第91話 この小さく大きな妹のために
「おーっす、おはよー……」
「あ、お兄、おはよ――って、だいじょうぶ?
なんか、スゴい疲れた顔してるけど……」
――翌朝。
朝食を摂るべく階下に降りた俺は……。
自分でもそれと分かる覇気のない挨拶のせいで、キッチンに立つ、制服の上からエプロンをつけた亜里奈に、心配そうに顔を覗き込まれてしまう。
「あ〜……大丈夫。ちょーっと寝不足気味なだけ。
ちゃんとメシ食って、1時限目爆睡すりゃスッキリするさ」
「授業中寝ちゃダメでしょ。
……まったくもう、なにかあったのかと思ったよ……アガシーもああだし」
そう言う亜里奈の視線を追うと……。
食卓にだらしなく、ずべーっと寝そべるアガシーの姿があった。
まあ……ハッキリ言おう。気持ちは分かる。
うん、ホント疲れたよな昨夜は……いろいろあって。
――俺は、複雑な思いで亜里奈の顔を見た。
「……? なに、お兄。あたしの顔に――って、あ! もしかしてさっき跳ねたソース、ちゃんと拭けてなかった!?」
「え? あ、おう……ああ、拭いてやるよ、じっとしてろ」
「ああもう……! 顔、洗い直そっかな……」
俺は、ありもしない亜里奈の顔のソース汚れを、濡れティッシュで拭ってやる。
「ん……ありがと、お兄」
「ああ。で、お前の体調は……どうだ、大丈夫か?」
俺が尋ねると亜里奈は、元気に機敏に、大きくうなずいた。
「うん、もうすっかり。グッスリ寝られたからね」
「……そっか。良かったな」
やはり、ハイリアが言ったように――亜里奈自身に、昨夜の記憶は無いらしい。
ちなみに……。
昨夜の相談の結論として、『亜里奈には秘密にする』ことが決定している。
そう……亜里奈が〈世壊呪〉であることも、〈魔王〉が同居していることも、だ。
前者については、今、亜里奈がそれを知ったところで、不安がらせるばかりで何のメリットもないというのが一番の理由だ。
注意喚起にはなるかも知れないが、それでコイツの日常が壊れるようなら本末転倒だからな。
加えて、亜里奈の性格上、必要以上に思い詰める可能性が高い――というのもある。
で、後者については……。
近いうちに分離することだし、いちいち報せなくても……ってことになったわけだけど……。
その結論は初めから決まっていたも同然だったのに、話し合いはモメた――というか、大騒ぎになった。
まあ、どういうことかと言えば……。
『男』であるハイリアが亜里奈の中で同居していることに、アガシーが激しく噛み付いたからだ。
つまり――。
「……おい、ちょっと待てコラ魔王。
まさかと思うが……テメエ、わたしのアリナの、アレやコレやの恥ずかしいヒミツをバッチリ覗き見てたとか言わねーだろーな?
挙げ句の果て、身体は自由に出来るわ、しかも記憶は残らないわ……ってのを利用して、うらやま――もとい、不埒なマネとかやらかしてねーだろうなぁッ!?
もしやってようモンなら、動画よこせ――じゃない、今すぐここでアリナから追い出して浄化してやんぞオラァ!!」
……と、まあ、ビミョーに自分の欲望と鼻血混じりに、アガシーが食ってかかったわけである。
まあ、俺もハイリアを信用してはいるものの、コイツはコイツで感性がズレてるところあるし……あとで亜里奈が知ったらショックを受けそうなことはないかと、アニキとして無視出来ない話だったんだが……。
当然、ハイリアは全否定した。
「余がそんな恥知らずなマネをするか。
ドのつくド阿呆だな、『どどあほ』聖霊が」……と。
一応、ハイリアなりに、あまり亜里奈と感覚を共有したりしないよう、ずっと気を遣っていたらしい。
特に風呂やらトイレやらは、感覚の完全シャットアウトを徹底していたようだ。
しかしまあ……それが事実かどうかを確認する術は、俺たちには無いわけで……。
結局、ハイリアの自己申告を信用するしかないんだが。
そこに、「ホントーだろーな!?」……って、アガシーがキバを剥いて食い下がるせいで、しばらくはムダに白熱した時間になったわけである。
………………。
いや、正直言うと、今だからこうして落ち着いて語ってるだけで。
そのときは俺も、結構ヒートアップして詰め寄ってました……。
さておき――。
どのみち亜里奈が、自分が知らないうちに男の魂が同居してたとか、知って得することはまったく、ゼンゼン、これっぽっちも存在しないということで……。
これはもう完全に封印、俺たち全員、墓まで持っていく秘密とすることに決めた。
しかし……そう、昨夜の問題といえば、それだけじゃなくて……。
「なあ、亜里奈……。
お前さ、結婚って――考えたことある?」
思わずもらした俺のその一言に、亜里奈は思いっきり「はあ?」と、顔をしかめた。
うん、まあ……するよなあ、そういう顔……。
「朝からなに言ってるのお兄、ホントに大丈夫――――って、待てよ?」
いったい何を思いついたのか――。
亜里奈は、ベーコンエッグを作ったばかりで、炎属性付与状態のフライパンをゆらりと――思いっきり、大上段に構えた。
「ま・さ・か、お兄ぃぃ~……!
