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お父様の発言によって、両親とミーナ含めた使用人数名――そして、ナタリーとユリウスは庭先へとやってきていた。というのも、『屋敷の庭――そこで決着をつけましょう』とお父様が言ったこともあり……すぐさま移動したのだ。
はじめは二人に怪我が及ぶと思い、ナタリーは待ったをかけようとした。しかしお父様と目が合った際に、そこに迷いはなくて……いつになく真剣な面持ちであることを感じたのだ。そして痛いほど、ナタリーを思うからこそ言ったのだとわかり――。
止めようと思った気持ちをぐっと堪え、ユリウスとお父様が対峙する庭の中央から……離れた場所で、見守ることにしたのだ。
そして――。
お父様の指示もあり……使用人がお父様とユリウスの前に木製の模造刀を差しだす。
『一対一での勝負です――剣舞祭と同じく、魔法はなしでよろしいですかな?』
『……あ、ああ』
調子がよく、朗らかで明るいお父様はそこにいなかった。どこまでも真剣で、鋭い眼差しで――そんなお父様にユリウスは一瞬驚くものの、剣を手に取り構え始める。それを確認したお父様も、同時に構え――。
二人の間に、緊張が走った――その刹那。
『いざ……っ』
『……!』
お父様が、ユリウスに素早く仕掛ける――が、重い衝撃音と共にユリウスはその剣を受け止めた。王城での静養が終わったばかりとはいえ、ユリウスはなんなく動けているようで……鋭いお父様の攻撃をいなしたり、躱し続ける。
(ユリウス様……お父様を攻撃しようとしない……?)
ナタリーは、はじめどうなってしまうのかと不安でいっぱいだった。しかしユリウスが、お父様に怪我を負わせないように動いていることが分かり、胸がきゅうっと締め付けられる。お父様の想いも真に迫るものがあるが、ユリウスの行動もまた無暗に攻撃をしないその姿が――ナタリーに、この戦いはどんな結果になろうと、ユリウスを信じていよう……そう思わせてくるものがあった。
『どうされたのです⁉ 公爵様のいつもはこんなものではないでしょう……っ!』
『……』
『……く、私は、私は――ずっと娘を見てきました……もちろん先ほどの会話も、失礼ながら扉越しに聞かせていただいた』
激しい斬撃を繰り出しながら、お父様は気持ちを吐露するように声を詰まらせながらも語りだす。
『娘が決めたことを応援する――そう思っていましたが……もしもがよぎるのです』
『……それは――』
『……公爵様は、地位が高く――社交界でも令嬢たちが噂をするお方だ。しかし、うちのナタリーは、身分差や力の弱さという不安を抱えながらも――公爵様に、身一つで嫁ぐ』
(お父様……)
ナタリーはお父様が話す言葉に、注意深く耳を傾けながら――その熱に、愛に心が動かされる。いつもは、自分のわがままを通しているように振る舞っているが、ナタリーのことをこれほどまでに考えてくれるのはお父様以上にいないかもしれない、そう思うくらい。
ナタリーの行く末を案じていることが、ひしひしと伝わってくるのだ。
『私が側で守れなくなる……その不安が、拭いきれません。ですから、公爵様の御覚悟を私に見せていただけないか……っ!』
『っ!』
『ナタリーのことを任せても大丈夫だと……私は、私は信じたいのです……っ』
『――……そうか』
そうしてお父様が、大きく剣を振り上げ――ユリウスに猛撃を仕掛ける瞬間。
――ドゴッ。
『え……?』
思わずナタリーは驚きで、声を上げてしまう。なぜなら、お父様の攻撃に対してユリウスが、自身の剣を下ろし、素手でお父様の剣を掴んでいたからだ。木製の模造刀とはいえ、間違いなく痛みがあり、握っているのでさえ――困難なはずなのに。
『な、なぜ……』
お父様もまたユリウスの行動に、目を大きく開き驚く。そして、そのお父様に対してユリウスは柔らかく「ふっ」とほほ笑んでから。
『当主殿の覚悟――それに応じたい』
『だったら……どうして、反撃をせぬのですかっ⁉』
