82
「身体に不調はないかのう?」
「おかげさまで、もうすっかり元気ですわ」
「そうか、そうか――もう二か月も経つんじゃのう……」
ペティグリュー家のナタリーの自室で、フランツが懐かしそうに、はにかむ。気づけば、あの魔力暴走があった一件から、二ヶ月の月日が経っていたのだ。季節は廻り、もうすぐ春の匂いが開けた窓から香ってくる。
フランツはナタリーの専属医ばりに、定期的に検診へ来てくれていた。
ナタリーが申し訳なさそうに遠慮をしても、悲し気に「わしは……ナタリー嬢に嫌われてしもうたんかのう……」と言われてしまい、ナタリーの体調が万全に回復するまで診てもらうことになったのだ。
「それよりも、未だに私はフランツ様に驚かされてばかりなのですが――」
「そうなのか?」
「やっぱり、上皇陛下と――」
「あ~~、ナタリー嬢にそう呼ばれてしもうたら、友人のフランツが泣いてしまうのう~~およよ……」
「ま、まあ……では、フランツ様とお呼びいたしますね」
こういったやり取りは何度か繰り返しており、そのたびにフランツにはうまくすかされている気がする。そもそも、フランツがセントシュバルツの先代皇帝だったなんて――今でも現実味がわかなかった。
(本当に、衝撃なことばかりが積み重なっていたわね)
ナタリーは泣きまねをするフランツを見ながら、怒涛に過ぎていった――王城での滞在の日々を思い出すのであった。
◇◆◇
ユリウスに運ばれたあの日。
王城でフランツの取り計らいもあって、優秀な医師たちにナタリーは診察されることになった。その後、一週間の滞在を経て、再びペティグリュー家に戻ってきたのだ。
そこまで時間がかかっていたので、何か身体に支障をきたしているのかと思いきや、体力を回復するための静養が大半を占めており――王城付きの医師たちが『怪我がないなんて、奇跡だ――!』と目をまんまるくするほどだった。
一方のユリウスも、ナタリーとは別室で検査を受けているようで――身体を休めているのだと、フランツから聞いていた。その言葉を聞いて、ナタリーはホッと胸をなでおろす。
というのも、フランツが伝えてくれたのもそうだったが、きっとあの優秀な医師たちなら、ユリウスの体調面にも事細かに対応してくれるだろうと感じたのだ。
(どうか、ユリウス様が元気になりますように――……)
フランツから話を聞いたすぐあとは、そんなふうに考えていた。
が――そうした心の中でいつも、現状を伝えきれていない家族を思い出しては、申し訳ない気持ちが生まれていた。
そんな不安に応えるように、ナタリーが王城で滞在しているのを聞きつけて、両親とミーナがすぐさま訪問しに来てくれたのだ。
『ナ、ナタリ~~~!! う、うううっ。無事で、本当に……』
『あらあら、あなた……ナタリーが驚いておりますよ。でも、本当に……本当に良かったわ』
『お、お嬢様~~~!!』
お父様の盛大な涙を皮切りに、お母様とミーナにも心配をされながら――みんなに優しく抱きしめられていた。家族の優しさや温もりを感じ、ナタリー自身も自然と涙を浮かべていて。
『心配をかけて、ごめんなさい……』
『ちゃんと帰ってきたのだから……もう、大丈夫よ……ほら、あなた』
『う、うう……っ、ナ、ナタリー』
ナタリーが感情を堪えきれずに、そう伝えた時――お母様とミーナからは、無事でいてくれたことが嬉しいと言葉をかけられた。そののち、お母様がお父様を促すように声をかければ。
『ナタリー……、父さんはナタリーが危険なことをするのは――許可できなかった』
『はい……本当に、ごめんなさ――』
『だがっ! それ以上にナタリーが悲しくなって、抱え込んで、笑顔が無くなってしまうことが、一番嫌なんだと気づいたんだ……っ』
『お父様――』
『だから、ナタリーの気持ちを考えずに頭ごなしに……否定して、すまなかった……』
王城に来るまで、ずっとお父様と話すことができず――心残りだった。しかしこうして、涙と鼻水でいっぱいになりながらも、ナタリーのことを思いやってくれるお父様の姿にナタリーは本当に、本当に幸せだと感じる。
そしてお父様はナタリーに続けて、言葉を紡ぐ。
『――だからっ、これからは、ナタリーをお、おうえ、応援……』
『……っ』
『応援し――たいけど、父さんから離れるのはやだ~~~っ!やだよう~~~』
『はぁ……あなた……』
『旦那様……』
きっと、お父様は屋敷でお母様に説得されたりもあって――考えを新たに伝えようとしていたのかもしれない。しかしナタリーのベッドに涙を洪水のように流している姿は、頑張った結果、ここまで言うことがギリギリだったのだろう。
(お父様とお母様、ミーナ……そして、屋敷の者たちには、心配をかけて――申し訳ない気持ちが大きいけれども、本当に感謝しかないわ)
お母様とミーナは、呆れながらも柔らかく『はぁ』とため息をつく。そうした中、ナタリーはいつもの日常に安心感を強く持ち――ああ、やっと帰ってきたのだと、思い。
『ふふっ』
