第94話 ともあれ、平常運転な勇者たち
――火曜日の朝は、もう何事かってぐらいの行列があったうちのクラス前だけど……。
今日、金曜日ともなると、さすがにもういつもの様子に戻っている。
おキヌさんの受付も出ていない。
まあ、部活の勧誘については、鈴守が『家の事情』ってキッパリ断ったみたいだし……。
ファンクラブはファンクラブで、『自分たちが押しかけて迷惑掛けるとか本末転倒』って理性的な判断を下したそうだから……。
とりあえず、この間のような大騒ぎになることはもうないだろう。
もちろん、その辺のことは、おキヌさんが上手いこと手を回したみたいだ――本人は、うちの豆腐屋の常連が増えたって、ほくほく顔してただけだけど。
「……お、赤みゃんおはよー!」
教室に入った俺に、一番に声を掛けてきたのは、そのおキヌさんだった。
「おはよう。……あれ、鈴守は?」
「おスズちゃんなら今日日直だからなー。
マサシンセンセの手伝いに行ってるよ」
「あー……なるほど」
俺は自分の席にカバンを引っ掛け、腰を下ろす。
ちょこちょこと付いてきていたおキヌさんも、合わせて俺の机に座った。ぴょんと跳んで。
「ふっふーん……?
今日のコト、早速朝からおスズちゃんと相談しようとか思ってたんかにゃ~?」
イタズラな笑みを浮かべたおキヌさんの、俺の本心を突く囁きに――ほんの一瞬、なぜそれを……とか思ったものの、いつものことかとすぐに平常心を取り戻す俺。
……慣れって怖い。
ちなみに、おキヌさんの言う『今日のコト』っていうのは……。
鈴守が、月曜日の看病のお礼にって、うちにご飯を作りに来てくれることだ。
そもそもは、亜里奈との『一緒に料理を』って約束も兼ねてたから、亜里奈がいない今日はお流れになるかなー、とも思ってたんだけど……。
結局、鈴守は今日、うちに来ることになった。
うん、まあ……。
鈴守はこれからますます忙しくなるみたいだし、せっかくの機会、やっぱり逢えるなら逢っておきたいし――な。
「あれだろ?
今日は妹ちゃんズがいないから、二人っきりだ……とか考えたんだろ?」
「――――!」
おキヌさんのズバリな指摘に、今度こそ正直ちょっとドキッとする。
……そう、それは……。
今日は約束してた亜里奈たちがいないってことを鈴守に謝ったとき――火曜日にその話をした時点で、ふっと俺の脳裏をかすめたことだ。
そして……多分、鈴守も。
お互い口には出さなかったけど、それもあって……この話はお流れにならなかったんだと思う。
「で、でも、別にだからって、なにかやましいことしようとか考えてるんじゃないぞ?
ほら、母さんや父さんだっているわけで――」
「パパさんとママさんは、今日はひさしぶりにのんびり外食……だろ?」
「!! な、なんでそれを――」
「さあ? どうしてだろーねー……?」
ニヤリ、となんか悪い笑みを浮かべるおキヌさん……。
これは、まさか……!
「妙にタイミングが良いと思ったら、アンタが手を回したのか……!」
「はてさて、なんのことやら。
アタシはちょーっと、ママさんと世間話しただけだぞ~?」
……そういうことか。
うちの母さん、鈴守のことめちゃくちゃ気に入ってるもんなあ……。
話聞いて、どうぞどうぞ、ってな感じか。
いやまあ、もちろん、険悪だったりするよりゼンゼンいいんだけど……。
「……でも別に、ホントに、何かしようとか思ってるわけじゃないからなっ?」
――念を押す俺。
そりゃ俺だって、勇者とはいえ、健全な男子高校生だ。
『そーゆーコト』に興味が無いわけない。
だけど、逆にだからこそっていうか……俺は、そんなのまだ早い、って思う。
俺たちらしくない、って思うんだ。
他はどうあれ、俺たちには俺たちなりのペースがあって……それはきっともっとゆっくりなんだって、そう思う――んだけど。
……ああ、でもこれアレかなあ。
また『ヘタレ』とか、そう言われるだけのチキンな考えなのかなあ……。
「……ま、それが赤みゃんとおスズちゃん、なんだよねえ」
てっきり罵倒が飛んでくると思った俺の耳に届いたのは、そんな穏やかなおキヌさんの声だった。
「おや、なにかね? その、鳩が豆鉄砲ならぬ豆腐食らったような顔は。
アタシだって、キミらがどういう人間かは分かってるんだからさ。
さっさと行き着くトコまで行っちまえー、ってことも思わないでもないけど……そうじゃないならそれはそれで、らしくっていいな、って思えるってんだよ。
……まったく、見くびるなよー?」
「……おキヌさん……」
「まあ、どっちにしても……だ。
おスズちゃんのおうちのことが忙しくなって、会える機会が減るんっしょ?
