30
時が止まった――。
ナタリーとエドワードは、目が点になり…一方の獅子様はというと。そんな二人をお構いなしに、エドワードの顔に「にゃっにゃっ」と肉球を押し付けている。おそらく、楽しんでいるのかもしれない。
「……くっ、ふふ」
「エ、エドワード様…?」
まさか獅子様が、エドワードの顔に前足で触れるなんて…ナタリーは思わなかったのだ。先ほどの、甘いムードから一変して…エドワードの笑い声が響く。ナタリーは、獅子様の標的になっているエドワードを窺い見れば。
「ふっ、獅子様は…元気すぎますね」
「あ…」
「ん?どうかしたのかい?」
エドワードはナタリーの膝にいる獅子様を抱き上げて、自分の方へ持っていき――撫でている。その顔はとてもすっきりしていて――いや、その顔が問題で。
「その…お顔に獅子様の足のあとが…」
「…え?…っく、お前…本当にイタズラだねえ」
かなりの力がかかったのか――エドワードの顔に、肉球のあとがついていた。しかしそんなことに、不機嫌になるわけでもなく。
「どうかな…獅子様の幸運を付けた男って感じかな」
「…ふふっ。中々ないことですから…」
「でしょう?…今日の僕はラッキーだね」
前向きなエドワードに、思わず笑みがこぼれる。そんなエドワードは、獅子様を十分に撫でたのち――はなしてあげて。おもむろに立ち上がる。
「…さて、どうやらナタリーのお父上が…帰りたがっているようだから」
「え?」
エドワードの視線の先には、他の部屋に続く窓があり。その方向から「ナタリ~~どこに行ったんだい…ナタリ~」と、いつもの父の声がして。
「遅くまで引き留めてしまい、申し訳ない」
「い、いえ!」
「でも、今日はナタリーと話せて本当に良かったと思うよ」
「ふふっ、こちらこそですわ」
どこかギクシャクしていた態度が柔らかくなり――エドワードはいつもの調子を取り戻したようだ。そしてナタリーの方に向きあって。
「お父上がいる場所まで送りましょう」
「あ、ありがとうございます」
「いえ…それと」
ナタリーの背後に目を向けたかと思うと…ナタリーの後ろから「お兄様…」と。第三王子がもじもじとしながら、出てきた。
「ふふっ、怒っていないよ。僕のことを思ってくれたんだろう?」
「…うん。もう、お兄様…元気?」
「ああ、ばっちりだよ。ありがとう」
エドワードは、第三王子の頭を撫で。ナタリーに手を差し出す。「では、行きましょうか…お手を貸してもらっても?」と優しく告げる。
「ええ、お願いしますわ」
「…ああ、それと」
ナタリーがエドワードの手に重ねようとした時。エドワードがイタズラな瞳を向けてきて――ナタリーの耳元に近づき。
「あなたのことが好きです…返事を今度聞きますから――考えてくださいね?」
「……っ!」
「お兄様?」
「さあ、行こうか」
パチンと、合図の様にエドワードが指を鳴らせば。もう何度目かの視界の歪みが起きて。そんな景色の変化よりも――温かい手の体温や顔の熱さが気になってしまうナタリーだった。
◆◇◆
「ナッ、ナタリィィ~~~!無事かい?どこにも怪我なんてないな?」
お父様がいたのは、豪華なシャンデリアが光るエントランスで。ナタリーがエドワードと来たのを見るや否や、突撃するような速さでナタリーを抱きしめる。もちろんエドワードから離すように、距離も取って。
「ほっほっほ…心配はいらぬと言ったんだがな…」
「ふふ、微笑ましいですわ」
生暖かい目線を国王と王妃から向けられている。何を話したかは分からないが…いつものお父様の振る舞いが許されているのからして。きっと楽しい会話をしたのかもしれない。
だからきっと、あの目線はお父様の態度に引いていない…目のはず…。
「お父様、私は無事ですわ…」
「ううっ、こんなにも離れてしまうなんて…父さんの心臓いくつあっても足りないよ」
「ほ、ほほ…お、大げさですわ…」
ナタリーは一応、国王などの手前を考えて…あくまで今のは比喩ですよ…という雰囲気を出しておく。いつもはもっとしっかりした父なんです…と。
「令嬢よ…今日はエドワードと城下町を楽しめたか?」
「はい!とても」
「ほう…それは良かった」
