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「……え?」
「あなたが、どれだけ大変だったかなんて、知りませんわっ!」
ナタリーが大きな声を出すとは、思わなかったのか。元義母は、ナタリーに圧倒されていた。今まで、辛いことがあったから…他人を陥れるのは仕方がないなんて。到底理解できないし、理解したくもない。
毒気が抜かれた彼女のことは気にせず。ナタリーは話し続けた。
「それに、あなたの理屈で言うと…被害者なら、仕方ないのよね?」
「…?」
「…ほら、そこにあなたが使った短剣があるわ。私、あなたのせいで死にそうになったから…刺してもいいってことに、なりますよね?」
「……ひっ!」
胸元を掴みながら、そう告げれば。ナタリーが言った内容を理解したのか…元義母は、サーっと顔が青ざめていく。
その様子を見て、恐ろしいと感じるなら…最初から自分で言わなければいいのに。とナタリーは思った。そして、「だけど、私はしませんわ…」と彼女に言い。
「あなたと、同じになりたくないから…って言えば、分かりますか?」
「………」
ナタリーは人を癒したいとは思うが、殺したいとは思わないのだ。確かに、以前の人生では元義母に、許せない程…怒りを感じた。憎しみも抱いていたように思う。
しかしやり返すことで。きれいごとなのかもしれないが。結局、自分が言った“人を刺す化け物”には…なりたくないと強く思ったのだ。
「それと…あなたは自分が被害者だと言うけれど。一番の被害者は…あなたの息子、閣下よ」
「…そ、それは」
「閣下はあなたに剣を向けましたか…?どうしてあなたを、母と思っている閣下を…」
「……っ」
元義母の瞳から、怒りが消えたように感じた。そして、ナタリーの背後で倒れているはずのユリウスに視線を向けているようで。
やっと自分が息子を手に掛けたことに…そのことの重さに。理解が追い付いたのか。目に見えて、脱力していく姿が分かった。
「あなたは…ずっと悔い続けてください。自分がしでかしたことに、死ぬ最期の時まで」
ナタリーがそう言えば。元義母は何も言い返してはこなくなっていた。抵抗する様子もなくなったので。離して――エドワードと合流するべきか…と考えていると。
――ゴゴゴゴッ
「…え?」
なんだかこの音は聞き覚えがある気がする。しかもデジャヴで…また自分の頭上から聞こえていて。上を見上げれば、案の定。岩の塊が、さっきの揺れのためか崩れて――ナタリーのいる所へ落下し始めていた。
「ナ、ナタリーッ!」
ユリウスが、大声でこちらを呼んでいる気がする。それと同時に、ナタリーは掴んでいた元義母を…反対方向へ突き飛ばした。それによって、だいぶ岩がこちらにやってきていて。
証人を殺してはいけないとか、お節介さとか…無意識な、自分の行動に。思わず笑ってしまう。前とは違って、岩から逃げてはいるものの。逃げきれなさそうだ。
もうダメだと、そう感じながらも。思わず。自分の手を上にかざして、もう一度奇跡か何かで。どうにかなれと念じようとした…その瞬間。
風が頬を通り過ぎて、疑問に思えば。
見間違えない、黒い服。赤い瞳が見えて。
そのまま、勢いをつけていたのか。
ナタリーを両手で抱え――岩が来ないその先へ飛び込んでいく。
「か、っか…?」
ユリウスと認識したその直後。先ほど自分がいた場所から。ドオンッと大きな衝撃音が、辺りに響いた。
(痛くないわ…どうして)
一緒に飛び込んでいったはずなのに、ナタリーの身体から痛みは全くなかった。そして、その理由はすぐに分かった。
「閣下!」
「……ぐ、ぅ」
ユリウスがナタリーの下敷きになるように。痛そうな床面から、ナタリーを守ってくれていたのだ。魔力暴走の時とは違い、ところどころ擦り傷や切り傷ができていた。
ただ、ユリウスの鎧が身体を保護していたのも大きくて。命にかかわるような怪我ではなさそうだ。しかし、怪我は怪我。
急いで抱きしめられている姿勢なんて気にせず。手の届く範囲で…癒しの魔法をかけようとするが――ずっと魔力を使いすぎていたためか。だいぶ、弱々しい魔法になってしまっている。
「ご令嬢…。け、怪我は…」
「閣下のおかげでありませんっ!」
「良かった…」
いや、全てまるっと良かったという訳ではないが…。ユリウスの行動によって、無事に済んでいるのも大きくて。強く否定もし辛い。
元義母とナタリーが話しているうちに、動けるようになったのかもしれないが。万全ではない状態で、ユリウスは自分に魔法でもかけたのだろうか。それくらい驚異的なスピードで、ナタリーのところまで来たのだから。
彼は身体を酷使しているのだ。どうにか、治してあげたい…と思いつつも。ゆるゆると、魔法をかけていれば。ナタリーの魔法に気が付いたユリウスが、「無理をしなくて、大丈夫だ」と言ってくる。
「気持ちは、ありがたいが…そんな大層な怪我じゃ――」
そう、言い張る彼に。ナタリーは、強く。
「閣下!」
「な、なんだ…?」
「助けてくださったのは、感謝します!本当に…ありがとうございます」
