第80話 お見舞い勇者と、男前な美魔女
「……あれ? なんだ、今日アリーナーと軍曹、まだ来てねーの?」
自分の席にやや乱暴にランドセルを放り出した朝岡武尊は、キョロキョロと首を振り、誰にともなく尋ねる。
応えたのは、見た目も雰囲気もふわっとしたクラスメイト、摩天楼見晴だった。
「ん~……なんかね~、二人とも風邪引いちゃったみたいだよ~?」
「んあ? そーなのか? じゃ、二人とも休みってこと?」
「うん、みたい~。
さっき喜多嶋センセーに会ったとき、お兄さんから連絡あったって言ってたから~」
「ンだよ、カゼでダウンとか、二人ともナンジャクだなあ」
やれやれ、とでも言いたげに大ゲサに肩をすくめる武尊だったが……。
ふと、なにか思うところがあったのか、考え込むような顔をしながら席につく。
「……軍曹、なんかまたヤベーことに巻き込まれたりしてんのかな……」
ぽつりと、誰にも聞こえないよう口の中でつぶやく武尊が、視線を上げると――。
「――おわっ!?」
……見晴が、ニコニコとほんわか笑顔で彼の顔をのぞき込んでいた。
「なな、なんだよ見晴!? かお、顔近いって!」
「う~ふ~ふ~……」
驚く武尊に対し、まったく動じる様子もない見晴は、意味ありげに笑いながら曲げていた腰を伸ばした。
「気になるんだねえ~、朝岡くん〜」
そして、ウンウンと、したり顔でしきりにうなずく。
「……は?」
「よおし、じゃ、学校終わったらお見舞い行こぉ~!」
「……え? は?…………はあっ!?」
超マイペースゆえの、有無を言わせぬ謎めいた力強さを持つ見晴の宣言に――。
武尊はただ、すっとんきょうな声をあげるしかなかった。
* * *
――総合格闘ジム〈ドクトル・ラボ〉……。
「ふー……。おかしいとこは……無いよな、多分……」
その裏手にある、上階の居住スペースへの玄関前までやって来た俺は、改めて、呼吸と身だしなみを整えていた。
……俺がここへやって来た理由はもちろん、少し前におキヌさんからかかってきた電話だ。
――鈴守が、風邪でダウンした……。
その情報をもたらしたおキヌさんは、見舞いに行けと俺に命令(それ以外の表現が見当たらない)してきたわけである。
もちろん、言われるまでもない、って思いはしたものの……。
同じく寝込んでいる亜里奈のこともあるし、どうしたものかと悩んだんだけど……。
「鈴守が風邪ぇっ!?」と、思わず叫んでしまった俺の声を聞いていたらしく……当の亜里奈から、自分のことはいいから行けとニラまれてしまったのだ。
まあ、幸いにして、亜里奈を看病する気満々だったアガシーもいたし、鈴守の見舞いと言っても、休む邪魔にならないよう、とりあえず顔を出す程度ですませるつもりだったので……。
ひとまず亜里奈のための梅がゆを作った俺は、市販の風邪薬に、さらに、いざ医者へ行くとなったときのための保険証やら診察券やらをお金と一緒にアガシーに預けると……亜里奈のことを任せて家を出て――。
そして、途中〈世夢庵〉に寄って、お見舞い品の抹茶プリンを入手した俺は、こうして鈴守の家の前までやって来た……というわけである。
……に、しても……。
改めて、〈鈴守〉って表札を前にすると……込み上げる緊張感がハンパない。
インターフォンのボタンになかなか手が伸びない。
い、いやいや、だからってここでウロチョロしてたら、それこそただの不審者だろ……!
俺は初デートのときの、通報される寸前(多分)までいった苦い経験を思い出し、意を決してインターフォンに手を伸ばす。
おキヌさんいわく、ドクトルさんがご在宅らしいけど……。
これで、出て来たドクトルさんに、「誰だったっけ?」とか言われようものなら……!
お、俺はいったいどうすれば……ッ!?
