此岸 6
「ありがとう。協力者がいることに越したことはないし、やはり面識のある者がいた方が成功率は上がるからな」
「でさ、夢の世界に入るって、一体どうやってやるんだ?」
「そうだな、少しでも時間が惜しい。さっそく実行に移すか」
そう言うとトコマは一度その場に立ち上がり、おもむろに上着のポケットを漁った。そしてあずき色の巾着袋を取り出すと、中から一本の紐のような物を出した。それは何かの動物の皮で作られた、こげ茶色の装飾品であった。よく見ると三本の細い皮紐を編んだ作りになっており、そこに小さな赤色の石が幾らか編み込まれている。芸は細かく、安っぽさは全く感じない。
俺はそれを受け取ると手で触り、よく観察してみた。
「ブレスレット? 首輪? これをどうするの?」
「それはオーブリンクという道具だ。それをマスターに身に付けさせ、そしてチェイサーになる者がEサークルの範囲内で身に付けることにより、ドルーフィムーリドに進入することが可能となる」
「マスターというのが獏に巣食われた人、つまり今回の場合は小田留で、チェイサーというのがそこに入って行く人、つまり俺たちってことでいいね?」
俺は突然出てきた専門用語を前後の会話の内容から予想し、確認するように聞いた。
「すまない、まだ説明をしていなかったな。それであっている。ちなみにさらに詳しく言うと、私のような存在はチェイサーであると同時にナビゲーターと呼ばれている。能力を使い、一般の者を導くという意味合いだ。Eサークルというのはドルーフィムーリドに潜入することの可能な有効範囲だ。マスターから離れ過ぎると潜入できなくなる。有効範囲は人によって異なるが、通常一キロ前後だ」
「なるほど」と、とりあえずは言ってみたが、一体どういう反応をすればいいのか正直よく分からない。
「とりあえずはオーブリンクを小田留のどこかにつけてやってくれ」
「どこがいいんだ? 手首に巻きつければいいのか?」
「手首だと気付かれ、取り外されてしまう可能性が高い。首も同様だ。足とかでいいんじゃないか?」
「分かった」
そう言うと、足元付近の布団をめくりパジャマのズボン裾をたくし上げる。しかしその行動を見たトコマは俺に対しこう指摘した。
「違う。足首ではない。太もも付近だ。足首では布団を整えたりする際にばれてしまうではないか」
「え? 太ももって、じゃあズボン下ろさないとだめじゃん」
「下ろせばいいじゃないか」
これを聞いた俺は躊躇してしまう。そんな俺の様子を見たトコマが強い口調で言った。
「早くしろ。小田留を助けたいんだろ」
「分かったよ! やるよやる! やりゃーいいんだろ!」
俺は布団をさらにめくり、小田留のズボンをゆっくりと下ろした。そしてなるべく見ないように意識しながら、太ももにオーブリンクを巻きつけた。作業を終えた俺はすぐさまズボンを上げ、布団をかけた。
「これでいいのか?」
「問題ない」
次にトコマは件の巾着袋より古風な、金属のみでできた糸切りはさみを取り出した。
受け取った俺は例のごとく質問を投げかける。
「これは?」
「マスターの体の一部が必要なんだ。それで小田留の髪を幾らか切ってくれ」
「え? 髪を切るって、それはさすがにいかんだろ」
「将陽よ、聞いてくれ。これは必要条件なんだ。小田留は君にとっての大切なんだろ? だったら私ではなく、君がやるべきなんだ」
俺は小さく溜息をつく。そして仕方がないといった感情を抱きつつも、心の中で小田留に謝りながら、十本ほどの髪を切り取った。
その行為を確認したトコマは、両手に持った白い和柄の布を俺に差し出した。それは、受け取れ、という意味ではなく、髪を布の上にのせろ、という意味なのだろうと俺は解釈する。
小田留の髪をそこにのせると、トコマは丁寧に折りたたみ、大切な物を扱うような振る舞いで巾着袋の中にしまった。その一連の動作はとても手馴れており、どことなく熟練を感じさせるものであった。
この時だったのかもしれない。もしかしたらトコマの言っていることは本当なんじゃないだろうか? と、そう思ったのは。少なくともトコマの所作、表情からは、本気の念を感じざるを得なかったといえる。
ふと俺は、トコマが俺たちに求める見返りについて気になってきた。そしてその疑問を解決するためにも直ちに口を開く。
「金はいくらかかるんだ?」
「金? 金は取らないぞ」
トコマは首を傾げた。さらりとした横髪が白い頬にかかる。
「取らない? 無料ってこと? じゃあ何でこんなことしてるんだ?」
「何でって、一応私は絵十清水というところに所属しているからな。そちらからなにがしかの報酬を受けるんだ。つまりあれだ。短期派遣みたいなもんだ」
「派遣とかよく分かんないけど、なんだかなー」そして俺は付け加えるように言う。「いや、やっぱり金は払うよ。成果報酬とかで。金を受け取ってくれないというのならば、やっぱり安心して任せることができない。金の行き来があって、はじめてしっかりとした責任が発生すると思うしさ」
「うん、まあ、将陽がそう言うのならば、受け取ろう。値段は全てが終わってから決めるかたちでいいな?」
「それでいい」
「よし、では行くぞ」
そう言うとトコマは椅子を元の場所に戻し、和傘を手に取り、颯爽と扉の方へと向かった。
「我々に残された時間は極めて少ない。細かな説明はおいおいしてゆく」
俺も席を立ち、椅子を片付け、もろもろの荷物を鞄の中へと放り込む。そして部屋から出る前に再度小田留の顔をのぞき込み、頭を撫でるように髪を整えてあげると、一言声をかけた。
「小田留、お前は死んでなんかいない。しっかり生きてるんだ」