ぱたぱた
私、取手 窈がバイト先の神宮寺写真館に着いた時、応接室から口論をしている声が聞こえた。どうやら男性客らしい、写真館の主である神宮寺 清彦と激しく言い争う声が聞こえる。
普段から物静かで落ち着いた雰囲気の清彦氏が、感情を露にしているのも珍しく思う。いつもなら冷静で丁寧な口調なのに、今日は荒い口調で捲し立てているからだ。
そんな主の言葉に客も怒り心頭なのか、罵詈雑言で応戦している客も客である。
仮にもサービス業であるのなら、何をムキになって言い争う事など有るのだろうか?下手をすれば警察沙汰になりかねない。
かと言って、口論する二人の間に割って入る勇気もない。
そうは言えども客商売な訳で、別の客が来館した日には売り上げも店の評判も落としかねない。
それはそれで嫌なので、私は自分の荷物を自分のデスクに置くなり、給湯室へと向かった。
言い争いが収まるまで、嵐が過ぎ去るまでは此処で避難しようかとも考えたが…それが何の解決にもならない事はよく解る。
だから私は二人の口論を納めるべく、奥の手を使う事にした。
「お前の説明では納得できないんだよ!」
「それは理解力が足らないからなんだろ?」
まだまだ口論は続いている。呆れたものだ、応接室の扉の前でお盆を持ったまま、私は深く溜め息をついた。
コンコンと扉をノックすると、「どうぞ」といつもの清彦氏の声がする。収まった訳では無いのだろうが、私には粗暴な姿は見せないよう努めていた。
「暑いと思ってアイスコーヒーをお持ちしたんですが…いかがです?」
「気が利くね、丁度喉が渇いたんだ。」
清彦氏は中腰のまま私を見てニッコリと頬笑む。どうやら二人が言い争う内に、お互いの胸ぐらを掴まんばかりの勢いになったのだろう。
私がローテーブルにコースターを並べ、二人分のアイスコーヒーを差し出すと同時に、清彦氏はソファーにどっかりと腰を降ろす。
客を前になんて態度だ、と思うが私は敢えて黙る。
「清彦さんも少し落ち着かれたらどうです?」
そう言って客の方に向かい、ニッコリと微笑みながら「ね」と首を傾げてやったのだ。
「おい神宮寺!この可愛い女性は誰なんだよ!」
事もあろうに客は店の主を呼び捨てにしたのである。
それはそれで驚いたのだが、この客は初対面の相手に向かって臆面もなく「可愛い」と言い放ったのだ。
そりゃ私は褒められれば嬉しいが、恥ずかしさが勝っている。
「誰って…僕のアシスタント。」
清彦氏は前髪を掻き上げながらソファーに凭れ掛かった。苦々しい顔でアイスコーヒーを飲むのは、味が濃かったからではないと思う。
「けしからん、お前ばっかり良い思いしやがって…逮捕してやる!」
「出来るわけないだろ、この単細胞刑事が!俺は善良な市民なの!アルバイトが若いからと言って、何も疚しいことはしていないだろうが!」
また口論が始まろうとしていた。この二人はどういう関係なのだ?清彦氏はこの客を刑事と言ってるし…
「あの…すいませんがお二人はどのようなご関係で?」
またぎゃあぎゃあと騒がれても敵わない。二人が言い争う前に私から二人に聞き出すことにする。
「これは申し訳ございません!本官は県警に勤めております守山諭巡査と申します。」
守山と名乗る男はすくっと立ち上がると、私の方を向き、直立不動の姿勢でビシッと敬礼をしたのだ。
「…本当に警察の方なのですか?」
あまりにも酷ければ通報をしようとしていたのだが、頼む前にこの場にいるのも妙なものだ。と、言うかこの男が嘘を吐いている訳では無いのだろうが、私には胡散臭く思えたのである。
守山は背広の内ポケットから身分証を取り出すと、あまり大っぴらに見せられないのか中の写真と氏名を私にチラリと見せた。
確かに警察官ではあるらしい。
「守山は僕の大学時代の同期でそれ以上でも以下でもない。だからこいつにアイスコーヒーを出すなんざ無駄!無意味!」
仲が悪いのだろうか、清彦氏の言葉も刺々しい。
「何を言うか神宮寺!俺は仕事で来てるんだ!そうでなければお前の済ました面なんぞ見たくもない!
