78
青年と共に暗闇の空間を進んで行けば……青年の光すらも飲み込んでしまう程――黒いよどみが漂う場所に着く。すると青年はその場所で、ナタリーに知らせるように指をさしてきて。
「え?」
「……」
「か、っか……⁉」
青年が指さした方へ視線を向ければ、ただの真っ暗な空間の中に――光でかすかに照らされながら……ぐったりと仰向けに倒れているユリウスの顔が見えたのだ。だいぶ衰弱しているように見え、また彼の身体を覆う――おびただしいものに目が釘付けになる。
(これは――蛇……?いえ、縄なのかしら……?)
質量の持った縄のようなものがたくさん見えて――その縄はとめどなくユリウスの身体から溢れ、彼を食い尽くさんばかりに締め上げていたのだ。その凄惨な姿を目にしたナタリーは、助けなくてはとすぐさまユリウスのもとへ駆け寄り、座り込む。
そして彼の身体を拘束する縄を外そうと手で触れるが、頑丈なためなのか――なかなかほどけない。
「う……っ!」
思わず、息が詰まるものの――なんとか外せないかと、魔法を無効化するように意識をすれば、効果はあったようで縄が少し緩まっているようだった。しかしまだまだ、縄の量はすさまじくあり――到底すべての縄を外すことは難しそうで……。
(ここで諦めてはだめよ……っ!)
そう意気込んで縄を外そうと再度、力を込めていれば――眩しい光がナタリーの隣に現れる。
「あなたは……」
それは先ほどの青年だった。どうやら彼は、ナタリーに力を貸してくれる様子で――側で腰を落とす。そして手を出し、その手から魔法を出しているようだった。
「たすけて……くださるの?」
「……」
「ありがとうございます……っ!」
相変わらず青年からの声は聞こえないが、彼と共に集中して――ユリウスの縄を消そうと魔法を使用すると、ひときわ大きな光が二人の手からあふれ出てくる。そうして、縄を包むようにユリウスの身体に光が注がれれば――まるで縄はとかされてしまったかのように、するすると消えていくことが分かった。
「ふぅ……これで……」
「うっ――」
「っ!閣下……!意識が……⁉」
縄が消えたのを確認し、一息つきながらユリウスの様子を見れば――彼の口から息が漏れ出た。そして、呼吸をするためにひと際大きく、胸を動かしたのち。
「ご、っほ――っく」
「閣下っ、大丈夫ですか……⁉」
「こ、れは、いったい――」
未だに暗い空間の中、ユリウスは身体の拘束が無くなったことによって――上体をゆっくりと起こした。そして自分の状況を確認するように手を握ったり、開いていた。そして、ルビーの輝きを持つ赤い瞳が、ナタリーを映せば。
「ど、どうして、君が――」
「……っもちろん、閣下を助けに来ましたの……!」
「そ、それは――」
「しかも、閣下のために手助けをしてくれた方がいて――」
ナタリーは、目をまんまると開くユリウスに青年を紹介しようと――身体を向けようとすれば、白く光っていた彼がいた……のだが、先ほどよりも光が淡く、薄くなっていた。
「えっ!ど、どうなさったのですか?」
「彼は――」
「さっきの魔法で、力が……?」
ナタリーが青年の変化に驚きながらも立ち上がり、駆け寄って行く。すると側で座っているユリウスの暗く、しかし通る声が聞こえてきて。
「リ、アム……」
「え?」
「俺が知っているリアムに……そっくりだ――」
「リア、ム……?」
ユリウスがそう告げるのに促されるまま、青年の方へナタリーは視線をしっかりと向けていく。すると光が淡くなったことで、よりはっきりと彼の姿が見えてくる。彼を見た時から――薄い赤色を見た時から、なんとなく思ってはいた。
しかし自分が記憶している姿とはずいぶん大きくなっていたから、もしかしたら別人だと思い込んでいたのだ。でもユリウスがはっきりと、ジュニアの――息子の名前を言葉にした。そして彼をよくよく見れば、ユリウスと同じように美麗な輪郭に少し薄い赤い瞳が――自分の息子だと物語っていた。
ナタリーが青年をじーっと見つめていれば、その視線に耐えきれなくなったのか――青年は目線を下に逸らし、うつむいてしまう。そんな様子の彼に、ナタリーはゆっくりと近づいていく。
「リアム、なのですか……?」
青年に尋ねるため、ナタリーが声を出せば――無意識のうちに自分の声が震えていることに気が付いた。思い起こしてみれば、息子の名前を……きちんと彼と面と向かって呼びかけたのは――初めてだった。
