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176

作者: 遥々岬


「なにしてるん」

 畳に寝転んで1,2,3,と指さしをしていると、外で遊んでいた従兄のカズ君がこっちにやって来て、訝しげな顔で私を見下ろした。近所の男の子と取った抜け殻の数を競っていたんじゃないのかい。

「襖の”マス”を数えてたんよ」

「176」

「あ、あ〜。縦かける横やったでしょ〜」

「やってない。秋兄が言ってたんだよ」

「ズル〜い」

「ズルも何も、一つ一つ数えても3日経ったら何枚あったなんて忘れるくせに」


 小さい頃、祖父母の家で過ごした記憶を断片的に覚えていた。

 祖父母の家の近所に住んでいる友達の名前は完璧に分からんくなった。一期一会みたいな付き合いだったし、友達っていうんかは分からんけど。

 でも、ばあちゃんちの畳の縁が水色の部屋の襖のマスの数が176枚あるのだけは覚えている。夏が来ると思い出すんよ。あの部屋の襖のマスは176あるって。それを覚えていて何になるかって? なんにもならんでしょうね。

 墓参りして、冷麦食べて、お祭りに行って、夏だけの友達と遊んで、それを毎年繰り返すんよ。

 爺ちゃんちに行けば絵日記が良く捗ったわ。


 毎年、同じ夏だったよ。

 昼飯にさ、冷麦は爺ちゃんが茹でてくれるんよ。婆ちゃんが死んで直ぐの頃に、爺ちゃんが茹でてくれた冷麦は茹で過ぎだったし、すぐ水に晒さんかったから麺と麺がくっついていて、正直いって美味しくなかった。

「冷麦」

 でも、不味いって、誰も言わんのよ。

 茹ですぎだよ〜とかは言ってもさ、美味しくない事は爺ちゃんが一番知っているから。だーれも言わん。言えんかったんだよね。

「茹でるの上手くなったよなあ」

 まあ、ねえ。自分でやっていかなきゃいけなくなったんだし。それにさ、爺ちゃんは元々料理が出来るって父さん言ってたんよ。母さんと婆ちゃんが出掛けた時は爺ちゃんがチャーハンを作ってくれたんだっけ。婆ちゃんより美味しいかって言われたら、そりゃ、私は素直な子なもんで頷けないんだけどさ。

 あの日、野菜がたくさん入ったチャーハンを作れる爺ちゃんが冷麦を茹でるのが久々だった。

 なるほど、婆ちゃんは爺ちゃんを台所に立たせなかったんだろうね。

「そうそう、夏の思い出って言えば他にもあってさ。庭に生えてるまあまあ大きな木の根元がさ、小人が出入りしていそうな穴が空いててさ、そこに、私、アイスのアタリを入れてたんよ」

「ああ、俺も結構貰ったよな」

「あげたね」

「なっついな~」

「夏だけに?」

「しょーもな!」

 お供え物の真似っていうのかな。子供の頃は、神社さんにある神木みたいに全ての木に神さまが憑いているんだと思っててさ。"良いもの"を木の穴にお供えしていたの。

 でもさ、それは結局それはやめたのよ。沢山集まったアタリの棒は友達にもあげちゃってさ、その年の内に使い切ったんよ。

 思い返せば、あの年は婆ちゃんが死んだ年だったっけね。

 子供ながら、神さんに良い事をしていたのに意味なかった、とでも思ったんかも。

「カズは今日来れないの?」

「ん~、夜中こっちに向かってくるんだって」

「ふ~ん」

「伯母さん言ってたよ」

 近所の友達は夏限定の付き合いだった。

 高校生になる頃には、その子らの話はおばちゃん達から母さんが話を聞いたのを、更に私が聞いていた。特別に悲しい事もなかったよ。その子らが実家に帰って来ているのを見掛けるけど、声をかける程の付き合いでもないわけ。あ~、あそこんちの子、バイク乗ってんだ~、くらいにしか思わないのよ。子供同士の付き合いなんてさ、1日限りも珍しくないでしょ?

