第86話 あらためて――魔王はそのときどうしていたか
「はぁ、さて……いったい何をどこから聞いたものやら」
「さて、いったい何をどう話したものか」
俺とハイリア――その身体は亜里奈だが――は、揃って一つタメ息をついた。
――道化師姿のポーン参謀たちとの戦いの後……。
家に帰った俺は、とにかく体力をと、夕飯の余り物(メシの時は鈴守の家にいたので)をかっ食らい、風呂でさっと汗を流して――今は自分のベッドで横になっている。
正直、さらに体調が悪化したら、話をするのも一苦労だと思ってたら……。
むしろ今は、鈴守の家で寝入ったときより、よっぽど調子が良くなっていた。
これがもし、シルキーベルとヤケクソ気味の打ち合いをした結果だとしたら……寝ているより戦ってる方が身体に良いとか、何とも因果な話である。
ともあれ、この調子なら、あとはのんびりしてれば明日の学校は大丈夫だろう。
鈴守の方も、あのまま眠って、順調に快復してればいいんだけどな……。
……なんて、つい俺が思考をよそにやってるうちに、アガシーが会話の口火を切っていた。
「じゃあ、わたしから聞きますけど!
――まず、今、アリナの意識はどーなってるんですか?
乗っ取った、とかぬかしやがったら、〈封印具〉に戻した挙げ句トイレに流しますよ!?」
テーブルを挟んでハイリアと向かい合ったまま、ギロリと睨め付けて聞く。
……うん、とりあえず、トイレには流すなよ。エラいことになる。
「……安心しろ聖霊、亜里奈の意識は眠っているだけだ。
余が表に出ている間のことは記憶にも残らん。
――ちょうど、キサマらの後を追って出たのが亜里奈が寝付いてすぐだったからな……この話を終えてベッドに戻れば、翌朝亜里奈は、ぐっすり眠ったと思い込んで目を覚ますだけだ」
「……ホントでしょーねえ……もしもフカシこいてやがったら……!」
「おい、それぐらいにしとけアガシー。疑いだしたらキリがないだろう?
――だいたい、コイツはそんなウソをつくようなヤツじゃないって分かってるはずだ」
「むー……!」
俺の仲裁にアガシーは、ぷくー、と頬をふくらませる。
……しっかし、ホント相性悪いというか……。
アルタメアの人類を脅かす存在は、確かに〈魔王〉と呼び習わされてきたものの……別に同一人物が転生を繰り返してるとかじゃないから、歴代の〈魔王〉と戦ってきたアガシーでも、ハイリアとは特別因縁があるわけじゃないんだけどなあ……。
「……で……いったいいつから亜里奈に取り憑いてるんだ? あと、どうやって?」
「亜里奈の中に入り込んだのは、そう……勇者、キサマがあの鈴守千紗という娘と、初めてデートとやらに出かけた日だな。
……なんだ?
その、『なぜそんな事まで知ってる』とか言いたそうな目は。
当然であろう、余は〈封印具〉の内にあるときから意識を外に向けていたし、亜里奈と同化してからは、亜里奈が見聞きしたことを共有していたからな」
ふむ……ってことは、だ。
これまで俺たちは、理解者である亜里奈にほとんどの情報を伝えてたんだから……。
ハイリアは、こちらの事情をほぼほぼ把握してるわけだ。
まあ、いちいち情報の擦り合わせをしなくていいから、楽と言えば楽だな。
それはさておき……。
なんか約1名、ハンカチの隅を噛んで引っ張るという、超古典的なくやしがり方をしてるヤツがいる。
「ぐ、うぐぐぐ〜……!
こンのヤロー、アリナと同化するとか、うらやましすぎる発言しやがってぇ〜!
いっそ代われチクショー!!」
「……ヘンタイ丸出しの心の内を、アニキの前で垂れ流すな」
俺はベッドに寝転がったまま、首にかけていたスポーツタオルでビシッと一発アガシーの頭をはたいておいた。
濡れてないからさして威力はないが、意思表示には充分だろう。
そして、ハイリアに先を促す。
「うむ――その日のことだ。
この部屋に入り、〈封印具〉の存在に気付いた亜里奈は、何気なく手を触れ……すると、余もそれと意識する間もなく、吸い込まれるように亜里奈の中にいたのだ――お互い、特に何をしたというわけでもないのに、だ。
どうしてそうなったかは、余も予測するしかないが……。
キサマらも知っての通り、亜里奈は類い希な魔力の保有者だ。
しかも、封印契約者である勇者――キサマと、最も近しい血縁者でもある。
結果として、『相性が良かった』というのは、理由の一つとしてあるだろうな」
『相性が良い』という言葉に、またアガシーが反応しそうになったが……俺がタオルを振り回すと、悔しそうに文句を飲み込んでいた。
……いちいち騒がれたんじゃ、話が進まないからな。
まあ、俺としても、妹が魔王と『相性が良い』なんて言われて、複雑な気分だが……。
「しかしそっか、そんなときから亜里奈の方に移ってたんなら、そりゃ〈封印具〉からは何の反応もないハズだな。
……で、それからずっと、今日に至るまで亜里奈の内側に潜んでたってことか?」
「……余としては、状況を完全に把握するまではそうする気でいた。
ヘタに余の意識が表に出過ぎたり、亜里奈自身が余の存在に気付いたりすれば、亜里奈の精神に悪影響が出かねないからな。
しかし……そうもいかなかった。
今日を除けば結果として2回、余は亜里奈の身体を借りる必要があった。
――何より、亜里奈自身を守るためにな」
言って、ハイリアは人差し指と中指を立てる。
「1回目は勇者、キサマが中間テストとやらの勉強をしているときのことだ。
母親に使いを頼まれた亜里奈は、道すがら、〈救国魔導団〉のブラック加糖に襲われたのだ」
「え――――誰それ。無糖、じゃなかった?」
「む――そうだったか?