ナタリーの声が耳に入ったのか、青年はうつむきながらも控えめに……こくり、と頷いた。そんな彼、リアムの姿を見たナタリーは、目を大きく見開く。それは、驚きがあったのも理由なのかもしれない――色々知りたいことはある、けれど自分よりも大きなリアムが少し後ずさり、うつむいて見えづらかった彼の……頬に、つたう滴が見えた瞬間。
ナタリーは素早くリアムの向かいにたどり着き、彼の顔を窺うように――下から見上げる。そして、ここまでナタリーが近寄ってくるとは――思っていなかったリアムはびくっと身体を揺らしながら、顔を上げた。
すると――よりはっきり、彼の瞳からぽろぽろと涙がこぼれている様子がわかり、無意識のうちにナタリーは、リアムの頬に手を向け――彼の涙を指でぬぐう。その行動に理解が追い付かないのか、薄い赤色の瞳がこぼれてしまうほどにリアムは大きく目を見開いていた。
(怒りとか、憎しみを抱くと思ったのに……どうしてかしら)
以前はずっと、自分を蔑んできた――自分の息子にやるせない思いばかり抱いていて、この想いは変わらないと思っていたのに。しかし泣いている我が子を見ると――。
「ふふ、リアム……ずいぶんと大きく、なりましたね?」
ナタリーは気づいたら、ゆっくりと語り掛け――あやすようにそう、言葉を紡いでいたのだ。今まで、そして先ほども、ナタリーを助けてくれた行動があったのも……ナタリーが、暗い感情を抱けない理由なのかもしれない。
なにより、相変わらず声を出さずに――ぱくぱくと口を動かしているリアムが、しきりに「ごめんなさい」と言っているように……思うからなのだろうか。
「閣下に鍛えられて、身体も逞しくなったのかしら……?私が記憶している頃よりも、ずいぶん成長したようですね」
「……っ」
「立派な騎士になったのでしょう……なんだか、私も嬉しいわ」
「……っ!」
「ほら、そんなに泣いたら身体から水分が無くなっちゃうわ……ね?」
ナタリーは柔らかくそう言いながら、彼の頬に流れる涙をすくう――彼自身が光であるためなのか、涙が液体としてナタリーの手につくことはなかった。すくう度に、さらさらと砂のように淡く光る粒が消えていくのだ。
しかしそんなことに気を取られる間もなく、ナタリーは息子を慰めるように――頭を優しく撫でた。もちろん、光のため――髪に質感はない。
それでもナタリーは変わらずに、ゆっくりと髪をとくように撫でる。そうして注意深く目の前の息子を見つめれば――リアムは涙を出し過ぎたのか、先ほどよりも光はより薄くなっている気がした。
「許せないと――思っていたのだけど……」
「……」
「リアム、私はもう、怒っていないわ」
「……!」
「幾度か現れた――白い光は、リアム、あなたなのでしょう?」
ナタリーがリアムにそう問えば、彼からは声は返ってこない。しかし瞳を見つめれば、一目瞭然だった。ナタリーがどうにかしたいと自分に語り掛けた時に、現れる白い光は――リアムだったのだと。ユリウスが記憶を持っていたように――リアムもまた記憶を持っていて……。
(それよりも、リアムの姿がどんどん薄く――)
目の前に立っているリアムが、淡くなっていく様子に理解が及ぶ。先ほど、ユリウスの縄を消すために力を使ったことで――この空間全体の暗さが和らぎ、息もしやすくなった。
しかし、それと引き換えに……リアムの姿を保つことができなくなってしまったのかもしれない。
リアムといられる時間が少なくなっていることに気がつき、頭をなでる手を止め――彼から一歩下がり、しっかりとリアムの瞳を見つめる。
「リアム……」
「……」
「助けてくれて、本当にありがとう」
「……!」
「そして――」
ナタリーはゆっくりと両手を広げ、リアムを抱き寄せる。
「あなたは私の大切な息子だわ……あなたが生まれた日のことをずっと覚えている――辛い出産だったけれど……やっぱり、嫌い続けるなんて無理ね」
リアムは、ナタリーに抱きしめられるがまま抵抗はしない。そして、彼の顔を見つめるようにナタリーは顔を上げて。
「リアム、大好きよ」
春の温かさを纏った笑みで、ナタリーはリアムに微笑みかける。すると、リアムもつられてか――柔らかく笑みをつくり、ぱくぱくと口を動かした。
――ありがとう、ございます……お母様。
そう言葉を発した気がして、もう一度よく見ようとナタリーが瞬きをしたその時。ざあっと光が溢れ、そのまま暗闇の空間を照らすように飛散していったのだった。
「笑った顔は――私のお父様にそっくり、ね……」
最後に見たリアムの顔は、ペティグリュー家でよく見る――温かな笑顔だった。