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「……お、お母様。ありがとうございます」
「あら?もう、いいの?」
「は、はい……」
お母様に長く抱きしめられていたおかげか、だんだんと頭が冷静になり。ナタリーは落ち着きを取り戻していった。大人にもなって、お母様に甘えすぎているのでは。と冷静な頭で考えてしまい……ゆっくりと一人で座る体勢に戻る。
そんなナタリーの恥じらいを分かっているのか。お母様は、「気にしなくていいのよ……ふふ」と笑うばかり。ナタリーはカーッと、頬に熱が集まっていくのを感じつつも。お母様と対面するように、居直した。
「そ、その」
お母様と向き合って話そうと試みるも、いったいどこから話せばいいものか迷ってしまう。なにより、お父様に言い募ったことは言いづらくて――。そんなナタリーの思いが、顔に出ていたのか。「あら、あら」と優しく微笑んでから。
「お父様に面と向かって、言い切ったことは聞いているわ」
「うっ、ご、ごめんなさ……」
「いいじゃない」
「え……?」
てっきりお母様から、叱責がくると予想していたのだが。それには反して、相変わらずお母様はどこか楽し気で。
「あら?どうしたの?驚いた顔をして」
「その、お父様に反抗してしまったから、その……」
「まあ。ナタリー、私は全然怒ってないわよ?」
「へ?」
「ふふ、反抗だなんて、いいじゃない!むしろ嬉しいくらいだわ」
お母様は、ナタリーの髪を優しく撫で。「ナタリーは私たちのお人形さんではないのだから……当たり前でしょう?」と語り掛けてきた。
「ただ……お父様は、ちょーっと。そうねぇ、過保護すぎるところがあるから……ね?」
お母様にそう言われると、確かに否定できない場面が思い出され。思わずうなずきそうになってしまう……が。今回の件は、本当にナタリーの身を案じている気持ちは分かっていて。
「あら!もう!ナタリーは本当に優しいわ……親に反抗する子は普通なのよ?」
「で、でも……」
大好きなお父様が嫌がっていることをしたくない気持ちも、確かにあるので。部屋の中に閉じ込められてから、チクチクと胸の中で痛みを感じたのも事実だった。
「そうねぇ。それなら、お父様の昔話をしましょうか」
「……え?」
「お父様はね、本当は私と結婚するのではなく――ペティグリューの分家の方と結婚するお話が来ていたのよ?」
「へ……へっ!?」
突然、お父様の昔話――それも、聞いたことがなかった結婚前の話を聞き。ナタリーは大きく動揺してしまう。
「ふふ。驚いたかしら?」
「は、はい」
お母様はナタリーの反応を見ながら、「良い反応ね」と笑い。
「でもね、その頃はちょうどお父様と――大恋愛をしていたから」
「そ、そうなのですね……?」
「ええ!舞踏会に、ペティグリューの観光や……いっぱいあるわ」
普段あまり惚気たりしないお母様の恋話に、思わずナタリーは聞き入ってしまう。しかし、お母様は「デートの話はまた今度ね」と言い。
「思い合ってはいたのだけど……ペティグリュー家の意志とは相反することになってしまってね」
「……」
「だから、潔く私……身を引こうとしたのよ」
「そ、それは……」
大恋愛と言っていたのだから……自ら身を引く覚悟は相当なものなはずだ。でも、今現在二人は結婚し――家にいるわけで。どのようにそうなったのか、窺うようにお母様を見つめれば。
「ふふ。でもね、そんな私をお父様ったら……家まで押しかけて大声で告白をしてきてね」
「へっ!?」
「ね?驚くでしょう?君を諦められないんだって、どれだけ周りが……立ち退かせようとしても。地面に寝転がってね」
その話を聞き、ナタリーは即座に。頭の中で駄々をこねるお父様の姿が思い出された。まさか、お母様と恋愛をしていた頃からそうだったなんて。
「我慢比べ……いえ、頑固比べ、かしら?それだとしても、私との結婚を認めてくれなければ、当主、家なんて考えられないとまで言ってね」
「ま、まあ……」
「もう、ペティグリュー家も私の家もまいってしまってね……なかなか、お目にかかれない光景だったわ」
そう語るお母様は、言葉は困っているように喋っているのに。表情は、目じりが柔らかく緩み――お父様を思う温かさが伝わってきて。
「最後は、お父様の粘り勝ち!本当に困っちゃう人なんだから……」
「は、はは……」
「でも、お父様の姿を見て――私ね。どんな困難なことでも、当たってくだけるのって、とても素敵だなと思ったの」
お母様の言葉にドキッと胸が跳ねる。そして、お母様はナタリーと視線を合わせて。
「ねえ、ナタリー。あなたは、覚悟をもって公爵様のもとへ行きたいのかしら?」
「……わ、わたし、は」
見つめ返すように、ナタリーは。問いかけてきたお母様の方へ、しっかりと目を見つめ。
「……私は、閣下のもとへ行きたいです」
自分が思うより、はっきりとそして。するすると言葉が口から出た。その言葉を聞いたお母様は、途端に笑みを消し。
「……それがもしかしたら、自分の命の危険を伴うような場所で――周りが悲しむことになっても?」
「……っ」
真剣な表情で、ナタリーに相対する。命の危険は確かに怖い――しかしそれ以上に、両親の悲しむ姿が脳裏に浮かび。思わずひるんでしまう――そんな柔らかくない雰囲気で、軽んじて言葉を出せない重さを感じながら。
それでも、頭に思い浮かぶのは――。
「そうだとしても。私は、閣下のもとに行きたいのです……っ」
「……そうなのね」
自分の素直な気持ちを口に出せば。思いのほか、ストンと理解できて。それと同時に、自分のこの気持ちが、周りを悲しませる事実に痛みを感じる。しかし、自分のこの気持ちを諦められるのか――そう自問自答すれば。
(諦めることは、できないわ)
はっきりとした自分の心に、納得をし。自分へ喝を入れるように、一度大きく息を吸う。再び、お母様を見つめれば。硬い表情をしたお母様がそこにいて。
ピリピリとした時間が続く――と思ったその瞬間。
「ふっ。ふふ……」
「お、お母様?」
「あ、笑ってしまって……ごめんなさいね。あなたの顔が、昔のお父様にそっくりで」
「えっ?」
お母様は、今までの表情を崩し――どこか嬉しそうに、ナタリーを見つめる。
「母としては、娘に危険な、無茶なことはしてほしくないわ――けれど、それ以上に」
そして、お母様はナタリーの肩にそっと手を置き。
「一人の女として――誰よりも、心からナタリーを思う女として。公爵様のもとへ行きたいあなたを応援するわ」
「お母様……」
またじんわりと、目頭が熱くなるナタリーとは反対に。お母様は、お茶目にウィンクをしてきたのだった――。
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