第75話 その歩みが勇者の走り――限界突破へ!
――ウチは今、不思議なくらい落ち着いてた。
さっきまで、あんなに頭の中ぐちゃぐちゃやったのに。
どうしよう、どうしようって……そればっかりやったのに。
……ケガが痛いのも、泥んこになったんも、大したこと違う。
みんなに――赤宮くんに、迷惑かけた、足引っ張ったって……それが、悔しくて、情けなくて、哀しくて……。
ウチのせいで、負けてまう、って……。
……でも――。
――『大丈夫――俺は勝つ。絶対だ』
赤宮くんのその言葉が。
まっすぐに向けられた眼差しが――。
ウチの不安も、混乱も……ウソみたいに拭い去ってくれた。
単純に、好きな男の子に言われたから、ってだけやなくて……。
赤宮くんの『大丈夫』には、びっくりするぐらいの安心感があった。
その場しのぎの言葉とかやったら絶対にありえへん、本当に『大丈夫』って信じられるだけの、すごいチカラがあった。
だから――。
どう考えたって、絶望的な状況やのに。
勝てるような要素なんかゼンゼン無いのに。
ウチは――赤宮くんが勝つって、信じて疑わへんかった。
* * *
――もう、はっきり言ってしまおう。
……メチャクチャしんどい……!
大見得切って走り出したはいいけど、50mダッシュを連続60本するぐらいの気で走るとか、考えるまでもなく拷問級だ。
ゴールにバケツ用意してくれ!……なんて言ったものの、500mも走ったところで、すでに胃が締め付けられるような感じがしてる。
だけど――――!
「……まぁだまだぁ……っ!」
――吐きそうになるぐらいがなんだってんだ。
〈瘴気の沼地〉で迷ったときなんて、漂う瘴気で四六時中気分が悪いわ、足場は悪くて疲れるわ、襲ってくるモンスターは毒持ちばかりだわで……。
メシ食ってもすぐに戻しちまうような過酷な環境で、一週間ぐらい過ごしたんだ。
それに比べりゃ、この程度――っ!!
「……ひぃっ!?」
2位を走っていたD組のアンカーは、俺の鬼気に気圧されたのか、こちらを振り返るや道を空けるように飛び退いてくれたので、その横を一気に走り抜けた。
さらに……無茶なペースで走り続けているのだから、いい加減、足も重くなってくる。
だが――足が重いぐらいなんだってんだ!
〈命枯れし砂漠〉を踏破したときなんて、暑苦しいわ水は無いわ、砂ばっかだからひたすらに歩きにくいわ、そのくせ襲ってくるモンスターは素早いからこっちも動き回らにゃならんわで……。
足が棒になって、干涸らびて、でも立ち止まれば死ぬしかないから歩き続けたんだ。
それに比べりゃ、こんなもん――っ!!
「……うぅらあああっ!」
気合いを入れ直して足を動かし、そうしてさらに突き進めば――。
やっと……上り坂のその先に。
悠々としたペースで先を行く、脚立センパイの姿を捉えた……!
「逃がすか……っ!」
ただでさえ息が上がってツラいのに、上り坂とかホントに苦しい。
けど――この程度の苦しさなら、さんざんに味わってきた!
〈邪竜山脈〉に登ったときなんて、極寒の吹雪に見舞われるわ、雪に足を取られてまともに歩けんわ、そのくせ邪竜の奇襲から逃れるために走り回るハメになるわで……。
酸素も薄い中を、邪竜が吐く氷嵐の息吹に追い立てられるっていう、極限すぎる高地トレーニングをこなしてきたんだ。
それに比べりゃ、まだまだヌルい――っ!!
「へえ……思ったより速かったじゃないか? 勇者クン」
「どうも、センパイ……さっきぶり……っ!」
ようやく、余裕たっぷりのセンパイに並んだ俺は――合わせてペースを落とす。
……正直、さすがにちょっと助かったと思わずにはいられない。
だが――勝負は、ここからが本番だ。
案の定、センパイは、ちょっとずつペースを上げ始めた。
だから俺もまた、少しずつ足に力を込めていく。
「……ツラそうじゃないか。さっさと諦めたらどうだい?」
「まーだまだ、準備運動レベルっすよ……?」
……ああ、ツラいよ、当たり前だろうが。
でも……だからこそ、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
まだまだ余裕だって強気を、崩すわけにはいかないんだ……!