『貴殿に痛みを与え――ナタリーが、悲しむ姿を見たくない……からだ』
ユリウスの言葉に、その場にいる全員が息を呑む。そして剣を掴んだユリウスは、お父様に優しく語り掛け始め――。
『俺自身の強さは彼女のためにあり――地位が不安だと言うなら、捨てることだってかまわない』
『なっ⁉』
『この言葉が信じられず、覚悟を示してほしいという貴殿の言葉も――理解はする……が、それ以上に、そのことで彼女が傷つくことはしたくない』
『……っ』
『彼女の身体も、心も守りたい――それが、俺の覚悟だ』
その言葉を聞いたお父様は、力が抜けてしまったのか――剣から手を放し、ずるずるとその場に崩れ落ちてしまう。手放された剣は、もともと渡されていた剣と同じく――ユリウスが掴んでいて。
『私の……負けだ……』
お父様がそう呟くや否や、ナタリーは『お父様! ユリウス様!』と大きな声を出し、二人に駆け寄っていく。
『俺は大丈夫だ……しかし――』
ユリウスがそう告げて、お父様の方へ視線をやった。それにつられて、ナタリーもお父様へ目を向ければ。
『お父様……』
『ナタリー、父さんは……また悲しませてしまっただろうか?』
『……ふふっ、たしかに最初は不安を感じておりましたが――ユリウス様なら、お父様とお話しできると――そう信じておりましたので』
『っ!』
ユリウスがナタリーの言葉に、息を呑むように驚いていることがわかった。その後、ナタリーを優しく見つめていて――その姿を見たお父様は、完敗だと言わんばかりに、自身の頭をぐしゃっと乱したかと思えば、その場で立ち上がり。
『そうか、ナタリーは……良き人と出会えたんだね』
『はい……っ!』
『ふ……どうして、ナタリーが泣くんだい?』
お父様と話していたナタリーは、自然と目元に涙が溢れていた。きっとこれは、お父様がユリウスとの関係に肯定的になってくれた嬉しさ――その涙なのだろうか。ナタリーが慌てて、目元の涙をぬぐっていれば、お父様がナタリーの頭を優しくぽんと撫でる。
そして剣を使用人に渡していたユリウスの方へ、ゆっくりと近づいていくと。
『公爵様、先ほどはいきなりの勝負をし――礼を欠いてしまった……申し訳ございません』
『気にしなくとも、大丈夫だ』
『ありがとうございます……。加えて、剣を受け止めた手を見せていただけないだろうか』
『え……』
お父様の言葉に一瞬固まってしまったかのような反応をしたユリウスは、お父様に促されるまま手袋を外される。すると、そこには――。
『……っ!』
『やはり、こうなっていたか』
痛々しいほどの赤黒い痣が、そこに刻まれていて――おそらく、お父様の斬撃を受けたがために生まれた怪我なのは明白だった。その怪我を見て、ナタリーは言葉を詰まらせてしまう。その中、お父様は慣れた手つきでユリウスの手に、自身の手を近づけて。
『公爵様は一つだけ見逃していたようですな』
『……それは、いったい』
『私だけでなく、あなたが痛い思いをしても――ナタリーは悲しむということだ』
『……!』
お父様にされるがまま、手を差し出していたユリウスは――お父様の言葉を聞いて赤い瞳がこぼれそうなほど大きく見開く。そして、ナタリーが二人を見守っているとお父様の手で触れられていたユリウスの怪我がするすると癒えていく様子が分かった。
『だが、公爵様の覚悟――しかと見させていただいた。どうか、ナタリーを頼みます』
『当主殿……怪我を手当してくださり、感謝する……そして、ナタリーを永遠に支え、守っていくことを約束しよう』
『そうか、ありがとう……ございます……ぅ、ううっ』
ユリウスの怪我を魔法で治したお父様は、そう言葉を出すと――堪えていたのか、涙がぽろぽろと流れ始めてきていた。そんなお父様に、お母様が『ふふふ、だから心配ないって言いましたのに、扉を思い切り開いちゃうんですから』と声をかける。
『でも、でも、嫌だったんだもん……』
『まあまあ……』
