第82話 それでも、戦いの夜はやって来る
「……で。朝岡、なんでお前までここにいる」
あたしが、ベッドの上からジトーッとした視線を向けると……。
さしもの悪ガキ朝岡も、バツが悪そうな顔で――助けを求めるように、すぐ脇の見晴ちゃんを見た。
「だ、だから、そりゃ、見舞いだろ?
……ってか、オレも見晴に引っ張ってこられただけでさー……」
「うん~、そうなんだよぉ~」
まったくゼンゼン気にした様子もなく、いつもの調子で……見晴ちゃんはニッコリ笑った。
――現在、時刻は午後4時過ぎ。
学校が終わった見晴ちゃんは、なぜか朝岡まで引き連れて、うちにお見舞いに来てくれたというわけだ。
一応あたしは、お兄が作ってくれたおかゆも美味しく食べられたし、アガシーが付いててくれたから、安心して寝ていられて……今はだいぶ調子が良くなってる。
だから、ちょうど少しお話とかして気晴らししたいところだったし、お見舞いはすごく嬉しかったんだけど――。
しかし、なぜに、よりによって朝岡……。
よーちゃんとか、アキちゃんとか、コンちゃんとかいるでしょうに……。
……ちなみに、玄関で応対したアガシーも、
「アーサー……女の園たる後宮は男子禁制だぞ……?」
なんて、最初はシブい顔をしていたみたいなんだけど……。
朝岡が、今日の給食で出た白桃ゼリーを持ってきてたみたいで、それを差し出すと……途端に寝返ったらしい。
……食べ物であっさり懐柔されるとか、番犬としては最低レベルだなコイツ……。
「まあ……別にいいけどね……」
ぼふっと、あたしはベッドに寝転がった。
……にしても、まさかお兄やパパ以外で、初めてあたしの部屋に入った男子が朝岡だなんてなあ……。
まあ、もの珍しげにときどきキョロキョロしてるけど、余計なものに触ったりせず、大人しくしてるところは評価してあげよう……。
勝手に探索とか始めたりしやがったら、思いっきり蹴り出してたところだ。
「……けどなんだよ、二人とも風邪で休みって聞いてたのに、軍曹はゼンゼンだいじょーぶそうじゃねーか」
「そりゃそうです。わたしは、アリナを看病するためにズル休みしただけですからねー。
二人とも風邪ってのは、兄サマが気を利かせてくれた方便ってやつですよー」
「なんだよ、そっか……」
「ふふん? なんです、この超絶美少女軍曹が病床で苦しんでると思うと、いてもたってもいられなかったってコトですか?
ぐふふ〜、愛いヤツめ〜」
「そそ、そんなんじゃねーっての!」
悪代官みたいな笑顔を浮かべたアガシーに、バシバシ背中を叩かれた朝岡が、恥ずかしそうに座ったまま距離を取って逃げていた。
――この悪ガキにしては珍しい反応だ。
さすがに、(あたしの――とはいえ)女子の部屋で、さらに女子3人に囲まれてれば、いかにコイツでも普段通りとはいかないのかも知れない。
「ねえ、亜里奈ちゃん~」
漫才というかコントというか……そんなやり取りを繰り広げてる朝岡とアガシーを尻目に、見晴ちゃんがすすっとあたしの側に近付いてくる。
「んー? なに?」
「アガシーちゃんと朝岡くん~、なんか~、すっごい仲良くなった気がするねぇ~」
「……もともとじゃない?
