26
突然聞こえた悲鳴に、エドワードとナタリーは立ち上がり。その声の場所へ、目を向ければ。そこには、汚れほつれた衣服を着る女性が――幼い少年を抱いて地面に座り込んでいて。
その女性を追い払うように、対面には扉を少し開けた――白衣を着た男性が睨んでいた。
「…こちらも、金がないと治療を施せないんだ。すまんが諦めてくれ」
「そ、そんな…。この子、一昨日から熱が引かなくて…どうか…」
「金がないことを恨むんだな…」
女性が大事に抱える子どもは、確かにぐったりとしていて。しかし、男はそれに取り合わず…扉がバタンと閉まってしまった。きっと、あの男は医者で――あそこは診療所なのかもしれない。
閉じられてしまった扉に、絶望の表情を女性は浮かべ。目からは…はらはらと流れる涙があった。
「……未開発地域は、貧困層が多くて、ね。可哀想だけど、僕らが関与したところで根本的な解決はできない」
エドワードは暗い声で、“お金がなければ、治療を受けられない”現実を語る。また、一時の助けでは意味がなかろうとも。結局…貧困のため、再び病にかかってしまうのだと。
「だから、ここから立ち去ろう―――ナタリーっ?」
自分に声をかけるエドワードに気づきながらも。ナタリーは無言で、ずんずんと母子の所へ近づいていく。
「…その」
「…うっ、うう。なん、で、しょう、か」
相変わらず、具合の悪い子どもを抱えている女性は落ち込んでいる。自分たちに近づいたナタリーに対しても、なりふり構わないようで。
「…あなたの子を、私に診させていただけませんでしょうか」
「…え?」
「私、癒しの魔法が使えますの。どうか、あなたの子を治療してもよろしいでしょうか」
母親は、まさか我が子を治療してもらえるとは思っていなかったのか――きょとんとしていて。ナタリーのことをじっと見つめる。そこには不安、疑い、焦りが混じっていた。
「…突然のことで、怖いですわよね。だから…本当に私が、癒しの魔法を使えるのか…あなたの…腕の怪我で見てもらってもいいですか?」
自分の魔法が自身に効かないため、もしよければなのですが――。そう、ナタリーが母親に提案すれば。母親は、藁にも縋る気持ちだったのだろう。それならば、といった形で…彼女は、ボロボロの衣服から見えていた傷――腕を出した。
ナタリーは母親に近づきながら…その場で座って――彼女の腕に手をかざして、癒しの魔法をかけた。
すると、みるみるうちに――切り傷のような痕が修復されるように、消えていく様子が分かった。それを見た母親は、ナタリーにすがるような瞳を向けて。
「そ、そのっ…私、このくらいしかお金がなくって…この子を治療…」
「…お金はいりませんわ。私のお節介ですもの」
どうにか我が子の治療をしてほしかったようで、数枚かの銅貨を出してきたが。それを見るだけでも、ナタリーの胸は苦しくなる。目の前の苦しんでいる子どもをどうにかしてあげよう――と思い。
早速、母親と同様に子どもの身体をなぞるように手を差し出す。腰の関節、肺、頭の順に、熱の根源を鎮め、癒していけば。苦悶の表情を浮かべていた子が、眉から力を抜き…安心したような寝息を立て始めたことがわかった。
「あああっ、ほんとうにっ?」
「ふう…これで熱はなくなりましたわ」
ナタリーが治療を終えたことを伝えれば…母親は、本当に嬉しそうに。わが子の額や身体を撫でて――熱が無くなったことを確認する。
「よかった…本当によかったわ…なんとお礼を言えば…っ」
「ふふ、私もお子さんの熱が下がったこと、嬉しいですわ――それと、あなたも疲れが身体に出ているようだから」
「え…?」
ナタリーは、我が子を抱きしめる母親の肩に手をあてて。癒しの魔法をかけていく。疲労をなくすように、元気になりますようにと。その効果を感じたのか、ハッと気づいた母親が。
「わ、わたしまで…ほ、本当にこれくらいしか…持ち合わせが…っ」
「…いいんですのよ。このお金は私に出さないで…この子とあなたのために」
「ううっ、ほ、本当に…」
「優しいお母様ですね…ですから、このお金でこの子に美味しいものを…食べさせてあげてください」
「あ、ありがとう、ありがとうございますっ」