仕事なんだから客だろ?客!」
ああ、また喧嘩が始まる…訳の判らないまま巻き込まれるのも堪ったものじゃない。
寧ろ腹が立ってくるのは私の方だ。
「もう!二人して店で騒がないでください!」
喧嘩の原因は何なんですか!と、思わず私が一喝すると大の大人二人による口喧嘩がピタリと収まったのである。と、言うか私の気迫に押されたのだろうか?
守山刑事は我に返ると机に置かれた一枚の写真を取り上げると、チラリと清彦氏に目配せをした。清彦氏は阿吽の呼吸で頷くと、ホッとしたのか守山刑事は私に写真を手渡す。
別に…変哲もない一枚の写真である。和服姿の女性と詰襟の学生服を着た少年が、中学校の正門前の入学式の立て看板の前に並んだ写真。
春先によく見られる記念写真と言えば、それまでの構図だ。
「この写真がどうしたんです?別に…変わったところが無いと言うか…」
私はそう言って守山刑事に写真を返そうとすると、清彦氏が口を挟んできたのである。
「本当に違和感を感じ無いのかな?窈ちゃん、その写真の母親をもう一度よく見てごらん。」
「もう一度って…あれ?これなんかおかしいですよ?」
清彦氏の言葉に従い改めて写真を見直すと、清彦氏にの言う違和感とやらが私にも理解できた。母親の体の下半身が透けていたからである。
「なぁ、神宮寺、改めて教えて欲しいのだがどうすればこんな写真が撮れるんだ?何かトリックでも有るのか?お前はこの道のプロなんだろ?」
「何度も言わすなって、この写真にはトリックも何も無いよ。これはれっきとした心霊写真なんだ!」
つまりは写真館の主と刑事は、この一枚の写真を巡って言い争っていたのだ。
「だから何でこんな写真になるんだよ、他の写真データと合成したんだろ?」
「あのな、うちはアナログ専門なの。これはデジタル写真でもないしパソコンにデータを落として作ったものじゃない。第一、この写真をフィルムから現像したのはこの僕だからね。
それに…この女性はもう亡くなっているんじゃないか?」
それなら加工するためのデータは何時、どうやって撮影するんだ?と問われた守山刑事は押し黙ってしまう。
「窈ちゃんはこの写真を見てどう思うんだい?」
清彦氏はいきなり私に質問を投げ掛けてきたが、どう返せと言うのだろうか返答に困る。
「どうと言われましても…写真を現像した上で昔の写真を切貼りしたらどうです?もう一回フィルムに納めれば加工できませんか?」
だろ?と私の説明に守山刑事はどや顔をして清彦氏に顔を向けた。だがそんな答えも予想をしていたのだろう。「ふん!」と鼻を鳴らしたのである。
「同じ説明を繰り返させないで欲しいな。この写真を現像したのは僕でこの店だよ?この写真の前後にも同日撮影された物があるんだ。だから途中で写真を加工するためにフィルムを中断させられないよ?」
そう言って机上に散らばった資料の中からネガを抜き出すと、無造作にポンと放り投げた。
私がそのネガを手に取り、蛍光灯に翳して内容を確認すると件の写真は清彦氏の説明通り連続した写真の中の一枚として収まっている。それに女の人もはっきりとネガに入っていた。
「…写ってますね。」
「さっきからそう説明をしているじゃないか。だからこれは心霊写真なんだって。」
清彦氏はそう断言するも、守山刑事は納得しないの表情を浮かべる。しきりに唸ってばかりいるのだ。
「だが…お前がここに来たって事は、事件の捜査が進んでないって事だろ?」
カラン、とグラスの中で氷が音を立てるまで、守山刑事は沈黙を貫いていたのである。