「あっはっはっは! そーんな心配してたのか!」
――ドクトルさんにリビングに通された俺が、玄関前での心配を素直に話すと、豪快に笑い飛ばされてしまった。
結局……俺が見舞いに来ることは、前もっておキヌさんが一報入れておいてくれたらしく。
いちいち挨拶とか説明とかする必要もなく、俺はドクトルさんに笑顔ですんなり迎え入れられたのだった。
バカみたいに緊張しまくってた反動か、逆に、ホッとしすぎて妙に落ち着いてしまった感じだ。
もちろん、ドクトルさんが気安く接してくれてるおかげもあるだろうけど……。
「いえ、結構真剣に心配したんですけどね……」
「そりゃアタシももう60だが、孫娘の彼氏を忘れるほどボケちゃいないさ」
「あ、そ、そーゆー意味じゃ無いんですけど……!」
楽しげなドクトルさんは、お茶でも煎れようか、と、テーブルにかけるよう、俺に手振りで示す。
うーん……お見舞い品渡して、出来るようなら鈴守に一言挨拶して、それですぐに帰るつもりだったんだけど……。
でも、せっかくのお誘いを断るのもどうかと思い、俺は素直に椅子に座る。
シンプルなデザインだが、我が家のどの椅子よりも圧倒的に座り心地が良い。
こりゃ高級品だな……。
そんな考えに至り、ふと見渡してみると……この居住スペース自体、間取りは広くてキレイ、各種調度品もおしゃれで品があって……まるでドラマとかCMに出てくる高級マンションみたいだ。
……こんな家、イタダキんち(ザ・金持ち)以外知らないぞ……。
え、じゃあつまり……鈴守って、実は結構なお嬢様なのか……?
「こう見えて、外国の方で在学中にいくつか特許を取ったんでね、ある程度の貯えはあるのさ。
……ジムの経営もそれなりに順調だしな」
俺がついキョロキョロしちまったから、思っていることがモロバレだったんだろう。
でもキッチンのドクトルさんは気を悪くするどころか、機嫌よさげにそんなことを話してくれた。
……てか、ちょっと待て?
外国で? 在学中に? 特許ぉ!?
さらりと、何かとんでもないこと言ってるぞこの人……!
「……だが……」
湯気の立つマグカップを両手に持って、ドクトルさんが戻ってくる。
「そんなことで気後れするような、器の小さい人間じゃないだろう? キミは」
目の前にコーヒーが置かれた。
シンプルなマグカップも、なんか高級品っぽく見えてしまう……。
「か、買い被りすぎですよ……ギリギリ中流家庭のド庶民ですよ? 俺なんて」
「はっはっは!
全校生徒を前にカップル宣言なんて、大見得切るほどのオトコがよく言うよ!」
うげ……やっぱり昨日の体育祭の動画、見られてたか……。
誰から流れたのやら……鈴守じゃないことだけは確かだろうけど。
「ああ、もちろん責めてるわけじゃない。むしろ感心してるぐらいだよ。
――確か、赤宮くんはブラックで良かったよな?」
「……あ、はい、ありがとうございます」
……俺、コーヒーの好み話したっけ……?
ああ、この間の勉強会のときかな――でも、ドクトルさんに直接話したりはしなかったはずなんだが……。
「勉強会のときにもちらっと見たが、千紗からも聞いてたんでな」
自分のコーヒーを手に、向かいに座ったドクトルさんが、俺の心を見透かしたように――いや、実際見透かして答えてくれた。
……さすが、博士号はダテじゃない――ってところか?
「しっかし本当に……昨日のリレーの動画は、年甲斐もなく燃えたなあ!
素晴らしい逆転劇だった! 直に観戦出来なかったのが実に惜しい!」
「……いえ、まあ……最後は締まらなかったですけど」
思いっきりキラキラしてたからなあ……小汚いバケツ抱え込んで。
「なに言ってるんだい。本当に吐くまで――しかもラストスパートをかけるほどに全力で走りきるなんて、並大抵の根性で出来ることじゃないさ。
アタシは根性のある真っ直ぐな若者は大好きだからね……キミのことはますます気に入ったよ、赤宮くん」
「あ。ありがとうございます……!」
ドクトルさんにそんな風に褒められるとか、嬉しいけど……なんか、緊張するな……。
「まァ、それに免じて――千紗とあれこれイチャついてたことは不問にしよう」
いきなり、ドクトルさんの目がギラリと輝いた――ような気がした。
「あ、ありがとう、ございますー……」
……や、ヤバかった……!