戦士として脇がダダ甘いヤツだったせいで、ついな……」
俺とハイリアのそんなやり取りに、アガシーがゲラゲラと笑い出す。
あー……思い出した。
そう言えば、俺がそのブラックと相対したときも、無糖だののやり取りがコイツの笑いのツボに入って、大っ変にやかましかったっけ……。
「あ、アンタらワザとか!
か、刀が無いで無刀だってんですよ……! あっはっは!
……って……。
なんでわたしがアイツのフォローしてやんなきゃなんないんですか!
いや、それよりも――ヤツが亜里奈を襲ったってどういうことですか!!」
笑っていたと思ったら一転、アガシーは怒り心頭といった感じにテーブルを叩く。
……極端なヤツだなあ……大丈夫か、色々と。
――しかし、確かに気にかかることだ。
少なくとも、無闇に人を襲うような感じのヤツじゃなかったが……。
「ヤツの正体は獣人族……〈人狼〉だ。
ゆえに、『鼻が利く』というか、チカラを感じたりする感覚が鋭いようでな。
亜里奈の中に潜む余に気付き、〈世壊呪〉を持っているのではないかと、亜里奈に詰問してきた……というわけだ。
当然、余の存在を知らぬ亜里奈では話が通じず……向こうが実力行使に訴えそうになったゆえ、仕方なく余が表に出て撃退した」
「むう、〈人狼〉……ですか。
まあ、今さらその程度が出てきたところで驚きゃしませんけど」
ふん、と鼻を鳴らすアガシー。
……まあ、俺も同意見だ。
むしろ、サカン将軍が言ってたヤツらの理念からすれば、そうした『こちらの世界の一般的な人間』とは違う存在が協力している方が自然だろうし。
「そう言えば……部屋でテスト勉強してたら、近所で一瞬、とんでもない魔力を感じたような気がする日があったっけ……。アレってハイリア、お前だったのか……納得。
んで……その後は?
亜里奈の周辺も、この近所も、それから特別騒がしくなったりしなかったってことは……ブラックの記憶を消したのか?」
「ああ。……ちなみに、こちらとしても見知らぬ男だったから、ヤツの正体から魔導団を追う、というわけにはいかぬぞ?
もう一度会えば、それと分かるだろうが」
「まあ……そううまくはいかねーか。
――それで、2回目は?」
俺の問いかけにハイリアは、改めて、アガシーの方へと視線を移す。
「……その聖霊と亜里奈が、二人で出かけたときだな」
「ああん? なに寝ぼけたことぬかしてやがるンですか、わたしがついてて、アリナを危険な目に遭わせたりするわけないでしょーが」
「……良く言う。キサマ、亜里奈の側を離れたであろうが――。
勇者の剣としての役目を果たすために、な」
「――ッ!」
それはつまり……俺が鈴守と柿ノ宮でデートした日ってことか。
確かあの日は、能丸が出てきたり、サカン将軍がメガリエントと関わりがあるって分かったりした日だったが……。
「つまり、俺が戦ってる間に、亜里奈も襲われてたってことか……。
状況からすると――〈呪疫〉に?」
俺が尋ねると、ハイリアは素直にうなずく。
「……でもそれなら、アリナ、わたしを呼び戻してくれれば良かったのに……!」
「亜里奈はな、聖霊――お前を呼び戻すことで、勇者の足を引っ張るのではないかと、それを恐れたのだ。
自分の身を守るためとはいえ、もしそれで、兄に取り返しのつかないようなことが起こったら――とな」
……なるほど、いかにも亜里奈らしい。
なまじしっかり者なだけにアイツ、周囲を気遣いすぎて甘えるのがヘタなんだよな……こんな、ある意味どうしようもないような状況でも。
そもそもが、まだ甘えるのが当たり前の子供だってのに。
……まあ……アイツがそうなのは、俺のせいってのもあるんだろうけど……。
――俺は、つい……脇腹に残る傷痕に、シャツの上から手をあてていた。