「この写真の女性はな、行方不明でも二年以上も所在が判らんのだ。」
「具体的には何時からだよ?」
守山刑事は「事件の詳細は極秘だがな…」と言いつつも手帳を取り出すと、パラパラと頁を捲った。
「捜査依頼が有ったのは二年前の六月だな。で、写真が撮られたのは今年の四月。
で、写真を見て判ると思うがこの女性は少年の母親な訳。夫から捜索願いを出されてるとは言え、母親は見つかっていない。だからこの写真に写り込むこと事態がおかしいんだよ。」
そういうことは先に説明をしろよ…と、清彦氏が毒づいた。私も説明を聞いて事件の概要と警察の疑問点を理解したが、背景を理解した上で写真を見るのでは勝手が違う。
「先入観が無い方が良いだろ?」
「お前は言葉が少なすぎるんだ!僕も協力しない訳じゃないんだから、きちんと最初に説明をしろ!」
私から言わせるときちんと説明をしない守山刑事と、説明を聞かなかった清彦氏についてはどっちもどっちな気がする。
「なぁ、神宮寺。この写真がインチキでも無い普通の写真だと言うんだな?」
「くどいなぁ…ならはっきりと言おうか?この女の人は死んでいるんだよ。捜索願いが出されても見つかっていないのは、殺されているからなんだって。
見つかってないんだろ?守山?」
まぁそうなんだが…と言葉を濁すと、アイスコーヒーを口に含んで押し黙った。
「でも清彦さん、何でこの人が死んでるって断言できるんです?」
「それはね窈ちゃん、写真に透けて写るって事は霊体なの。生きている人間なら生霊で、死んでる人間なら死霊ね。
僕が見る限りこの写り具合だと…この人は死んでるよ。」
疑うなら親父にも聞いてごらん、同じ答えをするさ、と言ってアイスコーヒーを飲み干したのである。
「なあ、神宮寺さ…死んだって言うならばこの女性は何処に行ったんだよ?」
「知るかよ、僕が知る事じゃない。それを調べるのが警察の仕事じゃないか。」
あくまで自分のスタンスは写真館の主で、悪霊を払う霊媒師でも無ければ探りを入れる探偵でもないと言いたげだ。
カタン、と空のグラスを机に置くと妙な沈黙が生まれる。
「…お前、何か隠しているだろ?」
「な、何をだよ。」
清彦氏の指摘に森山刑事は咄嗟に狼狽しだした。
「誤魔化すな!お前が何かを隠す時は目線が上目を向くんだからな。」
…話せよ、と物静かに清彦氏は森山刑事に続きを促す。流石に付き合いが長いと嘘も簡単に見抜けるらしい。渋々ながらも守山刑事は観念したのか、「ふぅ」と溜め息をつくと守山刑事が知っている事を語り出し始めたのである。
「お前の言う通りでさ…この女性が行方不明になった時には近隣の住人も知らなかったんだよ。気が付けば蒸発していたって感じだな。普通だったら誰かしらに会うとか、人に見られたって話が出てくるんだが…全く無いんだよ。
居なくなったことを聞き込みしようにも、みんなビックリしてさ“知らない”って狼狽えるのが関の山だな。」
「ご主人は?」
「主人も急に家族が居なくなって動揺したのか、話にならんよ。出掛け先から帰宅したらリビングの机に離婚届けだけが残されていたらしい。」
いきなり行方不明ならば、残された家族はショックだろう。
「それにな…」
守山刑事の話にはまだ続きが有るようだが、話すべきか否かを悩んでいる節があった。
それでも話すべきと判断したのだろう、言葉を選びつつ慎重に口を開ける。
「俺も気になって何度か家を訪問したんだ。
いつも対応するのは家政婦か息子、主人は自室としている書斎に籠りっきりなんだと。家族は普通に過ごしているんだよ、人が居なくなったってのにだぞ?
