75
ナタリーが封の間へ続く扉を開ける――その少し前。
封の間には、エドワードと……顔色の悪いユリウスがいた。
「……肩を」
「いや、大丈夫だ……殿下の気遣いには感謝する」
エドワードがユリウスに対して肩を貸そうとした……がユリウスは、やんわりと断ったのち、奥にある――膜の張ったアーチへと足を向けていた。
「我が国の医療で治すことができず――すまない」
先行するユリウスの後ろからエドワードが、息を漏らすように重く呟いた。王城にいる医師はみな一流の腕をもっているが、ユリウスの体質をどうにかする手立てはなかったのだ。
また癒しの魔法が使えるナタリーを呼ぼうとしても、彼女は地下墓地の一件で魔力を使いすぎていて。とてもじゃないが、エドワードは呼ぶことができなかった。しかし、地下墓地でファングレー家の事実を知ったエドワードとしては歯がゆいものを感じ――ユリウスにかける声も暗い色を隠せていない。
エドワードの言葉を聞いたユリウスは、ピタッと足をとめ「殿下が謝る必要はない――むしろ手を尽くしてくれて、感謝する」と言ってから、エドワードの方へ向き直り。
「ふっ、殿下の謝罪とは……大変なものを聞いてしまったな」
「……僕だって、素直な時はあるよ」
つとめて明るく、ユリウスに対して返事をしたのち。
「――貴公とは、来年の剣舞祭で決着をつけたいと思っていたん……だけどね」
「そうだな……」
エドワードは残念そうに目を伏せながら話した。相変わらずユリウスは呼吸が少し乱れているが、まだ喋ることができているようだった。しかしそれがいつまでもつのかは、予想できない。本来なら、エドワードが見届けるのは一瞬なのだ。あのアーチの先――檻へ入るユリウスを見届ける……“盟約”を果たせばいいだけだった。しかし――。
「本当に、行くのか……?」
「それが貴国との約束だろう?」
「……そうだが、城の医者たちによってあと数日は……その間に方法やこんな理不尽な約束をどうにか――」
「それもジリ貧だ。……殿下も本当は分かっているのだろう。もう止められないのだ」
「それは……」
ユリウスの言葉に、エドワードは何も言い返せなかった。それほどまでに、ユリウスの身体から、制御しきれていない魔力が少しばかり――漏れている様子がエドワードには分かった。
おもむろにエドワードは眉へ力を入れ――前方のアーチに目を向ける。そこには、先の空間全てを包むように膜が張られていて。それを確認しながら、エドワードは再び口を開く。
「その膜は、一定量以上の魔力が外部に漏れないようにする――魔法技術の集大成だ……」
「……」
「貴公も聞いたことがあるのかもしれないが――それは条件付きの檻といっても過言ではない」
通常の人であれば出入り自由な空間なのだが、膜の内部で魔力が基準値を超えた場合。その対象を外部に出さないものでもある。だからこそ、今のユリウスがあの中に入ってしまうと、帰ってこられないことは明白で。
「その中に入ったら、もう出ることは――」
「ああ、知っている」
「……っ!」
すんなりと返事をしたユリウスに、エドワードは不意を突かれた。この先に行くことが怖くないのだろうか、と強く疑問を持つのと同時に衝動的に声が漏れる。
「どうして……」
「?」
「どうして檻に入ることを、決意できるのですか?諦めているからですか?はたまた使命感なのでしょうか?」
エドワードは自分の中に渦巻く疑問をユリウスに投げかけていた。そして無意識のうちに、敬語すら使っていて――そんなエドワードの疑問を聞いたユリウスは、顎に手をあてて考え込む。その後、再びエドワードをしっかりと見つめて。
「ペティグリューのご令嬢が大切にしている場所を、壊したくない……国の一大事よりも、俺は彼女が悲しむ姿を見たくないんだ――」
「っ!」
エドワードはユリウスが言ったことに、目を大きく見開く。国よりも、そして己の身体よりも……当たり前に言う彼の言葉に――エドワードは、半ば現実味が戻らないままながらも、どうにか声を出した。
「そう、ですか――」
「ああ、では……失礼する」
エドワードが問いかける様子が無くなったことを――ユリウスは確認した。そのまま、彼は短く別れの挨拶を言い……真っすぐ、膜の先へと身体を向ける。気がつけばエドワードの視界から、そして封の間から、ユリウスの姿はなくなってしまうのであった。
そこには無言で大きな膜を見つめるエドワードだけが、ぽつりと立っていた。
◆◇◆
――ガチャリ。
(とても広い部屋だわ……)
マルクは通路が見えると言っていたけれど、舞踏会のダンスホールと同じ広さがそこにあって――頑丈な造りの壁がナタリーを出迎える。ただダンスホールとは違い、絢爛さがなくシンプルな雰囲気がこの場にはあった。
ナタリーが先を見据えれば――大きなアーチ状の入り口が確認できる。そしてその先は膜っぽいものが覆っていることがわかるのみで、ここから詳細を窺うことができない。なにより、視線を先に向けた際に――。
「おや……ナタリー、また迷子になったのかい?」
「エドワード様……」
薄い笑みを浮かべるエドワードが、数歩先に立っていたのだ。そして周りをキョロキョロと視線を向かわせれば――ユリウスの姿がないことが分かる、
「エドワード様……閣下は……」
「檻に入ったと言えばわかるかい?」
「っ!」
「ふぅ……いったい誰が、ナタリーをここに……」
エドワードは頭をあて、やれやれといった雰囲気を出す。対面するナタリーとエドワードの耳に、「獅子ちゃ~んっ!」と入ってきた扉の向こうから威勢のいい声が響いてきた。
「はぁ、マルクか……まったく」
犯人が分かったように荘厳な扉へエドワードは、視線を向けている。しかしナタリーは、マルクの声が聞こえようとも――エドワードがナタリーのことを迷子だと言おうとも表情は硬いままだ。そんなナタリーの頭の中には「ユリウスが檻に入ってしまった事実」がいっぱいに占めていて。
(早く行かないと、閣下が……っ!)
無意識のうちに焦りを感じていたのか、額の側部から汗が流れた。そして、自分を力づけるように手にきゅっと力を入れ――エドワードに視線を向け、檻の方へ一歩足を向けた時。
「どこに行くつもりかな?」
「……檻、ですわ」
ナタリーが歩みを進めるよりも早く、エドワードの優しくも鋭い声が届く。しかし、その声にひるんではいけないと――ナタリーは自分の手に力を込めながら。
「早く行かないと、閣下の身体が危ないんです……だから」
エドワードに手早く理由を話して、先へ進もうと思った矢先のことだった。ナタリーの声を消すように――エドワードは。
「……ダメだ」
「え?」
「君をこの先へは……行かせられない」
エドワードは封の間の中央で――ナタリーを阻むように身体を向けながら、淡々とそう告げるのであった。
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