「携帯持ってる奴なんていなかったもんなー」

「そうそう。母さんから聞く近況も、ふーんって感じなんだよね」

「分かり味が深い」

「あは、なにそれ」

 私だって爺ちゃんちに帰れない年があるから、名前も思い出せない子供の事は然程気にならなかった。

 そうして時間だけは進むもんでさ、夏になると集まっていた親戚の中で誰かが死ぬとさ、今まで、夕飯は座卓に狭苦しく並んで座ってさ、みんなでご飯を食べていたのに、いつしか、誰かの肩や肘とぶつかりながらご飯を食べなくても良くなってさ。なんだろ〜、ある時、フと寂しさってもんを感じたよ。


 一本の煙が近くまで漂って来て、猫じゃらしに絡まれるように鼻がムズムズとした。


 友達がどっかに行こうが、親戚の誰かが死のうが、それでも、あの家で過ごす夏は大して変わらなかった。私にとって、はだけどね。

「水色の縁の畳部屋の襖のマスは何枚だったでしょうか」

「なに? 突然じゃん」

「問題だよ」

「覚えてないって。ん~、120くらい?」

「ぶっぶー、176枚でした」

 ただ、夏が近くなると、あの部屋の襖のマスは176枚あるって、毎年、思い出した。

 私にとってはさ、あの部屋の襖のマスの数が変わらない限り、あの家で過ごす夏は変わる事がないのだろうね。

「よく覚えてんなあ」

「秋兄ちゃんに教えてもらったって、カズ君が言ってた」

「おれぇ?」

「なに、本人が覚えてないんかい」

「暇つぶしに数えていたのを揶揄いついでに和寿に言っただけだろうね」

「……ま〜、そんなもんだよね」

 久々に会った秋兄ちゃんと会場の後ろから爺ちゃんの写真を眺める。良い写真があったもんだ。爺ちゃん達って集合写真とか記念写真って沢山持っているよね。

「此処に来ても、もう帰る場所は無くなったね」

「まあ、墓参りくらいにしか来ないわな」

 私と従兄弟達の関係は、自分達が携帯を持とうが、親ありきの関係だった。だから、これからはあまり会う事がなくなるのだろう。彼や私が結婚をする時、又は身内が死んだ時にこうして会う事しか無くなるのだろう。


 私らが住んでる所からは遠くにある祖父母の家は壊される事になったらしい。古い家だし、直して売るより、壊して土地だけ売った方が良いんだって。

 親がやっている事だからあんまり分からないけど、勿体ないって思った。良い家なのにって。

 でもさ、それって、身内贔屓? 贔屓目? まあ、そういうもんなんだろうね。

「あ、和寿来たんじゃない? え、泣きながら来たんかアイツ」

 リュックを背負ったままのカズ君が鼻をグズグズとさせながら会場に入って来た。秋兄ちゃんはそんなカズ君の所に行って、リュックを椅子に置かせて肩をポンと叩いた。先に線香をあげてやれ、とでも言ったのだろう。

 自分だって人のこと言えないのにね。

 まあ、そんな私も、目元がヒリヒリするわけなんですけど。


 襖のマスの数は176枚。

 いずれ、”襖のマスの数”と”枚”が消えて、私の記憶の中には176しか残らなくなるのだろうか。

 細かい所まで覚えていられなくたって、仕方ないし、この際は良い。

 ただ、あの夏を覚えてられるなら良いって事にするよ。

 流れる汗をそのままにして、畳んだタオルで低すぎる枕を作って、その上に頭を乗せて指差しをしながら一つずつ数えていたのに”せこい”事をして知った襖のマスの数。あの部屋の襖のマスの数が本当に176枚あったのかは分からなくなってしまったけど、こうなってしまえば、あの部屋の襖のマスは誰がなんて言おうが、176枚なのだ。


「冷麦、食べたいなあ」





 

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