俺も気になってな、息子にそれとなく聞いてみたんだよ。“お母さんが居なくて寂しくないか?”ってな。」
守山刑事は一旦間を置くように黙る。そんな守山刑事の話を身動ぎもせず、清彦氏は黙って聞いていた。寧ろ私の方が話の続きを聞きたくなっている。
「何て…言ったんです?」
思わず私が話に割り込んでしまった、踏み込むべきでは無いのかも知れないが、聞かずにはいられなかった。
守山刑事は一拍置くと、話の続きをし始める。
「“ママは家に居るから…”ってな、俺の方が混乱しちまう。」
「ち、ちょっと待ってくださいよ、それって矛盾してません?ご主人は“家を出て行った”と言って、息子は“家に居る”って…」
私の疑問点に対し、守山刑事は「そこなんだよ…」と頭を抱えてソファに凭れた。
「でも家を探したが、奥さんは家に居なかった。違うか?」
沈黙を貫いていた清彦氏が口を挟んだのである。だが清彦氏には話が読めていたのか、端的に答えを纏めた。
「ああ、勿論。許可を貰って部屋を全て見せて貰ったのだが…何処にも居なかった。押し入れや納戸、屋根裏に床下も見たぞ?」
それでも奥さんは居なかった、と溜め息混じりに話を終える。
「庭は?」
「庭?ああ、調べちゃいないが丁寧に手入れされていて、特に変わった所も無かったよ。」
清彦氏は「ふぅん」とだけ相槌を打って何か考え込み始めた。
「それにな、奥さんが居なくなってから怪異現象が起き始めたらしい。」
その守山刑事の一言に清彦氏の眉毛がピクリと反応をしたのを私は見逃さなかったのである。“怪異現象”と言う言葉に琴線が触れたようだ。
「何でも家の中をパタパタと走る者がいるらしい。息子の話だと母親が急いで廊下を走る音と似ているらしいんだ。
ご主人は聞いた事が無い様子だが、息子が廊下に出てみても誰も居やしない。」
「引っ越すとかしないんですかね?」
私だったらそんな薄気味の悪い家は絶対に嫌だと思ってしまう。
「それは無いだろうな、ご主人の先祖代々続いた家で家を守るのが当主の役目と思っている。それに…奥さんが急に家に帰ってきたら困るから、という理由で引っ越すつもりはないとさ。」
「そんなものかねぇ…」
清彦氏は何か引っ掛かっているような物言いをする。
「なぁ、守山。お前がここに来たってのは写真の現像だけ、って事もあるまい。うちに寄ったついでにその人の家に行くんだろ?で、俺も一緒に同席しろ、と?」
守山刑事には家に向かうついでにこの店に寄った、という感じだがそれを言うとまた揉めるのだろうと察知してか、「ああ…」とだけ言って清彦氏の答えを肯定した。
「窈ちゃん、そういう事だから午後は店を締めらから。それと…アシスタントとして一緒について来てくれるかな?」
私は幽霊屋敷に行くことには反対だったが、“カメラマンの助手”ということで断れずに同席する羽目になったのである。
まあ…昼間なら幽霊も出ないだろうし、出ても対処できる清彦氏も居るのと、屈強な守山刑事が居るから大丈夫なのだろう。
そんな訳で幽霊屋敷に三人で赴いたのだが、町外れにある屋敷は年季の入った日本家屋で広い敷地であった。土蔵まで有るのだ、資産家であることは間違いない。
門から見える庭園は樹木が丁寧に手入れされていて、私の祖父母の家を思い出させる。
そんな庭先を横目に屋敷まで向かう守山刑事を筆頭に、玄関まで向かう。
「ほら、窈ちゃんも早く」
玄関に先に到着した清彦氏が振り替えって私を呼び込む。だが清彦氏の視線は私を捉えていない。寧ろ庭先に目線が有った。
