にあったモヤモヤや不安といったものが払しょくされるように、消えていく感覚がしたのだ。
安心感に満たされるように、大丈夫だと――真にそう思える感覚。そしてそんな娘の雰囲気を察知したのか、お父様はユリウスのもとへとナタリーを促す。
ゆっくりと、しかし迷いなく、ナタリーはユリウスの隣に立った。そして、神父のほうへ二人が顔を向ければ。
「二人とも、良い顔だね?」
「え?」
「……ん?」
二人にしか聞こえない声で、神父が話しかけてきたのに対し――ナタリーとユリウスが同時に疑問に思った時、神父の顔に靄がかかったかと思うと、そこには――。
(エ、エドワード様……⁉)
なにやらイタズラが成功した子供のように、笑みを浮かべるエドワードが――神父の恰好をしていたのだ。場内の人たちには、見えない位置にいるのが、なんとも巧妙だった。
「へ、陛下……昨日は来ないと言っていたのに……」
「ふふ、そうだったかな? でも親しい友人の幸せは祝いたいだろう?」
「ま、まあ……!」
こそこそと、三人は話し合う――特にユリウスの笑みは引きつっていた気もする。現在のユリウスは、漆黒の騎士団長――あらため、フリックシュタインの第一騎士部隊「漆黒」の騎士団長として、日々王城でエドワードの護衛をすることも多くなったそうだ。
ナタリーが記憶する限り……フリックシュタインの騎士部隊名に「漆黒」なんて名前はなかったので、目の前のイタズラな笑みを浮かべるエドワードが付けた可能性が高い。しかし問題はそこではなく、どうしてエドワードが神父に……。
「今だけ公務を抜け出してきたんだ――神父の言葉だけいったら、上手くもどるから……いいだろう?」
「はあ……今日だけですよ」
「ふふ、エドワード様……ありがとうございます」
「君のその笑顔を見られただけでも、今日は来たかいがあったね」
そうウィンクをしてエドワードが言ったのち、「おお、怖い……そんな睨まないでくれよ。心が狭い男は良くないよ?」とユリウスに話しかけていた。すぐに、「ああ、これでは周りから、不審がられてしまうね? さて始めようか」と切り替えた様子になる。
ちゃんと神父の言葉をエドワードは覚えてきたようで、スムーズに声を出し続ける。
「汝、ユリウスはナタリーを妻とし、死が二人を分かつまで愛を誓い……共に歩むことを誓いますか?」
「誓います」
「汝、ナタリーはユリウスを夫とし、死が二人を分かつまで愛を誓い……共に歩むことを誓いますか?」
「はい、誓います」
エドワードの問いかけにこたえ、ナタリーとユリウスは言葉を紡いだ。そののち、指輪の交換をし――それを確認した神父・エドワードは。
「では、誓いのキスを」
そう声を上げた。その言葉に促されるように――ナタリーとユリウスは向き合う。そして、ユリウスがナタリーの顔の前にあるベールを持ち上げれば、ナタリーのアメジストの瞳がユリウスを映し出す。
少し緊張した面持ちのユリウスが見えて、「ふふっ」とナタリーは笑みがこぼれる。すると、その笑みにつられたのかユリウスもほほ笑んで。
「愛している」
「私も、愛しております」
ユリウスの顔が近づき――ナタリーの口へ。
そして互いの唇が軽く触れあったのち――。
「二人の愛に祝福を!」
魔法で神父の顔になったエドワードが、高らかに宣言すると……会場内に熱が伝播していき、二人を祝福する言葉で覆われていく。歓声に包まれる中、「あ」とナタリーが声を出せば、ユリウスが「どうした?」と質問してくる。
「そういえば、ずっとユリウス様の衣服や持ち物――ずーっと、返せていなかったんですの」
「……! そう、だったか?」
「ええ、だからあの新しい家へ――持っていきましょうね」
「ふ、そうだな」
もしかしてずっと抱えていたモヤモヤの正体はこれだったのかと、一瞬疑うものの――きっとそうじゃないのだが……ナタリーの心の中がすっきりと、晴れやかになったのは確かだった。
◇◆◇
――ガチャ。
