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此岸 3

 病院は夕方の診察時間内とあってか人で混み合っていた。待合室のベンチは人で埋め尽くされており、溢れた何人かが壁際や柱付近に手持ち無沙汰といった面持ちで立ち尽くしている。受付カウンターの所にある電光掲示板はひっきりなしにその番号を重ねて行くが、全くといっていいほどに人の数は減らない。

 俺はそんな光景を横目に別館入院棟へ、小田留が眠る病室へと向かった。

 三階角部屋『317号室』、そこが小田留の病室だ。部屋番号の書かれたプラスチックのプレートの下に、『高松小田留』と書かれたシールが貼られている。ここは個室なので小田留一人の名前しかない。

 俺は念のためにノックをしてからその病室へと足を踏み入れた。

 窓が開けられているためだろうか、室内は思ったほどには息苦しさを感じない。明かりがつけられていないため若干薄暗かったが、俺はそのまま小田留の横たわるベッドの方へと歩を進めた。

 脇机に鞄を置くと、近くに立てかけられていた折りたたみ式の椅子を開け、腰を下ろす。

 静かだった。聞こえるのは冷たい医療機器の音と、時折窓から吹き込む風の音、そして規則正しいが弱々しい、小田留の寝息だけだ。

 俺はそのままの姿勢で小田留の姿を見た。腕は布団から出されており、右腕には点滴の針が、そして左腕にはギブスが巻かれている。尿を回収するための管がベッドの下へと伸びており、それを見た俺はどこかいたたまれない気持ちになった。

 顔の方へと視線を移すと、そこにはまるでただ眠っているかのような可愛らしい小田留の顔があった。この顔を見るたびに思う。小田留は死んでいないと。いくら社会的に死亡したという通告を受けたとしても、そんなものは絶対に信じないと。

 俺は両肘を両膝につくと、視線を自分の足元に落としたまま話しかけた。


「なあ、小田留。どうしてあの時俺を助けたんだ? 小田留なら分かってたはずだろ? 誰かを助けるために自分が犠牲になることの意味を。俺はさ、もうどうすればいいのか分かんないんだよ。こんな申し訳ない気持ちを引きずりながらこの先生きて行くことに、救いなんて見つけられないんじゃないかと思うんだ」


 俺は両手で顔を覆う。


「小田留にとって俺は一体どんな存在だったんだ? 俺はさ、小田留がこんな状態になって初めて気が付いたよ。小田留は俺にとって、とても大切な存在だったんだって。なあ小田留、答えてくれよ。なあ……」


 手をはなし、もう一度小田留の顔を見る。すーっと涙が滴った。俺はそれを服の袖で拭うと、無理やりな笑みを浮かべる。


「わるい、なんか暗い話しちゃって」脇机に置いた鞄に手を伸ばし、中から二つの弁当箱を取り出す。「今日は金曜日だろ? 今日は週に一度の、一緒に晩飯食う日だ。だから弁当を作ってきたんだ」


 小田留に向かい差し出すように見せるが、もちろん何の反応もない。俺は弁当をとりあえず脇机の鞄の横に置く。


「あとさ、三日なんだよ。あと三日で臓器を摘出する手術が執行されるんだよ。だからさ、多分これが最後の金曜なんだ。小田留との最後の食事になるんだ。だからさ……。だから……」


 頬に大粒の涙が流れた。


「頼むから目を覚ましてくれよ! 頼むよ……。お願いだよ……。頼む…………。頼む……」


 喉が震え、声が出せなくなってしまった。もうどうしようもできないような感情が一気に押し寄せ、あっという間に心の許容量を凌駕、あまりの絶望感に立つことはおろか、椅子に座っていることすらも困難になってしまう。


「そんなに悲しいのか?」


 女性の声が響く。

 とっさに声の聞こえた方へと顔を向ける。そこには先ほど交差点で出会った和装の少女がいた。少女は前で腕を組み、扉にもたれかかるようにしてその場に立っている。

 目の前が涙でぼやけていたというのもあったかもしれない。俺は一瞬、幻でも見ているんじゃないだろうか? と思った。そして目を擦り、もう一度その者を確認すると、やはりそこには先ほどの少女が立っていた。


「どうしてここに?」


 やっとの思いで発することのできた一言がこれであった。


「私もこの病院に用事があったんだよ。でもまさか、私にとっての用事が、君にとっての用事と被っていたとは思わなかったよ」


 俺は少女の言葉をうまく理解できず、訝しげな表情を浮かべる。


「君にとってこの女の子、確か高松小田留といったかな。この子とはどういった関係だ?」

「関係?」


 どのように答えればいいのか迷ってしまう。知り合い? 友人? 親友? 幼なじみ? 幾らかのワードが頭の中に浮かび上がったが、どれも今の俺の心理状態においてはしっくりくるものではなかった。だから俺は言った。正直に、今この時に、心の底にある言葉を。


「家族だ」

「家族、か。ならば話してもいいだろう」


 少女はそう言うと背を扉から離し、こちらに向かってやってきた。そして壁際に置かれていたもう一つの椅子を手に取ると、代わりにとでもいうようにその場所に持っていた和傘を立てかける。

 少女は俺の横にこちらを向いて座った。俺は小田留の方に体を向けていたので真横から見つめられるかたちになった。


「この弁当」脇机に置かれた二つの弁当箱に視線を落とす。「二つあるな。もしかしてこの子のために作ってきたのか?」

「ああ」俺は一言で答えた。

「よかったら私が食してもいいか?」

「いや、だから……」


 言おうとしたがすぐにやめた。そうじゃない。そういうことじゃない、と、すぐに理解したからだ。そして俺は弱々しい声で聞く。


「食べて、くれるのか?」

「気に障らないというのならば、是非」


 俺はそれに対し首肯で答えた。

 少女はさっそくと言わんばかりに弁当に手を付け始める。だが正直その様は、彼女の容姿見てくれに反し雑であった。箸の持ち方はなっていないし、ご飯粒はぽろぽろと膝の上にこぼすし、口のまわりはハンバーグのソースでベタベタだ。

 俺は鞄からティッシュを取り出すと、その少女の口元をぐりぐりと拭いてやった。少女はうっとうしそうな顔をしていたが、されるがままにしている。


「弁当食べてくれてありがとな。これで家に帰ってから捨てずに済んだ。『食べてくれたんだ』って、思うことができる」

「何を言っているんだ? 私はただ腹が減っていただけだぞ」


 少女はそう言うと、あごを上げ、シニカルな表情を浮かべながら俺の目をのぞき込んだ。


「それでもだ」


 それでいい。それぐらいの気持ちでなければ、俺は救われない……。

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