第79話 鬼のかく乱と言うなら、悪魔だって風邪を引く
――夜。すっかり人気が無いオフィス街の一画で――。
魔獣を引き連れた〈救国魔導団〉。
能丸とシルキーベル。
そしてこの俺、クローリヒトは……。
今回もまた、三つ巴の戦いを繰り広げていた。
「……な、なんだか、いつもみたいなキレが、ハァ、ないですよ、クローリヒト……!」
「……そ、それを言うなら、フゥ、お前もな、シルキーベル……!」
俺とシルキーベルは、互いの得物とともに、そんな言葉もぶつけ合う。
「つ、疲れてるんですか? 体調が、悪いんですか?
それなら……フゥ、さっさと降参……した方が、いいんじゃないですか……っ?」
「お、お前もな……!
調子が悪い、んなら、ハァ、さっさと帰って……寝たら、どうだ……っ?」
俺たちは互いに、いつもと違って明らかに精彩を欠いた動きで――。
けどだからこそか、俺も向こうもムキになってヤケクソ気味に、聖剣を、長杖を、何合も何合も打ち合わせ続ける。
カネヒラとかいうロボ使い魔も、俺たちの剣幕にビビってるのか、手を出してこない。
それにしても、クソ……はっきり言って頭が回らない。
ついでに言えば、手も回らない。
……ああもう、こんなムダなことしてる場合じゃないのに……!
このままじゃ、また魔導団の魔獣が、〈霊脈〉の汚染を終わらせちまう……!
能丸のヤツも魔導団に邪魔されてるみたいだし、なんとかしなきゃなんだけど――。
ああ……頭が重い。考えが巡らない。
そもそも俺はたった一人だ、なにか思いついても手が回らない……。
……ああくっそ、シルキーベル、このガンコ者め……!
頑張り屋でマジメってのは結構だが、調子悪いんなら素直にお休みしてろってンだよ、わざわざ俺の邪魔しやがって、ちくしょう……!
同じ頑張り屋でマジメって言っても、やっぱり鈴守とはゼンゼン違うな!
まったく、いっそ爪のアカでも煎じて飲めってんだ……!
「「 ……いい加減に……ッ!! 」」
俺とシルキーベルが、妙なところでは気が合ったのか、互いに大振りの一撃を見舞おうとした――そのときだった。
「――ギャウッ!?」
魔導団が引き連れてきた、虎っぽい魔獣が――いきなり。
見えない車にでもはねられたみたいに、思い切り弾き飛ばされたのだ。
「「 …………っ!? 」」
突然の事態に、動きを止める俺たち。
そこへ降ってくる声――
「――交ぜてもらうぞ。これで、数的には同等というわけだ」
その元を辿れば、街灯の上に、一つの人影があった。
闇そのもののような漆黒のマントにすっぽりと身を包む、長く美しい銀髪をなびかせた、これもまた真っ黒な仮面で顔を隠した長身の男――。
俺は……その姿に、見覚えがあった。ありすぎるほどに。
「あ、あなたは……何者、ですか……!」
シルキーベルの、男に向かっての誰何。
まるで、代わりに答えるように……俺は、小さく口の中でつぶやいていた。
「……ハイリア……!?」
* * *
――同日、遡ること約12時間前。赤宮家――
「……38度。ものの見事に風邪だな。今日は学校休め」
俺は、ベッドの中の亜里奈から受け取った体温計を見て、汗で額に張り付いた前髪を払ってやりながら……努めて穏和にそう告げた。
――体育祭の翌日。
さすがに昨日色々とムチャをしたせいか、俺も朝から身体がだる重かった。
……でもまあ、今日は月曜だけど振替休日だし、ゴロゴロしてればいいか……。
そんな風にまどろみつつ、しかしそういう怠惰な生活態度に厳しい妹が、いつもの時間になっても起こしに来ないことを不思議に思い、部屋を訪ねてみると……。
とっくに制服に着替えていてもおかしくない亜里奈は、けれどまだパジャマのまま――赤い顔をしてベッドの中にいた、というわけだ。
……ちなみに、父さんは仕事、母さんも朝早くから出かけていて……アガシーは朝食当番として、下で準備の真っ最中。
多分亜里奈が、自分の不調に気付きつつも、すぐに行くから準備しててくれ、ってなことを言ったのだろう。
しかし体調は改善どころか、悪化の一途を辿っている……と。
「……でも……学校、休むのは……」
「そんな泣きそうな顔して、でも、もないだろ。
昨日はずっと俺たち年上ばっかりの中にいて、いろいろ気も遣ったろうし、お前にしちゃ結構はっちゃけてたから……その疲れがいっぺんに出たんだろうな」
俺がそんな風に声をかけていると、軽快に階段を上がってくる音がして……。
すぐにドアが開き、アガシーが顔をのぞかせた。
「アリナ~、どうですか~――って、おや、勇者様。
実の妹に夜這い……ならぬ朝這いですか? TPOってのを考えましょうよ……」
「……お前もな」
「はっはっは、ま、冗談はさておき……アリナ、どんな感じです?」
「ああ。熱が38度もあるし、今日は学校休ませるさ。
母さんも父さんもいないけど、ちょうど俺も今日は体育祭の振替休日だしな、俺が看てる」
「……いいよ、お兄……あたし、だいじょぶ……」
「こんなときは素直に甘えてりゃいいんだよ。たまにはアニキらしいことさせろ」
「うん……ごめん……」
「そこはありがとうだな――って、いいから、いちいち真に受けて言い直さなくていいから、大人しく寝てろ。……まったく」
俺は亜里奈を安心させる意味も含めて、笑いかけながら立ち上がった。
