57
「あれが、漆黒の騎士様か…」
会場内は歓声とは違い。どよめきが起きていた。それはちょうど、ユリウスが試合場所に足を踏み入れた時。
戦勝パレードなど以外では、めったに見ることがない漆黒の鎧が――太陽に照らされ。はっきりと姿が見える。その姿を見た観客は、目を奪われたように。言葉を失い。
令嬢たちも、その雰囲気におされて。黄色い悲鳴を耐え忍んでいるみたいだった。
エドワードの時とは一変した空気に包まれていく中。
ユリウスと対面した――試合相手は。
「ひ、ひぃ…」
口から、恐れが漏れていて。その姿に、特に何も言わず。すっと無言で構えるユリウスに、またさらに縮こまっている様子が見えた。
そして試合開始の合図が、鳴ろうとしたその瞬間。
「ご、ごめんなさいっ、ぼく、棄権しますっ!」
「…ん?」
「し、失礼しますぅぅぅぅ」
「お、おい…」
ユリウスが、剣を振るう必要もなく。彼の試合は、相手の棄権によって。ユリウスの勝利が決まったのだった。
この勝負に、国民たちは歓声というよりも。圧倒的なオーラに対する賞賛として、拍手が送られるほどで。今までとは違う雰囲気に包まれながらも、ユリウスはそのまま控室へと帰っていく様子が分かった。
「公爵様も…あっという間だった、な」
「そ、そうですわね…」
お父様と試合が始まるまでの間。少し緊張しながら、開始を待っていたのだが――予想外な展開に。肩透かしを味わっていた。
そうした気分を切り替えるためでもあったのか。お父様が、次の試合について。新聞で情報を見ている時に――お母様から声がかかった。
「あら、ナタリー。今なら、お忙しくない気がするから…お医者様の所へご挨拶に行けるかもしれないわよ」
「あ…!」
「ふふ、いってらっしゃい。お父様と、ここで待っているから…私たちの分のご挨拶もお願いね」
「はい。お母様」
集中して試合を待っているお父様を、お母様に任せて。ミーナに連れられるがまま、控室へとナタリーは向かっていった。
「ほら、ナタリー…次の出場者はな…って、ん?」
「あら、あなた。次は、どんな方なのかしら?」
「あ、ああ…それがな…」
お父様は、ナタリーがいないことに。疑問を抱えながらも…愛する妻に促されるまま、その場に待機することになったのだった。
◆◇◆
「うんうん。こちらが、控室の場所になりますね…!」
「ありがとう、ミーナ。助かったわ」
「いえ!お役に立てたのなら、嬉しいです!」
会場の地図を把握したミーナの案内で。スムーズに、ユリウスの控室へと到着した。そして、挨拶のため軽くノックをすると。懐かしく、安心する声が耳に入ってくる。
「おや?誰かのう…?」
「フランツ様。ナタリーですわ」
「ほっほっほ。そうかそうか…お入りなさい」
「はい…失礼しますわ」
「いや、ま、まて…」
「え――?」
フランツの許可のまま、ガチャっと扉を開けた先に見えたのは。にっこりとほほ笑む…優しい顔のフランツと。
上半身が裸のユリウスがいたのだった。
おそらく身体検査をしていたかもしれないのだが――ナタリーの目は。ばっちりと、逞しく均整がとれた筋肉を見ていて。食い入るように、じっと見つめてから。はしたないことを、してしまったと気づいて。思わず手で顔を隠す。
ナタリーの後ろでは。状況が分からないミーナが、「お嬢様…?どうかしました…?」と不思議そうに聞いてきて。
「あ、あ…申し訳ございませ…」
「い、いえ…おい、フランツ…っ!」
「ほっほっほ…減るものでもありませんから…そんな乙女のように、公爵様…」
「くっ…」
「と、扉を閉めますわね…!まっ、待ちますわ!」
ナタリーは器用に。片手で自分の目を隠しながら。もう片方で、すぐさま扉を閉めたのだった。そして、ミーナに「タイミングが、ちょっと…あわなかったの」と急いで言葉を濁した。
そんなナタリーの言葉に、なんだか納得しきっていない表情を浮かべながらも。ミーナは、「そうなのですね?」と頷いてくれたのだった。
◆◇◆
そして待つこと、数分。
扉の向こうから、ユリウスの声で「大丈夫だ、入っていいぞ…」と聞こえてきた。今度こそ、もう安心だと扉を開ければ。きちんと着込んだユリウスと…いたずらっ子な笑みを浮かべるフランツが見えた。
「先ほどは…本当に申し訳ございません…」
「いや…謝らなくて、大丈夫だ…」
「ほっほっほ…久しぶりじゃのう、ナタリー嬢」
「え、ええ。お久しぶりですわ…ってフランツ様っ!」
「あ~、すまないのう…つい、口がのう…。ナタリー嬢にお会いしたくて…公爵様のことが見えんくってのう…許してくれるか…?」