「立派なお庭だよねぇ、写真を撮るとしたらここから撮る構図が良いんじゃないかな?」
清彦氏は指でスクエアを作ると、ファインダーを覗くように庭先を眺める。私が清彦氏に並んで庭先を見ると、樹木といい庭石といい具合よく並んでいた。
「悪いんだが写真の話は後にしてくれ。今日は主人が居るからと無理に時間を貰ったんだよ。」
守山刑事がそう説明をすると、家の呼び鈴を押す。その音に反応したのはこの家の家政婦だったのである。
すぐに私達は客間に案内されたのだが、そこで清彦氏は座る位置を指定してきた。
私に廊下側に座れと言う、いつもなら直ぐに部屋を抜け出るように座る自分のポジションをあっさりと私に譲ってきたのである。だが今日は守山刑事が中央に、庭先を一望できる席を清彦氏が座った。
そしてじっと庭を凝視している。
「待たせましたな。」
襖が開いたかと思うと、小柄だが屈強な40代位の和服姿の男性が、挨拶もそこそこに部屋へとずかずかと入ってきた。この家の主らしい。
「わざわざ足を運んで貰って申し訳ない。早速だが妻の居場所については何か判ったかね?」
腰を下ろす前に本題を切り出す。疲れているのか目の下に隈ができている。落ち着いているようで焦燥しきっているような雰囲気に見えた。
「申し訳ございません。奥様の動向につきましては…目下捜索中です。それと…お預かりしておりましたこの写真をお返しにと思いまして…」
守山刑事が背広の内ポケットから取り出したのは、この家のご婦人が写った例の写真だったのである。主人に向けると、スッと座卓の上を滑らせ差し出した。
怪訝そうな眼差しで写真を眺める。
「息子の入学式の写真ですな。これは矢張りイタズラだったと?」
どうやらこの家の主も、守山刑事と同じように疑っていた節があるらしい。写真の加工だ、と言いたいのだろう。
「それが…そうでは無いようなのです。この写真を現像したのはこの男でしてね。こう言った写真に詳しいので連れてきたのですよ。」
主はどうやら自分の考えと違うことに、否定をされた事にムッとし始めた。どうも自尊心の高い男らしく、指摘をされる事に納得がいかないのだろう。
「なら何故、この写真に行方不明となった嫁が写り込むのかね?この日は息子と私の二人だけしかこの学校には行っとらん。のだよ?
この写真が合成でないのだとするとどうも合点がいかないんだが…」
主は急にそわそわとし始めたのである。もう写真に目を落とすでもなく、視線は泳ぎ落ち着きもない。それにどこか苛立っていた。主人は逆に質問を守山刑事に投げ掛けたのである。
守山刑事は守山刑事で回答に詰まってしまったらしく、目で清彦氏に応援を頼んでいた。
「そこからは私がご説明しましょう。
今のご時世でございますとデジタルカメラが主流となっており、パソコンさえあれば今回の写真のように奥様が写り込むように加工する事は簡単です。
しかしながらこの写真はアナログの写真機をお使いになられてますね?これはプロ顔負けの腕前です。
私の写真館はアナログ専門ですので、モノクロや色彩の反転などはできますが、加工処理はできないんですよ。」
その場に居ない限り、そこに写る女性は入り込めないんですよ、と言葉を結んだ。
「それならば警察は私をどうしたいのかね?家内は見つかったのか?何も問題は解決しちゃいないじゃないか!」
主の感情は高ぶったらしく、座卓をドンと拳で叩きつける。
だが、そんな威圧的な態度に物怖じする二人ではない。守山刑事は困った様な表情をしつつも笑顔で応対しているし、清彦氏は澄ましてお茶を飲んでいた。