風邪ってのは身体の免疫反応だから、ヘタに風邪薬を飲まない方が治りが早いって話も聞くが……。
まあ……この後、医者に連れて行くにせよ、市販の薬を飲ませるにせよ、体力つけるのが先決だろう。
……ってわけで、まずは定番のおかゆでも作るか……。
そんなことを考えていた俺を、気付けばアガシーがじっと見上げていた。
「……治療魔法使えば一発なんじゃないんですか?」
「いや……ムリだろ。あれは毒素やらケガやら、外的要因に対するもんだからな。
まあ、自然治癒力を高めるものなら効果はあるかも知れないが……あれだって、身体のあるべき状態に無理矢理手を加える、一種の劇薬みたいなもんだし。
俺みたいに、慣れて身体が適応してたり、そもそもの体力があるならまだしも……こっちの世界の一般人、しかも身体も出来てない子供の亜里奈じゃ、逆にこじらせたりしかねないだろ。
……ってわけで、その案は却下だ」
「ふむ……まあ確かに。
よし、それじゃーわたしも、学校休んでアリナの看病ですよ!」
「いや、お前はメシ食ったら学校行けよ……」
あんまり病人の側で騒いでも良くないので、俺はアガシーを連れ、ひとまず亜里奈の部屋を出て台所に向かう。
……さて……と。
ショウガなんて使えば、あったまって身体にも良いんだろうが……亜里奈、ショウガはあんまり好きじゃないからなー……。
どういう味付けにするべきか……うーむ……。
「……勇者様」
おかゆの方向性について考えながら冷蔵庫を開ける俺に、背後からアガシーが声を掛けてくる。
思わず振り返ったのは、声にちょっと真剣な様子があったからだ。
「……なんだ? のんびりしてると遅刻するぞ?」
「だから、わたしも休みますって。
……勇者様だって今日、あんまり調子が良くないんでしょう?」
「…………分かるのか」
「まあ、魂が契約で結ばれちゃってますからね。……ある程度なら」
ふむ……まあ、そりゃそうか。
隠し立てするほどのことでもないんだが……。
「……なら、分かるだろ?
俺はちょっと疲れが溜まってる程度だ、不調ったって大したもんじゃない。
昨日みたいな猛ダッシュとかはカンベンだが、亜里奈の看病ぐらい問題ねーよ」
「ふむ――なら、それはひとまず良しとしましょう。
……しかし、問題はまさにその『看病』にもあるとお気付きですか!」
とりあえず梅干しはあったし、梅がゆにするか……。
そう決めた俺に、なおもアガシーはまとわりつく。
「……なんだよ、問題って」
「あのですねえ、アリナは女の子なんですよ?
汗をかいた身体をキレイに拭いてあげたり、着替えさせてあげたり……誰がするっていうんですか?」
「そりゃ、自分でやるのがツラそうなら、俺が――」
「だーかーら、それが問題だって言ってるんでしょーが!」
「……いや、見ず知らずの他人ならともかく、俺、アイツのアニキなんだけど」
「キサマの頭はゴブリン以下か、このクソへっぽこ新兵め!
お年頃のアリナの気持ちを考えろと言っている!
いくらアニキだろーと、男にハダカ見られたいわけねーだろーが!」
「……むう……」
……言い方はムカつくが……まあ……確かに。
考えてみりゃ、亜里奈も来年は中学生だもんな……そりゃ、そういう恥じらいってやつもあるか……。
「……じゃあ、誰が世話をするんだ?」
「――そそっ、それはモチロン、ここ、このBIGなsay! ray!たるわたしがですねえ、精魂込めてすみずみまで、こう、てて、丁寧に丹念に……ッ!
ぐへ、ぐへへ……!」
「どう見たってお前の方が、犯罪臭漂うヤバさじゃねーか……」
手をアヤしくわきわきと動かし、アヤしい笑いを浮かべるさまは、聖霊どころか『性霊』って感じだが……。
確かに実際問題として、どんだけオヤジっぽくても、一応、なんとか、かろうじて――生物学的分類上は『女』であるコイツがいた方が、亜里奈にとっても、いいかもな……。
「……わーかったよ。そこまで言うなら休んでいいぞ、学校。
ただし、学校への連絡は俺がまとめてしてやるけど、母さんには、あとでちゃんと自分から――」
報告しろよ、と続けようとした俺を遮って……ジャージのポケットで電子音が鳴り響く。
――俺のスマホだ。取り出してみると……
「……おキヌさん?」
画面を見る限り、おキヌさんからの電話らしい。
……昨日の今日でいったいなんなんだ、またなにかとんでもないことやらせるつもりじゃないだろーなー……。
そんな、ちょっとした恐怖を感じながら、俺は電話に出る――。
――そう! なんと、すんなり電話に出られるのだ、今の俺は!
いつまでも文明の利器を扱えない珍獣と思うなかれ……!
日々進化しているのだ、この俺も!
まあ……メールとかになるとまだまだハードル高いんだけどな! はっはっは!
『……おーい、赤みゃーん! 聞こえてるかー!』
……はっ!?
おお、いかんいかん、ついつい自分の成長に酔いしれてしまっていた……。
「あ、ああ、ゴメンおキヌさん。大丈夫、聞こえてる。
……で、なにか用?」
『うむ、実はだねー…………』
おキヌさんはなにかもったいぶった様子で……。
しかし同時に、なにか楽しんでいるかのような調子で……続く言葉を告げた。
『――おスズちゃんが、風邪引いてダウンしてるんだってさ?』