フランツの物言いに。ナタリーは怒るに怒れず。「そ、そうでしたのね。これからは、気をつけてくださいね…?」ということに留まっていた。一方のユリウスは、フランツに対して。
ジト目を送っていたように見えたのだが。特に、言葉をかけるつもりはないらしい。気を取り直して。ナタリーは、当初の目的通り。
「お久しぶりです。フランツ様…お元気でしたか…?」
「うんうん。この通り、元気じゃ…ナタリー嬢も、身体に不調とかはないかのう?」
「ええ、健康に過ごせておりますわ。あ、お母様とお父様も、フランツ様によろしくと…」
「お~!そうじゃったか。嬉しいのう…いつでも、呼んでいいからな。ナタリー嬢のためとあらば。すぐに駆けつけるからの」
フランツがニコニコとそう話すと。ユリウスが割り込むように「ん、んんっ」と咳ばらいをする。身体が悪いのだろうかと、伺い見ていれば。
「もし、ご令嬢が体調を崩したのなら…国で随一の医者を…俺の方で呼ぼう」
「え、え?あ、ありがとうございま、す?」
「はぁ…公爵様は…」
突然、医者を呼ぶと言われて。どうして急にそこまで…と疑問に思うものの。きっとユリウスなりの雰囲気を和らげる話術なのかもしれない。
フランツが、そんなユリウスを見て。ため気を吐いているように見えたが。深く気にしてはいけないと、ナタリーは気持ちを改めた。
「閣下、先ほどはお怪我がないように見えましたが…どこか、身体が…?」
「いや、いつもの検診を。せっかくだから、していたんだ」
「ほっほ…」
「まあ、そうでしたのね」
たまたま見てしまったユリウスが半裸だった理由を。どこか怪我したからだと思い、聞けば。特に問題がなさそうだということが分かり。ホッと安心する。
「それなら、フランツ様に挨拶もしましたから…私たちは帰りましょうか」
「はい、お嬢様…!」
「閣下、心配無用かもしれませんが…怪我にはお気をつけて」
「ああ…わかった。気遣い感謝する」
ユリウスに会釈をしてから、フランツに別れの挨拶をし、ナタリーはミーナと共に、お父様が待つ席へと戻っていくのであった。
するとユリウスとフランツがいる控室は、落ち着いた雰囲気となり。
「のう、言わなくて良かったのか?」
「ああ…彼女には、心労をかけたくないからな…」
「そうか…でも、公爵様…」
「俺はあと…どれくらいだ?」
ユリウスがフランツに言葉を向けると。フランツはナタリーがいた時の笑顔を消して、暗い表情となり。
「もって、数週間。力の使いようによっては…もう…」
「そう、か。それなら十分だ」
「……もし、ナタリー嬢にお願いをすれば…」
「…それはできない」
フランツが、ユリウスに疑問を投げかける視線を送ると。ユリウスは「彼女に、危険が起こるかもしれないことを…お願いはできない」と話した。
「じゃが…それはあくまで可能性で…」
「フランツ…。俺は、優しい彼女を…苦しめたくないんだ」
「………」
フランツの瞳は、ユリウスを映して――揺れ動く。そして、苦しそうにため息を吐きながら。おもむろに口を開いて。
「のぅ、今だけ。昔に戻ってもよいか?」
「いいですよ…俺はいつでも、あなたを尊敬しております」
「ほっほっほ…照れてしまうわい。…のう、ユリウス。無理はしてないか?じぃに、なんでも言っていいんじゃよ…」
「ふっ。無理はしておりません…決めたことですから…」
ユリウスが目じりを柔らかくして、微笑みを浮かべれば。その様子に、フランツは目を瞠り。「そうか…」と頷く。
「心配しないでください…いつも、検診のこと…感謝します」
「いいんじゃ…わしがしたくて、やっとることだからのう」
そう、フランツが返事をすれば。ユリウスは、嬉しそうに頷いて。その後、雰囲気を改めるようにしてから、口を開いた。
「それでは。まだ試合は、続いておりますので…これにて」
「うむ…ナタリー嬢と同じになるが…身体に気を付けなされよ…“公爵様”」
立ち上がるユリウスに、フランツがそう言葉をかければ。ユリウスは頷きを返し、「またな、フランツ」と言いながら、扉を開けて出て行くことがわかった。
そうして、部屋に一人残ったフランツは。
「はぁ…あの頑固は…いい笑顔になったが…困ったもんじゃのう…」
ため息交じりの独り言を吐き。彼は、悲しそうにユリウスが出て行った扉をずっと――見つめていたのだった。
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