感極まってしきりに涙を流す母親に、ナタリーは笑みを浮かべる。そうすれば、ほっと安堵した母親は何度も感謝を述べたのち。ナタリーに別れを告げ…彼女の子どもを背負って――奥の道へと歩いて行った。
「…あ!」
治療に集中していたナタリーは、エドワードをつい忘れていたことに気が付く。すぐさま立ち上がって、エドワードがいた場所に目を向ければ。ずっとナタリーを見守っていたのだろうか…こちらを見つめるエドワードがいて。
「申し訳ございません…お待たせしてしまい…」
「いや…」
エドワードは何か難し気な表情をしていた。眉をひそめて――。
「…君は、病院でも開くつもりなのかい?」
「…え?い、いえ…」
ナタリーにそう問いかけ――返事をすれば、また顔が険しくなる。声もどこか暗く。
「…なら、あの親子を魔法で治すことで、自分に酔いしれているのか?」
「え…?」
「僕も治してもらった手前、こういうのは気が引けるけど…」
エドワードは重い口を開くように。そしてナタリーに対面して。
「君の行動は、偽善なのではないか。すべての人を助けることではなく、自分が見えている人にだけ…手を差し伸べて」
「……」
「君の行動で、その後――あの親子が幸せな生活を送れるかは…わからないだろう」
鋭い言葉で…ナタリーの行動を言い表す。そして、「確実ではないことをするのは…不幸じゃないのか」とも話して。ナタリーが今まで気にしてなかった――隠していた部分を暴くように話した。そうしたナタリーの行動に対して意見を述べたのち。エドワードは視線を下に向け、押し黙る。
一瞬、時が止まったように感じるほど――静寂な雰囲気で。建物の間から照らす夕日でさえ、どこか冷え込んでいるような気分にさせてくる。この場の空気に耐えきれなくなったのか――エドワードが口を開こうとしたその時。
「そうですわ」
「…え?」
「私の行動は、偽善なのでしょう。でも…それで構いませんわ」
(そう、私は神さまには…なれないわ)
自分の中で覚悟を決めたように…。ナタリーは自分より、上にあるエドワードの顔を見て。視線を合わせる。
「…私が見える範囲で、助けられる人を助けて――可能性を広げたいのです」
「可能性…?」
「ええ、死んだら…もう、幸せなんて考えられませんわ」
「……」
生きていれば、その人が幸せになるかもしれない…そんな可能性をナタリーは話す。
確かに、一度死んだ自分が言うのは皮肉な気もする。しかし、二度目の人生で生きているからこそ…両親が元気に笑ってくれている、ミーナが楽しそうにしている。
みんなと生きて話せることが、こんなにも大切だと――気が付けた。
死を決心した時は――幸せなんてなく、絶望しかなかったからこそ。
「生きるのだって…もちろん苦しい時はありますわ。でも、生きていれば…幸せに向かって…歩むことができますもの」
「……」
「甘い考えですが――私は、そんな思いで魔法を使っています」
ナタリーの言葉を聞いて、エドワードは目を大きく開けて――見つめるのみ。その瞳からは、色んな感情が混じっている気がして――。ふいに、視線に耐えきれなくなったのか…エドワードが目をそらす。
「…そう、か。…ああ、もう日が暮れ始めているね」
「…あら、たしかに」
「今日はここまでにしよう…城へ戻ろうか」
「は、はい」
エドワードはどこか遠慮気味に、手を差し出し。「お手を」と言い、ナタリーが触れるのを待った。特に拒否することはなかったので、そのまま手を重ね――二人は王城へ帰っていった。
◆◇◆
現在ナタリーは、きらびやかな王城の応接間にいる。というのも、エドワードと帰った後…まだお父様は国王につかまっているようで。実際のところはわからないが――思いもよらず話が弾んでいるのかもしれない。
そのため、お父様が解放されるまで――応接間に通されたのだ。そんな父を待つ…ナタリーの髪色はいつもの色に戻っていた。それは、エドワードが城に帰還次第…魔法を解いてくれたみたいで。
そしてエドワードは、魔法を解いたのち。用事があるのか、その場で別れることになった。彼の表情は、どこか虚ろな感じで。
(…殿下に、言いすぎてしまったかしら)