「い、いや…」
「でもっ!」
彼の怪我を少し治したところで。ナタリーはユリウスの胸を挟み込むように…手を地面についた。砂埃にまみれても美しさに陰りがないユリウスの――赤い瞳と目が合う。
「私は、私はっ。閣下が怪我するところを見たくないんですっ!」
「…そうか、それは。っすまない…」
「謝らないでください…それより…」
「……?」
ユリウスが、ナタリーの言葉に疑問の表情を浮かべたあと。彼の頬に、ぽたぽたとこぼれる水滴があった。それにユリウスは、驚く――だって、その水滴はナタリーの瞳から出ていて。
焦ったように、オロオロするユリウスに…自然と笑みがこぼれる。そしてそのまま。
「閣下が、無事で…本当によかった…」
ナタリーは、涙を流しながら。ユリウスに語り掛けた。彼は、「君が――」と何かを言おうとして。目を見開き、無言になる。
ナタリーの姿に、目を奪われ…言葉を忘れてしまったのか。沈黙の時間が生まれた。そんな時、ナタリーはハッとなる。
「あっ!閣下…私、閣下のお母様に…結構言いましたが…。謝りませんよ!」
「……ん?」
ユリウスは、ナタリーからそんなことを言われるとは思っていなかったらしく。ポカーンとしている。しかし、ナタリーとしては…きっとユリウスはあの時の会話を聞いていたわけで。
彼的に、自分の母親にあんなに言われて気分を害したかもしれないが。それでも、ナタリーの意思表示をしようと思ったわけで。そう、決意を持った表情で彼を見つめれば。
「ふっ…」
「…っ!なにが、おかしいのですのっ!」
「いや、別に…俺はそのことを怒っていないし…そうだな…」
ナタリーの言葉を聞いたあと。ユリウスは、破顔して。「むしろ、ありがとう――」とナタリーに感謝を言った。
「母上を諫めてくれて。そして、その…」
「……その?」
「俺のことを思って、言ってくれて。感謝する」
「……っ!」
ナタリーは面と向かって…こんなに感謝されるとは思わず。顔に、熱がのぼっていく。取り繕うように、「べ、べつに…そ、そんな」と口をもごもごしていれば。
身体に変な力が入っていた。それは、照れ隠し的な…いらない力の入り方で。
何より運悪く。手をついていた床面が、磨かれていた木材であったためか――ナタリーは、自身の手汗で変な力のまま。ツルッと滑り、自分の体勢が維持できなくなる。
「あっ!」
そうすると、見つめあっていたナタリーの顔はユリウスの方へ近づき。
ぷにっとした感覚が。自分の鼻にぶつかって。
(この感覚は――それよりも)
ユリウスの顔が近い。距離なんてないくらいに、とても近く。心拍数が壊れたように、うるさくなった。涙はその衝撃のおかげで…引っ込んでいて。
一方のユリウスは、唇が動かせないから自動的に黙るのみで。
(わ、私、なんてことを――!)
冷静になれば、なるほど背中の冷や汗は止まらなくなり。手にまた力を入れて姿勢を変え、ユリウスに弁解をしようとしたその瞬間。
「ナタリィィ~!父さんが!迎えに来たぞう~!」
「お父上、そこはまっすぐで――」
「で、殿下…殿下に“父上”って言われると、なんだか心臓が苦しい…」
不運は続くもので。宰相を追いかけに行ったエドワードと自分のお父様の声。それと、「ユリウス~!無事か~!」というマルクの声と共に、たくさんの足音がこちらへ向かっていることに気が付く。
急いでユリウスから離れなければ…とそう思って動こうとしたが。一歩遅く。
「おや…?」
「ユ、ユリ、ウス…?」
困惑するエドワードとマルク。そして。
「ナ、ナタリィ~~~!!」
お父様の絶叫が、響き渡ったのだ。ナタリーは、その声を聞いて頭が痛くなり。考えることをやめた。
だから、すぐさまお父様によって。ユリウスから離され…そのまま抱きかかえられても…もう抵抗はせず。
エドワードからは、「すごい地震があったから、宰相は部下に任せて。合流した後続班と共に…こっちに戻ったのだけど…」と、どこか暗い声が聞こえてきて。
「ユリウス…お前…。さすが団長だな…」
「…うるさい」
「またまたぁ~!顔が真っ赤だぞ…あっ、痛いっ、小突く力がっうっ」
マルクの楽しそうな笑い声に包まれながら。後続の騎士たちが、ナタリーが突き飛ばした元義母の所へ赴き。「こちらに気絶している…ご婦人がいますっ」と報告していたり。
全ての情報量が滝のように押し寄せてくるので。お父様にお姫様抱っこで、抱えられながら。ふと、自分の鼻に触れて――。
(柔らかかったわ――って!何を考えているの私!)
何かを振り払うように。ナタリーは必死になっていたとは。この場にいる誰もが、知らないままだった。
そして遺跡が崩れることもなく。無事に一行は、死者を出さずして外へ脱出することになった。
こうして一連の不審な…魔力反応問題は。元義母が逮捕され、尋問にかけられることによって幕を閉じる。
穏やかで、領民たちの笑顔が絶えない…平和なペティグリュー領。
しかしそれは。
宰相が依然として、逃亡している事実が広まり。
平穏が崩れていくまでの“つかの間”だったなんて。