驚いて恐縮しているのは私だけで、小さく早く帰りたいと思っているしかない。
「そうは仰られても、私は写真の説明に同席するよう言われてるだけですし、事件の詳細は守山刑事にお聞きくださいよ。」
後は任せたと言わんばかりの口調なのである。そんな清彦氏を見ていると私の方がハラハラしてしまう。
「まぁまぁご主人、苛々するお気持ちも判りますが写真が贋作でないと言うことが判明いたしまし、先ずは事件の進捗をご報告に伺った次第です。
奥様の足取りは依然として掴めてませんが、責任を持って見つけ出すよう努力致しますので…」
守山刑事の言葉に、主は鼻を鳴らし小馬鹿にした。幾度となく聞かされた説明、進捗のない事件に聞かされた台詞にウンザリしていたのだろう。
「ところでご主人、本当に奥様は無事だと思ってらっしゃいます?」
清彦氏の質問はあまりにも唐突で不躾、失礼極まりないものだが本人は至って真面目な顔をしている。主人の顔はみるみる強ばり、激昂しているのが判った。
「無礼な写真屋だな君は!何だって警察はこんな失礼な男を連れて来たのかね!理解に苦しむ!」
これは失言でした、と素直に清彦氏は頭を下げるものの、本人は失言をしたとは思ってないのだろう。
「ええい!もう良い!」
清彦氏が頭を下げたからといって、主人の怒りは収まらなかったのだろう。
主の一喝に気圧された私とは別に、守山刑事と清彦氏は平然としている。それに…清彦氏はやけに庭ばかりを眺めていた。
気まずさ故に、客間には沈黙が支配する。
“パタパタパタ…”
誰かが廊下を走ったのだろうか?私が座る席の横、襖を隔てて誰か通り抜ける音を私は確かに聞いた。
思わず私は廊下を見てしまう。そんな異変を感じたのか清彦氏は私の方に顔を向いている。
「すいません、ちょっとお手洗いをお借りしますね?
事件についてはこの刑事が、写真については私のアシスタントがお伺いしますので…」
清彦氏はあっさりと責任転嫁すると、その場をすくっと立って客間を後にした。
だが何故だろう、トイレに行くには全く不要なはずの小型のカメラを主人に気付かれないよう、手に隠して離席したのでる。
その後も主人からの嫌味や説教が続いたが、清彦氏は客間には戻ってこなかった。足が痺れそうになる頃に解放をされたのだが、全く持ってトバっちりである。
家を出る頃にはもう日が暮れかかっていた。
もう私もぐったりである。
門を抜けると車に凭れ掛かるように、清彦氏が私達を待っていた。悪びれた様子など全くない。
「遅かったじゃないか、待ち草臥れたじゃないか。」
言うに事欠いてこの台詞か?とは思ったものの疲れて反論する気力も言葉もない。
「お前なぁ…あっさり抜けやがって!俺ばっかり面倒事を押し付けるなんて酷い奴だ!」
「まぁそう言うなよ。こいつを見たら事件は解決に繋がるぜ?」
そう言って清彦氏は大判の封筒を森山刑事に手渡した。
ムッとした顔で封筒を開けると、中から出てきたのは数枚の写真だったのである。それを見た瞬間に守山刑事の顔が顔を曇らせていく。
「お前、これ!」
「良いから、お前の仕事はこの家の捜査令状を取って来る事だ。
大丈夫、この家の主人は逃げないよ。」
その言葉を合図に、自分の車に乗り込むと爆音を上げてすっ飛んで行った。
「さ、事件も片付いたし僕達も帰ろう。時間も遅いし何処か夕飯を食べて帰ろうじゃないか。」
清彦氏はやけにスッキリした顔つきで私を見る。とは言え、私には釈然としない。それもそうだ、いきなりアシスタントとして連れてこられ、初対面の人には説教を喰らい、家を出れば事件が解決…