ふと冷静になれば、不敬罪とでもとれそうなほど――王子に対して自分の主張を言ってしまったことに気が付く。ヒヤリとした汗が背中に流れ。落ち着くために――出された紅茶を飲む。
「うーん、お父様…遅いわ」
王城に仕える使用人が出してくれた…お菓子や紅茶を飲んで――数刻は経っただろうか。全然帰ってこない。先ほど、使用人が…「もしお時間がありましたら、庭園でも――今は、ダリアが見ごろですので」と、お勧めしてくれたことを思い出す。
お父様はすぐに帰ってくると思っていたナタリーは、ここで待っていたわけだが――。一向に帰ってこないし、ずっと応接間のソファに座っているのも――身体が凝るのだ。
(せっかくですし…お庭でも見ましょうか)
ナタリーは、庭園に行くべく――応接間から出た。
◆◇◆
「あら…?」
舞踏会の時も、行ったので迷わず庭園に着けば。先客がいた――それはモフモフした金色の大きな子猫と。
「あは、お前は気持ちいいねえ」
「にゃ、にゃっ」
幼い第三王子がいた。彼は、楽しそうに獅子様と触れ合っていて。邪魔しては悪いと思い――そっと立ち去ろうとした時。
「あっ!ナタリーお姉様?」
「へっ?」
名前を呼ばれ、思わず振り返れば…第三王子と目が合った。いやそれよりも。
「国の太陽にご挨拶を――」
「わあ!お姉様だ!えへへ、挨拶なんていらないのに」
「にゃあ」
王子を意味する太陽という言葉で、正式な挨拶をしようと試みたが――その前に第三王子によって止められ。加えて大きな子猫が走ってきて…ナタリーの足元でゴロゴロし始めた。
「…えっと、お邪魔をしてしまいましたか?」
「え?ううん。全然!」
「そ、そうですか…そのお姉様というのは…」
「うん!ナタリーお姉様!」
どうしてお姉様と呼ぶのか…と聞きたかったが。第三王子の中では当然のように、そう呼ぶだけで。答えは返ってこない。困惑しながらも、見つかってしまったのだから。切り替えて、お喋りでもしようか――と思っていれば。
「ねえねえ、お姉様」
「は、はい」
「お兄様と…喧嘩でもしたの?」
「…え?」
第三王子から言われた言葉に、ナタリーは驚いた。喧嘩なんてした覚えはなく――不敬罪のことしか頭に思い浮かばず…。そんな困惑を察したのか、第三王子はナタリーを見上げ。
「…あのね。お兄様…悩んでるみたいなの」
「……」
「もしお姉様と喧嘩したわけじゃないなら…いつもの苦しいことなのかな」
「苦しいこと…ですか?」
わけがわからず…思わず、そう問いかければ。第三王子はこくりと頷き。
「うん、ぼくもね…難しいことわからないから…だけど」
「…はい」
「だんだん、お兄様ね…変な笑顔ばっかりになったの」
「変な…?」
やっぱり、わからない。しかし、そうしたナタリーの混乱には気づいていないのか…第三王子は、口を開いて。
「お顔は笑っているのに…苦しそうなの」
「……」
「しかも今日は…お顔もね、苦しそうで」
エドワードの病――毒による不調はフランツの所で癒したはずで――。また再発でもしたのだろうか。そうナタリーが悩んでいれば、小さな手がナタリーに触れる。
「へ?」
「でもね、お姉様とお話ししてるとね。楽しそうなの」
「そ、そうなのですね」
「うん。だから、お兄様とお話ししてほしいの…ぼくじゃ、だめだから」
それはどういうこと――と聞く暇もなく。ナタリーの手をぎゅっと掴むと。見覚えのある視界の歪みと共に――景色が一変した。
そこは先ほどの庭園とは違う――また別の花園のようで。花々に囲まれながら――多くの小さな獅子様が寛いでいて。
その空間の中央にある芝生に、背中越しだが――頭に手を置いて座っているエドワードがいた。それを確認すると、第三王子が手をはなして…「お姉様…お願い」と懇願するようにこちらを見る。
「は、はい」
その瞳を見て、ナタリーは彼のお願いに絆されたのと…。毒の再発かもしれない「苦しみ」の原因を探るべく、エドワードに近づけば。
足音で気が付いたのだろうか、エドワードは瞬時にこちらを振り向き――。
「ナ、ナタリー…?」
戸惑う彼の目には…涙があふれていて。どうしてと思う前に…そんな瞳とばっちり、目が合うことになった――。
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