ドルーフィムーリド 2
飛行機のそばにはホログラム看板のような物が空中に浮かんでいる。興味をそそられた俺は恐る恐る手を伸ばしてみた。だがやはり貫通するだけでそれに触れることはできない。見た目通り、何らかの方法で空間に映し出された物なのだろう。
「そういえばなんだけどさ。獏ってどんな奴なんだ? この世界の中にいるのか?」
「獏はこの世界のどこかに存在している。夢の世界に入り、その空気を吸うことにより糧を得ているからだ。だがな、正直奴には会いたくない……」トコマは苦い表情を浮かべる。
「会いたくない? 何で?」
「マスターがこの世界を創造した神ならば、獏はその創造された世界を乗っ取った別の神なんだよ。柔軟さを失ったドルーフィムーリドにおいては、さすがに何でもかんでもできるというわけではないが、それでも人並み以上のことを平然とやってのけてしまう」
「人並み以上のこと?」
「その容姿を自在に変えたり、目にも止まらぬ速度で駆け抜けたりだ。獏にもよるが、強い者だと拳一つで岩をも砕くといわれている」
「岩をも砕くって……化け物じゃん」俺は息を呑み前で腕を組んだ。
「だからなるべく接触は避けたいんだ。どんな奴か? の質問に対する答えだが、残念ながらこれも分からない。獏がこの世界においてどのような容姿容貌を選んだのかは、結局のところ獏本人しか知らないからだ。ただし、どこら辺にいるのかは大体想像がつく」
「どこにいるの?」
「エクジット、つまり出口付近だ。先ほども説明したが、マスターのこの世界からの脱出はドルーフィムーリドの消滅を意味する。それは獏にとっては食いぶちを失うということと同意。そうならないためにも奴は、脱出の際マスターが必ず訪れるだろう最終目的地、出口付近に腰を据え、門番をしているんだよ」
「え? じゃあ最終的には必ず獏と合間見えることになるじゃん。しかも獏は超強いんでしょ? 倒せるの?」
「倒すというのは暴力で排除するということか?」トコマは不機嫌そうな表情を浮かべる。
「まあ、そういうことかな」
「戦闘や暴力といった行為はあくまでも最終手段だ。我々が優先して行うべきは、上から順に、隠密行動、話し合い、戦闘だ。なにも獏だって四六時中エクジットを見張っているわけではないだろう。隙を突いて通り抜けることができるのならば、それに越したことはない。もし見つかっても、話の通じる奴であれば交渉でなんとかなるかもしれん。まあ、こちらに交渉材料なんてものは、特にないわけだが」
「それでもだめなら戦闘ってわけか……」
「そういうことだ」
ふと時間が気になり辺りを見回す。広場の中心、尖塔の中階層付近に巨大でクラシカルな時計を見つけた。時刻は七時十分をさしている。これは現実世界での時刻と同じであった。しかしガラスドームの外には日の光に満ちた明るい空が広がっている。もしかしたらこちらの世界は、午後ではなく、午前なのかもしれない。ちょうど十二時間ずれているのであれば、目の前の状況の説明がつく。
俺はポケットから携帯電話を取り出すとアプリを起動、タイマーをセットした。制限時間を可視化し自分を追い詰めるためだ。時間は六十二時間五十分。手術の日時が月曜日の午前十時ということなので、これが正確な制限時間ということになる。
ちなみに携帯電話は圏外であった。念のために小田留に電話をかけてみたが、やはり繋がらなかった。
携帯電話をポケットへとしまったところで、俺は前方にとある人物を認めた。それは同級生であり、茶髪の頭をいつもツンツンにしている倉崎龍之介であった。なぜか彼は古い戦闘機を食い入るように見つめている。
俺は龍之介に駆け寄り声をかけた。
「お、おい龍之介。お前一体どうしてここにいるんだ?」
すると龍之介は妙に荒々しい口調で言った。
「なんだテメー? どうして俺の名前を知ってるんだ? あ?」
「え? どうしてって、俺と同じクラスメートじゃんか」
「あ? テメー一体何言ってやがるんだ? なんだよクラスメートって? 馬鹿かよ。意味分かんねーっつの」
その現実世界との余りの変容振りに、俺は驚き、閉口してしまう。
「なんだ? この者は将陽の知り合いなのか?」トコマが俺に聞いた。
「ああ、クラスメートのはずなんだけど、まるで別人みたいだ」
「まあここはドルーフィムーリドだからな。現実世界に存在する者がそのままの見た目で登場する場合はあるが、あくまでも夢の世界の住人だ。全く別の人と考えた方がいい」
現実世界に存在する者がそのままの見た目で登場する場合がある、という言葉を聞き、俺はとある疑問が湧く。それを明らかにするためにもさっそくトコマに聞いてみた。
「ということはこの世界に、別の俺が存在するかもってことか?」
「いるかもしれない。いや、いたかもしれない」トコマは意味深な表現で俺の質問に答える。
「どういうこと?」
「つまりだ、小田留の夢に将陽が登場していた場合、現実の将陽がドルーフィムーリドに潜入すると同時に、その意識が先に登場していた将陽の体に入るという風になる」
「じゃあもしもこの小田留の夢に俺が登場していて、そして例えばその俺がレストランのコックさんかなんかだった場合、俺はドルーフィムーリドに潜入すると同時にコックさんになってたわけか」
「そうだ」トコマは頷きつつ答える。
「登場していなかった場合は?」
「適当な所にランダムに現れる」
「ということは、俺は小田留の夢に登場していなかったってこと?」
「そういうことだな」
「それって寂しくね? 小田留にとって俺は、それぐらいの存在だったってわけ?」
「人間なんてそんなもんだろ」トコマは冗談っぽく鼻で笑いながら言う。