なおも、センパイはペースを上げる。
――だが、俺は離れない。
さらにペースを上げる。
――それでも、俺は離れない。
「なんだよ、クソ……っ!」
一向に離れず食らいついてくる俺に、脚立センパイの表情が歪み始める。
……ふふん、いいね……。
それだセンパイ、それが見たかったんだよ……!
「ホントに、なんなんだよお前……!」
「ご存じ『勇者』っすよ、センパイ……!」
「ちっ、それなら……!」
――センパイのペースが一気に跳ね上がった。
俺を振り切ろうと躍起になってるのが分かる。
しかし――やはり、俺は離れない。
お互いに肩をぶつけ合うような状態で、俺たちは走り続ける。
「コイツ――は、離れろ、いい加減、離れろって……!」
「センパイこそ……オーバーペース……でしょう?
さっさと……スピード落とした方が……いい、んじゃ――ないですか……っ?」
……ぶっちゃけ俺もヤバいぐらい気持ち悪いし、長々としゃべるほど呼吸に余裕なんて無い。
だけど、ここで俺は……ふふんと、不敵に笑ってやった。
正直、今の俺が笑うと、どんな笑い方をしようと相当に凄絶な笑顔になることだろう。
けれど、だからこそ――。
今このとき俺は、思いっきり、とびっきりに笑ってやった。
その狙い通り――センパイの表情が、強張る。
――呑まれた。ついにビビったな……!
いいかセンパイ、覚えとけよ?
……ケンカはな、他でどれだけ勝ってても――。
ビビって呑まれたら、『負け』なんだよ……!!
「はっ、はっ……!!」
センパイの呼吸が……一気に乱れてきた。
普段なら絶対やらないオーバーペースで、しかも心をかき乱されてちゃ、そりゃあ息も苦しくなるだろ。
トップアスリートでも、集中が乱れりゃ散々な結果になったりするぐらいなんだ。
センパイ――プロ選手でもないアンタじゃなおさらだよな……!
――少しずつ、少しずつ……しかし明らかに、センパイのペースが落ちていく。
ちょっと前まで余裕で走っていたのがウソのように、大口開けて必死に酸素を取り込む。
だけど……ここで一気に抜き去れるほど、俺にも余力なんて無い。
……正直言って、食らいついていくだけで、もうひたすら、地獄のようにツラくて苦しい。
でも――まだ『ように』だ。
ホンモノの地獄はこんなもんじゃない……!
灼熱の溶岩の合間をさまよい歩いた先、魔王の城に巣くう、一騎当千のモンスターどもを退け……。
さらにその後、比喩でもなんでもなく本当に三日三晩続いた、あの魔王との死闘に比べりゃ……!
それに――それにだ!
俺が負けて、鈴守が泣いちまうのに比べりゃあ……ッ!
こんなもん、こんな程度で……! 俺の足が止まるかよっ!!!
――脚立センパイも必死に走る。
無茶なオーバーペースやら、俺にかけられたプレッシャーやらでガタガタだろうに、それでも何とか歯を食いしばって、遅くとも、走り続ける。
そして俺も、それに食らいつく。
決して離されまいと、一心不乱に走り続ける。
やがて――俺たちはもつれ合うようにして、校門まで戻ってきていた。
とんでもない大歓声が聞こえる気もするが、単なる耳鳴りかも知れない。
そうして――。
トラックを半周し最後のストレート、あとはゴールテープを切るだけ――という段になって。
脚立センパイのアゴが、大きく上がった。
もうムリだと、限界だと、身体が上げる悲鳴に、ここに来てついに負けたのか――ガクンと失速するのが分かった。
……そりゃそうだ。むしろここまでよく頑張った方だよセンパイ。
だけどさ、残念ながら――。
火事場の馬鹿力って、あるだろう?
生きるか死ぬかってレベルの、本当の『限界』は――もっと先なんだぜ?
何度も死にそうな目に遭ってなきゃ、絶対分からねーだろうけどな……!!
「ぉおおおああああああーーっ!!!!」
ここで俺は、逆に――さらに、一気に、ペースを上げる。
そして、脚立センパイを置き去りに――。
思いっきり身体を投げ出し、前方に飛び込んで……受け身も取れずに地面を転がった。
――真っ白なゴールテープを、その身に巻き取って。
「――赤宮くんっ!!!」
一番に駆け寄ってきてくれた鈴守が、倒れ伏して動けない俺の上体を抱き起こしてくれる。
続けて――。
《……か……か、か、かか、勝ぁっったああああーーーーッ!!!!