昨日、千紗さんの看病にかこつけて……風邪で弱ってるところにつけこんで……。
責任取ること考えなきゃいけないよーなコトを!
やらかしちゃったー……とかじゃないよねえっ!!??」
「…………へ?」
魔王が前面に出ても、これほどの迫力は出せまい……ってレベルの、まさしく『鬼迫』を全身から放ち、俺に詰め寄る亜里奈。
その発言の意味を、冷や汗かきつつ、じっくりと考えて……。
――そして俺は、両手と頭をブンブン振って全力で否定する。
「ない! ないから!
ゼンゼンまったく、やましいことは何一つとしてないから!!」
「……ホントにぃ……?」
「いい、イエスマムッ!!!」
……勝手にカカトが揃い、背筋がびしりと伸びる。
亜里奈は、そんな俺を、ためつすがめつ、しばらくジロジロと観察した後……。
小さなタメ息といっしょに、ようやくフライパンを下ろしてくれた。
「まあ、さすがにそれはナイかー……。お兄だし」
……その「お兄だし」は、俺のどういったところを語ってるんだろう……。
信用か、はたまたヘタレ度か?
気にはなるけど……なんか、聞くのが怖い。
「でも……結婚、かー……。
そりゃあたしだって、好きな人が出来たら……したい、けど」
ぽつりと、自然につぶやく亜里奈。
その一言に……俺はまた、昨夜のことを思い出す。
そう……それは、俺が思わず、ハイリアの『亜里奈を妻に』発言に反対したときのことだ。
「お前、ふざけるなよ!?」……って。
そうしたら……。
「あいにくだが、冗談でも酔狂でもない。余は本気だ。
……ああ、だが、亜里奈自身の気持ちに関係なく、と言うわけではない。
亜里奈が同意すれば、だ。当然、それを無視する阿呆ではないぞ、余は。
そうして双方同意の上であれば、問題はあるまい?」
「いや、でも……!」
「なんだ、余が魔族なのが問題か?
それとも、新たな身体が〈人造生命〉であることか?
やはり、人の相手は人でなければならんか?」
「そうじゃない! そんなことない!
……けど、亜里奈が結婚って……!」
どうにもこうにも、自分でもハッキリとした理由も見つけられず、なんとなく反対してしまう俺に、ハイリアは――。
だけど、怒ったりするでもなく、さもおかしそうに笑っていた。
「まったく、キサマらしくないというか……いや、むしろキサマらしいのか?
まあいい、では一言言ってやろう。
――おい勇者、キサマ……。
自分は存分に恋愛をしておきながら、妹にはそれを許さんつもりか?
何サマのつもりだ?」
「――っ!!!」
「……まあ余も、キサマの心情、完全に分かってやれるなどとは、間違っても言えん。
実際に身体を張って、これまで妹を守ってきたキサマには、両親とはまた別の、保護者としての想いもあるだろうしな。
そして同時に、理屈だけですんなり御せるほど、心というのは単純ではなかろう。
だが……それとは別に。
亜里奈とて一人の人間であり――そして、いつまでもキサマの庇護下にある子供ではないのだ。
ゆえに、キサマも大人になれ、勇者よ。
……寛容な大人に、な」
「………………」
なんか……ぐうの音も出なかった。
いちいち――コイツの言う通りだな、って……そう実感させられたんだ。
「……そっか。好きな人が出来たら……か」
俺は、亜里奈の返事にうなずく。
……そうだよな。
その感情を止める手段も権利も、俺にはありゃしないんだよな……そんなの、当たり前のことなのにな。
大人に――か……。
「あー……でもとりあえずあたしは、お兄の後で、だね。それまではムリ」
「俺の後で、って……なんで?」
俺が疑問符を浮かべると、亜里奈は苦笑しながら近付き……。
慣れた手つきで、俺の制服のネクタイを素早く整えるや、ぺしっと叩く。
「こうやって面倒見なきゃいけないからに決まってるでしょ?
その辺、しっかり者のお嫁さんが引き受けてくれないと、気になっちゃって自分の結婚なんて出来ないよ」
そうして、なんとも楽しそうに――まぶしいばかりの笑顔で笑い直す。
「あ、あと結婚するなら、パパみたいに銭湯の仕事を手伝ってくれる人がいいな。
ほら、あたし、〈天の湯〉継ぎたいし!」
ふむ……つまり、ハイリアと結婚した場合……。
銭湯を経営する魔王の誕生――か。
まあ……案外、アイツなら楽しんでやるかもな。
ムダに独創性発揮して、ヘンにファンタジーな風呂とか作りそうだけど。
――その様子を、ふと想像して……思わず口もとに笑みが浮かぶ。
けど、とりあえず、何にしても――。
「そうか。
……まあ、頑張って見つけろよな、そういう相手」
「――うわー……なにそれ。
自分はもう千紗さんみたいな、Sランクのお相手見つけてるからって、その余裕……なんかムカつく~」
――そうだ。
あれだけ良い笑顔で未来を語る、この妹のために。
その身の〈世壊呪〉のチカラ――。
俺が、なんとかしてやらないとな…………絶対に。




