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お待たせしました……!!!本当にお待たせしてしまい申し訳ございません(土下座)
「なぜ、ですか……?」
エドワードに止められたナタリーの声は、上ずり……震えていた。そんなナタリーの様子を見て、一瞬、眉を八の字にしたかと思うと――エドワードは再び淡々としながらも、切なげに話し始める。
「ナタリー、この先は……もうどうにもできない――君が死んでしまうような危険があるんだ」
「……っ」
「もちろん、僕らを助けてくれた公爵を何とかしたい気持ちはわかる……が。僕はそのために君が――君が危険な目に遭ってほしくないんだ。どうか……」
エドワードは絞り出す声でナタリーに語り掛ける。
「分かってくれないか……」
新緑の瞳はいつにもまして、真剣さを帯び……ナタリーの瞳と視線が合う。エドワードがナタリーの身を深く案じていることは、声からもそして瞳からもよく伝わってきたのだ。二人の間に沈黙が少し続いたのち、エドワードが再び口を開き。
「僕は……君のお節介な部分をとても好ましいと思う――しかし、それ以上に……そのために君自身がいなくなってしまうことに、耐えられない」
「エド、ワード様……」
「ナタリー……僕は、君のことを愛しているんだ。この国で共に……生きてくれないか」
ナタリーにそう告げるエドワードは以前の告白とは違い、艶やかさよりも燃えるような熱が彼の声から伝わってきた。そこには切迫したものがあり、痛いほど彼の真摯な思いが肌身に感じられたのだ。ここまで深く思ってくれる彼となら――。
(きっと、妻になったとしても……支えて愛してくださるわ)
エドワードの思いに応え、ここで彼と一緒になれば……どんな困難があろうとも、乗り越えられそうな気がする。これはお世辞ではなく、今までの彼の行動や言動――そして、一途な姿勢から、以前の生で実感した冷たい結婚ではなく、明るく幸せな結婚が待っているのかもしれないと思ったのだ。
――けれど。
「エドワード様……」
「なんだい?」
「私、お節介でここに来たわけじゃないんですの」
「……え?」
ずっと胸の内に引っかかっていた思い――そう、ナタリーはユリウスに助けられたから恩返しにだとか、人の命の尊さで……という、綺麗な理由だけでここに来たわけではないのだ。
(私は、閣下と話せなくなるのは嫌だと思った……なにより)
ナタリーはエドワードに向き直り呼吸を整えると、しっかりと彼の瞳を見据える。そして、自分の思いをはっきりと認識したように、口をゆっくりと開けた。
「これは、私の……わがまま、なんです」
「わが、まま……?」
「ええ、どうしても、譲れない気持ちというのでしょうか。損得とか、道徳とか……冷静なものじゃなくて、居ても立っても居られない……そんな気持ちなんです」
「それは……」
エドワードが、ナタリーに対して苦し気に眉間へ力を入れ始める。そして「その気持ちは、本当に考えて――周りが見えていないのなら、余計に……君は先へ行くことで、後悔してしまうことになるかもしれない」と、言い募るようにナタリーへ語り掛けてきた。
「そうかもしれませんわね」
「なら……やはり先には――」
「でも、行かなかったら一生後悔すると思いますの」
「……え?」
「きっと、ここで死んだほうがましってくらいの後悔ですわ」
ナタリーの言葉にエドワードは、目をまん丸にして視線を向ける。いったいナタリーが何を言わんとしているのかを見定めるように、そして少し呆気に取られるように。そんなエドワードの様子に、ナタリーは柔らかく微笑みを浮かべながら言葉を紡いだ。そしてゆったりとエドワードの方へ、ナタリーは歩みを向ける。
「エドワード様、私を思ってくださり……本当にありがとうございます」
「……ナタリー」
コツコツと靴音を鳴らしながら、エドワードの数歩手前で止まった。そしてナタリーはポーチへと手を入れ、目当ての物を取り出せば――手の中には、獅子の模様が入ったペンダントが輝いている。それに視線をやったのち、すっとエドワードの方へ手を差し出し。
「私は……エドワード様の思いに応えることはできません。こちらのペンダントはお返ししますわ」
「……僕が、国王になる身分だとしても――君の答えは変わらないかい?」
ナタリーが伸ばした手を、エドワードはじっと見てから再びナタリーの方を見つめ、厳かにそう語り掛けてくる。彼に逆らうのは、不敬罪になってしまうのかもしれない――しかしそうした不安はすぐさま消え去り、ナタリーは瞳に力を入れる。
「はい! もし、エドワード様が力づくで止めようとするなら……私も強引に先へ行かせていただきますわっ!」
「……」
エドワードに対し力強くそう言葉を発すれば、少しの沈黙が場を包んだのち。
「……っく、ふふ……」
「エ、エドワード様……?」