なら、ゆっくり二人きりで過ごせる貴重な時間なんだ、存分にイチャコラしたまえよ。
お礼は、そう……来年の春、孫の顔見せてくれりゃそれでいーからさ」
「……いや、思い切り生々しい方向に煽ってんじゃねーか!」
まったく、とばかりに俺はフンスと鼻を鳴らす。
一方おキヌさんは、足をバタつかせてけらけらと笑っていた。
……ホントに、まったく……。
「……でも、ありがとな」
「ふふん。まったく、手のかかる舎弟を持つと苦労すんぜー……」
ひょいと俺の机から降りたおキヌさんは、じゃあな、と男前に手を挙げて、女子の集まりの方へ立ち去っていった。
それと入れ替わるように……今度は衛が近付いてくる。
「おはよ裕真。
……聞いたよ? 鈴守さんがご飯作りに来てくれるんだって?」
………………。
俺たちにプライバシー保護ってもんは適用されないのか?
いや、まあ、この間鈴守と普通にこうやって話してたことだから、聞かれててもおかしくないんだけどさ……。
「うらやましいなあ……。
僕もそういう子がいてくれればなあ……」
切実な顔でぼやく衛。
「ああ……衛って、一人暮らしだもんな。
そりゃ確かに、メシの問題は重要か……」
確か……実家は隣の県でそう遠くはないけど、高校進学に合わせて一人暮らししてるって話だったな。
「まあ、実はすぐ近所に武尊の家があるから、結構叔母さんがご飯世話してくれるし、困ってるってほどじゃないんだけどね。一応、ある程度は自炊するしさ。
……でも、だからこそっていうか、女の子が作ってくれるご飯とか、憧れだよねー」
「……まったくなー。
コイツなんて、タダでさえ亜里奈ちゃんがメシ作ってくれるのにな」
……いつの間にか、イタダキまで参戦してきた。
「お前のトコにも見晴ちゃんがいるだろーが。
お菓子作るのが上手いって、亜里奈から聞いてるぞ?」
「ああ……お菓子はな。それは上手いんだよ、確かにな。
なのにどーしてだか、普通の料理はな……これがまたなんとも……。
――しかも、だ。
ちょっと想像してみ? アイツのあの笑顔で、正直アレなメシを出された日にゃ……」
「「 ……あ〜…… 」」
俺と衛の声が重なる。
……うん、まあ……確かに。
見晴ちゃんのあの笑顔で出されたメシなら、いかにマズくとも食うしかないだろう……笑顔で。
いかな勇者の俺でも、それは覆せる気がしない……。
「――まあ、そんなわけでだ。
どーよ衛! いっそのことオレたちも今晩裕真の家に押しかけて、鈴守の料理をご相伴に――」
――パカンッ!
そこまで言ったイタダキの頭を、なんか、飛んできた白い塊が直撃する。
俺の机の上に転がり落ちたそれは……ひたすらに白くて四角い、ぬいぐるみとかマスコット……にしては、可愛げが皆無な、手の平サイズの『何か』だった。
「おーい、おキヌさーん、これはー?」
俺はそれを、投げつけた張本人であるおキヌさんの方へ、ひょいと投げ返しつつ尋ねる。
「おうとも、コイツはアタシ謹製の遠隔ツッコミウェポン、『豆腐の角に頭ぶつけて死にさらせ君』だ! ちゃんと豆腐っぽいっしょ!
あ、内部構造については企業秘密だけど、ただのマスコットと甘く見てるとイタい目見るぜー?」
……ああ、うん、だろうな……。
食らったイタダキ、悶絶してるし……。
「まったく……人の恋路を邪魔する輩は、本来なら馬に蹴られて死ぬところを、豆腐の角に抑えてやったンだ。
ありがたく思えよ、マテンロー?」
「どっちにしろ殺る気じゃねーか!」
頭を押さえて、おキヌさんに言い返すイタダキ。
ちなみに、ちょっと涙目だ。
一方、おキヌさんはというと、「しょーがねーなあ」と、洋画の俳優みたいに、大ゲサに肩をすくめていた。
「ぃよ~し、マテンロー……キサマとマモルんの切なる願いは分かった!
今度アタシがまとめてメシの面倒見てやるから、それでガマンしろ!」
「――え、ホントにっ!? ありがとうおキヌさん!」
「――えぇ〜? おキヌぅ〜?」
おキヌさんの男前な提案に、正反対の反応を返す衛とイタダキ。
「うんうん、マモルんは正直でよろしい。
絹漉豆腐店謹製のお豆腐を使った、絶品ゴーヤチャンプルーをご馳走してあげよう。
そしてマテンロー、テメーは……。
チャンプルーしてないゴーヤを、まんまで延々とリスのごとく囓らせるぞゴラ」
「すんませんせめてチャンプルーして下さいマジで」
手の平を返したように、おキヌさんに向かって必死に土下座するイタダキ。
……あー……コイツ、存在そのものが苦み走ってるくせして、苦いのニガテだもんなー……。
「……ま、なんにしても良かったな衛。
おキヌさん、豆腐使った料理はプロ級って話だし……」
「うん、知ってる! いやー、言ってみるもんだね、楽しみだなー!
……あ、でもそれはそれとしてさ裕真、ふっと思ったけど……。
僕らヤローどもだけで鍋パーティーとかするのも、結構面白そうじゃない?」
ご機嫌な衛が思い付きで口にした提案。
そこから想像される光景を、頭に思い浮かべて……。
思わず、俺は笑っていた。
「……おう、確かに……じゃ、今度やるか?」
「よし、決まりだね!」