もう私には真意を問う気力もない。「そうですね…」とだけ言って清彦氏の車の助手席に乗り込んだのである。
あの屋敷を訪れてから二日が経った。写真館は相変わらずの状況だったが、応接室に守山刑事が不意に現れたのである。手には菓子織りを持ちつつも、どこか仏頂面だ。
ソファに座り込むと清彦氏と向かい合ったのだが、ムッとした顔の守山刑事とは反面に勝ち誇った顔でソファにふんぞり返っている。
私がアイスコーヒーを手に持って二人の下に行くと、守山刑事は私に微笑んで「やぁ窈ちゃん」と挨拶をしてくれた。だが、また清彦氏の方を向くと苦虫を潰したような顔つきに戻る。
「…なあ、もう一度話を整理させてくれよ。
神宮寺はあの家で居なくなった奥さんに出会ったんだな?」
えっ?と聞き直したくなったのは私の方だ。家を出て行方不明になり、捜査願いを出された人が家に居る?清彦氏も「そうだよ」とだけ済ました口調で答えたのである。
「なら何か?主人が嘘をついていたと言うのか?」
この質問に対しても清彦氏は「そうだよ」とあっさり肯定した。
「だがなぁ…神宮寺、あの家は隅から隅まで調べたんだが…」
「庭は?」
庭だぁ?と守山刑事は眉を潜める。
「おいおい…お前に渡した写真をちゃんと見たのか?一番最後の写真は庭だったじゃないか。しかも奥さんがご丁寧に指差して…」
全く…と、清彦氏はわざとらしく溜め息を吐いた。
「あのな守山、お前がすべき事は室内を隈無く探すことじゃないんだよ。庭先をよく探せって事なんだ。
あの時、僕はこの庭に違和感を覚えたんだ。カメラのファインダー越しに気付いたのは庭に池が無い事なんだ。枯れ山水でも無いし、無くても問題は無いが…池が有った方がこの庭は映えるんだよ。」
守山刑事は清彦氏の説明を聞くなり「判った!」と立ち上がると、挨拶もそこそこに写真館を後にしたのである。
だが、入り口で振り替えると守山刑事は不意に振り返った。
「助かったよ神宮寺、この礼は必ずするからな。」
「ふん、当てにしないで待ってるよ。」
清彦氏は守山刑事の後ろ姿に軽く手を振って見送る。扉が閉まる頃には写真館が一気に静かになった。
「あいつも馬鹿正直だよな…失踪人が写っている写真を見せたら事態がややこしくなるじゃないか。」
それがあいつらしいのかな、と静かに微笑む。
翌朝の新聞の小さな記事だが、例の屋敷の話が書かれていたのである。清彦氏の指摘した通り、失踪した婦人の遺体が庭先の池の跡地に埋められていたからだ。
記事によると逃げ出されないように手足を縛られ、着物姿だったのだと書かれている。流石に遺体の発見は清彦氏が撮影した写真からだとは書かれていなかったが、失踪事件は解決したのだ。
まぁ書いた所で誰が信じると言うのだ?それに清彦氏の話だと、ご婦人が着ていた柄があの息子と写った入学式の写真と同じだったと言う。
私が写真館に顔を出すと、そこには清彦氏の嫌味を聞きつつもやけに上機嫌な守山刑事がソファに座っている。
「やぁ窈ちゃん、これはお土産ね。」
私にケーキの包みを手渡してくれたのだが、その箱書きを見ると近所の有名店のものらしい。さっそくみんなで頂く事にした。
「なぁ守山、僕の嫌いな生クリーム系のケーキは無いよな?」
「知ってるよ、お前とは長い付き合いだ。お前の好みは把握しているよ。だから全部生クリーム系のケーキにしてやった。」
そう言って楽しそうに守山刑事は笑う。だが私は知っている、ケーキの中にチーズケーキも混じっていた事を…