父に抱きしめられながら、ナタリーが言った答えに満足しているようだ。頷きながら「もう夜になったから、滞在を許可しようと思ったのだがな…君の父に断固拒否されてな…はっは」と、ちょっと怖いことも言って。
「そ、そうなのですか…」
「ああ、ペティグリューは裏表がないことが良く分かった…他にも、まあ…少しは見どころが…あった気もするな…」
「そう、なのですね…?」
どこか歯切れが悪そうな国王に、あれ?と思ったが。お父様に急かされるように、「早く帰らないと、母さんが心配するからっ!」と言われ。
「あら…!確かに」
「だろう?…で、ではっ。この度はお招き頂き、誠にありがとうございました」
お父様が帰りの挨拶をすると。王族の面々が、見送ってくれて――だいぶ過分な親しい対応をされているような気もするが。そこはあまり深く考えすぎず…ナタリーは綺麗なカーテシーをして、踵を返す。
「うむ…気を付けてな」
「またね…ナタリー」
「お姉様、またね~!」
「え、ええ」
第三王子の言葉に、お父様の耳がぴくぴくっと動いた気がするが。どうにかやり過ごし、父と共にペティグリュー家の馬車に乗り込むのであった。
そうしてナタリーが城から姿が見えなくなると。
「っふ、あの家は…面白いな。なにより、損益よりも娘を大切にするようでの…エドワード、心してかからねばなるまいぞ?」
「ええ、もちろんです」
「…ほお、そうか。それなら…いいのだ」
現王ではなく――腹の底が見えない、父と息子のそんな会話があったとか。
◆◇◆
――舞踏会が終わった時と同じ時刻。
父と共に馬車に乗っていれば、道中で。「あの国王は腹黒だ!」、「王子に触られ過ぎてなかったか?」、「父さんな、ナタリーがどれだけ可愛いかを言ってやったんだ!」など…王城に残って起きたことを話してくれた。
そのほとんどが、ナタリー関連な気もするが。ただ、無礼ともとられかねない父に――優しく対応してくれたので。
(意外と…王家は優しいのかしら?)
お父様のせいで、少し変な勘違いをしていた。しかし、そうした話題に尽きないお父様と話していれば。見慣れた風景が見え、屋敷に戻ってきたのであった――。
◆◇◆
「あなた!ナタリー!おかえりなさい」
「お嬢様!おかえりなさいませ」
屋敷では夜遅くまで起きていたお母様と使用人たちが出迎えてくれた。一日しか経っていないが――やっと帰ってきた気もして。
「ただいま」の挨拶をして、自分の部屋へと戻るのだった――。
◆◇◆
「…閣下は、まだ起きていないわよね?」
「はい…」
「そう…」
自室でミーナにそう聞けば、どこか予想していた答えが返ってきて。暗く沈んだ気持ちが生まれる。
「今日…最後に、閣下の様子を見て寝ようかしら」
「それならば、ご案内しますね」
「ええ、お願い」
うなされている彼ばかり見ていたから――どうか安眠できるように、様子を見たいと。そう思ってナタリーは、ミーナと共にユリウスが眠っている部屋へと向かってみれば。
相変わらずまぶたを閉じて…眉をひそめる彼の姿があって。熱はないだろうか、どこか苦しいのだろうか…と窺っていたら。
「…ナ、タリー……き」
「え?」
なにやら自分の名前を呼ばれた気がして。確かめようと、彼に近づけば――。目をつぶりながら、確かに「ナタリー」と繰り返し、かすれるように声を出していて。
「どうしましたの?苦しいのですか…っ?」
助けを求められているのかと思い。声をかけながら、言葉を良く聞き取ろうと――もっと近づけば。
「……リ、アム、お……か」
「………リアム…?」
その名前をナタリーは良く知っている。
なんなら、今初めて口に出したかもしれない…その名前。
その名前を認識した瞬間、言葉を上手く喋ることができない程、身体が震え始めて。それ以外の言葉はよく聞き取れなかったが――そんなこと関係なくて。
――どうして、私が生んだ子の名前を…目の前の閣下が、つぶやいているの……?
ありえないものを見たように、大きく目を開けてユリウスの顔を見れば。
ずっと待ち望んでいたはずの――彼のまぶたがうっすらと開いていき。おぼろげな彼の視線と、目がちゃんと合ったのだった――。
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