調子に乗って、手放しに喜んだりしてたらどーなってたか……!
なんて、俺が顔を引きつらせてると、ドクトルさんはまたオトコ前に笑う。
「はっはっは! すまんすまん、心臓に悪い冗談ってやつだ。
……しかし、キミのことを評価してるのは事実だし、感謝もしているんだ――キミと一緒にいる千紗は、本当に生き生きとしているからな」
「それは……すずも――千紗さんが、もともとそうだからで……」
し、下の名前で呼ぶのは、本人相手じゃなくてもまた緊張するなあ……。
俺は乾いた唇を、必死にコーヒーで湿らせる。
「ああ、そうだな。本質的には明るい子なんだ。
……だがあの子は、家の事情で急遽、生まれ育った土地、両親、友人と離れて生活しなければならなくなった。
正直、社交性そのものはあるが、万事控えめで、積極性には欠けている子だ。
家の事情はあの子にとってプレッシャーでもあるし、自分で望んだわけでもない環境にいきなり放り出されて……大丈夫だろうかと心配していたんだよ」
「………………」
俺は黙って、ドクトルさんの話に耳を傾ける。
プレッシャーになるほどの家の事情、か……。
気にはなるし、当然俺で力になれるなら、なってあげたいけど……興味本位でほじくり返すより、鈴守が自然と話してくれるのを待つ方が良いよな……やっぱり。
「だが、おキヌちゃんのような良い友人に恵まれ――そしてなにより、キミに出会って。
今あの子は、向こうにいた頃より充実して見えるぐらいだ。
あの子に家の事情を押し付けた大人の一人として、こんなことは言えた義理じゃないのかも知れないが……それが本当に嬉しくてね」
「………………。
それは……ちょっと違うんじゃないですか?」
「……違う?」
意外だ、と言いたげに疑問符を浮かべるドクトルさん――その目をまっすぐに見つめて、俺はうなずく。
「ドクトルさんも、俺たちの側だってことです。
なんだかんだで、一番身近なところに、こうやって心配してくれるおばあちゃんがいる……それも絶対、すずも――千紗さんにとって、大事なことのはずですから」
「………………」
ドクトルさんは、驚いたような顔でしばらく無言でいたが……。
やがてまた、いつものように豪快に、オトコ前に笑った。
「あっはっは! まったく…………赤宮くん、キミ、実は結構モテるだろう?」
「えぇ!? い、いえ、ゼンゼン……ですけど」
なんでそんな話になるんだ、と思いつつ、正直に答えると……ドクトルさんはしたり顔でしきりにうなずく。
「……なるほどな。いやはや……千紗も、とんでもないオトコを見出したモンだよ。
いや、むしろ……見出された、って言うべきか」
「は、はあ……」
今度は俺が疑問符を浮かべる番だった。
しかし……残念ながら、ドクトルさんはそれを解消してはくれないらしい。
一口、さも美味そうにコーヒーをすすり、「さて」と話題を次に移してしまった。
「少し話題が逸れてしまったが、先に言ったように、アタシ自身キミを気に入ってるし、千紗が全幅の信頼を寄せるキミを、信頼してもいる。
さらに、実は料理なんかも結構出来ると聞いた。
そしてその上、おキヌちゃんから『大丈夫』と、お墨付きも得た。
――と、いうことで、だ……赤宮くん!」
テーブルに身を乗り出したドクトルさんは、俺の両肩をガシッと引っ掴んだ。
……えっと……この人、60のおばあちゃん……なんだよな? そうなんだよな?
ドラゴンの鉤爪に掴まれたときと同じ感じがするんだけど……気のせいだよな?
無意識にたじろぐ俺に、ドクトルさんは続けて――。
頭が真っ白になる一言を、追い打ちのように言い放った。
「今日、アタシが仕事の間――千紗のことを看病してやってほしい!」