「お母様―――っ!」
「ん……?」
(なんだか懐かしい夢を見ていた気がするわ)
ナタリーは、扉の音と共にパチッと目を開き――ベッドから身体を起こす。そして声がした方に目を向ければ――。
「あら……今日は朝から、お父様と剣の稽古だとばかり……まぁ……!どうしてそんなに涙を流しているの……?」
「ううっ、なんだか……悲しい夢を見たの……しかも、それでお母様に早く会いたくなって……」
「まぁ!そうだったのですね」
幼い少年の声が、ナタリーの自室に響き渡る。そしてナタリーは少年の言葉を聞いたあと――柔らかくほほ笑みながら、黒髪に……薄く赤い瞳を持つ少年の方へ手を広げ。
「ほら、こちらへいらっしゃい――リアム」
「……っ!お母様……!」
リアムと呼ばれた少年は、嬉しそうにナタリーのもとへ駆け寄り……ぎゅっとナタリーの腕の中に飛び込む。そしてナタリーもリアムを愛おしそうに、いいこいいこと撫でた。すると嬉しそうに「えへへ~」とリアムは笑った。
(結婚してから、もう6年だなんて――本当にあっという間だわ)
結婚した時のことが昨日のように……夢幻と感じるほど、ナタリーの中で素早く経っていった。しかし、抱きしめているリアムの温もりに今が夢ではなく――現実なのだと、実感する。
「お母様、今日は身体いたくない……?ぼくの……癒しの魔法が、お母様に使えればいいのに……」
以前の生のように、変な咳にナタリーはかかっていない。リアムが言う身体の痛みは、不調というより――身体の構造上どうしようもないもの……なのかもしれない。しかしリアムを心配させたくなくて――ナタリーは目じりを柔らかくして。
「ふふ、でも、今日は……なんだか身体が軽いの……!実はリアムの魔法が効いているのかもしれないわ」
「えっ……!ほんと?」
ナタリーが返事をするとリアムは輝いた表情で、ナタリーの身体を診察するようにぺたぺたと撫でる。そんな自分の息子の様子に、つい微笑ましく見守っていると。
「……ここに、いたのか――リアム」
「あっ、お父様!」
「部屋にいないから、心配していたんだ。それに、ナタリー……お母様の部屋に入るときは、ちゃんと気をつけていたのか」
「あ……ごめんなさい」
「ふふ、まぁまぁ。今日は、だいぶ身体が軽いのですよ」
ユリウスがリアムに厳しく声を出せば、ナタリーが優しく言葉をかける。すると、その言葉を聞いたユリウスが嬉しそうに目を見開いて――。
「本当か⁉」
「ええ、リアムの――弟か妹は、とっても元気みたいね」
「そ、それなら……良かった。俺に何かできることがあれば、言ってくれ」
「ユリウス様、ありがとうございます」
ナタリーは自身の少し大きくなったお腹を優しく触る。そして、ユリウスはナタリーとリアムの方へ近づき――目の力を抜き、柔らかくなる。
「ねぇねぇ、妹かな?弟かな?」
「どちらでしょうね? 早く会いたいわね」
「うん! 僕ね。剣とか魔法の知識を増やして、教えてあげたいんだ!」
「あらあら。良いわね」
そう会話するナタリーとリアムを見て、ユリウスは二人の背を支えるように手を置く。するとリアムが、「あっ!」と何かを思い出したかのように声をあげる。
「そのね、もう忘れちゃったんだけど――朝、悲しい夢を見たの、でも、でもね」
「うん、どうしたの?」
「ああ」
リアムの声にナタリーとユリウスが促すと――。
「お母様とお父様の顔を見て――すっごく幸せになったの! 悲しい気持ち、どっかにいっちゃったんだ……えへへ」
「まぁ……!」
「ふっ、そうか」
そこには、ナタリー、ユリウス、リアムの三人が朗らかに笑いあっていた。
今日に限っては、いつもしている剣の稽古は、休みとなり――。
忙しないミーナが「旦那様―!坊ちゃま―!ご飯ですよ――!お嬢……奥様も!朝食の準備をしに今、向かいますからね――!」と声がかかるまで、あと数分。
ミーナの元気な声が、今日も迫ってきているのであった――。
◆END◆