おバカなところで相性良さそうだったし」
見晴ちゃんの囁きに、興味なさげに答えながら――。
でもあたしの目は、なんとなく、アガシーたちに釘付けになっていた。
「………………」
朝岡については、確かにいつもの調子とは違うと思うけど……そもそも男子だから、正直よく分からない。
でも、アガシーは――。
ああそうだ、〈剣の聖霊〉とか関係なく、このコも女の子なんだ、って――そんな当たり前と言えば当たり前のことを、ふっと……でも強く、感じた。
いつもと同じ――はず、なのに。
どうしてだか違って見える……明るくまぶしい、その笑顔に。
* * *
「…………あ…………」
ふっと、目が覚めた。
視界に映り込むんは……見慣れた天井。
「……ふう……」
身体中が汗でじっとりしてて、ちょっと気持ち悪いけど……頭が重いんはだいぶマシになってる気がする。
快復……言うにはほど遠いけど、少しは熱が下がったみたい。
感覚からしたら、朝に測ったときは39度近かったのが、37度ぐらいになってる感じ……かな。
――ちらっと見えた窓の向こうは、もうすっかり暗くなってて……。
うん……これだけ、ゆっくり休めたんは……。
ウチは、感覚を確かめるように――キュッと左手に力を込める。
そこには、ウチの手を包むみたいに握ってくれてる、ウチよりずっと大きくて力強い手の感触があった。
――優しくてあったかい、ウチを安心させてくれる、大好きな人の手。
「……赤宮くん……」
握ってもらったときは、ちょっと冷たくて、それが気持ちよかったりしたけど……。
ずっと長いこと繋いでたからか、すっかり熱くなって――。
……って……。
赤宮くんの手、なんか、ウチより……熱くなってるような……?
身体を起こして、すぐそこ、枕元――ベッド脇に座ってくれてる赤宮くんを見る。
……いつ頃からやったんか、赤宮くんも眠ってたみたい、やけど……。
「…………」
……そ、そういえば、赤宮くんが授業中に寝てるんとかは、ちょっと見たことあるけど……。
ちゃんとした寝顔を、こんな間近で見るんは初めてやなあ……。
――なんて、ヘンに浮かれ気味やったウチやけど……赤宮くんの様子に、そんな考えはすぐにどっかにいってしまう。
赤宮くんは――赤みがかった顔で、いかにもしんどそうにしていた。呼吸も荒い。
……え、これ……まさか、ウチの風邪が伝染ったとか……?
だ、大丈夫かな、熱とかどれぐらいあるんやろ――。
心配になって、赤宮くんの方に手を伸ばしたら。
「――――ッ!!」
……それは、信じられへん速さやった。
いつの間にか、赤宮くんの左手が、伸ばしたウチの手首を掴まえてて――確かに寝てたハズやのに、そのまぶたがちゃんと開いてる。
さらに、その眼差しに一瞬、鋭く闘気めいたもんが宿った気がしたけど……。
それもすぐに消えて……一転してすごい大慌てに、手首も離して謝ってくる赤宮くん。
「ご、ごごゴメン鈴守!
あぁ、その……寝ぼけてた、みたいで……!」
「う、ううん、だいじょうぶ……ちょっとビックリしたけど……」
――正直、一瞬、武術の達人を相手にしたみたいな緊張を感じたけど……。
気のせい……やんな?
うん、ウチかて、まだ熱で頭がちょっとボーッとしてるし……。
「……あぁ、くっそ、なにやってんだ俺……」
珍しく、険しい顔でそんなことを言いながら……頭を振る赤宮くん。
「……だいじょうぶ……?」
「――え? あ、ああ、ゴメン……って言うか、鈴守の方は調子……どう?」
表情こそ和らげて、ウチを見てくれるけど……その顔色は、正直良くなかった。
「うん、ウチは……赤宮くんのおかげで、ゆっくり休めたから……だいぶマシになった感じやけど……」
「そっか……うん、確かにちょっと元気になった感じがする。良かったよ」
「でも、今度は赤宮くんが調子悪そう……もしかして、ウチの風邪――」
「ああいや、そうじゃないって。伝染ったとして、こんなに早く症状なんて出ないよ。
……俺も、昨日結構ムチャしたからさ――思った以上に疲れてたってだけだと思う」
ホンマに、なんでもないみたいに言うけど……やっぱりちょっとツラそう。
「ところで……今何時?