重苦しい空気の中、それを破るように突然エドワードが笑い始めたのだった。そして、優雅な振る舞いでゆったりとペンダントを握るナタリーの手へと、自分の手を差し出す。
「っはぁ……完敗だよ。そうか、わがままなのか――それなら仕方ないね」
そして、エドワードは「ペンダントを貰うね」と声をかけてきたので、ナタリーは促されるまま彼にペンダントを返す。すると輝かしいペンダントは、エドワードの手の中へ納まっていった。
「その、エドワード様……」
「惚れた弱みっていうのかな……僕に立ち向かう君も、美しく思えてしまって――王子としてではなく、僕個人として君の願いを叶えたいと思ってしまうんだ――変かな?」
「……っ」
「ああ、こう言ってしまうと君を困らせてしまうね……そうだな、“友人として”君を応援させてくれないだろうか?」
「エドワード様……」
エドワードはペンダントをゆっくりと懐にしまったのち、笑顔のままナタリーに向き合う。そんな彼の姿に、少しだけ胸に申し訳なさが生まれるものの――ナタリーは、「私の行動はけして、エドワード様の監督不行きではありませんわ。私の意志ですの」と言葉を告げた。
「ふふ、僕を思いやってくれてありがとう。大丈夫だよ、君の行動で僕が不利になることはないし――君の家も、悪いことにはしない」
「そ、それは……」
「君に恋をした男の……最後のわがままだと思って、受け取ってくれないかい?」
「……っエドワード様は、本当にお優しいのですね……本当に」
彼の言葉一つ一つが、ナタリーに対する気遣いが込められていて……だからこそ、ナタリーも心を込めて口角を柔らかくし、ありのままの笑顔を彼に向け「ありがとうございます」と言葉を紡いだ。
「……うん」
「エドワード様……?」
ナタリーにそう言葉を告げられたのち、一瞬エドワードは上を向いたが――すぐにナタリーの方へ視線を戻し。
「さて、僕は君に道を開けよう――先へは、一方通行だ。魔力が規定量以上ある場合、こちらへは戻って来られないよ……大丈夫かい?」
「はいっ! 問題ありませんわ! 私のやりたいことをしにいきますので……! けして、ただの無駄ではありませんわ!」
「そうか……君の前途に光があらんことを」
「ありがとうございます、エドワード様にも光があらんことを……! いってきますわ」
「いってらっしゃい」
そう言葉を告げ――ナタリーは先の膜へ……ずんずんと近づいていった。シャボン玉のようなそれに躊躇なく手を、そして足をのばし――先へと歩みを進めていく。
そうして――するりと、膜の中へナタリーの全身が滑り込み……真っ暗な靄によって身体がすっぽりと包み込まれてしまうのであった。
――封の間に残されたのは、エドワードだけ。
ナタリーの様子を最後まで、エドワードはしっかりと目に焼き付けていた。最後の最後で、彼女がこちらに戻ってきてくれるのかもしれない――いや、彼女はそんなことをしないと分かっていながらも、淡い期待を捨てられずにいたのだ。
「行ってしまった……か」
ぽつりとつぶやくエドワードの言葉に、返事はなく……シーンと静けさに包まれていれば。
「お兄様~! マルクさんが獅子様とじゃれあっていて、大変に……お兄様?」
「フィルか……」
ナタリーが入ってきた扉の方から、慌てたようにこちらへかけてくる自分の弟の姿に気が付く。フィル・フリックシュタイン……エドワードの弟で、第三王子――現在は王位継承権が第二位になった。まだ幼く、きっとこれから帝王学を勉強していく、可愛い弟だ。そんなフィルは、エドワードを心配そうに――窺うように見上げている。
「お兄様……大丈夫ですか……?」
「うん?」
「目が……」
「ああ……」
フィルがエドワードにそう言葉を告げれば、エドワードは合点がいったように自分の顔に手を添えて――「どうやら、城の中で……雨が降っているみたいだね」と呟いた。
「……おにい、さま」
「本当に、彼女が……好きだったんだ。その、フィル、情けないところをすまない……」
「……いいえ」
新緑の瞳を覆わんばかりに、大粒の滴がぽろぽろとエドワードの頬を伝っていた。そんな姿を隠すように――エドワードが片手で、自分の顔に手を当て目元を覆うように会話をしていれば、幼い弟は深く問い詰める様子はなく。そっと空いているエドワードの手に、自分の手を重ね――ゆっくりと握り、やさしく誘導する。
「お兄様、外はとてもお星さまが綺麗なのですよ……庭で一緒に見ませんか?」
「そう、か……それはいいね」
「はい! 僕の特等席に招待しますね! あっ、マルクさんは大変ながらも……無事、“影”が対応してくれているので、きっと大丈夫です!」
「そうか、ふふ……ありがとう、フィル」
エドワードは花が咲いたような笑みを向け、そしてフィルもそれに応えるように、笑みをほころばせている。そうして温かく、優しい弟に連れられ、エドワードは封の間から出て行くことになるのであった。




