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「…死んだほうがましですわ」

「…なに?」


冷ややかな視線が二つ。一つは公爵家に嫁いでからずっと…もう一つは数年前から。毎日のように私の方へ向けられていたものだった。暖炉も完備された豪華な執務室に、その視線はとても対照的で――物のほうが温かいなんて、本当に皮肉だ。


「このままここで暮らし続けるより、死んだ方がましって言いましたの」

「………」

「…はぁ」


妻を一切顧みない夫。それどころか、嘲笑し冷遇してくる男ーーそれが、公爵という肩書きを持つユリウス・ファングレーという人物だ。ため息をつき、こちらを侮蔑してくるのは私が産んだユリウスジュニア…名前は、呼ばせてもらえていない。


「仮にもお母様なのですから…わがままは、お控えください」

「…ごほっ…生意気な坊やは黙ってくださいませんこと?」

「なっ!?」


わがままなんて軽い気持ちだったら、平和だっただろうに。嫁いでから女主人に従わないメイドたちに、息子を産んだら取り上げられ…息子は母親を蔑むクソ人間になった。食事もまともに出されず、気づいたら変な咳が止まらない。医者を呼んでも治らず…ずっと体調が悪い。


最低限の生活もできない、居心地も最悪なこの環境。このままずっと耐え続けるのは…もう無理だった。だから文句を言いに、加えて離縁を申し込みにきたのだ。


「…はっ」

「…なにが、ごほっ、おかしいですの?」

「文句だけは一人前だと思ってな」

「はい?」

「できもしないくせに、死んだ方がましだと?」

「……」

「そう言えば、金が貰えると思ったのか?…とんだアバズレだな」


離縁を申し込もうと思ったのに、あんまりな言葉で絶句してしまう。輿入れしてから、言いなりになっていた私がどうしてーーまあそれがいけなかったのだろう。漆黒の艶やかな髪にルビーのような輝く瞳を持つ、美貌の旦那様に何も言えなかった私が悪いのだ。


「…そうですか、げほっ、そんなにおっしゃるのなら離…」

「ふん…そんなに言うのなら、即死の異名を持つ短剣を貸してやろう」

「はい?」

「言葉通りに、死んでみろ」


そう言って、目の前のクソ男は鞘に入った小ぶりの剣を投げて寄越してくる。それを見ていたクソ男と瓜二つなジュニアも鼻で笑いながら、見つめてきて。


(ほんっと頭にくる!私のことどこまでバカにすれば気がすむのかしら)


床に落ちている短剣に視線をやる。人は絶望やら怒りが頂点に達すると、思い切りがよくなるようだ。まさに今の私みたいに。


「まあできないだろうが…は?」

「えっ」


二人の男が、ぎょっとした目でこちらを見る。結局生きていたって、もうドン底だ。生きるのにも疲れた私は、素早く短剣を拾い鞘から取り出しーーありったけの力を両手にこめて。


「だいっきらい!あなた方を…憎みますわ!」


そう啖呵を切って、私は短剣を自分の胸に振り下ろした。強烈な痛みと共に、眩む視界、制御の利かない自分の体。


「ごっ、ほ…」


(お父様、お母様…本当にごめんなさい)


脳裏に浮かんだのは、自分を愛してくれた亡き二人の顔。現実からは…耳元で大きな足音や声が聞こえた気がしたが、最後まで不愉快に尽きる音だった。もう息子なんて、そもそも夫なんていらない。こんな惨めな人生なんてーー元伯爵令嬢のナタリー・ペティグリューにとって、こりごりだ。


真っ暗に染まる視界の最期に、ナタリーを慰めるかのように胸元の短剣がキラリと光った気がした。


◆◇◆


「あらっ!?」


朝陽が眩しいと思い、パッと目を開けたら不思議なことが起きた。間違いなく胸に剣先を刺したはずなのに、どこも痛くない感覚。そしてなにより、寝心地の良いこのベッド。


「ど、どういうことなのかしら…?」

「あっ!お嬢様、もうお目覚めなのですね」

「えっ…」


扉からゆっくりと入ってきたのは、長年ペティグリュー家に仕える侍女だ。幼い頃からナタリーの面倒を見てくれてた優しいーー。


「ミーナ?」

「そうですよ。あら、お嬢様そんな驚いた顔をして、このミーナのことを忘れてしまったのですか?」

「……っ」


最後に見た痩せ細りながらも、私のことを優先していたあの頃よりもずっと若々しくて。あまりの懐かしさに涙がにじむ。


「おっ、お嬢様!私何か失言してしまいましたか?」

「ううん、全然よ…ただ嬉しくて」

「……?」


ふわふわな金髪を二本のおさげにしているミーナ。公爵家に嫁ぐことが決まってからも、一緒に付いていくと言ってくれて…。ただ、突然病で倒れ帰らぬ人になってしまったミーナ。


「うーん、変な感じですが…あっ!それよりも早く支度を!朝食に間に合いませんよ」

「もう、天国にいるときくらい…そんな慌てなくても」

「何をおっしゃってるんですか!ほら」


ミーナが私の背をぐいぐいと押して、ドレッサーの前へ着席させる。そこに映っていたのは、まぎれもなくーー。


「あらあら、若い私ね!」

「もうっ!まだ寝ぼけてるんですか!」

「ちょっとミーナっ、冷たいってば…ふふっ……ん?冷たい?」


ミーナが水を含んだタオルで、私の顔を拭ってきた。そこまでは良かったのだが、感覚がちゃんと伝わってきたのだ。天国にしては、だいぶリアルだ。


「えっ?イタッ」

「…お嬢様、いったい何の遊びですか」


ためしに自分の頬を勢いよくつねれば、とても痛くて。夢でも天国にいるでもなければ、これは。


「ミーナっ!今っていつ!?」

「ええ?お嬢様本当にどうしちゃったんですか?今は帝国暦886年ですよ」

「……へ」


結婚した年は888年だった。ゾロ目で覚えやすくてーーしかし聞こえてきたのは、その年より前。それが意味するのは…。


あの苦しみに耐え続けた日より、12年も前に遡ってるということで。


「わ、わたし、18歳よね?」

「そうですよ!当たり前なことをどうしたんですか?」

「い、いったい」


どうなってるのーーという私の問いも虚しく。ミーナにテキパキと準備をされるがままに、私の脳の処理は止まってしまったのだ。



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