あの大差を覆し――!!!
2-Aの赤宮裕真くん、なな、なんと…………宣言通りの、大大大逆転勝利ぃぃーーー!!!
そして…………この瞬間ッ!!!
紅組の総合優勝も、決定いたしましたぁーーーーーッ!!!!》
「「「「「 うぅおおおおおおーーーっっっ!!!! 」」」」」
大興奮の放送に続いて、とんでもない大歓声が空気をビリビリと震わせた。
……あ、ありがたいけど、今はちょっとカンベンしてほしい……。
正直頭がムチャクチャ痛ェ……ガンガン響いてツラい……。
――っていうか…………ぎ、ぎもぢわるい……。
「赤みゃーーん!!! よくやったあああっ!!!」
「お、おキヌさん、いいから……ぷ、ぷりーず、バケツ……」
「おお、ほいよ」
おキヌさんが、どん、と差し出した、ステキにボロいブリキのバケツを……グルグル回る視界の中、必死にたぐり寄せ、抱え込む。
……な、なんとか間に合った……。
必死にガマンしていたキラキラを、盛大にバケツさまに受け止めていただく俺。
その間……鈴守は、優しく俺の背中をさすってくれていた。
「いいよ……鈴守、きったねーだろ?
汗ダクだし、汚れるから、離れて……」
「ううん、大丈夫。ええよ汚れても。そんなん気にせえへんから。
ウチかて泥んこで汚いし……。
うん、やから……せめて、これぐらいさせて――」
鈴守は泣き笑いのような顔で、なおも背をさすり続けてくれる。
ああ……なんか、ホントに。
これだけで、何よりも……どんな回復薬よりも、癒やされるよなあ……。
「ホンマに……ありがとう、赤宮くん。ありがとう……」
「はは……言ったろ? 大丈夫、って」
「うん……うん。信じてた……!」
「……ああ。ならなおさら、勝って当然――」
ちょっとカッコつけようとも思ったけど……このヒドい状態じゃあな。
「――なんて、これじゃカッコつかないよなあ……」
「うん、ヒドい顔してる。
……最高にカッコイイ、ヒドい顔」
鈴守は、目尻の涙を拭って、笑い直してくれた。
はは……くっそ嬉しいな。フラフラな頭がクラクラしちまう。
「……ありがとう。
――でもホント、これだけヒドいと俺の方が敗者みたいだよ……なあ、脚立センパイ?」
俺はそう言って、視線を上げる。
――気配で感じていた通り、そこには……荒く息をつく脚立センパイが立っていた。
……ホント、バケツに熱烈ハグしてる俺なんかより、よっぽど勝者な佇まいだ。
「あ・だ・ち、な。足立進吾! 脚立はアシ違いだから!」
「おお、失礼……足立ハシゴ先輩」
「し・ん・ご! 脚立進吾!」
「……ついに自分で認めたか……センパイも、まだ脳に酸素回ってねーな?」
俺が青い顔でくっくっと笑ってやると、センパイは「バケツとハグしてるヤツに言われたくないよ」とタメ息混じりの苦言をもらす。
そして――。
「……ったく――ホンっト、そんなになるまで走るとこ見せつけられちゃあな……。
あ〜……負けた負けた。負けたよ勇者クン――いや」
そんな悪態をつきながらも、どこかすっきりしたような表情で……。
「勇者――か」
そう言い直して、表彰台の方をアゴで示した。
「主役が来なきゃ、始めらんないだろ。ちょっとの間ガマンしろ」
「あ〜……はいはい。
――あ、ゴメン鈴守……」
「ったく……そのコも足挫いてるんだろ?……ほら」
鈴守に支えてもらって立ち上がった俺の肩を、脚立センパイが強引に取った。
「……どうもっす、センパイ。
あ、でも負けは負けですから、カンパはしてもらいますよ?」
「わーってるよ! これでチャラにしてもらおうとか、そんなセコいこと考えるか!
……ったく、がめつい勇者だな!」
雲間から射し込む光が増え、すっかり明るくなった空を見上げながら……。
俺たちは、揃ってフラフラな足取りで……表彰台に向かうのだった。