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光が飛んでいった方向に、顔を上げて見つめていれば――背後から、ユリウスの声が聞こえてきた。
「おそらく、リアムは……生まれる前の時代だったから――君の身体へ戻るように宿っていたのかもしれない、な」
「……っ!そうなの、ですね」
ユリウスの声に促されるように、彼の方へ視線を向ける。
彼の言葉を今一度、逡巡すれば――確かに、リアムはナタリーが生んだ子どもであるため、自分の身体に戻ってくるのは道理なのかもしれない。
(これも神の悪戯なの、かしら……?)
ナタリーやユリウスが、記憶を覚えていたように……その子どもであるリアムも、同じ状態だったのではと理解する。
白い光は、当時の――リアムの魔力がそのまま戻ったことにより……ナタリーが魔法を使う際、さらに力を増幅させてくれて。またファングレー家の墓地と同様、魔力が溢れる檻の中にいたことにより、リアム自身も身体が保てるようになったのではないのだろうか。
(リアムと再会するのは想定外だったわ――けれども)
ナタリーは魔法の学者というわけではないので、確信的なことは分からずじまいだが――自分が今まで持っていた心のしこりが少し、軽くなった気がした。
それに加えて、おそらくリアムのものだった魔力が減ってしまった感覚もしていて。
自分自身の魔力はあるものの、その喪失感を理解して――ナタリーは胸にツキンと切ない痛みを感じる。
(きっと、最後にリアムは――この空間を癒すために魔法を使ってくれたのよね)
現状、最初の頃よりもだいぶ動きやすくなった。きっと、この空間から出るのなら――今が一番いいタイミングだろう。リアムが作ってくれたチャンスを無駄しないためにも、ナタリーはユリウスに声をかけた。
「閣下、早くここから――」
「……君は、ここから逃げてくれ」
「……え?」
ナタリーの声に一拍置いて、ユリウスが口を動かした。一瞬、彼が何を言っているのかが分からず――確認するように、再び視線を合わせれば。
「リアムのおかげで、ここの魔力がだいぶ和らいだ――きっと今、来た道を戻れば……檻から出ることができる」
「何を言って……⁉ 私は、閣下を助けにっ……」
「……そうか。君の優しさには、感謝してもしきれない――が、俺はここから動けない」
「ど、どうして――」
さきほどリアムと一緒に、ユリウスを縛る拘束を解いたはずなのに。なぜ彼が動けないのか、何より空間が和らいだのだから……彼の身体もよくなって――。
「も、もし立ち上がる力がないのであれば、私が力をお貸ししますから……っ」
そうナタリーが疑問にあふれた視線でユリウスを見れば、彼はナタリーに対して眉尻を下げたのち。上体を起こしたままで、自身の足に目を向けていた。それにつられるように、ナタリーもユリウスの足へ目を向けると。
「……っ!」
「……俺の魔力暴走は――まだ続いているようだ」
ナタリーは瞬きをするのも忘れてしまっていた。目に映りこんできたもの、それは。
ユリウスの足首から、まるで植物のように……あの黒いよどみが再び生じている様子だった。一度消えたはずのものが、再び縄のような形状になって――彼の足を少しずつ縛り始めている。
じわじわと、彼の身体を拘束するように――足から上部へのぼってきていたのであった。
◆Side:ユリウス◆
殿下に別れを告げ、檻の中へ入れば――視界が段々と狭まっていくことが分かった。それに伴い――はじめは、奥へ行こうと歩き続けていたはずなのに、その足が石のように動けなくなってしまう感覚。
そして気づけば辺りは真っ暗になり、浅くなる呼吸と共に、全身にじくじくとした痛みを感じ――そのまま抗えない圧力を受けるかのように、硬い地面に倒れ込んでいた。
そして闇に溶け込むように、まぶたに力が入らなくなり――俺は意識を手放した。
はずなのに――突然、全身を襲っていた痛みが軽くなり……呼吸をとるべく、自身の身体が本能的に空気を勢いよく取り込む。その反動によって、俺は意識が戻り――パッと目を開けば。
(これは、夢……なのか?)
ここにいるはずのないナタリーが側で座っていたのだ。しかも、隣にはぼんやりと白い光に包まれている――自分の息子と思しきリアムもいて。
まさか、自分の都合のいい幻覚を見ているのかと……そう、考えていた。
しかし咳き込むのと同時に、はっきりと聞こえる彼女の声。そして、リアムの表情を見て。
(本当に……ここに、いるというのか……?)
しかも彼女が言った「助けに来た」という言葉を聞いて、大きく動揺してしまう。彼女が檻に入るなんて、あってはいけないことなのに――ナタリーの優しさに、その振る舞いにどうしようもない感情を抱いた。
(どこまでも――彼女の優しさに、その美しさに、俺が触れていいわけがない)
ナタリーがリアムと話をしている中、息子の表情を見る――その顔は、後悔に染まっていて……きっと、短剣で刺したときリアムもまた時戻りをしたのだろう。しかし、リアムはまだ存在しない時代なので、彼女の魔力として還元されたのかもしれない。
短剣を使用したこと――このことは彼女に伝えるわけにはいかない。
きっと知ってしまったら、優しい彼女が傷ついてしまうから。そもそも全ては自分の罪なのだから。彼女の笑顔を曇らせること、悲しませてしまうことを……俺はできない。
事実を知るのはリアムと俺だけで、ずっと胸に秘めていこう――そう、思った時。ナタリーに抱きしめられ、光の粒となって消えつつあるリアムと目が合った。
最後に交わした別れ以降――息子に合わせる顔はない、と思い……ただナタリーの背後から見守っていたのだが。最後に見たリアムの表情は、とても幸せそうで――……。
「リアム……」
俺は無意識のうちに、小さくそう呟いていた。記憶にあるのは、ずっと悲しみに暮れていたリアムの姿で――そんな彼の屈託のない笑顔を、初めて見たことで……思わず感極まってしまったのだというのだろうか。
――リアム、俺は……彼女を悲しませないよう、全力を尽くそう。
息子の表情を見て、あらためてナタリーをここから逃がすべく思考を切り替える。一旦は和らいだものの――相変わらず、己の身体からは、制御できない魔力暴走が再び始まっていることを感じた。ここにいても、彼女が傷つくだけで――きっとそれはリアムも望んでいない。
ナタリーを過去の呪縛から解き放つこと。
リアムは彼女と別れを告げられた――だから、俺も彼女と別れを告げるべきなのだろう。彼女は優しいから、魔力暴走という病を患った俺を見捨てられず……きっとここまで来てしまった。だから、彼女を――彼女の大切な人たちが待つ檻の外へ。
ナタリーと同じく、癒しの魔法を使ったリアムのおかげで、魔力暴走の余波が鎮まっている。俺自身が再び、魔力暴走をしてしまう前に――彼女を……。
ナタリーを逃がし、永遠の別れをする――そう考えた瞬間。ズキンと、己の胸がどうしようもない痛みを発し始める。きっとこれは魔力暴走などではなく――。
(……考えるな)
俺は、邪念を振り払うように奥歯を嚙み締める。決壊しそうなほど、ズキズキと痛みを主張してくるソレを頭の隅に追いやって――そうして、つとめて冷静に声を――ナタリーにかけたのだ。
「おそらく、リアムは……生まれる前の時代だったから――君の身体へ戻るように宿っていたのかもしれない、な」と。