ナタリーは、お父様に優しく笑みをこぼしていたのであった。そんなペティグリュー家の温かさに包まれて、ナタリーが下城するまで――お父様やお母様、ミーナが、時間をつくって何度もお見舞いに来ることに……話がまとまっていくのであった。
そして帰り際、お父様とお母様から聞いたのは、登城制限がなくなったということだった。
どうやら、ペティグリュー家がナタリーへのお見舞いで王城を訪問した時、魔力暴走の脅威もなくなった王家側は止める理由もなく――そのタイミングで、制限が解除されたらしい。
(きっと……エドワード様が、静養のことも登城制限のことも、お力になってくださった気がするわ――)
いくらナタリーが令嬢とはいえ、王族ではなく――またその婚約者でもないのだ。そんなナタリーに対して、タイミングよく対応してくれたのはきっと、優秀なエドワードのおかげなのだと、そう感じた。
封の間で別れて以降、会うタイミングがなかったが――彼に感謝を伝えたいとナタリーは思った。王族への返礼品を用意するのは、至難の業だが……“友人として”彼に礼儀を通したいのだ。どのようにお礼をするべきか迷っていた際に、そんなエドワードに関してフランツから噂を聞くのであった。
◇◆◇
それは、ペティグリュー家のお見舞いがあった次の日。
『ナタリー嬢、入っても大丈夫かのう?』
『ええ、どうぞ』
『ナタリー様、今日も……お美しい!』
『まあ、褒めていただきありがとうございますわ』
『くっ……本音なのに、全く響いてなさそう……』
『はぁ、この孫は……』
控えめなノックと共に、フランツとマルクが会いに来てくれたのだ。そして、ナタリーがずっとズレて考えていた……エドワードとの関係、そして立場を本人たちの口から聞くことになって。
『え……?』
『あーっと……そのね、実はじいちゃんは――セントシュバルツの先代皇帝なんだ』
『ほっほっほ……今は隠居の身じゃがのう?』
『それにしては、だいぶ発言力が……あっ、いや、まあ、それはおいて――そして、俺がその……セントシュバルツの第五王子……みたいな?』
『へ……⁉』
(ど、どういうことなのかしら⁉)
ナタリーが二人の身分を聞き、あたふたと混乱と焦りを感じる。そんな中、マルクが『今まで通りで問題ないよ……!というか、今までと同じく接してほしい……!ナタリー様に、距離を取られると俺の繊細なハートが……』と言い出し。
『こやつの言うことは気にせんでいいが、わしのことはいつも通りの呼び方じゃと……嬉しいのう……』
『で、ですが、それは大変不敬に――』
『ううう~いたいけな、老いぼれの願いを……どうか、ダメかのう……?』
『……! そ、それは――』
ナタリーはフランツとマルクと会話をしながら、背中にヒヤリと汗をかく。実は今まで、二人にはとっても失礼な態度をとりすぎていたのではないか、ということ。そして、エドワードとあんなに親しげだったのは――王族のよしみだったから……。
『でもじいちゃんは、名演技だよな~。エドワードも先代の皇帝とわからないほどに、振る舞えちゃうもんな』
『ほっほっほ。名演技だなんてそんな……ありのままじゃよ。まあ……どこかの孫とは、出来が違うかもしれんがのう……』
『あれ……?もしかして、俺、今けなされて――?』
軽快に『ほっほっほ』とフランツの笑い声が響く中、ナタリーは相変わらずオドオドとしていれば、フランツがうるうると懇願するように『ナタリー嬢、ダメかのう? 前と同じが無理ならわし……涙が……』と言われてしまって。
『だ、大丈夫ですわっ!フランツ様……!』
『うっ、うっありがとうのう。ナタリー嬢にはそう呼ばれたいんじゃ』
『あっずり~! 俺もっ! ナタリー様、どうかっ……!』
『えっ!』
マルクはフランツの言葉を聞き、素早く身を動かすと――ナタリーが座るベッドの側へ駆け寄る。そして床へ躊躇なく、跪き……これまた、フランツと同じように瞳をうるうるとさせてきて――。
(同盟国の王子を跪かせたままなんて――……!)
現在の状況に、背中の汗はいよいよ止まらなくなり――『も、もちろんですわ!マルク様!』と返すのが精いっぱいだった。
『やった~!えへへ~俺、今日はなんでもできる気がする~!』
『はぁ……すぐに調子にのるから、こやつは……』
『じいちゃんの血が強いんだろうねっ!』
マルクはご機嫌な雰囲気で、フランツにウィンクを送る。するとフランツは、一瞬無言になってから――。
『ああ、そうじゃった……マルク、馬車の状態を確認して来てくれ、のちに帰ることになるからのう』
『え? や、やだよ~! もっとナタリー様とお話を……』
『はぁ……うっかり今日のことをユリウスに伝えてしま――』
『あっ!なんだか、馬車の様子を見たくなってきた!ナタリー様、それではまたっ!』
『え、ええ……』
脱兎のごとく、マルクはその場から駆け出していく。その様子をみたフランツは『忙しないやつじゃのう……まったく』と言葉をこぼす。そして一拍置いてから。
『さて、いろいろ話したいことは山々じゃが――嬉しい報せからじゃな』
『は、はい』
『エドワードが、正式に王になることが決まったぞ』
『まぁ……!』