普段のお父様が再び現れ始め、ナタリーはホッと胸を撫で下ろした。そしてお母様の胸の中で、ぐすぐすと泣くお父様。そんなお父様を子供のように、よしよしと頭を撫でているお母様が――。
『そういえば、公爵様……先ほど、身分など不要だとおっしゃっていましたね?』
『あ、ああ』
『それならば、公爵ではなく、伯爵になるのはいかがでしょう?』
『……ん?』
『え――なにを言って……?』
ユリウスとお父様が、お母様に疑問の視線を向ける。そしてナタリーもまた、どういうことなのかと頭にハテナマークを思い浮かべてた時。
『ふふ、ペティグリュー家に婿として来ていただけないでしょうか?』
『えっ⁉ お、お母様⁉』
『あらナタリー、どうしたの? ペティグリュー家に公爵様が来てくださるのは、嬉しくないのかしら?』
『えっ⁉ そんなことは、で、ですが』
お母様の突然の申し出に、ナタリーは目が点になる。お父様もまた、目をぱちぱちとさせ――唖然としている様子がわかった。一方ユリウスは、お母様の言葉を受けたあと――少し言葉を詰まらせたのち。
『それは、叶うのなら……』
『あら? 公爵様は大丈夫ということなのですね! うれしいわ……! ほら、あなたも公爵様が来てくれることに異論はないでしょう?』
『え、あ、いや……』
『公爵様が来てくれるのなら、ナタリーと一緒に居られますよ?』
『ッ! 公爵様ぜひ! 婿入りしてくださいっ!』
『お、お父様⁉』
お父様は何かにハッと気づいた表情をしたのち――すぐさま、ユリウスに婿入りを提案してきたのだ。あれほどナタリーの結婚を認めないと息巻いていたのに、あまりの変わり身の早さにナタリーは口を開けたままになってしまう。
『だ、だが――ナタリー、君は……どうだ……?』
『え?』
『俺が、君の家に――ペティグリュー家に入っても……いいのだろうか?』
ユリウスはまるで子犬のように、ナタリーの方へ視線を向けてくる。応接間で、あれほど熱烈な告白をしたのに――ここで戸惑うのかと一瞬疑問に思ったのち、ユリウスがしきりに自身の手へ視線を向け、強く握りしめている様子が見えた。
まるで何かを恐れているような――。そう思った時、ナタリーの脳裏によぎるのは彼が化け物と呼ばれ、自分の力で周りを巻き込んでしまうことへの恐れや不安を持っていた姿。
(私の大切な場所を、案じて――心配して下っているのね)
ナタリーの大切な人を、場所を傷つけたくない、壊したくない思いが無意識のうちに現れているみたいで――そんなユリウスの姿を見て、湧き上がる感情のままナタリーは彼のもとへ近づく。そして彼の手を両手でぎゅっと包み込み――『もちろんですわ』と言葉を紡ぐ、そして。
『ユリウス様……家族であり、恋人として――私と結婚していただけないでしょうか?』
『……っ!』
応接間の時とは逆に、ナタリーからユリウスへそう言葉を告げる。するとユリウスは、まず驚きをあらわにしてから、目を嬉しそうに細め――ナタリーに手を握られながら、跪いた。
そして、真剣な顔つきに戻ると――。
『ユリウス・ファングレー、ペティグリュー家に……そしてナタリーに、愛と忠誠を誓おう――君と結婚したい』
それ以上、二人に会話はいらなくて……ずっと見つめあっていた。
『あらあら、もう~すてきね、あなた』
『うう……少し、寂しいけれども……でも父さんは、ナタリーが笑顔なことが一番うれしい……うっ』
『ふふ、そうですわね』
『だが……っ、ちょっと距離が近いのが長すぎやしないか? まだ結婚前なのだから……! 距離を……っ!』
ユリウスと見つめあう時間は、そう長くならず――お父様が、わんわん泣きながら間に入ってきたのをきっかけに、その日はユリウスもペティグリューの屋敷に泊まることになった。
もちろん終始お父様のガードが入っては、いたものの――ナタリーはどこか胸のつかえが取れたように晴れやかな気分になったのであった。
そうして、正式に結婚が両親に認められたのち――とんとん拍子に式の日程が決められていき、ユリウスはペティグリュー家に婿入りするための手続きに奔走することになったのだ。