なんか、外が暗くなってる気がするんだけど……」
「あ、うん……えっと――夜の7時半過ぎ……かな」
枕元のスマホで確認した時間を伝えると、「あちゃー」とか言いそうに、赤宮くんは顔を手で覆った。
「看病に来てて、そんな時間まで寝てるとか、なにやってんだ俺……」
「そ、そんなことないよ。ウチかて今まで寝てたんやから……赤宮くんが手ェ繋いでてくれたから、安心して、ゆっくりと寝られたんやから……」
「あ……うん、ありがとう……そう言ってもらえると嬉しいよ。
でも、こりゃまた……ゼッタイ、おキヌさんとかにボロクソ言われるなぁ……」
「そんな、しゃあないよ……赤宮くんも調子悪いんやし――」
――そう。
それやのに、ウチの看病に来てくれるとか、すごく嬉しくて、でも悪いことしたな、って……。
そう思ったウチは、ほんなら、今度はウチが看病してあげようって考えて――。
「あ、あの、赤宮くん……?」
呼びかけるけど、返事が無い。
赤宮くんは、なんか、心ここにあらず、みたいな感じで――視線を床に落としたまま、じっとしてる。
あとなんか、「こんなときに……」って小さくつぶやいてた気もするけど……。
とにかく心配になって、もう一回、ちょっと強く呼んでみたら……今度は反応してくれた。
寝起きみたいに、ハッと顔を上げる。
「ホンマに、だいじょうぶ……?」
「あ、ああ、ゴメン。それで?」
「う、うん。あの……あのな、赤宮くん、しんどそうやし……その……うん。
えっと……と、泊まっていったらええんちゃうかな、って……!
――ほ、ほら、うち、客間とか、結構空いてる部屋あるし!
おばあちゃんもそうしろって言うと思うし、ウチも……そうしてほしいなって、思うし……っ」
いつの間にか、ベッドの上に正座しながらウチは、恥ずかしくて視線は合わせられへんくて、うつむいたまま……思い切って。
ホンマに思い切って、そんな提案をした。
そうしたら、きっとウチの方が先に体調良くなると思うし、すぐに赤宮くんの看病、してあげられるから――って。
赤宮くんのことやから、「うん」ってうなずいてくれるって――なんか理由もなく勝手に期待してたウチやけど……。
――でも。
「ありがとう」って言うた次の瞬間、立ち上がった赤宮くんは――。
「でも――ホントにゴメン。
今晩、これから、ちょっとした用事があるのを思い出したんだ」
ホンマに申し訳なさそうに苦笑いしながら……ゆっくり、首を横に振った。
* * *
……見舞いに来ていた二人も帰って、3時間近くが過ぎた頃。
「……ふう……まったく」
――高稲のオフィス街の方に、『結界』の張られた気配がある――。
つい先刻、自らが察知したその異変を、裕真に、思念による会話で伝えたアガシーは……小さくタメ息を吐きながら、亜里奈が横になるベッドの方へ戻ってきた。
「……また、〈呪疫〉とかが出たの?」
「いえ、結界の気配ですから……多分、〈救国魔導団〉が魔獣を引き連れて〈霊脈〉の汚染でも進めようとしてるんでしょう。
どちらにせよ、勇者様は向かうつもりのようなので、わたしも……」
「――うん、分かった。残った『身体』の方はあたしがちゃんと見てるから。
まあでも、今日はうちだし、あたしももうちょっと寝てるから……見てる、ってほどじゃないかもだけど」
「……ふむ。動けないのをいいことに、このカラダにイケナイことを……ってのも悪くはないですが、そーゆーコトは、されるよりもしたいですし~……ぐへへ」
「――もう……またそんなこと言って」
「ま、とりあえず、気にかけてもらえればそれだけで安心ってモンです。
じゃあ――ちょっくら、行ってきますね」
答えて、アガシーはベッド脇のクッションに座り込む。
途端に――外見で何が変わったわけでもないのに、人形のようになった、と……亜里奈は、二人で出かけた日の夕暮れどきのように、そう感じた。
「……いってらっしゃい、気を付けて……」
もはや聞こえているかも分からない言葉を送り……改めて、目を閉じる亜里奈。
とりあえず自分に出来ることは、二人が帰ってきたときこれ以上心配しないよう、しっかり元気になることだと……そう言い聞かせて、眠りに就く。
……そうして、しばらくの後。
「……………………」
自ら、眠ろうと努力していたはずの亜里奈が――。
そんなつもりは初めからなかったと言わんばかりの勢いで――。
……むくりと、上体を起こした。